蒸気機甲歩兵隊の少女
電車の中って暇ですよね。
鋼鉄の骸の上を水滴が伝う。水滴は苔に覆われた緑の大地に落ちていく。
かつての巨大工場はその役目を破棄され見放された。それは一体どれほど前のことだろう。
鉄は錆びて壁にはヒビが入っているがその頑強さは僅かしか変わってはいない。
人工物と自然が入り混じり、どちらか一方ではない情景。人の作った物が自然に飲み込まれて消えていく手前の情景……
黒煙を暗く汚れた空に撒いていた煙突も半ばから折れている。折れた煙突は工場の天井を貫き、暗く冷たい内部に薄明かりを導く。
彼女はその廃工場の中を歩いていた。
鉄板の敷き詰められた床は一歩歩くごとに甲高い金属音を広い工場内部に反響させる。
空は高く天井の穴から僅かに見えるのみ。彼女はゴーグル越しの燻んだ空を少し見上げ、また歩き出した。
彼女は1人だった。
しかし、心細くはない。安心しているわけではないが不安というわけでもなかった。自分の任務がどういうものかを理解していた。
工場の二階通路。
淡く幻想的な光が割れたガラス窓の隙間から室内に幾何学な影を落とす。
天井からは無数の植物の根や蔦が垂れ下がり床には所々苔や植物が生えている。光が届けば彼らは成長する。鋼鉄の冷徹な地面の上にも生命は少しずつ己の領域を作り出していく。
彼女にとってはそんなことはどうでもよかった。任務には関係のないことだ。この廃工場がどんなものかも関係がないし、ここの植物たちの植生も関係ない。
ただ、この情景を不思議と美しいとは感じていた。
彼女の手には銃が握られている。2型甲蒸気式突撃銃は彼女たちの標準的装備だ。多くの国で採用され多くの兵士が使っている。蒸気の圧力で弾丸を射出するこの銃は廃れ始めた魔法に取って代わり戦争で活躍している。
もっとも魔法はまだこの世界の中核であるのだが。
彼女の纏う鎧ーー蒸気式強化装衣もまた廃れた魔法を近代的技術により再興したものだ。
この鉄の塊は信頼がおける。それは絶対のものではないが錆びれた剣や古い慣習に縛られた魔法より遥かに力になってくれた。
我々がこの新技術ーー魔導蒸気機関を発明しておこなったのは大きな技術進歩と社会の変革であった。
だが、彼女にはあまり関係がないのでここで語ることはしない。世間の進歩と彼女の運命は密接に関連しているとも言えるが彼女にとってはたいした問題ではなかった。
彼女は今を生きるのみであったからだ。
彼女は廃棄された巨大なクレーンを見つめる。それは遠くから見ればまるで巨大な生物の骨格のようだ。錆びたクレーンはもう動くことはないだろう。しかし、その巨体は未だ堂々と工場の敷地内に立っていた。
緑に覆われた鋼鉄の骸の足元を彼女はくぐり抜ける。朝に降った小雨の影響か水滴が空から降ってきて彼女の首に当たった。
その冷たい感覚に彼女は不思議と懐かしさを感じた。何故かはわからない。思い当たる節もなかった。
管理棟の屋上は風が通り抜ける開放的空間だった。一段と高いこの場所は『森』のてっぺんに近く、空が一段と大きく見える。
彼女は顔を覆っていたゴーグルを外した。思ったいたよりもずっと青く眩しい空に少し驚いた。
こんなにも森は緑だったのか。空は青かったのか。こんなにも世界は光に満ちていたのか。
が、感傷に浸っている場合ではない。
彼女は背中に背負っていた機械を下ろす。長いアンテナとボタンの無数についたそれは大型魔導無線機である。
この魔導無線機は隊員たちが持つ小型携帯用魔導無線機の中継機能を持つ。
広範囲の無線の使用とその安定化を行う為には必須であるが、いかんせん重く携帯しての戦闘は一段と困難である。
彼女の任務は失敗した。
彼女の部隊はその目的を果たすことはできなかった。
なんとか森を抜けて比較的安全地帯に辿り着けた。その時にはもう周りには誰もいなかった。
彼女はヘルメットを外すと無線機の使用準備をする。
専門分野ではないが基本的な使用方法は訓練所で学んだ。マイクを手にとりチャンネルを回す。雑音が続いたのち男の声がスピーカーから流れた。
「ーーこちら、ガリラダ基地」
「こちら、第201小隊、アリカ隊、作戦失敗。救援求む」
「了解。通信の安定化のため、別回線に切り替える」
通信が切れる。
彼女はマイクを戻し、その場に座り込んだ。
手で触れたコンクリートの感触。ザラザラしていて冷たい。無機質で安定している。いつも感じる感触。
だが、ここは違う。少し手を伸ばすと手は苔に触れた。水々しく不安定で、生きているものの触感。
「ア…たい……応答…よ……」
大型無線機ではなく携帯していた小型無線機から音がする。雑音が混じりほとんど内容は聞こえない。しかし、さっき無線機を使った時に応答したオペレーターと同じ人だとわかった。
彼女は無線機を耳に当てながら大型無線機のダイヤルを回す。ちょっと調整すると音はクリアになりオペレーターの話す内容もわかるようになった。
「調整できました。使用可能です」
「了解。貴官の部隊の現状を伝えよ」
彼女は少し言葉に詰まった。
だがすでに答えはでていた。どのみち結果は変わらないのだから。
「……アリカ小隊、小隊長含め21名死亡および行方不明。現在、私1人です」
彼女は伝えた。
自分の小隊がすでに壊滅したことを。ここにいるのは私1人だということを。
そしてそれはあることを表す。
彼女もまたそのことを知っていた。
知っていて彼女は伝えた。
もしかしたら、もしかしたらと彼女は少し期待していたかもしれない。
「貴官の名は?」
無線機の向こうでオペレーターが報告書に書く必要もない質問をする。
「第201機甲歩兵小隊アリカ隊所属、ルル・フォーロ・マナ二等兵」
彼女は答えた。
「マナ二等兵に栄光を」
それっきし無線機からは何も聞こえてこなかった。
どんなにダイヤルを回してもボタンをいじってもスピーカーは黙ったままだった。
これでいい。
彼女はマイクを置いた。
すでにわかっていことだ。
そしてそれを望んでいた。
自分だけ生き残ろうなどという虫のいい話があるわけない。どのツラ下げて帰ればいい?
生き残るべきだったのは他の人だ。
命を犠牲にしてまで誰かの為に戦い抜いた彼女たちだ。
そうだ。ここでこうやって一人でいるのが似合っている。
彼女は命からがら逃げた。
助けを呼ぶ仲間を見捨てた。
後ろに残った仲間に縋った。
あるもの全て使った。
すべてはなんのため?
自分が生き残るためだ。
それは罪なことなのか?
廃工場はとても静かで街の喧騒とは違う音が聞こえてくる。
水の音、風の音、森のざわめき、生き物の声。鼓膜を刺激する全てが不思議と新鮮だった。
触れた苔むしる床の感触。水を含んだ泥のぬめり。まるで初めて触るようだ。
頭で発した命令で腕が動く。指が動く。当たり前で自然で、気にしたこともなかった。今はとても素晴らしいことに感じる。
諦めてた?見捨てられることを望んでいた?
では何故ここまで来た?
助けは来ないと理解しながら。わたしは見捨てられたと知りながらそれでも縋りたい。生きていたい。
彼女は地面に落ちた銃を拾い上げた。
蒸気と魔力はまだあるが残弾は残りわずか。
彼女は馬鹿じゃない。この残弾で完全に安全なエリアまで行くのはほぼ不可能だと理解している。
それでも彼女は歩き出した。
わたしは今、生きている。
それだけで彼女が進む理由になった。
自分勝手でなんの意味もなくて。たとえ帰れたとしてもまた同じ戦場に送られる。それでも生きている限り生きる為に歩く。
森は続く。彼女は歩く。
彼女はまだ生きているのだから。
世界観を考えてデザインを描いて、その辺がピーク。