閑話 怒れる者達の復讐
AM 11:37
その日、重盛議員は朝からご機嫌だった。
昨夜遅くに、所属する派閥の長の総理から電話が入り、緊急を要する案件があり昼食を供にすることになった。
おりしも、官房長官が急な病に倒れ、復帰は見込めないと噂が流れていた。
重盛は、年代的にはまだ若い五十代。
が、祖父の代から大臣職に就いた政治家の家柄。
母親は、さる名家の出で資産家。
余りある資産を手に重盛は、順当に派閥の中を駆け登ってきた。
自分よりも年嵩の議員も、重盛に阿ねる。
次期官房長官の地位に一番近いのは重盛だと評されていた。
マスコミは重盛の対抗馬が当確するだろうと連日報道していたが、総理直々に電話をかけてきたのは重盛にだった。
直ぐ様、秘書に確認をさせたところ、対抗馬は辞退を申しでていたようで、重盛の一人勝ちに繋がっていた。
(これも、川瀬が言った富を産む子供の効果か)
総理の前に、川瀬の部下からある一報が入っていた。
名を忘れた地方の旧家の風習で、男女の双子の女児は自身の災いを糧に所有者に富をもたらす。
幼馴染の香坂が持ち込んだ儲け話は、当初は与太話だと笑った。
しかし、深く話を精査すると、その双子はある旧家の血もひいていた。
重盛が自身の妻にと望み、息子の嫁にと望みながら縁を結べないでいた旧家。
(まさか、今更ながら水無瀬家に結び付くとはな)
水無瀬家。
天皇家並みに旧い家。
当主と巫女は、歴代総理のご意見番を担ってきていた。
重盛が欲したのは、未来を視るという巫女の能力だ。
これまでは、自然災害のみしか未来を視ることをしない巫女を、金融、対外国の情報を得る手段にすれば、日本経済は飛躍的に伸びていく。
その端を、親族会社に役立ててもいい。
例え血が薄まろうと、巫女を得ることが出来た。
こうして、手に入れただけで運気が上昇してきた。
ゆくゆくは、総理の座も狙える。
重盛は、ほくそ笑んだ。
己が破滅の道に歩んでいるのを、知らずに。
PM12:05
指定された料亭に重盛は着いた。
一見お断りの高級料亭は、重盛が一度も入ったことはなかった。
何度か顔馴染みになろうとしたが、断られてばかりであった。
別館と暖簾に書かれているのは、一等地に新たに暖簾分けされたからだ。
本館とは趣きが違う和と洋のテイストを取り入れた、比較的新しい建物だった。
「いらっしゃいませ。お連れ様方が、お待ちでございます」
だが、今日は違った。
女将は微笑を浮かべて、もてなしてくれる。
お連れ様方が気になりはしたものの、機嫌がよい重盛はすぐに忘れた。
何しろ、祖父や父が就けなかった総理の座が、手の届く距離に転がり込んできているのだ。
もしかしたら、連れの客は重盛にとって、福音になる客かもしれない。
益々、機嫌が上昇していく。
女将は、料亭の奥へ奥へと案内する。
離れの間にまで来て、重盛は確信した。
その間は、客のなかでも格式が高い家柄しか使用は出来ない部屋だった。
当代の総理ですら、袖に振る部屋でもあった。
「失礼致します。重盛様をご案内致しました」
女将が膝を付き、障子越しに声を掛ける。
すると、内側から障子は開けられた。
女将が開けないのは、招いた客より中に居る客の方が家柄が高いからか。
不思議に思いながら、重盛も膝をついた。
「重盛でございます」
「うむ。入室を赦す」
「はっ、失礼致し、ま、す」
一礼して顔を上げた重盛は、言葉を詰まらせた。
鷹揚に入室を促した人物を目の当たりにして、冷や汗がどっと吹き出してきていた。
「どうしたかね、重盛君」
「あ、の。総理お一人では、なかったのですか?」
「ああ。君に逃げられたら、困るからな。名は伏せておいた」
棘のある言葉が、総理から発せられる。
重盛の一挙一動を見逃さない、鋭い視線が突き刺さる。
「君が何を思い、この場に来たのかは見当がつくがね。それよりも、弁明が先だとは思わないか?」
「弁明、とは……」
「それは、私から説明をさせて頂きたい」
部屋には五人の男がいた。
総理を下座に座らせて、上座に修まるのは重盛が欲した女の父親たる経済界の重鎮、朝霧重蔵。
横に座するは、水無瀬家当主、水無瀬暁。
一段下に、見知らぬ顔。
何処かで見た様な顔立ちだが、思いだせはしなかった。
そして、下座の総理と警視総監。
そうそうたる面々に、重盛は動けないでいた。
女将が入室を促すも、足に根が生えたかのごとし、廊下にへたり込んでいた。
「昨日正午近くに、こちらにおられる朝霧家の邸に暴漢が入り込みました」
説明役の警視総監の淡々とした声音が、重盛に重くのし掛かる。
言葉が右から左へと流れていく。
「……侵入した暴漢は、朝霧氏の孫娘、篠宮琴子さんとご子息なぎ君に重軽傷を負わせ、ご息女もえさんを誘拐しようとなさいました。篠宮夫人の母君の機転で誘拐は阻止されましたが、篠宮夫人とご子息は、意識不明の重体。難を逃れたご息女も肋骨を折る重傷。捕縛された暴漢の取り調べで、重盛議員。貴方の名を出されています」
「わ、私は無実です。事実無根の無実です」
「無実も何も、押収された携帯電話の記録には、重盛議員との通話記録もあり、会話も録音されています」
(録音? それよりも、昨夜の一報はなんだったのだ。確かに、女児は手に入れたと)
重盛は動揺の余りに、視線を彷徨せていた。
犯罪を侵していると、態度で現していた。
重盛に、逃げるという選択は与えられてはいない。
廊下の端を屈強な制服に身を包んだ警官が配置されていたのだ。
「録音された会話を聞きますか?」
「聞こう。儂の家で起きた惨事。聞く権利はあるな」
「では」
警視総監が懐からボイスレコーダーを取り出して、スイッチを入れた。
重厚なテーブルにレコーダーが置かれた。
『本当の話なのか?』
『ああ。現に川瀬から資産を見せて貰った。コピーもある。ちょうど、この時期に産まれて、株価が値上がりしている』
『この、急激な値上がりは?』
『母親が入院して、育児が滞った。いつも、腹を空かして泣いていた時期に当たる』
『それだけで、この値か』
『ああ。それだけではない。篠宮が所有する山には、国内では採れない筈の希少鉱石が眠っている。紛れもない宝の山だ』
聞きなれた重盛と香坂の相談する声。
他人が聞いても、重盛だと判別がついた。
レコーダーは、重盛の内心とは裏腹に川瀬とのやり取りも披露した。
『五千万? 二歳になるかならないかの女児に、五千万は高くはないか?』
『あれは、それだけの価値がある。何しろ、お前が欲しがった水無瀬の巫女の血筋だ』
『だが、奏子の血もひいている。奏子は、期待外れだった。娘も巫女の能力はない』
『それが、あれには有ったんだ。俺も気になり調べた。あれは、自分の敵だと判断すると、よく雲隠れする。あれは、絶対に異能力を有している』
『……真実がどうか、それだけだと判断しにくい。前金で二千万だ。それが、使いものになるのが分かれば、残り三千万だ』
『それで、いい』
香坂と川瀬に押しきられる型で、重盛は金を払った。
それは、事実である。
未来を視る巫女を手に入れたら、巨万の富を産みだしてくれる。
五千万は安いと思った。
しかし、この会話が録音されていたとは、思いもしていないでいた。
香坂か川瀬のどちらかは、後にも重盛を揺する目的で所持していたのか。
苛立ちが沸き起こる。
「我々は、貴方以上に腹が立つのをお忘れか?」
物静かな声音が重盛を、貫いた。
「貴方は録音者に苛立ちを見せているが、それはお門違いであるよ」
「水無瀬家が言う通りぞ。儂の家で孫娘と曾孫が襲われた。しかも、犯人は誘拐まで目論んだ。儂の、家で、だ」
「自分に取りましても、末弟の嫁は義妹。可愛い盛りの甥と姪を病院送りにしたのは、我が篠宮の分家。お二方以上に、腸が煮えくり返ります」
三人三様の怒りが、重盛に向けられた。
違う。
実行したのは、怪我を負わせたのは自分ではない。
反論をしたくても、重盛には出来なかった。
それだけ、三人の男達が発する怒気は凄まじいものだった。
「時に、総理」
「はい、何でしょうか」
唐突に、水無瀬家当主は重盛から目を離した。
先程見せた感情が一切消え失せて、総理を見る。
重盛には初めての体験だが、総理には覚えがある行動に身構えた。
水無瀬家の託宣。
先見の巫女が視た未来を当主が語る際には、こうして感情が無くなる。
これは、当主の思考を交えない為だと教えられていた。
「今期の冬は荒れるだろう。日の本全土が厚い雪に覆われる。嵐は春になっても修まらず、夏は陽が差さずに農作物は全滅するであろう。輸入は今期の三倍に膨れ上がる」
「そ、れは、確実に起きる未来でしょうか?」
「残念ですが。私にはどうすることも出来ません」
水無瀬家当主は、首を振る。
ここまで、酷い未来を語るのは滅多にないことだ。
何時もは、対抗策を示唆してくれた。
それが、今回はない。
「水無瀬家に連なるお子様方が、負傷なされたからでしょうか?」
「それには、肯定致します。当家の祭神は双子を溺愛しておりますし、何よりも次代の巫女たる琴子に害を為された。祭神は激怒しており、当主の私の宥めにも応じません」
「次代の、巫女? 奏子の娘は、無能だろうに。嘘を言うな!」
「重盛君。黙りなさい」
「総理も、こんな与太話に付き合う暇はない筈です。言うに事欠いて、無能の娘が巫女等と。態とらしい嘘を述べて……」
「黙れ。無能は、貴様だ」
重盛には、起死回生の一手だった。
無能の娘は無能。
奏子や琴子を手に入れ損ねた重盛にとって、無能という言葉は自分の正当性を優位に保つ魔法の言葉であった。
勉学にも選挙にも敗北した記憶がない重盛は、水無瀬家の巫女を得ることが出来ない言い訳をそうしていた。
今回も、責任を他人に押し付ければ、言い逃れが出来ると信じていた。
しかし、身内を傷付けられた男達は、重盛を逃す筈がなかった。
「朝霧の孫と曾孫を傷付け、あまつさえもえを奪おうとした。朝霧は貴様を赦さん」
「篠宮の末弟一家を襲わせ、富に目が眩んだ強欲な者を、篠宮は赦さない」
「次代の当主になるべきだった奏子。次代の巫女たる琴子。水無瀬の祭神に溺愛される双子を害した愚者を、水無瀬は赦さぬ」
「当代の巫女、雪江からの伝言だ。私は、何も致しません。水無瀬家と篠宮家の祭神の怒りを解くのは、琴子と双子のみ。然れど、祭神は愚者と親しい者を排除する。安易な道には進ませない。覚悟なされませ」
三人の男達は告げるべき言葉を発して、重盛に興味を喪い立ち去った。
初めから、重盛の弁明は聞く耳を持たないでいたのだ。
当代巫女からの最後通牒に、重盛は漸く自分の失敗を悟らされた。
なに不自由なく、手を伸ばせば全てを手に入れてきた。
ただひとつを除いて。
そのひとつが、牙を剥いた。
高望みした果てに、地位を喪う結果になった。
重盛は蒼白になり、総理を見た。
この期に及んで、助け船を出して貰えると思い上がっていた。
「重盛君。私は助けてやれんよ。それよりも、国民を守らなければならない。水無瀬の託宣が降りた今、早急に対処せねばならないからね」
「です、が、自分はこれまで派閥の為に、尽力をしてきました」
「君は知らないだろうがね。君がこれまで国政に関われたのは、先達者が目を光らせていたからだ。しかし、今回の一件で怒らせてはならない家を怒らせ、見放された。日本が荒れる原因を作った」
総理の視線は厳しい。
重盛が語る政治理念は、祖父や父の真似事であった。
さも、自らが新しく作った様に見せても、海千山千の政治家には通用はしないでいた。
さして、話術に優れていた訳でもない重盛が選挙に勝利したのは、先代達の七光があったからに外ならない。
そんな人材を大臣や官房長官になぞ、起用する筈がない。
「それに、君はこの料亭のオーナーが誰か知らないでいる。知っていたら、絶対に来なかったであろうね。君を案内した女将の名は、最上桜さん。旧姓朝霧というんだよ」
「あさ、ぎり」
「朝霧翁の次女で、君が呼び捨てにした三女奏子さんの姉だよ」
「! では、オーナーは、朝霧翁で?」
「そうだ。そして、君が知らない情報をあげようか。君が誘拐しようと画策した篠宮家は、緒方商事の会長の甥一家でもある。この料亭の地主は緒方家だよ」
緒方商事。
戦後の好景気に名を広げた企業が、朝霧グループと提携したのは数年前のこと。
朝霧家の孫と緒方家の甥が政略結婚したのを機に、両家は結び付いた。
重盛も、父と連名で祝儀を贈った。
重盛の父と緒方会長は旧知の仲だけに、披露宴に招待されなかったのを憤った覚えがある。
まさか、雪江の娘と孫娘を狙った重盛を忌避されていたとは、思いもしないでいた。
「さて、君の処遇は警視総監に任せる。政治家だからと言って、手心を加えないで欲しい。これ以上、水無瀬家を怒らせてはならない」
「承知しております」
頼みの綱の総理も、重盛を見限った。
緒方の名を出したのも、父の援助を乞えなくする為とみた。
重盛には、後はなかった。
(どうして、こうなった。富を得る筈が、零れ落ちた)
重盛の手には砂粒ひとつ残らなかった。
変わりに、無情な輪が嵌められる。
警視総監が、罪状を読み上げていく。
麻痺した思考の渦で、よく聞こえない。
だが、女の狂喜染みた高笑いが脳内に響いていた。
ブックマークありがとうございます。




