その65 和威視点
お義母さんが当主の器で、奏太さんと琴子が巫女。
その次が、なぎともえのペア。
水無瀬の外戚から産まれた双子も、水無瀬家に縁がある異能の才を発揮した。
なぎは死ぬ定めのもえを助ける為に、自らを代償にして改竄した。
幼い命を喪っても、薄幸な妹を救いたかった。
親が成さなければならないことを、なぎは躊躇いもなく行った。
どうしたら、止めさせることができるか、叱るよりも難しいな。
琴子が目覚めてから、相談するしかない。
はあ。
親の立場がない。
篠宮家の後継問題よりも、頭が痛い。
「和威君。水無瀬の当主には、仮だが俺がなる。母さんには、これまで通りに過ごしてもらう」
「奏太」
「水無瀬には俺が養子に入り、前例を作る。だけど、限界は来るのは止められない。龍神は、琴子かもえを至上と位置づけるし、母さんかなぎの言葉にしか耳を貸さないだろう。もしかしたら、十代でなぎが当主になるかもしれない。覚悟しておいてくれ」
十代でか。
なぎの未来は明るくないな。
奏太さんは中継ぎの当主になろうとしている。
お義母さんとなぎを慮り、犠牲になる潔さを持っている。
俺も、なあなあにしてきた篠宮の後継をはっきりとしないといけない。
臣兄貴は意思表示して、篠宮を継ぐと言ってくれた。
だが、なぎが水無瀬を継ぐなら、その次には静馬か巧か司が有力候補になる。
最悪は、臣兄貴が一族の中から再婚を選ばなくてはならなくなることだ。
それは、出来るなら避けたい。
康兄貴も、赦さないと思う。
やるせないな。
俺が逃げ出しただけに、この問題は発言権はないだろう。
「富久、テレビをつけて頂戴。媛神様の山に異常が起きました」
「はい、ただいまおつけ致します」
朝霧夫人が窓の外を見やりながら、不吉なことを言った。
兄貴達の肩が揺れた。
病室には、大型のテレビが備えてあった。
珠洲と二人で、テレビを移動して俺達の側に持ってくる。
つけられたテレビは、臣兄貴の時のように、緊急特番が始まっていた。
それは、俺達の故郷で大規模な山津波が発生したと、報道していた。
『……繰り返します。本日午後10時23分。和歌山県○○地方○○村近隣で山津波が発生しました。○○村の東側を呑みこみ、多数の家屋が流された模様です』
東側は、確か川瀬寄りの分家が集中していたな。
媛神の社が穢れ、山の平穏が崩された結果か、篠宮本家のなぎともえを負傷させた報いか。
分かるのは、媛神の神罰が下った。
「やばいな。康兄貴が、東側を攻めると乗り込んでいた筈だ」
あ?
康兄貴が?
あの人は当主になってからは落ち着きをみせているが、激怒すると手がつけられないくらいに暴走する。
剣道の有段者だけあり、木刀片手に敵になる者を病院送りにしたのは数知れず。
川瀬側は、大丈夫なのか?
雅兄貴がスマホをいじる。
「うわ。兄さん」
メールが入っていたのか、雅兄貴が呻いた。
「人的被害はないそうだが、東側の山と農地と家屋は全滅。媛神様の社は半壊だそうだ」
「本家は無事か?」
「無事だ。警告もあったし、社の禰宜も避難していた。ただ、今も山鳴りはしているそうだ」
「なぎかもえを社に連れていかないと、続きそうだね」
「兄さんは、その必要は無しと判断している。社に穢れを持ち込んだ輩が、心臓発作で倒れていた。報いは受けている」
「だけど、事件を知らない無関係な村民はいるだろう」
「そこは、兄さんが何とかする。親父とお袋が、帰国の路についた。ばあ様と女衆で炊き出しを始めた」
「俺達は、どうする?」
「和威は、帰郷するな。悠斗、隆臣、帰郷出来るか?」
悠兄貴と臣兄貴は、すかさず頷く。
俺は琴子となぎが入院中なので、動けない。
雅兄貴も子会社の精算業務で東京から離れられない。
比較的に動きやすいのは、自営業の悠兄貴と休業状態の臣兄貴だ。
「雅博さん。富久に新幹線の手配はさせています。切符は、東京駅で受け取って下さい」
「ご助力ありがとうございます」
悠兄貴と臣兄貴が頭を下げて、あわただしく病室を出ていく。
朝霧夫人にかかれば、篠宮家がどうするか、手にとるようにわかるのだろう。
少しそら恐ろしいが、緊急事態でもなければ、口を挟まないだろうな。
『和威さん。もえちゃんが』
「「琴子?」」
ホッとしたつかの間、琴子の声が届いた。
朝霧夫人も聞こえたのか、琴子を呼ぶ。
「和威様、もえ様のご様子が」
切羽詰まった珠洲の言葉に、条件反射で立ち上がった。
そうだ、何を忘れていた。
もえは、川瀬に踏まれていたではないか。
寝台に駆け寄れば、もえは嘔吐していた。
「……パパぁ。ママぁ。いちゃいよぅ」
小さな身体を丸めて、左胸を抑えていた。
「もえ。どうした。胸が痛いのか?」
「パパぁ。きみょちわりゅいよぅ」
触れた身体が熱かった。
痛むであろう左胸の辺りを触ると、奇妙な手応えがあった。
『どうしました?』
「もえ様。入院患者のご息女が嘔吐され、胸が痛いと訴えております」
珠洲がナースコールしていた。
すぐに、看護士が病室に来た。
「ご息女も、怪我をされていたのですか?」
「済みません。成人男性に踏まれて、体重をかけられていました。が、嘔吐するまで、痛みを訴えていませんでした」
「わかりました。すぐに、診断してもらいましょう」
促されて、もえを抱く。
微かに震えていた。
済まない。
気付いてやれないでいた、俺が悪い。
なぎに頭を取られて、もえを思いやれない愚かな父親を許してくれ。
当直の医師に、小児科と外科医がいた。
レントゲン、CTスキャンの結果、もえは肋骨が折れていた。
折れた骨が肺に当たり、手術が決まる。
これで、もえも入院が決まった。
「お父さん、少しいいですか?」
治療を受けるもえを見ていたら、何故か警官に呼ばれた。
やばいな。
虐待を疑われたかな。
診断した小児科医師は、事件を知らないでいたらしく、もえと離された。
診察室を出る俺に、もえは泣顔を見せている。
大泣きするのも、時間の問題か。
「娘さんの怪我は……」
「パパぁ! ひちょりは、いゃあ!」
「もえちゃん?」
診察室の扉が開く。
看護士の腕から逃れた、おむつ姿のもえが飛び出してきた。
「おいちぇ、いきゃにゃいでぇ~」
抱っこを強請るもえを抱く。
首に手を回してしがみつく。
服と肌に爪が当たる。
激しく泣くもえに、警官も勘違いを悟った。
「その様子ですと、娘さんの怪我は事故ですかな」
「いえ。妻の祖父宅に暴漢が侵入しまして、妻と息子と娘が負傷しました」
「! それは、もしかしたら、朝霧家の事件でしたか。失礼致しました。こちらに、運ばれていたのですね」
「はい。息子は長時間の手術に耐えて、命は助かりました。妻はまだ意識は戻りません。娘も異常を訴えて、診察を受けた訳です」
開け放たれた扉越しに、通報しただろう看護士が頭を下げていた。
いや、疑いがある事象を見逃しはなかった。
昨今は、虐待死が多い。
職業柄、仕方がないと思う。
警官が去ると、丁寧に謝られた。
「パパぢゃ、にゃいもん。わりゅいひちょぢゃもん。パパもママも、やしゃしいもん」
しかし、もえは頑固に泣いて怒っていた。
看護士が治療をしたくて手を伸ばすが、イヤイヤ。
「ママも、なぁくんも、いちゃい、くりゅしい、いえにゃいもん。もぅたんも、ぎゃみゃん、しゅりゅ」
ああ。
だから、痛いのを我慢したのか。
息をするのも苦しいだろうに、俺にしがみついて離れない。
琴子なら優しく説いて、教えるのだが。
俺に出来るかな。
「もえ。もえが痛いと、パパも痛いな」
「パパ?」
「パパは、なぎももえもママも、怪我をしたのに、パパだけ元気で心が痛い。だから、もえも元気になって欲しいな」
「パパ、もぅたんぎゃ、よしよし、しちゃりゃ、いちゃくにゃい?」
「よしよし、か。パパは、もえが看護士さんの治療を受けてくれたら、痛くなくなるな」
「……あい。きゃんぎょししゃん。おねぎゃあしましゅ」
目を合わせて話すと、もえは素直に看護士に向き直った。
疑いを持った看護士は外れて、ベテランの看護士が治療を行った。
麻酔入りの点滴を受けて、眠りに落ちるもえ。
二度目の手術室前に移動中、雅兄貴に連絡した。
輸血は必要はないので、なぎほど時間がかからずあっさりと終わった。
今日は兄妹仲良く、集中治療室。
術後の経過が良ければ、個室に移動だ。
気が付いたら、夜が明けていた。
徹夜したなぁ。
まあ、眠れる気にはならないが。
報告の為に琴子の病室に戻ると、朝霧夫人と仕事を休めないお義父さんは、帰宅されていた。
「和威さん。もえちゃんは?」
「肋骨を折り、肺に当たっていたそうで、手術しました」
「! ごめんなさい。もえちゃんの側にいたのに」
「お義母さんのせいではありません。俺も、気付いてやれませんでした」
「今日のところは、集中治療室か?」
「はい、そうです」
「雅博さんは、一度帰宅して貰った。俺と母さんも、朝霧家に戻る。珠洲は入院に必要な物を揃えさせた。眠れないだろうが、身体を休めろな」
奏太さんに、肩を叩かれる。
雅兄貴は、会社に呼び出されたそうだ。
多分、緒方の伯父に情報が伝わったのだろう。
篠宮本家の山津波、俺の家族の入院。
緒方の伯父にも、迷惑をかけたことになる。
名残惜しげにお義母さん達が去ると、途端に静かな空気に包まれた。
疲れた。
ソファに座ると、昨日の出来事がリフレインしてくる。
朝霧夫人と奏太さんが視ていた未来。
回避は出来たが、またいずれはもえが狙われる。
特段、篠宮に固執しない俺だ。
水無瀬だろうが、朝霧だろうが養子に入り、なぎともえを健やかに育てていければいい。
康兄貴は俺を手放すのを、ことのほか嫌がる。
どうしたものかな。
何が、一番大事かは決まっている。
康兄貴を説得するのは、骨が折れる。
だが、しない選択はない。
この時の俺は、水無瀬の当主と康兄貴のバトルを知らないでいた。
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