その62 和威視点
「ひぃばぁば。ままちょ、なぁくん、ぢゃいじょぶ? おっき、しちぇくえりゅ?」
「大丈夫ですよ。ママも、なぎ君も、もえちゃんを、悲しませたりしませんよ」
穏やかに頬笑む朝霧夫人の言葉に、安堵する。
夫人は、先の未来を視る。
臣兄貴の一件で、それは確かに体験した。
琴子の話だと、的中率はほぼ百%。
しかし、難点もある。
近しい血の身内の未来は揺らいで視えて、琴子の怪我は回避できないでいた。
被害者も加害者も、水無瀬の縁者。
揺らぎは凄まじく、守護する龍神も相反する感情に支配されて、手がでなかったらしい。
「済まん。篠宮、もえ。もっと早く、安心させるべきだった」
「奏太さん? 奏太さんが、謝罪する必要はないです」
奏太さんが頭を下げる。
前日まで、沖縄にいた人が何を謝る必要がある。
恐らく、朝霧夫人に呼び出されて、急いで駆けつけてきてくれただろう。
朝霧邸を襲撃した川瀬は、篠宮の分家だ。
迷惑をかけたのは、こちら側にある。
下げるのは、俺の頭だ。
傍らにいたのに、嫁と息子を助けてやれなかった。
悔やんでも、悔やみきれない。
「篠宮。なぎの手術が終わったら、話がある。お兄さん達にも、関わりがある。後で、時間をくれ」
「? はい」
兄貴達にも。
篠宮の祭神たる媛神に関する事柄か。
奏太さんは、厳しい顔をしていた。
寒さが訪れる廊下は、夫人の身体に障る。
一旦、琴子の病室で待機していてもらうことになった。
もえも預けようとしたが、嫌がられた。
「なぁくん、まちゅにょ」
俺にしがみついて訴えられた。
何時間かかるか分からない手術時間を、待つだけは苦行に等しい。
だが、もえは耐えた。
時刻が夕方にさしかかり、巧と司は帰宅した。
本人達は、もえが待つなら自分も待つと言っていたが、義姉さんに言いくるめられて、献血は出来ないと悟ると渋々従った。
残る大人達に願いを託していった。
静馬と梨香も献血要員と名をあげたが、結局は雅兄貴に説得された。
意を汲んで、義姉さんが連れて帰る。
残された兄貴達が、俺ともえを囲む。
もえはくまとうさぎのぬいぐるみを抱いて、静かに待っていた。
龍神が登場してから、泣くのは止めた。
琴子の温もりを肌で感じたのが、落ち着かせたのかもしれない。
龍神が経過報告をしていたりするのか、時折頷いている。
俺を見上げて笑うのは、なぎの危機が去り順調に手術が行われているのを、教えてくれているのだろうか。
時間だけが、刻々と過ぎ去っていく。
悠兄貴が戻り、雅兄貴が呼ばれない。
手術も終わりに近付いているのか、輸血は必要はなくなった。
そうして、手術室のランプが消えた。
一斉に立ち上がる。
扉が開いて、執刀医が出てきた。
「彩月?」
「お待たせ致しました。なぎ様は、頑張られました」
笑みを浮かべて、そう言ったのは彩月だった。
そう言えば、なぎの側について手術室に入っていったな。
篠宮の家人になる以前は、優秀な外科医であったと、今更ながら思い出す。
「さぁたん。なぁくん、ぢゃいじょぶ?」
「はい、もえ様。なぎ様は、ちゃんともえ様のお声に、お応えになりました。もえ様を置いて、一人にはさせませんよ」
「なぁくん、おっき、しゅりゅ?」
「はい。麻酔、お眠りの薬が消えたら、おっきしてくれます」
「パパ、なぁくん、おっき、しゅりゅっちぇ」
「ああ。彩月や看護士さんに、沢山ありがとうを言わないとな」
「あい。さぁたん、あいあちょうぎょじゃいましゅ」
俺の腕から降りて、丁寧にお礼をするもえに習い、頭を下げる。
兄貴達もしていた。
その横で、いくつもの管と酸素マスクに繋がれたなぎが、運ばれていく。
病室ではなく、集中治療室に入り、経過を見るそうだ。
もえが着いていきそうになる。
「もえ。なぎは看護士さんが見ているから、邪魔になるといけない。ママの病室に行こうな」
「……あい」
「もえちゃん。伯父さんと行こうか。パパは、彩月とお話があるからな」
「……あい」
悠兄貴と臣兄貴が、もえを誘う。
琴子の病室を雅兄貴から聞いて、なぎの後を追っていく。
「集中治療室に入れなくても、側までは行けるだろう」
「兄貴達、頼む」
遠ざかる背に声をかけた。
臣兄貴が片手を上げて、応えた。
「和威様。なぎ様は一時心肺停止状態になりましたが、もえ様のお声を聞いて持ち直しました。一時的なモノでしたから、脳内の機能にダメージはございません」
「そうか」
「しかし、内臓破裂は危機的状態にありました。主要な内臓が機能不全に陥っておりました。また、出血が酷く、摘出しか方法はないかと思われました」
彩月の報告に、血の気が下がる。
内臓破裂は検査した医師からも言われていた。
だが、摘出までとは思いもしないでいた。
ぐらり、と身体が揺れる。
雅兄貴に支えられた。
「和威。しっかりしろ、お前まで倒れてどうする」
「和威様、お話は最後までお聞きくださいませ」
「ああ、済まない」
「破裂した内臓を摘出か温存かで悩みました。そこへ、琴子様のお声を聞きました。少しだけ、待って、と」
琴子の声。
俺やもえに届いた声は、彩月にも聞こえていたのか。
迷子になっていた琴子を導いた朝霧夫人に、感謝しかないな。
「お声は、介助をしていた外科医、看護士にも届いておりました。皆の手が止まった瞬間、手術室に風が渦巻きました。そして、水の気配が満たされたかと思うと、なぎ様に降りかかりました。そうしましたら、なぎ様の傷が縫合可能な範囲まで癒えて参りました」
水の気配は龍神か。
もえの願いを叶える為に、傷を癒してくれた。涙が込み上げてきた。
摘出までに及んだなぎの怪我を、最小限にまで抑えてくれたのか。
本当に感謝しかない。
代償に、何を捧げたらいいのか。
「ここまでが、限度であり、後は医師に託します。琴子様と水の気配は去られました。すると、不思議なことに手術に関わった者の、記憶まで改竄されておりました。摘出を示唆した外科医も、介助をしていた看護士も、なぎ様のお怪我は始めから、そうであったと」
「龍神が癒した奇跡を、広めたくなかったのだろうな。周知されたら、マスコミの餌食だ」
「はい。如何に、朝霧家が抑えようとしても、人の声は完全に止められません。奇跡を体現したなぎ様や、招いた琴子様が狙われます」
龍神がなぎを癒したのは、もえの願いでもある。
事が知れたら、難病に侵された患者や、延命を望む権力者に付きまとわれるのは必定だ。
もしかしたら、日本が荒れる。
それは、龍神も赦さないだろう。
配慮に痛み入る。
「兎に角、なぎは日常に戻れるのだな」
「はい。完治には時間がかかりますが、元の健やかなお身体に戻られます」
なぎ。
良かった。
危惧していた内臓の機能不全を、回避できた。
最悪は、移植も考えていた。
なぎの健康が戻るなら、俺の内臓を移植しても良かった。
まあ、成人男性からは移植できはしないだろうが。
それぐらい、なぎが大切だ。
「ありがとう、彩月。なぎを助けてくれて」
再び、頭を下げる。
なぎを助けてくれたのは、龍神の力によるものが多いが、彩月も執刀してくれた。
命の恩人であるのは、変わりがない。
「なぎ様は集中治療室におりますし、私も付き添い致します。琴子様の元へ、お行きになってくださいませ」
「そうだな。ここにいても、やることがない。それに、朝霧夫人を待たせている」
「ああ、そうだった。琴子を待たせているな」
琴子の気配がしない。
自分の身体に戻れただろうか。
いや、朝霧夫人がいるから、迷子にはなっていないな。
病室で、もえに泣かれているだろう。
困り果てた様子が、目に映る。
雅兄貴に促されて、手術室を後にした。
集中治療室を巡りなぎの姿を探したが、滅菌しないと入れず諦めた。
看護士からも、今日は入室を断られた。
もえを連れた臣兄貴が父親と勘違いされて、入室をしていたらしい。
入れ違いに退室していて、親戚の方はとやんわり咎められた。
父親は、俺なんだけどなぁ。
苦笑していたら、雅兄貴がいい笑みを浮かべて、
「臣を締めよう」
慰めてくれた。
臣兄貴、済まん。
そんなこんなで、案内された病室は朝霧家の名を出したのか、特別室だった。
おまけに、朝霧夫人のお付きの富久と、警護の人間が病室前に立っていた。
「和威様の兄君の雅博様でございますね。雪江様付きの富久と申します。こちらは、橘と西沢。警護要員です」
「橘です」
「西沢です」
「篠宮家次男、雅博です」
頭を下げ合う兄貴達。
俺も下げるべきか?
躊躇っていると、話が進んでいく。
タイミングを逃した。
「朝霧家本邸の不始末、誠に申し訳ございません。再びの凶行を起こさぬ為に、二人を琴子様の警護に付かせます。なぎ様は集中治療室にお入りになられた、とのこと。幸いにも、わたくしの身内が看護士をしております。その者を、なぎ様に付かせます」
「本邸の件は、朝霧会長、並びに朝霧社長に謝罪されています。それに、胡桃さんを騙していたのは、篠宮の分家筋の人間です。謝罪しなくてはならないのは、こちらです」
「いいえ。胡桃様が招いたとはいえ、凶器を所持していた者を奥の間まで、入室をさせたのは警護の不手際でございます。身体検査を怠りましたのは、赦しがたき怠慢です」
富久は頑なだった。
敬愛する主人の孫とひ孫を害されたのが、悔しいらしい。
後に知ったのだが、朝霧邸の警護要員には水無瀬家の分家も混じっていたようで、立場は富久が上にいる。
内向きの采配を振るのが喜代、警護の手綱を握っているのが富久であった。
てっきり、沖田氏が警護の重要な位置を担っていたと思っていた。
そう言えば、老婦人の富久が大人を投げ飛ばしていたな。
人は見掛けに寄らない。
「富久。ばあ様がお待ちだ。篠宮兄弟を足止めしている場合じゃない」
「! 失礼致しました」
富久の衰えない警護要員のバッシングを、病室から出てきた奏太さんが止めた。
稽古を倍にすると述べた富久に、橘氏等が蒼白になっていたが。
気付かない振りをした方がいいな。
それか、俺も稽古をつけて貰おうか、言い出した方が良いのか。
とりとめもなく、そう感じた。
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