その61 和威視点
数分間泣きじゃくったもえは、力尽きて眠った。
梨香が購買で買ってきた、ウェットティッシュとタオルで顔を拭く。
だが、眠っていても涙は尽きない。
痛ましさに、俺の心も痛んでくる。
採血の人間が臣兄貴から悠兄貴に代わる頃、琴子が診察室から病室に運ばれることになった。
琴子には悪いが、俺は手術室前から動けなかったので、お義母さんに診断結果を聞いて貰った。
お義父さんが、慌てて駆けつけてきてくれたが、雅兄貴が事情を話している間、もえを腕に抱えて他人事のような気分に陥っていた。
お義父さんは憔悴した俺の肩を叩いて、
「なぎを一番に考えなさい。琴子は、親の私達が見ているから」
案じて声を掛けてくれた。
娘を守れない男に、憤りを見せず、態度にも出さずにいてくれた。
申し訳なさすぎて、泣けてくる。
唯一肉体的には無事なもえを抱え直す。
篠宮家には禁忌とされる男女の双子。
必ず、女児が男児を害して、不幸を呼ぶ。
逆に、女児が不幸になればなるほど、家が栄える。
川瀬は、もえを買う輩がいると言っていたな。
現代において、人身売買を実行する愚かな阿呆がいたとは、篠宮を舐めている。
被害にあった琴子は、旧家の中でも格が違う水無瀬家と朝霧家の血をひく。
朝霧翁も、事の他なぎともえを可愛がってくれている。
朝霧家の一族は、篠宮の分家と違い、双子を愛してくれている。
それとなく篠宮の事情を知り、力になると助け手を差し伸べてくれている。
今も、警察の事情聴取を遅らせて、俺達の意識が他事に向かないようにしてくれている。
煩わしい篠宮の財に群がる分家とは、大違いだ。
「和威。琴子さんは、生命には別条はないが、短い時間に最大出力の電撃を浴びた。もしかしたら、機能障害が起きる可能性があるそうだ」
お義父さんを琴子の病室に案内した雅兄貴が、教えてくれる。
耳を疑いたくなりそうな結果に、拳を握りしめた。
臣兄貴が肩を抱いてくる。
一人でいないのは、有り難い。
叫びたい衝動が、鳴りを潜める。
琴子。
なぎ。
頼むから、無事に目を覚ましてくれ。
もえと俺を残して、逝かないでくれ。
「……なぁくん? ……なぁくん!」
眠っていたもえが不意に飛び起きた。
俺を見てから、手術室を振り返る。
「どうした、もえ」
「パパぁ。なぁくんぎゃあ」
「もえ、なぎがどうしたんだい」
静馬がもえに優しく語りかけるが、手術室の扉を凝視している。
何を感じている?
なぎに何が起きている?
言い様のない、不安が募る。
もえはもう一度俺を見てから、腕の中をすり抜けた。
「もえ!」
「なぁくん! めめよ! ふぎゃ」
靴を履いてない素足で、扉に向い走っていく。
途中で何かに躓き、うつ伏せで倒れる。
廊下に顔をぶつけた音が響く。
普段なら倒れ伏したまま泣いて訴えるもえだが、勢いよく起き上がり何かを手にしていた。
「もえ、大丈夫か?」
「りゅうしゃん。なぁくんにょ、りゅうしゃんぢゃ。パパぁ。なぁくんにょ、りゅうしゃん、きょわれちゃっちゃあ」
駆け寄れば、見たことのあるお守りを手に、震えていた。
差し出された龍のお守りは、落ちた位では割れない石柱が二つに折れていた。
石柱は、金剛石で出来ていた筈だ。
それが、黒く変色して割れている。
信じられない光景に、目を見張る。
もえも異常を感じていて、瞬く間に涙が盛り上がる。
「なぁくん! なぁくん! めめよ! しょっち、めめよ! もぅたん、きょきょよ!」
廊下に座り込み、大音声でなぎを呼ぶ。
扉が開かないと悟ると、近寄り自力で開けようとする。
必死に扉と格闘する。
「なぁくん! なぁくん! パパぁ。ママぁ」
「もえちゃん。お手々が痛くなるわよ」
「騒いでいたら、なぎ君を助けてくれるお医者さんに怒られちゃうわ」
「和威。見ている場合か」
「もえを、止めないか」
義姉さん達が、もえを制止する。
兄貴達が何かを言っている。
だが、耳を塞ぎたい。
もえが喚いている内容を理解すれば、なぎの身に何が起きているか分かる。
血の気が下がる。
なぎ。
駄目だ。
逝くな。
もえを残して、逝くなよ。
「なぁくん! めめよ! なぁくん!」
「……もえっ」
堪らず、背後からもえを抱き締めた。
暴れる素振りを見せたが、俺を視認したら派手に泣き出した。
済まない。
無力な父親を赦してくれ。
不甲斐ない俺を赦してくれ。
わんわん泣くもえを、廊下に踞り抱き締めるしかない。
兄貴達も、最悪な事態を悟る。
「お母さん。なぎ、大丈夫だよね」
「巧、司。琴子さんの、お見舞いに行こうか」
「駄目だよ。なぎを、助けないと」
「ぼくも、けんけつするんだ」
背中越しに、巧と司が義姉さんにすがっている。
巧、司。
ありがとうな。
だから、ついてきてくれたんだな。
でも、お前達は献血は無理なんだよ。
気持ちだけ、受けとる。
なぎ。
頑張ったんだよな。
パパ、ママに何て言ったらいいのか、分からないよ。
怒られるかな。
もえを連れて離婚されたら、パパは生きていけるかな。
諦めが頭を支配した。
いつしか、俺も泣いていた。
『諦めるの、早くない?』
琴子の声が聞こえた。
空耳か?
「……ママ?」
「琴子?」
『はいはい。もえちゃん、もうひと頑張りしてね。ママ、なぎ君を助けてくるから。応援してね。和威さんは、後でお説教です』
もえを優しく撫でる気配と、俺の頭をはたく気配がした。
そして、急になぎと俺達を阻む扉が開いた。
目の前には、手術着の看護士がいた。
「先程、なぁくんと呼んだのは、どなたですか? 呼掛けを続けてください。声に反応しています。生きようとしています。続けてください!」
手術室は何重の扉があり、室前の音が入らないと聞いたが。
もえの声が届いていた。
なぎは、生きようとしている。
半身の叫びに応えている。
「もえ。なぎを呼ぶんだ」
「なぎー。頑張れー。もえが泣いているよー」
「がんばれー。なぎー。まけるなー」
「そうよー。なぎー」
「頑張れー。なぎー」
鈍い思考の大人達を他所に、子供達は正直に声をあげた。
思いを声に乗せて、張り上げる。
『もえちゃんも、一緒にね』
「あい。ママ」
泣き止んだもえが、看護士の側まで歩いていく。
深呼吸を繰り返して、前を向く。
「なぁくん! なぁくん! めめぢゃからね! ママに、ぷんぷんしゃれちぇも、しりゃにゃいきゃりゃね!」
『あら、やだ。もえちゃんたら』
琴子が笑う気配が、すぐ隣でした。
俺に寄り添う温もりを感じる。
急激に、事態が好転していく期待が膨らんでいく。
「なぁくん! もぅたん、ひちょりは、やぁよ! いっちょに、きゃえりましょ!」
全身全霊を乗せたもえの願いが、廊下に木霊する。
すると、不思議な出来事は視えない俺の目に、水が風に運ばれて手術室へと流れていく、幻覚が映し出されていた。
『委細、承知。ちぃ姫の御言葉、受取り、叶えん』
水だと思った流れは、徐々に形を作り、何体もの龍へと転じていく。
水無瀬家が敬う水神が、もえの身体を取り巻き、手術室へとすり抜けていく。
『援軍も来たし。私もなぎ君を助けに行くわ。和威さんは、もえちゃんを頼みます』
傍らにあった温もりが離れていく。
咄嗟に腕を伸ばしたが、空を掴んだ。
琴子の気配は、再びもえを撫でると、手術室に消えた。
もえはにっこり笑って、手を振る。
「もえは、誰に手を振っているの?」
気配と幻覚を知覚していない梨香達は、怪訝な顔をしている。
「うんちょね。ママちょ、りゅうしゃんに、ばいばい。あちょ、とりしゃんも」
「琴子さん? りゅうさん? とりさん?」
「あい。なぁくん、ちゃしゅけちぇ、くりぇりゅっちぇ、いっちぇちゃ」
梨香達は目を丸くしている。
そうだろうな。
なぎともえの不思議な体験は、本人達にしか分からない。
俺も琴子も、率先して報告はしていないしな。
梨香達は首を捻りながらも、なぎが助かるのだと確信を得たもえの機嫌の良さに、笑顔を返している。
だが、鳥は香炉の鳳凰だよな。
いたかな。
本体から、あまり離れてはならないのではなかったかな。
「和威。訳がわからん。が、先程水が流れる気がした。琴子さんも、居た気がした」
「さっきまで、居心地が悪かった空気が、一掃されたな。龍とは水無瀬家の祭神だろう」
「そうだよな。篠宮の媛神は動かず、水無瀬家の祭神がなぎを助ける? なぎは篠宮の子だと、認証されていないのか?」
「それは、違いますよ」
兄貴達は俺ほどではないが、澱んでいた空気が清浄に変化したのを感じていた。
だが、篠宮の祭神がなぎを守らず、他家の祭神が動いているのを不信に思っていた。
そう言えば、臣兄貴に関してはなぎともえに託宣を与えたが、肝心の双子の危機に関しては何もアクションがなかった。
臣兄貴の言う通り、なぎともえの身は案じてはいないのか。
やりきれない怒りが沸き上がる。
しかし、否やを告げたのは、車椅子に座す水無瀬家から朝霧家に嫁いだ老婦人だった。
「間違えてはなりません。篠宮の祭神様は、今守りたくても守れない状況にあります。水無瀬の祭神に頭を垂れて、なぎともえの守護を願っております」
「遅くなって、済まん。ばあ様の外出許可取るのに、手間取った」
「朝霧夫人。奏太さん」
「見苦しい姿で申し訳ありません。琴子の祖母です」
「久方振りです。琴子の兄です」
車椅子を押していたのは奏太さんで、老婦人は朝霧翁の夫人だ。
兄貴達も琴子との結婚式で、面識があり挨拶を交わす。
義姉さん達も、梨香達も事の成り行きを見守り、静かになった。
いつしか、手術室の扉は閉まり、もえが俺の手を握る。
「もえちゃん。頑張りましたね。ひぃばぁばに、お顔を見せて頂戴な」
「ひぃばぁば。なぁくん、ちゃしゅけちぇ」
「ええ。ひぃばぁばに、任せてね。迷子になっていたママを連れてきてあげましたよ。それとね、頼もしい味方を沢山連れてきたから、なぎ君は大丈夫」
膝にすがるもえを安心させる為か、朝霧夫人の声は明るい。
穏やかな笑みを崩すことなく、もえを撫でている。
琴子。
迷子になっていたとは、どこぞの川にいたのではないだろうな。
なぎを探して、どこにいたんだか。
脱力感に襲われた。
「篠宮の皆さん。媛神様は、お社を破壊され、御神体に穢れを移されました。そして、篠宮家も、時同じく襲撃されています」
「っ。失礼します」
雅兄貴が事態を把握するべく、康兄貴へ連絡を入れに離れた。
川瀬が朝霧邸を襲った事実は、康兄貴には報せている。
しかし、あちらは普段と変わりない様子で、康兄貴は冷静だったと教えられた。
同時刻に、社と実家が襲撃されていたとは、思いもしないでいた。
川瀬は、己が篠宮当主に相応しいと、分家筋に吹聴していた。
祖父には跡取りの男児がなく、母は分家から婿を取るのを強要されていた。
母は分家の家から、東京で財をなした緒形家の父を選んだ。
五人、執念で男児を産んだ。
跡取りには困らなくなったが、反面長兄に跡取りがいない結果になった。
長兄はなぎともえが産まれた日に、俺を跡取りに任せる気でいた。
順番で言えば、次兄が跡を継ぐべきだと反発した。
それが、篠宮家の跡取り問題に発展した。
そうした流れが、川瀬の野心を産み出したなら、俺にも責任がある。
だからといって、川瀬がしたことは赦されるべきではない。
報復は、きっちりさせてもらう。
それから、琴子の説教を受けよう。
それが、一番身に染みるのだがなぁ。
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