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狂想曲は続いていく  作者: 堀井 未咲
篠宮家のカプリチオ
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その60  和威視点

 悪夢のような出来事を、終わらせたのはいちだった。

 さかんに吠えていたいちを、室内に招き入れたのは客間を離れていた琴子のお母さん。

 事態を把握した途端に、縁側の窓を開けた。


 グルアアアア。


 今まで聞いたことのない怒りの声を発して、スタンガンを持つ川瀬の腕に勢いよく噛み付いた。


「ぎゃあ!」


 大型犬に飛び付かれた川瀬が体勢を崩す。

 もえから、足が離れた。

 見逃さなかったのは、荒事専門の朝霧家の護衛達。

 すかさず、侵入者達を取り押さえていく。


「ママぁ! パパぁ!」

「琴子、もえ」


 蹴られたなぎも心配だが、スタンガンを二度受けて意識を失った琴子に駆け寄る。

 抱き起こすと僅かに息はしているものの、青白い血の気を無くした顔色をしていた。

 慌てて脈を計る。

 不規則に乱れていた。


「静馬。なぎの気道を確保しろ。吐いたもので、喉を詰まらせるな」

「分かってるけど、痙攣が止まらない。血の塊を吐いてる」

「彩月は何処にいる。呼び出せ!」


 離れに控えているであろう彩月に連絡する兄達。

 なぎ。

 小さな身体が宙に舞う姿に、後悔が募った。

 もえを必死に助けようとしていたなぎ。

 俺達大人が躊躇してしまった中で、一人だけ無心に動いていた。

 せめて、隣にいた俺が何とかしなくてはならなかった。


「パパぁ。なぁくんちょ、ママぎゃあ」

「もえ。もえは背中は痛くないか」


 意識を失っても、もえを離さない琴子の腕の中で震えているもえ。

 川瀬の体重がその身に襲ったはずだが、もえは泣き出す力はあった。

 それだけが、救いである。


「遅くなり、申し訳ありません」


 医師免許を持つ彩月がやって来た。

 惨状を目の当たりにして、眉を歪めた。

 既に、救急車の手配は済んでいる。

 が、一刻でも早く琴子となぎの治療を始めなければ、手遅れになる。


「琴子、もう安心していい。侵入者は捕らえた、もえを離していい」

「琴子様は私が、彩月さんはなぎ様を」

「承知致しました」


 喜代が、琴子を。

 彩月が、なぎを。

 後にお義母さんから聞いたが、喜代は看護婦をしていたそうだ。

 喜代の指示で、琴子を横たわせる。

 俺の声が届いたのか、腕から力が抜けていく。


「ママぁ」

「もえ。大丈夫だ。ママは寝ているだけだからな」

「……ママ、ねんね?」

「そうだ。ねんねだ」


 嘘だと分かるであろうが、そう言うしかなかった。

 もえは自分の服の裾を握りしめ、泣くのを我慢していた。

 お義母さんが、もえを抱き締める。


「もえちゃん、喜代に任せておきましょう」

「ぁぃ」


 か細い返事に、幼いながら危機的状態を理解しているのだろう。

 我が儘を言えない事態を、察している姿に泣けてくる。

 やがて、朝霧邸に救急車が到着した。

 琴子はお義母さんともえが同乗して、なぎは俺と彩月が同乗した。

 なぎの具合は、どんどん悪くなる。

 医師の彩月の指示で、救急車の中で出来る治療を施される。

 病院に着くまでの時間が、やけに長く感じた。

 総合病院に着いてすぐに、なぎはストレッチャーに乗せられて俺の手の届かない場所に連れていかれた。

 琴子も、同じ病院に着いたらしい。

 お義母さんともえに会った。

 もえは梨香から貰った、ウサギとクマのぬいぐるみを抱えていた。

 俯いていて、表情が分からなかった。

 気になったが、医師に呼ばれてその場を離れた。


「お父さんですね。これから、息子さんの緊急手術をします。同意書にサインをお願いします」

「……手術ですか」

「はい。同乗していた医師の診断により、内蔵を重点的に調べました。そうしましたら、幾つかの内蔵が破裂していました」


 破裂。

 重たい言葉に、拳を握る。

 爪が肌にくい込む。


「お父さん。善処は致しますが、最悪な事態だと認識してください」


 突き付けられる医師の診断に、なぎの状態が思っていた以上に最悪なのだと知らされた。

 放棄しがちな思考で、同意書にサインする。

 慌ただしく医師や看護士が行き交う。

 のろのろと診察室を出て、人の少ない椅子に腰掛けた。

 なぎ。

 もえと二人でにこにこと笑い、はしゃぎ回る様子が思い浮かぶ。

 何よりも、もえを優先して果敢に立ち向かった結果が、これか。

 男女の双子は禁忌。

 女児が男児を排除する。

 祖母の口伝が頭をよぎった。

 まさか、当たるとは思わなかった。

 もえが意図してやった行為ではないが、篠宮の分家がもたらした惨事に、逃れられなかった運命に悔やまれた。

 篠宮から離れれば、なぎともえは健やかに成長してくれる。

 願った未来が、こぼれ落ちていく。


「和威」


 舌打ちしそうな時に、兄貴達が到着した。

 義姉さんや、子供達も一緒にいた。


「叔父さん。なぎは? なぎは大丈夫なの?」

「もえは何処にいるの?」

「巧、司」

「だって、なぎは一杯血を吐いたし、琴ちゃんは倒れちゃったし、絶対にもえは泣いているよ」


 巧と司に言われて、愕然とした。

 そうだ、もえはどうしている?

 お義母さんに任せてしまったが、一人にしてしまった。

 立ち上がろうとして、雅兄貴に肩を押された。


「佳子。琴子さんの方を頼む」

「分かりました。巧君、司君。もえちゃんのところに行きましょう」

「そうね。泣いているかもしれないから、慰めに行きましょう」

「うん」

「はい」


 義姉さん達が巧と司を誘い、兄貴達が残った。

 悠兄貴と臣兄貴が両隣に座る。

 正面には雅兄貴が陣取る。


「兄貴?」

「蒼白な顔でもえに会えば聡い子だ、どんな状態か知られるだけだ」


 臣兄貴に肩を抱かれた。

 兄貴達には、なぎの状態を把握されたのだろう。

 隠す訳にもいかずに、診断結果を話した。

 聞いた兄貴達は重い息を吐き出し、頭を撫でたり、肩を叩いたりしてくれる。

 診察室からなぎを乗せたストレッチャーが、手術室に運ばれていく。

 兄貴達に支えられて着いていく。

 行ける場所まで行き着くと、また座らされた。

 組んだ両手を眉間に押し当てる。

 手術中のランプが、いや応なしに現実を教えてくれる。

 嫌な時間だ。

 と、不意に看護士が俺達の方にやって来た。

 なぎに何かあったのか、緊張が走る。


「済みません。出血が止まらず輸血が間に合いません。同じ血液型なら、献血をお願いいたします」

「っ。分かりました」


 幸いにもなぎと血液型はおなじだ。

 名乗りをあげて、採血に向かった。

 なぎ。

 頑張ってくれ。

 もえを残して逝くなよ。

 出血が止まらないなぎに、祈る。

 それから、どのくらい時間が経ったのか。

 祈ることしか出来ない俺は、目を閉じて行き場のない思いを募らせていた。


「和威。交代だ」


 臣兄貴が肩を叩いた。

 看護士が採血の針を抜いていく。

 体調は悪くないので、まだ採血出来たはずだが。

 臣兄貴が看護士に断って、俺の頬を軽く叩いた。


「和威。なぎの為に輸血は必要だがな、輸血要員はお前だけじゃあない。後には、悠兄貴や雅兄貴、静馬が控えている。だけどな、もえの父親は和威だけだ。もえを見てこい。今すぐに」


 確かに、臣兄貴の言う通りに、篠宮の男は同じ血液型だ。

 輸血の心配はいらない。

 臣兄貴が親指で室外を示す。

 琴子の診察が終わり、合流したのだろうか。

 琴子の状態も悪いのか、もえが泣いているのだろうか。

 そんな風に思った俺は、室外に出た。

 すこしふらついて歩き、手術室前まで戻る。


「和威さん。ごめんなさい。もえちゃんが……」


 お義母さんに謝られて、気付かされた。

 なぎのことしか頭に入っていなかった俺は、もえの状態に目が離せなくなっていた。

 もえは、静かに椅子に座っていた。

 ぬいぐるみを抱いて、瞬きを忘れたかの様子で一点を見つめて小さく呟いていた。


「もぅたんぎゃ、わりゅいんぢゃ。ママも、なぁくんも、もぅたんぎゃ、ちゃしゅけちぇ、いっちゃきゃりゃ、おっきにゃ、おけぎゃ、しちゃっちゃ」


 繰り返し繰り返し、同じ言葉をつぶやいていた。

 異様な光景に、頭を殴られた感じがした。

 泣きもせず、表情を無くした虚ろな眼差しが、自身を責めていた。

 巧と司の違うと、慰める声が届いていない。

 自分の殻に閉じ籠り、小さな身体を震わせていた。


「もえ。もえ、パパを見ろ」


 床に膝を着き、両頬を両手で持ち上げて、目線を合わせる。

 輝きを失った瞳が、俺を映しているが、認識してはいない。

 ぶつぶつ呟いているだけ。

 もえを放置してしまった俺に責任がある。

 何で、もえの側にいてやらなかったのか、自分で自分を殴りたい気分だ。


「もえ。一人にしてごめんな。パパ、なぎに気を取られて、もえを思いやれなかった。ごめんなさい、だ」

「……パパ?」

「うん。パパだ。パパ、臣兄貴に怒られてしまったよ。もえを忘れるなって」


 なぎの名に反応したもえが、身体をびくつかせる。

 優しく抱き寄せた。

 震わせていた身体に、力が入っている。

 痛むであろう背中を避けて、お尻辺りをぽんぽん叩いて安心させる。


「もえ、怖かったな、痛かったな、辛かったな。だけど、ちゃんと助けてと言えたな。偉かったぞ」

「……ぢぇも、なぁくんちょ、ママぎゃ。……もぅたん、わりゅいきょ、にゃにょ」

「違うぞ。もえは悪くない。悪いのは、もえを苛めた川瀬だ。なぎはパパ達大人が出来ないことを、してくれたんだ。なぎが起きたら、沢山誉めてあげないといけないな」

「そうだよ。もえは悪くない。助けてあげられなくて、ごめんなさい」

「ごめんね、もえ。ぼくも、怖くて動けなかった」

「たぁにぃに、さぁにぃに」


 巧と司が、もえの背中に身を寄せる。

 静馬と梨香も嫌がるだろが、頭を撫でたりする。


「りぃねぇね、しぃにぃに」

「もえは幼児なんだから、助けてって言うのは当然よ」

「うん。もえは正しいことをしたんだ。怒られたら、にぃにがそいつを逆に怒ってやるからな」


 ひっく、ひっくとしゃくり始めてきた。

 従兄弟達の暖かな思いが、もえに届いていく。

 もえ。

 誰も、もえが悪いと言う人間はいない。

 いたとしたら、そいつ等はパパの敵だ。


「もえ、泣いていいんだ。我慢させて、ごめんな。ママもなぎも、もえが大好きだから、助けたんだからな。パパも、大好きだぞ。嫌いにならないし、他所にやったりしない。パパと一緒に、ママとなぎの回復を待とうな」

「……ぁぃ、パパ。ふえ~ん」


 堰を切ったかの如く、派手に泣き出した。

 ぬいぐるみが床に落ち、俺の首にしがみつく。

 愛しい大切な俺の娘。

 琴子が大切に育んだ生命。

 よくも、道具扱いしたな。

 同じく最愛な息子と嫁を病院送りにしやがった。

 必ず報復してやる。

 暖かなもえの温もりを腕に、そう誓った。

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