その32
和威さんに泣かされたもえちゃんは、三時のおやつでご機嫌は治った。
もぐもぐと、口一杯にパンケーキを頬張る。
リスの様に頬はまん丸だ。
ママは、喉に詰まらせないか不安である。
お山にいた頃は、曾祖母さまに行儀を躾されていたので、やらなかったけど。
甘えているのかな。
「もえちゃん。誰もとらないから、お口一杯に入れないのよ」
「もぅたん。おぎょーぎよ」
なぎ君にまで注意されたもえちゃんは、喋れないからか首を縦に振っている。
見ていた和威さんの、眉があがる。
パパにも怒られちゃうよ。
「もえ」
ほら、怖い声がした。
もえちゃんの笑顔が凍り付いた。
「……あい。めんしゃい。パパ、おきょりゃ、にゃいで」
「じゃあ、ゆっくり食べろ。沢山、ごくんしたら喉に詰まるぞ。そうしたら、ママが悲しむ」
「ママも、めんしゃい~」
パパに叱られたもえちゃんは、椅子から降りて私に抱っこを強請る。
また、パパの頬擦りは嫌なのだろう。
後でみたら、赤くなっていたし。
双子ちゃんに甘いパパのたまのお怒りは、ほんとに怖がっている。
小さな身体を丸めてお怒りが収まるのを必死で耐えている。
そんな姿を見せたら、和威さんは怒るに怒れなくなる。
私に似ている顔が泣いて歪むのは見たくないらしい。
今も、私の腕の中でピルピル震えている。
しまったな。
ご機嫌直しのおやつ時間なのに、またイヤイヤが始まるかな。
「もえちゃん。パパに謝ったから、もうしないね」
「あい。しましぇん。ゆりゅしちぇ、くぅしゃい」
「よし。なら、おやつを食べような」
「ほら、パパがあーんよ」
イチゴを口元に持ってくると、素直に口を開ける。
けども、上目遣いで機嫌を伺っている。
パパは、もう怒っていないよ。
楽しいおやつタイムを満喫しようね。
「もぅたん。なぁくんも、あーんよ」
「あい。あーん」
ぎこちない笑顔を見せるもえちゃんの、頬を撫でる。
今度はなぎ君が、椅子の上に立ち、イチゴを差し出してきた。
なぎ君も、行儀が悪いぞ。
パパの雷が落ちるよ。
しかし、和威さんはスルーした。
これ以上のお怒りは、もえちゃんが本格的に泣き出す恐れがある。
空気を読んだらしい。
和威さんは、もえちゃんの餌付けに夢中だ。
パパよりママを頼りにしたのが、不満みたいである。
当たり前だ。
つい、さっき咎めたばかりで、パパに抱っこは強請らないでしょうが。
それに、頬擦りで嫌がったではないか。
和威さんは、挽回しようとしているが、暫くは無理だと思う。
「パパ。じぶんぢぇ、ちゃべりゅ」
「ん。じゃあ、ゆっくりな」
「あい。ゆっくり、じっくりね」
んん?
じっくりは、何処から出たのかな。
もえちゃんを椅子に座らせる。
和威さんからフォークを渡され、今度はゆっくりとパンケーキに齧り付いた。
うん。
動作をゆっくりではなく、お口に一杯に入れないようにだったのだけどな。
まぁ、可愛いから許そう。
なぎ君が、すかさず頬を撫でている。
にへら、ともえちゃんは笑う。
ぎこちないけれど。
何時もより長い時間をかけて、おやつは完食する。
フルーツ牛乳を飲み干して、ぷはぁ。
むむ。
お髭ができてるよ。
「「ぎょちしょう、しゃま」」
二人仲良く手を合わせる。
いただきます。
ごちそうさま。
は、礼儀を叩き込まれている。
お皿とコップをシンクまで運ぶと、いちの元へ一直線だ。
「わんわにょ、おやちゅは?」
「はい。いちも完食です」
「きゃんしょく、なあに?」
「じぇんぶ、ちゃべましちゃ、よ」
「あい。もぅたんも、きゃんしょくよ」
司朗君がしまった、と言う顔つきになった。
変な言葉を教えたかと、此方を伺う。
和威さんも、よく使うからオッケーだよ。
なぎ君が答えているのは、パパの受け売りである。
「わんわ。おいしかっちゃ」
わふっ。
尻尾を振り、もえちゃんの顔を舐め出すいち。
甘いパンケーキとフルーツ牛乳の匂いがついているのか、執拗に舐めまわしている。
「いち。なぁくんも」
もえちゃんの助け舟か、なぎ君が間に入る。
いちは、なぎ君の顔も舐め回す。
「うにゅう」
「こら、いち。なぎ様と、もえ様を押し倒すなよ」
いちが体重を掛けると、双子ちゃんはあっという間にころんと転がる。
司朗君が懸命に首輪を持って制している。
二人と一匹の取っ組み合いになると、まだまだいちに軍配があがる。
笑っているから、楽しいのかな。
「わんわ。おみょいよ」
「あい。いち、おみょちゃいよ」
等々、押し倒された。
言葉ほどは怒っていないので、いちは鼻先を使って起きあがるのを邪魔して遊んでいる。
きゃらきゃらと笑い声が響く。
泣いているより、笑っている方が良いね。
「わんわ。ぼーる、ぽいしようね」
「もえ様、お部屋の中では危険です」
「じゃあ。にゃにがぎゃ、いーい」
「おっきにゃ、ぼーる。ころころは?」
「ころころは、良いですよ」
司朗君に嗜められて、玩具箱から大きめなボールを取り出す。
リビングは広いので、ぽいでも良かった。
双子ちゃんの腕力では、たいして飛距離は伸びない。
ああ。
いちが張り切るのが危険なのかな。
テレビやオーディオに体当たりされたら、和威さんが泣くな。
白物家電は拘りがなかったけど、オーディオ関連は自分で選んでいたし。
「琴子、スマホ鳴っているぞ」
「えっ。ありがとう。和威さん」
テーブルに置きっぱなしになっているスマホを渡された。
着信は知らない番号だ。
悪戯電話かと、躊躇してしまう。
「どうした?」
「知らない番号なのよね。留守電に伝言が残っていたら、出てみるわ」
「そうだな。今は注意した方が良い」
暫く鳴っていた電話は、留守電に切り替わったとみられる。
短くない時間に留守電のメッセージが出てきた。
早速、聴いてみる。
『琴子、お母さんよ。沖田さんのスマホからかけているわ。大事な話があるから、マンションに行くわ。もう少しで着くからね』
母だった。
けれども、母のスマホはどうしたのだろう。
充電切れなのかな。
それとも、忘れてきたとか。
悩んでも仕方がない。
「お義母さんか?」
「うん。沖田さんのスマホから掛けたようで、今から家に来るのだって」
「ふーん。何の用事だろ」
母の声は聞き取れても、内容までは聴こえてない和威さんは、司朗君にアイコンタクトする。
名残惜しいけれど、司朗君といちはお部屋に戻って貰おう。
母は、軽いアレルギー持ちだ。
動物の毛は厳禁である。
「なぎ、もえ。ばあばが、遊びに来てくれるから、いちと遊びはお休みな」
「「ばあば? お山のばあば?」
「違う。東京のばあば。ママのばあばだ」
ボール遊びに夢中になっている双子ちゃんは、頭に疑問符が一杯だろうな。
事前連絡がない訪問に、ママもさっぱりだよ。
和威さんは双子ちゃんの側に行き、ママのばあばが動物に触れないのを説明している。
もえちゃんがいちの首に抱き付いた。
イヤイヤが発揮したようだ。
「もえ様。いちは、何処にも行きません。明日また、一緒に遊びましょう」
「いちは、司朗の部屋に戻るだけだ。なら、ばあばが帰ったら、また遊べばいい」
「……あい。もぅたん、にゃかにゃい」
「偉いぞ、もえ。なぎも、それでいいな」
「あい。わきゃっちゃにょよ」
司朗君と和威さんに諭されて、もえちゃんは納得した。
なぎ君も、物分りよく返事をした。
司朗君がいちの首輪にリードを着ける。
いちは、お散歩だと思い尻尾を振っている。
ごめんね、いち。
君も遊び足りないだろうけど、また明日にでも目一杯遊びましょう。
「では、彩月様と交替致します」
司朗君はしっかりと彩月さんを呼んでくれた。
急いでリビングの掃除をお任せした。
コンシェルジュとの、お話し合いは終了していた。
迷惑行為をした有閑マダム達は、キッズルームに入室禁止になったとの事。
返却しない鍵は付け替えて、代金は請求する手筈になっているそうな。
彼方側は朝霧の後楯で、色々やらかしていて情状酌量はない。
管理会社と不動産業者に、オーナーの連名で警告が行くらしい。
私は、唐突な母の来襲に洗濯物を取り入れたりしながら、聴いていた。
大人達が慌てて掃除をしたりするものだから、なぎともえも出しっぱなしになっている玩具を仕舞ってくれた。
空気を入れ替えたり、洗濯物を畳んだりしているなか、母は到着した。
「ただいま、参ります」
出迎えに、彩月さんが一階まで降りて行く。
私が行っても良かったのだが、家人の勤めだからと押しきられた。
まあ、勘違いストーカーがいるかも知れないから、私を外にだすのを躊躇われたかも。
数分後、母は沖田さんを伴いやってきた。
和服姿の母は、一見して何処の極妻かと思わず疑う。
体格の良い沖田さんは、その筋の人に間違われそうだ。
「こんにちは。急に悪かったわね」
「いえ、うちも暇をしていましたから」
「「ばあば、いりゃっしゃい、ましぇ」」
「ふふ。お邪魔します」
なぎともえは、仲良くお辞儀する。
母の後ろで荷物を運ぶ沖田さんも、笑顔だ。
「荷物は何処に置きましょうか。それとも、家人の方に渡した方が良いでしょうか」
「……では、わたくしがお預かり致します」
沖田さんの腕には小型の段ボール箱があった。
お祖父様のボディガードが、何故に母のお伴をしているのか、謎だよね。
念の為に彩月さんが受け取り待機した。
「それでは、自分は車で待機しております。ご帰宅の際にはご連絡ください」
「お願いしますね。夕飯前には戻るつもりだから、その間は休憩なさって頂戴ね」
「畏まりました。では、失礼致します」
直角にお辞儀をする沖田さんを真似して、双子ちゃんもお辞儀をしてばいばいと手を振る。
沖田さんは、振り返して出ていった。
「玄関口で何ですから、上がってください」
「ありがとう、和威さん。そうさせて貰うわ」
「ばあば、おちゅきゃれ?」
「そうね。少しだけ、疲れちゃったわ。話が通じない人と二時間もお話してたのよ」
気が利くなぎがスリッパを出し、もえちゃんは母の手を取る。
何処と無く草臥れている母は、手を引かれるままリビングのソファに座った。
「申し訳ないけど、荷物はテーブルに置いて貰える?」
「畏まりました」
流石に、上流企業の元お嬢様。
命令し慣れている。
私なんて、いまだに恐々なのなあ。
そう言えば、和威さんも慣れていたな。
お茶でもと、立ち上がる私を、荷物を置いた彩月さんに制された。
ああ、はい。
お茶出しは、家人のお役目ですね。
荷物も気になるけど、母の疲労具合いも気になる。
一体、何処で何をしてきたのやら。
ブックマーク登録ありがとうございます。




