その26
「それとね、琴子。これだけは、自分の手で渡したかったのよ」
お祖母様。
まだありましたか。
富久さんから、手渡された鍵を差し出す祖母。
「鍵? 貸金庫か、何か?」
「高浜さんの、個人美術館を知っているわね」
「うん。母に何度か付き合って、見に行った事がある」
お祖父様の友人が館長さんになっている、こじんまりとした美術館を思い出す。
絵画と陶磁器が、飾られている。
高浜さんはお祖父様の友人だけあって、大企業の会長さんだ。
「その美術館にも、茶器を預けてあるの。是非、譲り受けて頂戴」
「……分かりました。それで、本当にお終いね。後から、追加はしないでよ」
「あら、鍵は貴女が言った貸金庫よ。美術館とは、違いますからね。店長さんには、事前にしらせておきますから、伺ってね」
なんですと。
まだ、有るのかい。
いい加減、お腹一杯です。
お祖母様が、大手銀行名を口にする。
帰りには寄れそうもなく、後日伺う事を強制された。
お祖母様は、容赦なく逃げ道を塞いできた。
「ああ、やっと肩の荷が降りたわ。奏子も、奏太も受け継いでくれて、助かりました」
「何せ、水無瀬家由来の品ばかりだからな。椿や桜、楓は遺産放棄をするでな」
「継子でも、可愛い子供たちには、変わりがないのにね。頑として断られて困ったわ」
伯母さん方ずるい。
とは、言えないか。
祖母と継子の伯母さん達の仲は良好だ。
午前中に会った椿伯母さんと桜伯母さんは、由来の品ではないお着物や帯などを数点受けとると言っていた。
楓伯父さんも、嫁いできた以降に購入した美術品を受けとるらしい。
水無瀬家由来の品は、異母妹の母とその子供である兄、私が受け継いでいくのが、妥当だと説得された。
私が受け継いでも、披露する場所がないのになぁ。
ぼやけば、茶会でも開く勢いだった。
まずは、現物を見てから。
そう、制止して、押し止めた。
母は、苦笑していた。
「ママぁ」
「なあに。なぎ君」
龍神様のお守りで遊ぶなぎ君が、私を呼ぶ。
カステラも食べ終わりだから、飽きてきたかな。
「ひいばぁば。びょーき、いちゃいいちゃい? じゃから、ママにどーぞ、しゅりゅにょ?」
「そうだな。ひいばぁばは、ママにどーぞして、安心したいのだな」
「あんちん、にゃんで?」
問われた私ではなく、和威さんが頭を撫でながら答えてくれた。
祖父母は、にこやかに見守っている。
「ひいばぁばは病気で家に帰れないから、ママに代わりに守ってね、と言っているんだ」
「きょれ、おちゃわん? おうちに、いっぱい、ありゅよ」
もえちゃんが、ファイルをめくる。
お茶碗に見えるけど、違うのよ。
時価数百万の茶器なの。
もえちゃんが、使うお茶碗と値段は破格の違いがある。
「もえ。これは、お茶碗にみえるけどな、お茶碗ではない」
「うにゅう? なあに?」
「お山のばぁばが、緑色の抹茶を飲んでいるだろ」
「「あい」」
「その、抹茶を飲む専用の茶器なんだよ」
「みじょりにょ、にぎゃいにょ、にょむ、おちゃわん。わきゃっちゃ」
「なぎは、賢いな」
「なぁくん、しゅぎょい」
「むふふ」
祖父ともえちゃんに誉められて、ご機嫌ななぎ君。
もえちゃんの頭を撫でているから、自分が感じた事を教えているかな?
もえちゃんのなあには、お家に帰ってから答えよう。
「ママだけでなく、なぎ君ともえちゃんも、ひいばぁばのお宝を守ってね」
「「? ひいばぁばの、おちゃきゃりゃ?」」
「そうよ。代々受け継ぐお宝よ。ママに預けておくから、大切に守ってね」
祖母にさとされ、私を見る双子ちゃん。
安易に返事をしないのは、祖母の病気を重く受け止めたかも知れない。
「なぎ、もえ。ひいばぁばに、はいとお返事してね」
「「あい。ひいばぁば。わきゃり、みゃしちゃ」」
「ありがとう。お利口さんな、なぎ君ともえちゃんがいてくれて、ひいばぁば安心したわ」
安堵の息を吐き出すお祖母様に、なぎともえは笑顔で答える。
私も、覚悟を決めた。
残りの遺産がなんであれ、水無瀬家の血を引く私が次代に渡していこう。
「「ひいばぁば。だいじょぶ? いちゃい?」」
「安心したら、ひいばぁば疲れちゃったわ」
「そうだな。今日は沢山お話したからなあ。ひいばぁばは、お休みさせてあげような」
「「あい。ひいばぁば。おやしゅみ、にゃしゃい」」
薬の効果がきれたのか、お祖母様の顔が歪む。
双子ちゃんが、身体を撫でたがりそうだけど、和威さんに止められた。
素直にベッドから降りて、お辞儀をする。
「なぎ君、もえちゃん。今日は来てくれて、ありがとう。ひいばぁば。嬉しかったわ。また、お見舞いに来てね」
「「あい。まちゃ、きましゅ」」
「今度は、ひいじぃじと来ような」
「「あい」」
「では、お暇します。お大事になさって下さい」
「ええ。和威さんもありがとう」
靴を履かせて、リュックを背負わせる。
正味一時間にも満たないお見舞いだったけど、それだけお祖母様の具合いは悪いのだろう。
お見舞いにこれて、良かった。
曾孫の元気な姿と、お着物姿を見せれたしね。
お祖父様は、まだ残られるようだ。
お守りを手にした右手を振るなぎともえ。
祖父母は、振り替えしてくれた。
病室を出る私達の後ろに、富久さんが従う。
何か、話があるのかな。
「お疲れ様でございます」
「沖田さんも、お疲れ様。祖父を頼みます」
「承知しております」
「「ごきゅりょう、しゃまでしゅ」」
「はい、ありがとうございます。なぎ様、もえ様も、お風邪などひかないように、してくださいね」
「「あーい」」
目線を合わせてくれた沖田さんに、双子ちゃんはバイバイと手を振る。
ボディーガードの皆さんが、振り返してくれた。
富久さんはナースステーションを過ぎても、私達の後をついてきた。
エレベータ付近で、にこやかな笑顔を崩した。
丁度、エレベータを降りた人物に見覚えがあった。
「今頃、お見舞いか。薄情な孫だ」
「お黙りなさい」
「「ぴやっ?」」
「な、なんだと」
富久さんの剣幕に、双子ちゃんの肩が跳ねた。
水無瀬家の分家の人だ。
それも、煩い事ばかりしか言わない。
分家筋だと、富久さんの家が上位にあたる。
「本日は朝霧家の方々以外のお見舞いは、遠慮するように通告したはずです。不審者として、通報致しますよ」
「ふん。部外者は、そちらも同じだろう。外に嫁いだ孫だ。朝霧家とは、認めん」
「部外者は貴方です。お子様方に不躾な姿を晒すようでしたら、容赦致しません。水無瀬家御当主様にも、報告致します」
「ふん、出来るものなら、やってみろ」
「では、お望み通りに致します」
売言葉に買い言葉。
始終、富久さんのペースだ。
分かっていないな。
富久さんは、御当主様の直通ラインを持っているのに。
本当に、電話する富久さん。
「「パパぁ~。だっこ」」
「うん。ほら、抱っこだ」
異変を感じとり、和威さんに両手を伸ばすなぎともえ。
表情は、堅い。
敵意丸出しな遠い縁戚に、警戒している。
喉の奥で唸り声を発するなぎ君と、パパにしっかりとしがみつくもえちゃん。
やがて、通話を終えた富久さんが、良い笑顔を見せる。
続いて、縁戚の人の電話が鳴る。
慌てた様子でスマホを見る。
「どう致しました。出ないのですか?」
「なっ、なんで、お前が、後継者なんだ」
「お黙りなさい。主家のお嬢様を、お前呼ばわりとは赦しがたい」
「そうではないか。朝霧の奏子は、分かる。娘だからな。しかし、これは……」
「いい加減にしろ。篠宮の嫁を貶すなら、相手に不足はない」
あらら。
和威さんまで、お怒りだ。
これは、緒方家まででてきそう。
なぎ君の唸り声が大きくなってきた。
パパの怒りに反応してるな。
「なぁくん。おっしゃん、ママを、いじわりゅ、いっちぇりゅにょ?」
「あい。しょうでしゅ」
もえちゃんまで、おっさん呼ばわりとは。
篠宮の好戦的な血かな。
まぁ、おじさんが言えないだけだけど。
教えてあげる慈悲はない。
「‼ ママに、いじわりゅ、しゅりゅにゃ‼」
「おっしゃん、あっち、いけ‼」
「煩い。雑種が喚くな。……うわっ⁉」
「雑種は、お前の方です。頭が高い、膝まづきなさい」
もえちゃん、なぎ君。
言葉は悪いけど、ママを思って怒ってくれて、ありがとう。
ママ、感動した。
子供たちにも牙を剥く縁戚が、富久さんに投げ飛ばされた。
ナースステーションから体格の良い男性看護師と、沖田さんが騒動を聞きつけてきた。
「大丈夫ですか? 警備を呼びました」
「富久様、自分が変わります」
「琴子さまとお子様方に対して、誹謗中傷されました。名誉毀損で訴えます」
「儂は、事実を言っただけだ」
「お黙りなさい。と、何度も言わせないでください」
富久さんも、お怒りだ。
なぎともえは、和威さんの腕の中で唸り続けている。
まるで、威嚇する猫ちゃんみたいだ。
和威さんが抱いていないと、突撃する勢いである。
「不審者は何処ですか?」
「此処におります」
「誰が不審者だ。儂は、見舞い客だ」
「何方も招いていません。追い返してください」
沖田さんに取り押さえられた縁戚は、喚きながら警備員に引き渡される。
富久さんも、冷ややかに眺めている。
和威さんは、静かに怒気を発している。
回りがこれだけ怒ると、当事者は静観せざるをえないな。
「申し訳ございません。みっともない処をお見せ致しました」
喚く縁戚が警備員に連行されて退場すると、富久さんが頭を下げた。
「ううん。富久さんは、悪くないでしょ。悪いのは、あの縁戚だし」
「「しょうよ。わりゅいにょは、おっしゃんよ」」
「まあ、ありがとうございます。ですが、水無瀬家に連なる分家としましては、あの言葉は赦しがたいものです」
「夫としても、許せんな。必ず、潰してみせる」
「なぁくんも」
「もぅたんも」
片手をあげる双子ちゃんは、鼻息を荒くして抗議している。
ありがとう。
和威さん、なぎ君、もえちゃん。
ママは、それだけで充分よ。
雑種呼ばわりは、慣れているから。
今更、傷つく訳がない。
表立って口にしないけどね。
「ママぁ」
なぎ君が抱っこを強請る。
はい、おいで。
ママは、此処にいるよ。
「なぎ君。ありがとうね。ママ、感動しちゃった」
「なぁくんは、おときょにょきょ、だかりゃ、ママちょ、もぅたんを、まもりゅにょよ」
うん?
パパとの男同士の約束ごとかな。
君はまだ、ママに守られる幼児なんだけどなあ。
もう、守る意志が芽生えているのだね。
凄いなぁ。
ママ、感心しちゃった。
「なぎ様、立派なお兄様ですよ。富久は感動致しました」
「あい。なぁくん。しゅぎょい、ねえ」
「えへへ」
「うん。なぎは、立派なお兄さんだな。パパも、誉めてあげるぞ」
なぎ君は皆から誉めて貰えて、にぱっと笑う。
もえちゃんは、凄い凄いと連呼している。
なぎ君だけ誉めて貰えてずるい、と言わないのは感心させられる。
もえちゃんも、充分に誉めてあげないとね。
今日の夕飯は大好きなハンバーグにしよう。
まっててね、双子ちゃん。
ママ、愛情一杯にして作るから。
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