その30
結論。
すぐには東京に戻れませんでした。
なぜなら、わんわん泣き出したらもえちゃんが、泣きつかれて撃沈して爆睡モードに入ったのと、幼い身での龍神様のお力を借りて危機を脱した対価の疲労によって、早急な回復をしなくてはならなくなった為である。
『馬鹿兄者め。幼き二歳児の小姫に肩入れするから、小姫の負担が課せられたのだ。反省するがいい。それと、東の地で、やりたい放題やらかして、気象操作なぞするから余計に日の元の国の気象が荒れたのだ。長様の助力により気象操作の難事が回避されたが、速やかに謝罪に行くがいい』
『待て、弟よ。長様の説教は長い。長期的な小姫の守護不在は、承諾は致しかねる』
『馬鹿め。小姫のお側には、れっきとした水無瀬の巫女たる我の姫がおるわ。旧き山神たる媛神の加護もあるわ。おまけに、媛神の神使もついておるわ。安全面をいうなら、これ以上の対策は無し。さっさと、行くがいい』
もえちゃんの疲労度が看過できない水準らしくて、龍神様のお怒りは半端なく、長様のお使いらしい龍神様が現れてもえちゃんの守護龍神様は敢えなく連行されていった。
で、龍神様のお声が聞こえていた石動家の巫女さんに案じらて、簡易聖域を設けた石動家の屋敷に滞在する事になった。
盛大に泣き喚いたもえちゃんを、簡易聖域の部屋に寝かして、寂しくないようにワンコと司郎君を子守りに就かせて気疲れした司君も込みで休息を取らせた。
やはり、司君も慣れない不思議体験に精神的負担があったのだろう。
もえちゃんの隣で横になったらすぐに眠ってしまった。
それから、衣服を着替えた私は、もえちゃんと司君の安否を気遣う面々への報告に追われてしまう羽目に。
『じゃあ、もえと司は無事なんだな?』
「ええ。もえちゃんは龍神様のお力を借りてしまった対価に体力を消耗したのと、私に会えて安心した感情から盛大に泣いたから、今は力尽きて寝てしまっているわ。司君も、少し精神的に追い詰められた節があって、仲良く遅めの昼寝をしています。落ち着いたら、巧君や梨香ちゃんや静馬君達と電話させるわね」
『わかった。そっちには、俺から連絡しておく。悠兄貴達にも司は無事だと報告しておく』
「お願いします。そっちは、何も起きなかった?」
『ああ、まあ。大事にはならなかったが、変な女が騒いでいたらしいな。病棟が違う俺に、なぎの元に行ってくれと看護士が来た。俺は既に、インフルは陰性になっていたから動けたが、なぎが少々不安になっていたのと、警戒していたな』
和威さん曰く、インフルの陰性反応がはっきりしたので数日後には退院してもいいと医師に説明されていた時に、智子さんが慌てた様子でなぎ君の病棟に来てくれと指示されたそうだ。
そうして、和威さんはなぎ君に何か異変が起きたと思い病棟に移動していたら、ナースステーション付近にて騒いでいる集団がいたとか。
和威さんは入院患者なので、着替える間もなくなぎ君の病棟に向かったので見舞い客とは思われなかったものの、その集団から不審な視線は向けられた。
ナースステーションに待機していた師長さんと数名のナースさんが、VIP待遇の入院患者扱いして、朝霧家の警備スタッフも間に入り難なく病棟には入れて貰えた。
が、その背後では、朝霧家とか水無瀬家といった固有名詞が聞こえたそうだ。
なぎ君の病室に入ると、
「パパぁ~」
久しぶりに会う和威さんの姿を見たなぎ君が、珍しく甘えて抱きついて離れない。
彩月さんや珠洲ちゃんが看護についてくれていたが、寂しかったんだなと思った。
けれども、なぎ君は的確に、不安な心情を和威さんに訴えた。
「にゃんきゃ、しょちょにょ、ひちょ。びょーきを、にゃおしゅ、おみじゅぎゃ、ほしいっちぇ、しゃわいでうにょ。あちょ、ママは、どきょっちぇ、うっしゃいにょ」
「水とママ?」
「あい。びょーきを、にゃおしゅ、できうにょ、ママ。ぢゃきゃりゃ、ママを、よべっちぇ、いうにょ」
「和威様。恐らくは、噂に踊らされた方々のようです」
今一、なぎ君の説明に疑問が沸く和威さんに珠洲ちゃんが補足を入れる。
水無瀬のおじ様の娘さん一家が医学の発展を目的にした狂人めいた医師会の犠牲になった件で、再度の火が付いたのだとか。
それも、死に至る大怪我を負ったなぎ君が、僅か数ヶ月で完治はしないまでも退院できるまでに回復した経緯が、口の軽い看護師から漏れたと。
その看護師は、勤務態度も真面目で師長さんの信頼も大きく、智子さんも友人と思っていた。
それなのに、大金の報酬に飛び付いて、外部の人間に水無瀬家の血筋に連なる幼児が入院し、疑惑の元たる水無瀬家の霊験あらたかなご神水を毎日飲んでいる。
結果、尋常ではない回復を見せている。
間近で接していた看護師の報告に、目の色をかえたのが先程の集団だった。
重篤な病気の身内がいる者、余命宣告された者、中には長寿の恩恵や美容に良いと勘違いをした著名人やら、資産家達が連日押し掛けて来ていた。
無論、ご神水は珠洲ちゃんがその日のうちに消費する分だけを、運んできてくれている。
珠洲ちゃんは技の護り人であり、実姉が武の護り人の頂点にいる。
よって、気配を薄くして騒いでいる集団達に察知される事なく、ご神水を運び入れる事ができたので、被害はまだ出てはいない。
のだけど、悪い意味でお祖父様と楓伯父さんの耳に騒動が入ったようで、本日とうとうお祖父様が行動に出た。
大事なひ孫の入院先で、何をしでかしている。
お前達が騒いで、万が一にもひ孫の容態が悪化したらどう責任取るのか。
ナースステーション付近にて騒いでいた集団を前にして、お祖父様の一喝が凄まじい怒気を孕んで宣告された。
まあ、それでも病が治るならとすがり尽きたい輩は怯む事なく、朝霧家だけがご神水の恩恵を受けるのは非人道的だとのお題目で、反論してきた。
更に、激怒するお祖父様。
珠洲ちゃんに、ご神水を分けてやるように指示して、何ら効果もなくてもこちらには責任はないと念書を書かせて帰したそうだ。
その後、その集団の家を調査させて、取り引き先相手なら取り引き解消を。
資産家達には、浅ましい行動をマスコミにリークして世間に公開させた。
楓伯父さんも悪乗りして、あらゆる人脈を使い、その集団とは今後いかなる付き合いを断ち、不利益を被ろうが自業自得なので支援はしないと通達。
事態を把握した椿伯母さんや桜伯母さんも、傘下の販売店や料亭への出禁を言い渡した。
おまけに、我が母も友人知人に騒動を愚痴という形で広めた。
結果、僅か半日でその集団方々は、窮地に陥っているのだとか。
それは、そうだよ。
世界にも名を知らしめる朝霧グループを敵に回したツケは、多大な被害をもたらすからね。
上場一流の株式会社の株券がただの紙くずになり果てるのも、時間の問題だろう。
もしや、兄の不在はこの問題に関係しているのだろうか?
和威さんはなぎ君の病室にいたので、私もなぎ君と少しだけ会話をした。
もえちゃんが、緒方家から遠い地に転移したのは、なぎ君も認識していた。
龍神様が気を利かせて、大事ないと教えてくださったようである。
なら、もぅたんと一緒に帰ってくるんだね、待ってるねと和威さんの手を離さないで話すなぎ君も寂しく感じていたんだね。
用事か終わったら、一目散に帰るからと約束して電話は終えた。
「そうか、巫女姫殿には、幼いお子さんがおられたのか。それは、長く引き留めて済まないでは、終わらせられぬな」
「ですが、岩代殿。守護家を務める当家も把握できてなかった此度の一件、当家にも非がある」
「それは仕方なき事よ。言葉にも出せぬ。文字でも残せずでは、石動家も把握できまいよ。儂が知り得たのも、偶然によるもの。今際の際に、先代守護家当主が口に出さないでおったら、水無瀬家の巫女の犠牲は出ておったしな」
「しかし、あの禁呪は何故に成されたのかも、岩代殿は知っておられるのか?」
「まぁな。あれは、要するに水無瀬家の巫女を人柱にする事で、我々の巫女の負担を軽減し、水無瀬家よりも我々の土地が栄えておると見栄を張りたかったのと。主家たる水無瀬家の巫女の数を減らし、我々が代役を担い、主家へと成り代わろうと足掻いた末の愚策よ。呆れた事に、分家でしかない我々が主家となり得る筈がないのを、理解出来ぬ馬鹿がおったというせいだ」
もえちゃんが寝ている間に、あの禁呪が施された意味が何であったか情報を精査する石動家当主さんと岩代のおじいさん。
実は、和威さんから電話が来る前に話し合っていたので、私達の会話は漏れ聞いていたりする。
土地の浄化を済ませたお二人は、最前まで存在していなかったもえちゃん達一行を訝しんでいたが、麻都佳さんから泣きじゃくっているのが私の娘だと知らされると酷く驚いていた。
石動家当主さんは、私の家族は東京にいたはずで、どうやって来たのかを。
岩代のおじいさんは、まだ若い私が結婚して子供がいたのを驚いていた。
どうも、水無瀬家以外の巫女さんは生涯独身を余儀なくされているのだとか。
あっ、これは他家の巫女さん達に恨まれるかと危惧したら、水無瀬家の巫女姫は代々血縁者が跡を継ぐのが習わしであり、また他家の巫女が不在になった場合には、水無瀬家の巫女の血筋の女性が就任して巫女の血筋を繋いでいかないとならない。
で、南の守護家である円堂家が巫女や当主を排出出来ず途絶えた現状、私か兄の血筋から円堂家を再興させなくてはならないみたいである。
うわ。
責任重大な話が出てきたぞ。
ああ、でも。
兄は中継ぎだと名言していたから、兄が円堂家を再興したりして。
兄に問い質す案件が増えたな。
よし、忘れないでおこう。
兄よ、待っていなさいよ。




