その28
失敗した。
もえちゃんから警告されていたのに、油断した。
「きゃはははは。やったぁ。これで、私が巫女姫よぅ」
姦しく笑い声をあげるのは、治水祭事を執り行う河川敷の土地所有者の孫娘と紹介された私と同年代の女性。
勤務する農協のマークが入った緑色のジャンバーを着ている。
石動家当主からは、頑固なお爺さんは先代守護家であった岩城家最後の当主の末弟で岩代家の権力を継承しており、新守護家である石動さんでも発言を覆すのは難しいと困り果てていた頃に、女性側から接触してきた。
岩代真弥さんと石動さんから紹介されたのだけど、初対面時にはどうも妙な気配がするとは感じてはいた。
けれども、石動さんは守護神様の巫女候補でもあると言われたので、祭神様の加護なり、神気が干渉しているのだろうと判断してしまった。
真弥さんは祖父を説得したので、祭事を執り行われない問題は解決したと、言ってきた。
頑固なお爺さんの攻略に、それなりの日数がかかり、為人を把握していた私達は半信半疑で、件の河川敷に移動する事になった。
宮内庁から同道されていた度会さんは、祭事関連の行事には毎回見届け役としての任に就かれていたので、河川敷に祭事の場が設けられ、準備万端であるのを確認されたので、真弥さんの言葉は真実だと判断された。
本来なら、祭事の前日から精進潔斎して挑むのだけど、頑固なお爺さんの攻略に日数がかかり過ぎていた。
私も早く東京に帰りたい気持ちもあり、略式の潔斎をして祭事を執り行うとした。
そうして、巫女服に着替え、祭事場に足を踏み入れようとして、異質な負の気配を察知して歩みを止めた処へ、
「止めよ、巫女姫。その地に、入ってはならん!」
頑固なお爺さんの声がした。
麻都佳さんも、異変を察知した。
「巫女姫様、進まれてはなりません!」
「きゃは。遅いわよぅ」
麻都佳さんの制止と、石動さんの行動は遅くに喫し、どんと勢い良く背中を押されて、祭壇の前に転んでしまった。
大地に手を付いた途端、地中から幾重にも私を拘束する禁呪と思わしき鎖が巻き付こうとし、私を守護する龍神様が顕現して阻んでくださった。
「巫女姫様!」
「石動の、力を貸せ。この禁呪は、水無瀬の巫女を人柱にする禁忌の呪。如何に、巫女姫様とはいえ、内側からは壊せぬ。ああ、だから、儂は水無瀬の巫女姫様や巫女殿が、この地に入らぬ様に反対したのだ」
「岩代殿。ならば、何故に前もって、仰られなかった。教えていただけば、巫女姫様をお連れしないでいたのに」
「それが、禁忌の呪の所以よ。発動しない限り、言葉にも文字にも表せぬ。この人柱の禁呪を設置した故に、岩城家は守護家を剥奪されたのだが。言葉にも文字にも表せぬのは、水無瀬家でも同じであったらしい。当代水無瀬家当主殿は、恐らく認知されてはおらぬだろう。先代水無瀬家巫女姫様は、次代様が危うくなるのを警告してくださったが、儂も土地に入るなしか言えなんだ。ほんに、申し訳がない。馬鹿孫娘は、石動の巫女になれんと宣告され、かなり恨んでおった。先代水無瀬家巫女姫様のご息女が巫女になれんと知ると喝采する程に喜び、孫娘様が跡を継がれたと知ると癇癪を起こして暴れよった。だから、接触しないように、裏で仕事を理由に他県に出張させたのだが。勝手に帰ってきおり、巫女姫様を罠にかけよった。推測になるが、馬鹿孫娘の歪んだ負の感情が、禁呪に取り込まれたのだろうて。あの、虚ろな眼差しで嗤う姿は、何かしらに憑かれておる証しよ」
頑固なお爺さん改め、岩代家のお爺さんは護身刀を手に、私を拘束しようとする禁呪の鎖を祓おうと奮闘されつつ、祭事を反対されていた理由を話してくれた。
確かに、禁呪を構成する呪力は大地に根付いたモノで、地の底から私を拘束して呑み込もうとしている。
『済まぬ、我が巫女よ。我も、禁呪を感知できなんだ。あの爺が言うとおり、これは内側から破るのは、かなり難儀な事になりそうぞ。多少、時間は掛かるが、破る事はできようぞ。然れど、時間掛かる。負の感情に、呑み込まれぬ様にしてくれまいか』
「はい、承知致しました。私も、人柱に望んでなりたくはありませんし。和威さんやなぎ君やもえちゃんの元に、絶対に帰りたいですから」
『うむ。禁呪の精神攻撃には、その意思であがらうが良し。では、我もがんば……』
「龍神様?」
岩代家のお爺さんに石動家当主さんに麻都佳さん。
三人が各々持ち得る対策で、私を解放する尽力を果たしている。
龍神様も、精神攻撃に気を付ける様に指摘してくれたので、家族の元に帰る意思を最大限に練り上げる。
「きゃはははは。無駄よ、無駄なんだから、ぜぇったいに、解放なんか、されないんだから」
けたけた嗤う真弥さんの声が癇に障るが、無視一択。
現に、禁呪の鎖は、私には触れる事が出来ない。
龍神様が宿る水無瀬家巫女姫以外の巫女ならば、すぐにでも禁呪は効果を発揮して人柱へと呑み込んだろうが。
元々、水無瀬家以外の守護家は、水無瀬家の分家筋。
奉る祭神も、水無瀬家の祭神が格上。
また、私に宿る龍神様は龍神様の中でも位階は高い。
時間は掛かるが、禁呪は破れると断言された。
となれば、私がやれる事は、龍神様を信頼し、精神攻撃に負けない事だけなのだけど。
禁呪を破ろうと神気を高め始めた龍神様が、動きを止め、顎をおおきく開けられた。
『あ、兄者ー。何をやらかしておる。小姫に、無理をさするでないわー』
小姫って、もえちゃんを表す名称だよね。
えっ?
もえちゃんが、どうしたって言うの?
疑問符が飛び交う。
まさか、緒方家でも何か事件でも起きた?
思わず龍神様に視線を移したら、龍神様は河川の方向に向かって叫んでいた。
『兄者の阿呆め。無茶苦茶な気象操作しおって、誰が後始末すると思うておるんじゃー』
『むざむざと、罠に嵌まる愚弟に言われとうはないわ! それに、これは緊急事態故の、特別措置よ。小姫の負担にならぬように、暇な同胞が協力してくれておるわ』
『だからと言って、危うい地に巫女姫が二人揃えば、因果も歪もうぞ』
『それも、対処済みよ。ほら、小姫。出番じゃぞ』
「あい。ママを、いじめうにょ、あっち、いけぇよ!」
龍神様同士の諍いの末に、幼い聞き慣れた声が河川側から聞こえてきた。
すると、河川から水竜巻が発生し、切っ先が私の方へ伸びてきた。
単なる水ではない。
水無瀬家の神聖な祭事場の神水が含まれた水の嵐。
慌てた私に宿る龍神様が、周囲に結界を施してくれなければ、私も水浸しになっただろう。
結界は、岩代のお爺さんと石動家当主さんに麻都佳さん、対抗手段を持ち得ないで見守るしかなかった度会さんにも施された。
「ぎゃあああ! 痛い、痛い!! 止めてぇ!」
まともに水を浴びた真弥さんが、錯乱しながら水から逃避を図る。
しかし、標的に容赦はなく、真弥さんと禁呪が設置された土地に降り注ぐ。
禁呪の声なき声が、断末魔の叫びをあげている気配がする。
段々と小さくなるその声に反例して、記憶にも記録にも残される事なく人柱にされてしまい、被害にあった水無瀬家の巫女が一人一人と解放され、昇天されていくのが分かった。
皆さん、今まで忘れ去られていて、申し訳ありません。
二度と、この様な犠牲が出ない様に、尽力し邁進致します。
もう、禁呪は虫の息に等しく、私の祓いだけで消去できる。
犠牲になった巫女の思念に対して、自分への戒めも含めて浄化の祝詞を謳いあげる。
柏手を打つ度に、鎖は消え去り、祝詞の句によって浄化されゆく。
「止めてぇ! それを、止めてぇ!」
禁呪に憑かれていた真弥さんは、神水が含まれた水竜巻に肌を焼かれ地に伏し、のたうち回る。
そこへ、止めとなる祝詞の浄化が追い討ちをかけて、涙と鼻水まみれな顔で何とかして逃れようと足掻いていた。
「馬鹿孫娘よ。自業自得じゃ。巫女姫様の裁きを甘んじて受けよ」
「何でよぅ。私にだって、巫女姫になる資格はあるのにぃ。あいつらは、私が輝かしい敬われる立場になるのを邪魔して、自分こそが相応しいと思っている癖にぃ。その女だって、無能な母親の娘な癖にぃ。何でぇ、巫女姫になれたのよ、なら、私にだってぇ、なれる筈じゃないのぅ」
「愚か者が。そんな浅ましい思考をしておるから、大地の祭神様はお前を選ばんかった。どうして、それが分からんのか、儂は不思議に思うておるわ」
「岩代殿がおっしゃる通りよ。巫女の座に就く者に、名誉欲や承認要求精神は必要無い。巫女足らんとする者には、何よりも祭神様への奉心が必要不可欠。他者からの羨望を望む、貴殿には巫女の資格は無い」
「言っておきますけど。先代巫女姫様のご息女奏子様は、次代の水無瀬家当主殿と巫女姫をお産みなされる役割りを担われたが為に、巫女の能力を授かりはなさいませんでした。決して、無能と呼び蔑む云われはございません」
麻都佳さんが説明する通り、我が母は当主の才を引き継いでいる事実は隠され、次代を産むが為に才を引き継がなかったと公式に発表されている。
これは、過去にも巫女姫として名を馳せた者から、力は受け継がれずに、次の世代の者が再度巫女姫としての能力が高い娘が産まれた記録があったから。
我が母も、そうした例が適用されたのだ。
女性の水無瀬家当主誕生を公表しないでいたのは、お祖母様も水無瀬のおじ様も、母が一般人の父に嫁ぎ易くする為になした事でもある。
お祖母様の先見では、母が父以外の人物に嫁いでいたら、兄や私は誕生せず、水無瀬家の直系は絶え、分家筋の争いに発展するのを防ぎたかったのもある。
現に、真弥さんみたいに、他の守護家から巫女姫狙いの下克上を夢見る他家の巫女は数少ないけどいて、牽制したのだ。
まあ、巫女姫は水無瀬家の家名を名乗らずに継承されていくだろうけどね。
岩代家のお爺さんに石動家当主さんに麻都佳さんとついで、お説教みたいに真弥さんに声がかけられたけど、真弥さんは既に失神して聞いてはなかった。
そうして、脅威は消え去った。
「ママ~」
「もえちゃん?」
水竜巻も消え去った河川敷に、私を求めるもえちゃんの声が。
何処に?と探してみたら、あら不思議。
もえちゃんは、司朗君の小脇に抱えられ、いちに付き添われ河川の水上に佇んでいた。
あら、反対側には司君が。
一体、何が起きたのやら。
感動の再会まで、後少し。
私は、もえちゃんを迎える為に、河川の水上を歩いていった。




