その21
…「じゃあね。なぎ君、彩月さんや珠洲ちゃんと、病院でお留守番していてね。パパは別の病院になぎ君と一緒で入院しちゃったし、ママのばぁばやじぃじも付き添えなくなっちゃったし、もえちゃんは退院しちゃうし、ママはお断りできないお務めができちゃったから、なぎ君一人で病院に残らなくてはならなくなって……」
「妹よ。心配するのは分かるが、なぎが苦しがっているぞ」
ああ、ついなぎ君を抱き締める力が入りすぎちゃっていた。
でも、なぎ君は文句を一言も言わずに、私にされるがままで抱き締め返してくれている。
うん。
不安だよね。
寂しいよね。
幾ら、慣れ親しんでいる彩月さんと、急遽研修期間を短縮して付き添いしてくれる事になった珠洲ちゃんが側にいても、私やもえちゃんがいなくなってしまうのだ。
まだまだ、体調も安定していないなぎ君と離れるだなんて、私も嫌だよ。
だけどね。
お断りできない筋の方々が日参して、ナースステーションの控え室で応対するなり土下座に近い懇願されてしまい、やむなく話だけでも聞きにいかなくてはならなくなった。
また、兄曰く、そのまま現地に向かう羽目になるとの先見の結果を教えられた。
「ママぁ~。もぅたんぎゃね、ママぢゃないちょ、ちゃいへんを、いっちぇちゃにょ。だきゃりゃ、なぁくん、ママ、いっちぇりゃっしゃい、いうにょ」
「うん、うん。ママ、なるだけ早く、お務め終わらせてからくるからね。あっ、でもね。彩月さんが定期連絡でなぎ君の容態を報告してくれるついでに、ママともしもしお話しようね」
「もぅたんも?」
「勿論、もえちゃんともよ。もえちゃんには、波瑠さんと司郎君が付いてくれるからね。あとは、梨香ちゃんや静馬君も一緒よ」
健気ななぎ君と兄に抱っこされているもえちゃんは、 泣くのを懸命に堪えているから、もう私の方が切なくなってくる。
本当なら、もえちゃんは朝霧邸の真奈美義伯母さんがお世話すると申し出てくれたのだけどね。
朝霧グループ社員も新型インフルエンザに罹患している為、高齢のお祖父様は早くにリモートでのお仕事をして外部に出ないでいたけど、社長の楓伯父さんは出社しないとならなくて、もしかしたら朝霧邸にも除去できていないウイルスがあるのではとの疑惑があって頼れなくなった。
お祖父様と楓伯父さんは念を押して、朝霧邸内でも同じ部屋にいない措置を取り、スマホを介してのやり取りをしていたし。
お祖父様と楓伯父さん夫婦の居住区も別けていたのもあり、今現在は朝霧邸には罹患者は出ていない。
よって、免疫力が落ち、喘息の症状を発したもえちゃんは、近隣住人に罹患者がいない緒方家での避難を選択するしかなくなった。
そこで、過保護なお祖父様は、自分が朝霧邸から外出する機会が少なくなったのもあり、腹心の警護スタッフの沖田さんと、何らかの事件に巻き込まれても対処可能な朝霧家縁の弁護士さんと、家事のベテランな喜代さんを派遣案を出した。
これを飲まない限り、もえちゃんと既に避難している篠宮家の子供達を、安全な場所に移動させると迫った。
どうも、その場所は病魔退散とばかりに清められた霊験あらたかな水無瀬家らしい。
水無瀬のおじ様も、いつでも受け入れ可能だと連絡がきた。
しかしながら、都内は移動制限が発令されているからか、新幹線や高速道路での移動はかなり厳しい処置が取られていて、お祖父様が財力の圧力で特別権力をもぎ取ろうとして、兄に止められた。
兄は移動は何かの不利に働くと言い出し、お祖父様を黙らせた。
その辺りの事情は明かしてくれなかった。
まあ、水無瀬家当主交代の忙しいなかを、兄が保護者がいない篠宮家の子供達の責任者となると言うので、任せる気になったそうだ。
篠宮家のお義母さん達も、息子達がダウンした事案を把握して、佳子お義姉さんが帰京するとしたのだけど、間の悪い事に都知事さんが他県からの人の出入りをビジネス関係者だけ許可をすると公表してしまった。
内閣府も支持し、交通機関に通達されてしまい、新幹線の切符が買えない、車も高速道路を走れないとなり、帰京を断念せざるをえなくなった。
となると、地方へ向かうであろう私も、簡単には戻れなくなるかもしれないのである。
和威さん不在の穴埋めを兄が肩代わりしてくれていても、なぎともえの事は心配し過ぎてしまい、離れがたいのだ。
「ママ、だーじょーぶ。なぁくん、おりこうしゃん、すうの。しぇんしぇいにょ、ゆうきょちょ、ちゃあんちょ、きいちぇ、まっちぇうきゃりゃね」
「うー。なぎ君が、立派すぎて、ママの方が我が儘言っている気分になっちゃうよ」
「妹よ、観念しろ。なぎの態度を見習うがいい」
こうして、なぎ君を後を彩月さん達に託して、緒方家へと。
いつも二人でいたなぎともえの方が、あっさりとバイバイしていたのをママは疑問に思ったりしている。
でも、なぎ君の枕元にはもえちゃんのお気に入りの兎のぬいぐるみが。
車中では、もえちゃんがなぎ君のお気に入りの熊のぬいぐるみを抱えている。
きっと、自分の代わりにとぬいぐるみを交換したのだろう。
そこに至るまでの葛藤は、計り知れないよね。
と、私のスマホがメールを受信した音が鳴り見てみると、彩月さんからなぎ君が泣いている姿の写真添付して送信してくれた。
『琴子様達がいなくなり、数分後には我慢の限界に達して泣き出されました。ですが、ママに言わないでとの健気なお姿に、珠洲さんが良く頑張りましたと誉めておられます。暫く経ちまして、泣き止まれ、看護師さんの問診にもご立派に受け答えされております。だーじょーぶ、もぅたんと約束したからママとパパを待つのと、気丈にも検査用の採血にも嫌がらず自ら腕を出されました。私どもは、なぎ様を寂しがらせないようにと、改めてお任せいただいた責任を果たす所存でおります。どうか、琴子様も無理せずお務めを果たされる事を願います』
長い文面に、なぎ君の幼児とは思えない姿勢に、また泣きたくなってくる。
そうだね。
なぎ君の想いに答える様に、ママもお務め頑張るからね。
彩月さんには、ありがとうとなぎ君を託しますと短い返信をした。
でないと、長々となぎ君を案じる文面ばかりになりそうで、なぎ君の想いにけちをつけちゃう気がしてしまいそうだから。
そうして、到着した緒方家でも、もえちゃんとの別離に離れ難くなり、兄に促されるまで抱き締めて頬擦りして、誓った。
「ねぇねやにぃにと仲良く待っていてね。ママは、ちゃんとお迎えに来るから安心していいからね」
「あい。もぅたんも、なぁくんちょ、いっちょ。おりきょうしゃんぢぇ、まっちぇうにょ」
「うん、でもね。寂しくなったら泣いてもいいの。甘えてもいいの。ママとの約束ね。ママともしもししたくなったら、もしもししていいからね」
「あい。ママも、みぢょりにょ、おいしゃんには、きおちゅけちぇね」
もえちゃんの兎さんリュックには、キッズ携帯を入れてある。
短縮ボタンの1は私に、2は和威さんにと、利発なもえちゃんとなぎ君だから、数回で覚えたキッズ携帯の使用方法。
危険が起きたらと、教え込んだ。
警護の専門家がいても、万が一を想定しておくのは大事。
防犯グッズも用心の為に、加害者には分からない場所に隠してある。
実は私も隠して所持してはいる。
私の場合は、手製の護符やらだけど。
機械類は龍神様との相性が悪く、専ら発信器位しか身につけれないけれども。
まあ、水無瀬家の支配領域から出る巫女には、武の護り人や技の護り人が数人控えて付いているから、不測の事態に陥らない限りは、巫女の安全は死守される。
私の側には麻都佳さんだけが付き、他の護り人は他人に認識されない隠匿の技術を用いて、分からないように護衛してくれているとの事。
兄にも護衛は付いているが、秘書風の姿に偽装している。
まあ、麻都佳さんも動きやすいパンツスーツ姿だから、一見すると秘書風に見えるだろうけど。
「えー。大変申し訳ありません。お子様をお身内に託さなくてはならない事情故に、大変ご心配になられておられるご心痛は重々承知しております。が、お待ちになられておられます方の面会時間が迫っております。本当に大変申し訳ありませんが、そろそろ……」
「黙りなさい。こちらの事情を忖度していただくのは禁止であると、くれぐれもご機嫌を損ねない姿勢でお待ちしなさい」
「……はい、申し訳ございません」
一向にもえちゃんから離れない私に痺れを切らした、内閣府の官吏の迎えの方が口を挟んだものの、宮内庁の役職付きの方に諌められる。
始めに口を挟んだ官吏さんには、麻都佳さんと兄の付き人から鋭い咎める視線が向けられ、宮内庁の方が余計な口を出すなと、こちらもきつい眼差しで官吏さんに怒りの感情を向けていた。
管轄が違う庁の職員だけれども、要請を乞う書面の直筆サインは象徴の方からのもので、宮内庁が水無瀬家の巫女に対する窓口ではある。
なので、横入りしてきた内閣府との間に、小さくない溝があるみたいです。
まあね。
私に関しては、あの世紀のロイヤルウェディング問題で内閣府は失点がある。
朝霧家を敵に回して、経済的損失を出した公共事業やら、訴訟へと発展していきかねないお祖父様の激怒な苦情も公表されてるしね。
ただ、この官吏さんは、私がその問題の原点だと知らないみたいで、実家の武藤家に朝霧家の娘が嫁いだ家だとの認識もなかった。
どうして水無瀬家の巫女に就任したのかも把握してないようで、内閣府側も混乱の坩堝にいるのかもしれない。
その反面、宮内庁の方は事前に情報を精査して、丁寧な対応で私達に接してくれている。
これは、裏側で宮内庁から内閣府へ苦情がいくなぁ。
「じゃあ、梨香ちゃん、静馬君。もえちゃんをお願いします」
緒方家も高級住宅街にあるとはいえ、何時までも周囲に何台もわけありそうな車やものものしい人物を置いておくには近所迷惑になる。
抱っこしていたもえちゃんを、梨香ちゃんに委ねた。
「はい、任されました。といっても、朝霧さんからも人手を寄越してくれたから、助かります」
「うん、沖田さんだっけ。あの人と部下の人もいてくれるし、家政婦さんも手配してくれたから、俺達は安心して居られるし、頼りないけども、もえだけは何としても守ります」
「それは、駄目。梨香ちゃんや静馬君も、巧君や司君だって大事な身内なんだから。子供世代は、全員が護衛対象です。波瑠さん、皆がもえちゃんだけを守ろうとして、怪我をしないように見張っていてください」
「畏まりました。無論、もえ様だけが護衛対象ではございません。皆様、私どもが護衛させていただきます」
「朝霧会長からも、充分念押しされております。皆様、恙無く日常をおくれるよう心配り致します」
「はい、お願いします。じゃあね、もえちゃん。ママもパパもなぎ君もいないけど、ねぇねやにぃにと仲良く留守番していてね」
「あい、ママ。いっちぇりゃっしゃい」
張り切り過ぎる梨香ちゃん達に釘を刺して、身を切る様にしてもえちゃんを託して、漸く私は気持ちを切り替えた。
お祖父様や楓伯父さんも、安全面を念頭に子供達を守ろうとしてくれている。
和威さんも苦しい容態を無理して、連絡は怠らないと約束してくれている。
ここまでお膳立てされて、お務めを果たせないようでは、先代のお祖母様に申し訳ない。
さあ、行きますか。
麻都佳さんに頷いて、私は迎えの車に乗り込んだ。
行ってきます。




