その19
「じゃあ、パパは帰るからな。次に面会できるのは、日曜日だな。それまで、良い子でお医者の先生の言う通りにしてるんだぞ」
「「……あい。パパ、ひちょり、めんしゃい」」
予定の面会時間が迫り、和威さんは自宅に帰る時間になった。
想定外なもえちゃんの入院で、パパはお一人様となったのを、双子ちゃんはまだ気にしている。
看護士の智子さんが取り成して、機嫌が直ったかにみえたのだけど。
生憎と、一人の単語に敏感ななぎともえは、またもや泣きそうな表情を浮かべた。
「ほら、もう謝らなくていいんだ。パパは大人だし、なぎともえの父親なんだぞ。我慢には、慣れてるから大丈夫だ」
「ぢぇも~」
「パパ、ひちょり~」
なぎ君の寝台に腰掛ける和威さんに、両側から抱き付くなぎともえ。
余計な事を言ったな、と自分の苦笑している和威さんは優しく受け止める。
「完全な一人じゃないのは、なぎともえも分かっているだろう。家に帰ったら、峰や司郎だっている。そりゃあ、なぎともえや琴子がいないのは寂しいけどな。なぎともえの病状の方が大事だ」
「そうよ。ママだって、家族が一緒にいられないのは寂しいわ。だけど、なぎ君ともえちゃんの怪我の具合の方が大事よ」
なぎ君の再入院は想定の範囲だったけど、もえちゃんの入院は完全に想定してなかった。
もえちゃんの入院支度を頼んだ彩月さんも、驚いていた。
我が家の主治医である彩月さんは、毎日なぎ君ともえちゃんの状態を記録してくれていた。
それには、もえちゃんの胸の雑音は記入されてない。
ただ、度々咳をするのが気になるとはあった。
咳といっても、こほんと一回するだけで、酷く何回も咳込むのではないのだ。
くしゃみかなといった感じの咳で、重く受け止めてはなかった。
その記録も病院の先生には提出してあったのもあり、念の為の検査入院となったのだ。
私なんか、我が母の動物アレルギーが遺伝したかなと、案じていた。
だって、きまって我が家のワンコであるいちが側にいる時だったから、本当にそうならどうしようか不安に思っていた。
何しろ、いちはもえちゃんのもう一人のお兄さんでもあるし、篠宮家が奉る媛神様の神使であるお犬様なだけあり、我が家から離す訳にはいかない。
年末にもえちゃんが先に退院した際には、なぎ君不在の不安を和らげる緩衝犬となってくれていたからね。
もえちゃんはいちにべったりで、夜に寝る時もいちの尻尾を掴んで離さなかったらしい。
まあ、それは和威さんがもえちゃんが寝ていると思って声掛けしないでトイレに行ってしまい、パパの温もりが無くなった途端に目を覚ましたもえちゃんが、戸締まりしていなかったリビングの窓から外に出てしまい、朝霧邸の広い庭で泣きながらさ迷っていたもえちゃんの一件以来、いちを迷子防止役にするしかなかったせいだけど。
その一件があって、動物アレルギーの我が母は、いちから離せないもえちゃんに近付けなくなり、仕事に忙殺される和威さんの代わりにもえちゃんの面倒を見る役目が出来なかった。
なので、我が母は動物アレルギー反応を抑える薬を服用して、動物アレルギーを克服しようと躍起になっていると兄から教えられた。
父からも、薬の副反応で体調を崩していたと密かに報告を貰った。
それで止めたらと言っても、止めないのが母だから、娘の私は何も言えないでいたけどね。
それに、お祖父様や楓伯父さんの人脈によって、製薬会社から母の体質にあった薬が開発中とも聞く。
いや、巷では新型インフルエンザの特効薬を開発しないとならないと、各製薬会社の方々が大変な時期に、朝霧グループの会長と社長が身内贔屓して、邪魔してどうするのか。
遠回しに、圧力かけないでとはお小言を言わせて貰った。
しかし、敵は大企業の会長と社長だ。
潤沢な資産を所持して、海外の人材を引き抜いて来たりするから手に負えない厄介な存在だったりする。
お陰様で、母の体質にあった効アレルギー薬は開発され、治験をすっ飛ばして承認されたそうな。
こら、こんな処で法律に反する案件を起こさないでくださいな。
ストッパー役のお祖母様がいないと、財力を駆使して無謀な事をやらかす経済界の大物達は、犯罪者になり得てしまいかねない。
知らされた私は、頭痛を押さえきれなかった。
兄に愚痴ったら、兄がお祖父様と楓伯父さんにお説教をかましたとか。
一緒に拝聴した母が、奏太がお母様に見えたわと、げんなりしていた。
良くやった、兄よ。
貴方が、新しいストッパー役を担ってくださいな。
と、メールしたら、最終奥義の、なぎともえに嫌われるぞと脅しただけだと、返事がきた。
そうか、二人の弱点は、我が家の双子ちゃんか。
良し、またお祖父様達が暴走したら、なぎともえに直接言わせて見るか。
兄に怒られたお祖父様と楓伯父さんは、懐が痛まない高額の迷惑料を方々に支払ったそうで、この案件が世に出るのを防いだらしい。
だが、内閣府の側も、朝霧家を巻き込んだ世紀のロイヤルウェディング騒動で、朝霧家に盛大な貸しを作ってしまったから、痛み分けとして黙認するしかなかったとかで、その出来事自体をなかった事とした。
ただし、司法のトップな方からは厳重注意な抗議文がきたけどね。
これで、暫くはお祖父様と楓伯父さんはおとなしくなるだろう。
閑話休題。
で、少し面会時間をオーバーして和威さんは、帰っていった。
双子ちゃんは、夕飯後に飲んだ薬の影響もあってか、泣いて力尽きたのもあり、二人仲良くなぎ君の寝台で身を寄せあって眠ってしまった。
本来は、別々な寝台があるのだけど。
点滴もされてないし、今日は寝させてあげようか。
布団を掛けてあげて、ぽんぽんと背中を軽く叩いて、ママがいるよと安心させておく。
暫く、なぎともえの寝顔を堪能していると、専任の看護師さんの智子さんが巡回に来ていた。
「あら、なぎ様ともえ様はお眠りになりましたか」
「はい、今日はパパが一人だけ帰宅するのにぐずって、寝ないかなと思っていましたけど。泣いたのもあり、体力を使い果たしたみたいです」
「それは重畳です。少し、なぎ様ともえ様にお聞かせできないお話がございます」
智子さんが丁寧語で私を敬うのなら、水無瀬家関連の話になるのだろう。
智子さんは水無瀬の分家の人材だからか、人目がないと私を主人として態度を改める。
「ママは大事なお話しをするから、あっちのソファの処にいるから、安心してねんねしていてね」
病室という何時もと違う場所でのねんねだから、安眠していても私の気配が遠ざかると起きてしまう可能性があって、一応声かけは忘れはしない。
眠る双子ちゃんの頬を撫でて、来客応対用のソファセットがある角に移動する。
この特別室、広さは普通の病室の五倍はあり、専用のシャワールームとミニキッチンがある。
以前はなかったのだけど、どうやらお祖父様がお金をかけて改装したようである。
お祖母様が入院していた特別室も、朝霧家用として改装した前科があって、その特別室は朝霧家専用となってしまっていた。
抜け目ないお祖父様だから、きっと寄付金を積んだのだろう。
「朝霧様のご要望通り、こちらの特別室があるフロアも改装致しました。必ずナースステーションで面会手続きしないと開閉出来ない扉を付け、外部の人間がフロアに侵入出来ないセキュリティと、特殊な紫外線を投射して簡易のウイルス除去設備も投入しましたが。万が一にも、免疫力が落ちているなぎ様ともえ様が、新型インフルエンザに罹患しないように心配りは致します。その為、面会者は父親である篠宮様とご祖父母の方に限らせて頂きたいのです」
「了解しました。和威さんの身内には、お見舞いはご遠慮して頂く旨を、和威さんから伝えて貰います」
「お手数をお掛け致しますが、宜しくお願い致します。でないと、橘家の沙羅さんが一大事と称して、突撃してこないとも限りませんので。お身内も面会出来ないと伝えておけば、おとなしくなってくれますから。一安心です」
うん。
珠洲ちゃんのお姉さんは妊婦さんだからね。
配慮しないと、無茶をして切迫早産となりかねないし、新型インフルエンザに罹患してお腹の胎児に悪影響を与えてしまうのも止めないとだし。
臨月間近とはいえ、赤ちゃん第一である。
「それから、こちらの特別室に入室できる医師と看護士はこちらの面々のみとなります」
テーブルに並べられた顔写真は覚えておく。
病院側がそうまでして、私達と接する人を制限するのは、水無瀬家が運んでくれるご神水にある。
不老長寿をもたらすとか、病気を快癒するとか、尾ひれがついて物議を醸し出す曰くあるご神水は、水を操るには最適な珠洲ちゃんが毎日自ら運んでくれるのだが。
そのご神水を狙った、重度の難病に侵された病人の身内やらの格好の目的になるから、気が休まる事がない。
勿論、前回の入室時の反省を活かして、常備しておくご神水はその日に消費する分だけしか持ち込まない手筈になっている。
しかし、病に苦しむ身内の為との大義名分で、何か計り知れない策を講じてくるだろうから、此方もそれ相応な対応は必要不可欠である。
朝霧家からは、病室前には警護スタッフが交代制で配置してくれるが、強欲な輩は何を仕出かすか分からないしね。
病院側も、このフロアに警備員は常駐する方針だそうだが、智子さんが第一に指摘するのは病院スタッフの買収にあった。
「このフロアに常駐する看護師や警備員は、朝霧様の念密な身許調査が成されていますが、約二名不安視される看護師がおります。ただ、その看護士師にはこの特別室に入室する権限が与えられてはおりませんし、この特別室に入室する特別カードキィの他指紋認証も知らされておりませんので、入室はかなわないと思いますが。診察室か検査室に移動する際に、採血や粘膜採取を行おうとしたら、構わず拒否してくださいませ。その行為は、私か看護師長のみだけ行います故、必ず拒否してくださいませ。もし、録な説明をせず強行しようとする看護師がいたら、水無瀬家当主様のご息女を死に至らしめ、医学界を追放され、医師免許を剥奪された一派の手の者であるとお思いください」
「分かりました。あの痛ましい事件を、都合良く解釈して、罪の意識を覚えない不届き者がまだいると判断していいのですね」
「はい。あれ等は、腐っても医学界に貢献した功績もあり、人望もあります。信望者や弟子が、師である者の汚名返上にと企みを企てておりますから」
「なら、今回は巫女の私の愛息子と愛娘に手を出す愚かさに鉄槌をくだすのもやむ無しとします」
巫女候補だった水無瀬のおじ様の娘と違い、私はお祖母様から受け継いだれっきとした巫女だ。
龍神様の加護は、出し惜しみはしないでおこう。
珠洲ちゃんにも、ご神水を強奪しようとする輩には手加減無用と伝えておきましょう。
さあ、敵対するなら、その喧嘩は買いまくるぞ。
母は強し。
可愛いなぎともえを守る為なら、龍神様も助力は惜しまないだろう。
決意を表明した私に、早速龍神様は応えてくださった。
その夜、曇り空でもないのに、複数の雷が病院の周囲に落ちた。
生命に別状はない、患者が救急搬送されたのを、翌朝智子さんが教えてくれた。
無論、なぎともえが入院する病院は、その患者をのらりくらりと言いくるめて受け入れなかったそうである。




