その15
楽しかった動物園から3日後。
もえちゃんが熱を出した。
実は今は私の実家に居候している。
理由は簡単。
住んでいたマンションが放火にあったからだ。
お昼時の時間帯にけたたましく鳴り響く警報音と煙。
非常階段と一階の数軒の庭先が火元だった。
ちょうどねんねの時間だったなぎともえは、峰くんに抱かれて避難した。
私と彩月さんは貴重品を持ち出して、反対側の非常階段で避難したのだけど。
プチパニック状態の双子ちゃんは、峰くんの腕の中で大泣きしていた。
私と離れたのがいけなかった。
わんわん号泣する双子ちゃんに、私も軽く混乱していた。
冷静な彩月さんの判断で、気づいたら実家にいた。
直接は火事の被害に遭ってはいないけど、身体的ストレスを心配された。
緒方家に頼るよりは実家の母の方が、私達の安心に繋がるだろうと。
彩月さんに頭が上がらない。
和威さんにも消防や警察から連絡がいった。
安否確認の中に避難した私達の情報が錯綜したようだ。
仕事をなげうって実家にきた。
なぎともえは、パパの姿に再び号泣。
余程怖かったらしく、その日は家に帰りたがらなかった。
仕方なく実家にお泊まりした。
父と母は逆に大喜びだ。
だけど、一日二日と経てばもえちゃんの様子がおかしくなる。
食欲が無くなり、外の音に敏感になり寝付きが悪くなった。
カルガモの雛よろしく後を付いて回る。
パパが出社するのを盛大に嫌がった。
今日も泣き喚いて和威さんを困らせた。
案の定熱を出した。
彩月さんの診断はストレスからくる発熱。
ぐったりと横になるもえちゃんを見ているなぎ君も、元気がない。
これは、なぎ君も発熱の恐れがあるなぁ。
峰君が運んでくれた玩具に目を向けずに、寝込んだもえちゃんの隣で絵本を静かに読んでいる。
気をきかした母が外出に誘っても、乗り気ではない。
静かにするから、もえちゃんの側にいると主張した。
私は、なぎ君のやりたいことをやらしてあげた。
でないと、寝込んでいるもえちゃんが不安がるから。
もえちゃんの精神安定剤になるなぎ君の存在は有り難い。
「もえちゃん。りんごのゼリー食べるかな」
「たべりゅ。あーんしちぇ」
「はい。あーん」
「あーん」
「なぁくんも、たべちぇ、いい?」
「いいわよ。はい。あーん」
「あーん」
母がゼリーを差し出すとお口を開けた。
居候して分かったのだけど、なぎともえは兄と母のあーんに、素直にお口を開ける。
父だと、私か和威さんの顔を窺う。
この差は何だろう。
不思議である。
なんにしろ食べてくれるのは安心だ。
交互にあーんしてゼリーを完食した。
良かった。
食欲が出てきて安堵している。
早くいつもの元気百倍なもえちゃんに戻って欲しい。
「ママ、にゅうにゅう、にょみちゃい」
「にゅうにゅう?」
「フルーツ牛乳のこと」
「ああ。分かったわ。奏太が買い置きしているフルーツ牛乳でいいかしら」
「多分、用意周到な兄のことだから、それだと思う」
「待っててね。すぐに持ってくるわ。なぎ君も、同じのでいいかしら」
「あい。おにぇぎゃい、しましゅ」
ぺこりと頭を下げるなぎ君。
滅多に会わない母方の祖父母には、どこか遠慮がちだ。
気が休まらないのではないかなぁ。
でも、家に帰りたがらないし。
緒方家には騒動が起こっているし。
静かな住宅街と思いつくのは、朝霧家の大邸宅くらいだし。
「ママ、だっこ」
赤い顔で両手を伸ばされたら、抱っこするしかない。
どうしたのかな。
寝ているのに飽きちゃったかな。
もえちゃんを抱っこすると、なぎ君はすかさず隣にきては背中を撫でている。
風邪ではないから、背中を撫でなくても大丈夫とは、言えない。
優しいなぎ君の姿を写メして和威さんに送りたい。
母、早く戻って来て。
是非に写メして頂戴。
「お待たせ。にゅうにゅうよ」
「あいあちょ、ごじゃましゅ」
なぎ君、ありがとうございます、かな。
ああ。
離れちゃった。
母からコップを渡された。
マグマグではないから、介添えが必要である。
なぎ君は、母が介添えしてくれる。
「もえちゃん。にゅうにゅうよ」
「あい」
ぐったりと私に凭れかかる身体を横抱きにして、コップを口もとに近づける。
少しずつ飲んでいく。
元気がないなぁ。
大好きなにゅうにゅうだよ。
もっと喜んでもいいのに。
それだけ、発熱で辛いのだろう。
「ぎょちしょう、しゃま」
「はい。お粗末様」
牛乳を飲み終わるとまた、横になるもえちゃん。
お腹も膨れたし、ねんねかな。
「もぅたん、ねんね。いいきょで、ねんね」
「なぁくんも、ねんねしちぇ」
「あい。なぁくんも、ねんね、しゅりゅ」
もえちゃんの要望に応えるなぎ君は、和室にひいた布団に潜り込む。
すると、ものの数秒で二人の寝息が聞こえてきた。
律儀に片手を握りあっている。
「なぎ君は、いいお兄ちゃん振りねぇ。とても、2才児だとは思えないわ」
「よく言われる。賢い子なのよ。本当に助かってる」
「助かってるからと言って、頼りすぎも良くないわよ。平等に甘えさしてあげないと、成長したらどちらが大事なのと言われるわよ」
「それも、言われる」
まさか、前世の記憶があるとは言えない。
賢い子だとしか言えないママを許してね。
なぎ君は甘え下手だと、和威さんは言う。
私はそれだけではなく、前世に原因があるとみている。
甘やかされ優遇される兄と、暴行を受け続けて冷遇される妹。
篠宮家に伝わる双子の禁忌。
思い出しても腹が立つ。
可愛い我が子に手を挙げるくらいなら、養子に出せば良かったのに。
比較対象を側にいさせるから、前世のもえちゃんは苦しんだのだろうに。
ああ、本当に腹が立つ。
「急に怒りだして、どうしたの」
「放火犯が早く逮捕されないかなぁ、と。可愛い我が子に何をしてくれるかと、怒りたい心境なのよ」
「気持ちはわかるけどね。なぎ君ともえちゃんの前では駄目よ。不安がるから」
「わかっています」
治安の良さがウリのマンションだった。
和威さんの職場からも近くで、大型ショッピングセンターもあった。
何故にうちのマンションに目を付けたのだろうか。
非常階段には油が撒かれて放火された。
悪質だ。
火事の際にはエレベータは、使用出来ない。
高層階には、死活問題だ。
なぎともえを抱いて峰くんは内階段を降りてくれた。
その際に多少煙が見えたと言っていた。
それから、二人は泣き出したそうな。
お山の家では秋になると落ち葉で焼き芋を焼いたりしている。
火や煙が苦手な訳ではないと思う。
いや、和威さんの足にしがみついていたから、苦手なのかな。
出来上がった焼き芋を美味しそうに、食べていたのになぁ。
「さあ、わたしはお買い物に行ってくるわ。何か食べたいものはあるかしら」
「もえちゃん用に卵雑炊にしたいから、新鮮な卵をお願いします。後はなぎ君の好きなバナナをお願い」
「なら、和威さんと貴女は親子丼にでもしましょう」
母の親子丼を久しぶりに食べられる。
私の大好物なのよねぇ。
少しなら、もえちゃんも食べてくれそうだ。
「留守番をお願いね」
「行ってらっしゃい」
洗い物や洗濯をしたいのだが、不安定なもえちゃんから離れられない。
母も今は甘えてよいと提案してくれた。
寝付きの悪いもえちゃんとなぎ君が二人して、泣きながら私を探す姿に母も神妙な表情だった。
慌てて駆け寄ると家の中で大泣きされた。
もう少しで家から出て行くところだった。
以来、ねんねしていても側にいることにした。
「「ママぁ」」
「なぁに。ママはここにいるわよ」
玄関ドアの開閉音と鍵がかかる音に双子ちゃんの目が開いた。
視線で私を探している。
「「ママ、いちゃ。よきゃっちゃ」」
「安心していいの。ママはなぎ君ともえちゃんを置いて何処にも行かないわよ」
「「あい」」
お腹をポンポン叩いて安心して貰う。
パパもお仕事が待っていなければ、置いて行ったりしないよ。
和威さんは真剣に在宅にするか思案中だ。
上司に掛け合うと言っていた。
せめて火事の悪影響から脱け出すまでは側にいたいらしい。
「ママ、あにょにぇ。もぅたん、あちゅいにょ、きりゃい」
「かかしゃま、ひにょ、ちゅいちゃぼうで、もぅたん、たたきゅにょ。やめちぇって、いっちぇも、やめにゃいにょ」
「……。そっか。そうなのね。怖いの思いだしちゃったね。大丈夫だからね」
家はIHだったから、火の記憶が薄れていたのね。
また、腹が立つ事実が。
顔に出しては駄目。
なぎともえが不安がる。
でてこい無表情の私。
「ママがかか様をやっつけてあげる」
「パパも?」
「パパなんか、気付く前にポイってしてくれるわよ」
「「あい。パパ、りゃいおんしゃんに、きゃっちゃにょ」」
枕元に鎮座するペンギンとライオンのぬいぐるみ。
動物園で買ってきたものである。
火事の時から抱いていたぬいぐるみは、少々煙臭かったので洗濯した。
購入時からよれてしまったが、不安が解消されたと思う。
「「ママぁ」」
「なぁに」
「もぅたん、ママに、あえちぇ、よきゃっちゃ」
「なぁくんも、パパちょ、ママ、だいしゅき」
「ママも、なぎ君ともえちゃん大好きよ」
頬ずりすれば、笑い声があがった。
良かった。
元気が戻ってきたかな。
だからといって、無理は厳禁だけどね。
「さあ、ママは側にいるから安心してねんねしてね」
「「あーい」」
小さな欠伸が漏れている。
ママはここにいるからね。
何にも不安がる要素はないからね。
安心してねんねして頂戴。
ペンギンとライオンのぬいぐるみを渡せば、ぎゅっと抱き締めた。
不安を吐き出したからか、またすぐに寝息が聞こえてきた。
楽しい夢をみてね。
ママは、ちょっとかか様に抗議しておくからね。
パパとママの元で楽しい思い出を一杯作ろうね。
次のお出掛け先は水族館に決定している。
イルカさんに会いにいこうね。




