その11
篠宮家のお犬様問題は、私がお山に嫁いできた頃から度々話題にはのぼっていた。
何でも、代々の当主とお社の宮司様には、媛神様の加護がわりの神使が遣わされるのだとか。
しかし、康治お義兄さんの代には、篠宮家にはお犬様が存在しないでいた。
その件で、分家の一部はあげつらって、当主に相応しくないからだと、何かにつけて騒いでいた。
けれども、篠宮家にお犬様が常駐しないだけで、康治さんがお山に入れば、瞬時にお山からお犬様が現れて、恭順の意を示す。
また、宮司さんからも、康治さんには媛神様の加護はあり、只人には認識できないお犬様が常に傍らにいると明言されている。
おまけに、康治さんを当主に相応しくはないと騒ぐ輩は、お山から嫌われ、方向感覚を狂わされて彷徨う羽目に陥り、お犬様を引き連れた康治さんに救出される恥をかくだけとなったそう。
となると、分家は康治さんを糾弾する種がなくなり、今度は次期当主と目されていた和威さんに矛先が向けられた。
何しろ、和威さんが産まれた時期には、色々な騒動が起きていたし、篠宮のお義母さんの代理出産問題も抱えていた為に、お犬様問題は下火になるも、分家は和威さんが当主になったら蒸し返す気でいただろう。
そんな折りに、お山で放置された司郎君といちが保護された。
康治さんは、もしかしたら和威さんのお犬様かと判断して、自分の腹心の家人に司郎君といちを託した。
保護された当初は、司郎君といちは誰にも懐かず、無反応で意思の疎通が難しかった。
腹心の家人も、お犬様関連ではない、単なる虐待による育児放棄の末の捨て子ではないかと、司郎君を行政に委ねる案を持ち始めていた。
それが、和威さんの帰郷によって、康治さんの判断が正しい事となった。
私は妊娠中期で篠宮家に来た訳で、実家で出産するまでは母屋にて生活していた。
悪阻はさほど酷くはなかったのだけど、お腹の中には双子ちゃんがいたので、あまり無理はかけられないと嫁に来たよりも、お客様扱いに近かった。
まあ、暇をもて余していた訳である。
日々、お義祖母さんの話し相手だけしていた記憶しかない。
そこで、ある日ばったりと見慣れない少年と犬が、日向ぼっこしていた私の元に庭からやって来た。
お義祖母さんは、家人の家から出てこようとしない保護された少年と犬については聞いていた。
だから、初めはその少年と犬だとは思ってはいなかった。
何せ、少年はにこやかに私に挨拶していたしね。
「初めまして、司郎と申します。此方は、いちと名付けられたお犬様です。本日より、お仕え致します事、お許しください」
なんか、年に似合わない古風な言い回しだなぁとは思った。
が、朝霧家には名高い巫女のお祖母様がいたので、旧家にはままある挨拶なのかと受け入れた。
和やかに会話する私達を見て、お義祖母さんは流石に宮司の家系と当主の妻だっただけあり、司郎君といちが媛神様から遣わされた子供達だと考えた。
慌てる素振りを見せず、末の孫息子を頼みますと、司郎君へ返す。
「はい。この身が朽ち果てるその時まで、和威様と琴子様、お産まれになる双子様にお仕え致します」
許可されたと思い、地面に平伏する司郎君といちに、旧家は初対面の挨拶は凄いなぁと呑気に笑っていた私だった。
お義祖母さん付きの家人が、康治さんや和威さんを然り気無く呼び出して、司郎君といちを別室に連れて行くのを眺めていた訳で。
その晩に、司郎君といちがお山から保護された少年であり、私に挨拶するまで誰にも反応を返さない無表情がデフォな状態だったと教えられて、驚愕した。
だって、はきはきと自分から話しかけてきたし、にこやかに微笑んで、お仕えできるのが嬉しいですと発言していたしね。
別室に連れて行かれた後も、康治さんではなく和威さんの言葉にしか受け答えしてはなく、いちも和威さんには自分からすり寄っていったらしい。
これで、康治さんはいちが和威さんのお犬様だと認識して、司郎君に仕える気なら教育を受け入れるように指示した。
司郎君は康治さんの指示に従う素振りは見せなかったけども、和威さんから示唆されて康治さんが篠宮家の当主と漸く理解したそうである。
それからは、康治さんの指示にも従うようになり、和威さん付きの家人となる峰君の家に養子に入り、家人教育と常識を学ぶ事となった。
私は、双子ちゃんが産まれるから、子守り役として最年少の司郎君が選ばれたと単純に受け入れただけだったので、双方の常識不足によるコミュニケーションに床に手を突いた。
後日、和威さんと司郎君はあの日が初対面ではなく、無表情無感情無関心な司郎君を把握していたから、急に喋りだして意思を表に出した司郎君をやや警戒していた。
けれども、家人教育で忙しいはずの司郎君といちが、気付いたら私と和やかに会話して、見事な主従関係を築いているのを見て、峰君を交えてかなり突っ込んだ質問をした。
司郎君の返答は、ただ一つ。
産まれてくる双子様をお守りする事のみ。
その派生で、親の私達にも主人としてお仕えする。
司郎君の在り方に悩んだ和威さんは、康治さんに相談し、判断を仰いだ。
康治さんはこの時点で、司郎君が篠宮家にお犬様を迎えるきっかけとなった少年ではない、媛神様から何かしらの神託を授けられた神使に近い存在ではないかと疑った。
それで、身近な宮司さんと、神職の家系であり巫女である祖母を持つ私に、お犬様関連の話をそれとなく交えて探った訳である。
だから、私はお祖母様にも、話を付けた。
結果、司郎君の謎を教えて貰い、康治さんに和威さんには秘密にする様に頼まれたのだ。
まあ、今日打ち明けてしまったけどね。
「康兄貴が、黙っていろと?」
「そうです。あの時点で和威さんは、司郎君を受け入れていいか迷っていたし、司郎君は常識を学んでいる途中だったしで、お互いよそよそしい関係しか築けていなかったからね。康治お義兄さんは、和威さんが司郎君なりいちなりに見放されて、お犬様に捨てられただなんて吹聴されるのを危惧された訳です」
「初対面時点での自分の態度では、和威様に不信感を与えてしまったのは、大変申し訳ない限りでございます。言い訳させて頂きますと、この身が篠宮のお山にて朽ち果てたのが、篠宮家の当主が十代は遡る時代でございました。故に、現世の常識や情報を収集していた最中による弊害で、和威様を主人と認識できておりませんでした。そして、自我が確立したのも、琴子様のお腹におられた双子様に呼ばれた日でして、慌てて琴子様と双子様の眼前に侍りました」
司郎君曰く、適切な情報を所持した器がなかった為に、お山にて朽ち果てていた元家人の骸を再生するしか媛神様も手がなかった。
本来なら、和威さんが誕生した日にお犬様を篠宮家に与えたかったが、禁忌の双子が誕生する予感が芽生え、お犬様を通じての加護の権能を与えない対価に、双子を救おうと暗躍された。
しかし、媛神様も万能ではなく、まさか他の神様の加護厚き娘が嫁いでくるとは露にも思わず、禁忌の双子に他の神様の加護が媛神様の加護より重く与えられていた。
というより、篠宮家の双子ではない、水無瀬家の双子として誕生してもおかしくはない未来が生まれた。
媛神様は、ただ一度篠宮家を恨んだ念が絡み付いた禁忌の双子が救われる事を願い、排除しようとする篠宮の分家から守護する目的へ、権能を昇華させて司郎君といちを、我が家に遣わしたという。
そうして、誕生した我が家の双子ちゃんは、司郎君といちを通じて媛神様に守護されて、年を重ねていった。
けれども、懸念していた事件は起き、水無瀬家の祭神の協力を得て、なぎともえに絡んだ因縁を解きほぐし、始まりの双子であった【はるとねね】を新たな祭神と祀り輪廻から解放する代償に、媛神様は祭神を降りられる事を選ばれた。
ただし、最後の役目として、康治さんの代の篠宮家の兄弟には、お山を離れてもお犬様を神使として遣わすのは忘れはしないでいた。
きっと、隆臣お義兄さんの代以降も、新しい祭神様がお犬様を遣わすのは続いていくと約定は残されてだね。
本来なら、これまで幾度も救おうとされた媛神様へ安心して隠退される前に、なぎともえを連れてお社にお礼に伺わないとならないよね。
何とか、なぎともえが保育園に通う前に、都合を付けようと。
千尋お義姉さんのお見舞いもしないと、和威さんが気にしていたし。
「んーと。お犬様って、要するに、篠宮家を守ってくれる神様なのかな?」
「ちょっと違うかな。神様から自分の代わりに守護してくださるお仕事を与えられた神使なの。巧君は、神社とかで狛犬やお狐様の像を見たことないかな?」
「あっ、ある。そっか、狛犬みたいなのが、お父さんに付いてきた厳なのかぁ」
「じゃあ、ぼくやお兄ちゃんにもいるのかなぁ」
「どうだろうな。巧や司は篠宮家直系の男児だけど、篠宮家を継ぐ子供ではないからね。多分、厳も二人が大人になって、お父さん達から独立したら守護の範囲から離れてしまうだろうしね」
篠宮家のお犬様に憧れを見せる巧君と司君。
はっきりとは分からないけど、お山に入ればお犬様は現れてくれるだろう。
しかし、守護してくれるのもお山の範囲内だけとも思う。
悠斗さんが言う通り、成人後は厳の守護も外れる。
「巧様と司様が、お犬様を欲しいと思われるのでしたら、宮司家に伝わる試練を受けてみるとよいですよ。篠宮家の当主様の推薦があれば、直系男児なら授けていただける機会は与えられますから。ただ、なぎ様ともえ様はいち以外のお犬様は授けて貰えません。いちは神使でありますから、普通の犬よりかは長生きはしますが、寿命は定められております。それか、いちの子供達に役目が引き継がれるかは、媛神様も分からないそうです」
まあね。
お山でならお犬様が長生きできても、媛神様の御意志でまかり通るだろうが、都会では異質な出来事は悪意でもって簡単に拡散して、余計な騒動にしかならない。
何せ、今時のペット事情は、行政も飼育管理を把握している。
獣医師にかかれば、カルテも残されるしね。
まさか、神使故の不老不死とは声をあげれない。
だから、司郎君は自分が獣医師になり、いちが長生きできる環境を作るのも、役目の一つと捉えている。
いちにとっては、私達一家がお山に入れば済む問題なのだけれども。
この問題だけは、和威さんが社会人であり、会社に勤めている以上、会社の人事移動は避けては通れない訳である。
今退職しても、贅沢三昧してもなおなぎともえに多大なる財産を残してあげられる資産は有しているけど。
これからも、増えていく一方だし。
それでも、まあね。
なぎともえには、二人だけの世界ではない、広い世の中にいて貰いたいのが親の希望だ。
いち、私も裏技使うから長生きしてね。
切実に、願う。




