その5
水無瀬家の山屋敷に一泊して東京に戻ってきた。
行きは和威さんの車での道中だったけど、お祖父様に甘えて新幹線で帰る事にした。
というのも、お祖父様は行きも新幹線だったので、それを知ったなぎ君が羨ましい表情をしていたのを、お祖父様は見逃さなかったのだ。
「なぎは、ひぃじぃじと新幹線に乗るか?」
「! しんきゃんしぇん、にょりちゃい。けど、パパにょ、くぅま、もぅたんちょ、ママちょ、きゃえう」
乗りたいとは言うが、もえちゃんと離れて帰る選択肢を選ばない潔さを見せるなぎ君だった。
勿論、お祖父様はもえちゃんも一緒にと考えていただろうけどね。
そんな大人の事情を計れなかったなぎ君は、首を振った。
もえちゃんも、なぎ君に抱き付いていやいやと君を振る。
泣きそうな顔で、私達を窺う表情を視たら、此方が折れるしかなくなった。
和威さんは一人で運転して帰ると言いたそうだったのだけど、家族は一緒にが原則な篠宮家である。
説得して、和威さんも新幹線で帰宅する様にしました。
肝心の和威さんの車は、水無瀬家の専属運転手が東京まで運転して運んでくれる手筈になった。
お祖父様は、新幹線案を提言したから、自身の警護スタッフの一人に任せようとしていたけどね。
運転に慣れた人材の方が安全だろうと水無瀬のおじ様と兄に忠告されて、そうなった。
まあ、お祖父様は財力で車を運ぶトレーラーみたいなモノをレンタルして、運ばせる手配をしかけた。
いや、トレーラーより専門家の運転手に依頼した方が、安上がりだよ。
お祖母様というストッパーがいないお祖父様は、何でもお金に頼りがちになってしまうのを理解した。
お祖父様的には、経済を回すから良いみたいな感覚だとは思う。
が、何事にもやり過ぎは良くない。
帰りの新幹線の切符も、お祖父様の秘書さんに任せた結果、安全面から一車輌分の全席の半数の席を買ってしまったというね。
年末年始の帰省ラッシュが終わっていたから出来た暴挙だったのが、幸いだったりする。
しかし、帰省ラッシュの最中だったら、一車輌分某特別車輌として追加させたりしたのかなぁ。
我が祖父ながら、本気でやりそうで恐ろしいわ。
空席具合に、若干和威さんも引いていた。
て言うかね。
お祖父様は天下に名高い朝霧グループの会長である。
例え、私的な旅行にも秘書さんやら、警護スタッフが付いているのが常。
厳つい警護スタッフが、私達の周囲を囲み、警戒している素振りを見せれば、他人は避けるのは当然だ。
顔馴染みではない限り、危ない人と思われるのは仕方がない。
同車輌に席を買った他のお客さんが、わざわざ席替えして他車輌に移動したのも頷ける。
如何に、幼い子供がいようが、威圧感半端ない警護スタッフに近寄りたくはない。
期せず、一車輌独占してしまった。
となると、初めての新幹線乗車にはしゃぐなぎ君ともえちゃんの喜ぶ甲高い声音を、制止しなくても良くなったのは、あまり喜べない誤算だったなぁ。
走り回っても怒られはしないしで、無邪気にはしゃいでいたのをお祖父様はニコニコ笑顔で眺めていた。
「子供は、元気な方がいい」
「それは、今日だけです。普段は、走り回っては駄目だからね。騒ぐのも駄目だからね。今日は、同じ車輌に他のお客さんがいないから、はしゃいでも怒られないんだよ。静かにしていないと、ママはぷんぷんしちゃうからね」
「ママの言う通りだぞ。今日は、身内しかいないから騒いでも、うるさいと怒られないだけだからな。他のお客さんが一緒にいたら、パパも静かにしなさいと怒らないとならないからな」
和威さんと二人で、今日だけを何回繰り返して教えたか、数える気にもならなかった。
丁寧に教えれば、理解力のある双子ちゃんは神妙に頷いて約束してくれた。
乗車当初は随分と幼児特有のはしゃぎっぷりを見せていたなぎともえだったけど、静かな車内に響く自分達の声が騒がしいと分かったのか、自発的に離れて座る秘書さんと警護スタッフの皆さんにごめんなさい、と謝罪していた。
以降は、素直に静かな声音で会話していた。
二人仲良く窓の景色を眺め、トンネルに入る際の独特の音や、すれ違う新幹線が発する衝撃に目を輝かせては、初体験する興奮を全身で体験していた。
この際だから、東京駅に着いたら最寄りの駅まで在来線やバスを体験させようかと、和威さんは画策していたのだけど。
やはり、はしゃいで疲れたのと、興奮が振りきれてブレイカーが落ちてしまい、東京駅に着いた頃には、双子ちゃんはまたもや撃沈して爆睡してしまった。
東京駅からは、迎えに来てくれていた朝霧家の車で帰宅した。
長めの昼寝から覚めたなぎともえは、気付いたら家に帰っていたのを不思議がっていた。
「あれぇ? しんきゃんしぇんは?」
「もぅたん、いちゅ、おうちに、きゃえっちぇ、きちゃにょ?」
お留守番していて寂しがっていたワンコに、スリスリされながら起きたなぎともえは首を傾げていた。
自分達がいつ眠ってしまったのか、自覚してなかったようである。
何とも言えない、不完全燃焼気味で終わった新幹線体験だった。
「それは、残念だったね」
「でも、また新幹線には乗れるよ。そうだ、春休みになったら、僕達とお山に新幹線に乗って、遊びに行こうか?」
「はりゅ、やしゃみ?」
「はりゅ、いちゅ?」
年が明けて、小学校も始まった週末。
恵美お義姉さんが巧君と司君を連れて、弔問に朝霧邸に来てくださった。
佳子お義姉さんは、千尋お義姉さんがまだ入院中な為、篠宮本家をお義母さんと切り盛りしていて、代表して弔問に来てくださったのだ。
本来なら康治お義兄さんが代表してと話があがっていたのだけど。
篠宮本家の当主がこなさないとならない神事が媛神様のお社であるから、次男の雅博お義兄さんがとなる筈だったのも、お仕事関連でどうしても海外に出張しなくてはならなくなり。
三男の悠斗お義兄さんも年明け早々受注した仕事で手が離せなくなり。
四男の隆臣お義兄さんは、次代の当主となるからには神事に参加しなくてはならなくなり。
長男の嫁千尋お義姉さんは入院中。
次男の嫁佳子お義姉さんは、お義母さんと篠宮本家を切り盛りしなくてはならない為、帰京してなくて不在。
梨香ちゃんと静馬君では力不足と判断されて、三男の嫁恵美お義姉さんが代表となるしかなかったそうだ。
当初は弔問のおとないだから、巧君と司君は置いていくつもりであったのを、事前に連絡頂いて私から誘った。
クリスマスに玩具を持って遊びに来ると約束していたのもあって、双子ちゃんもにぃにを楽しみに待っているのを伝えたら、巧君達も行きたいと言ってくれて、約束を叶えてくれた。
恵美お義姉さんが母屋で、真奈美伯母さんに弔意を述べてお焼香されている間、離れで珠洲ちゃんと司郎君に付き添って貰い、念願の玩具で子供達は遊びに興じていた。
私も母屋に足を運んで接待していたが、にぃに達がいてくれたからか、私が不在でもなぎともえはおとなしく遊んでくれていた。
まあ、お焼香が終わり、真奈美伯母さんとの話しも済んで離れに戻ったら、ガン見されたけどね。
ワンコも、何処に行っていたのと服の袖を噛んで、私を室内に早く入らせようとしていたから、少しは不安感があったのだろう。
私と恵美お義姉さんがソファに座るまで、視線は外さなかったしね。
彩月さんに出されたお茶で一服したら、安心してまた遊びに夢中になったけど。
そうして、新幹線に乗ったよ的な話が弾み、途中で寝ちゃったのと沈む双子ちゃんに、巧君と司君は元気付けようと提案していた。
「うんとね。今は1月だから、三月になったらだね」
「しゃんぎゃちゅ、なぁくんちょ、もぅたんにょ、たんじょーび」
「もぅたんちょ、なぁくん、しゃんしゃいに、にゃうにょ」
「あっ、そうだね。なぎともえは三月に産まれたんだったね」
「じゃぁ、お山でお祖父ちゃんやお祖母ちゃんや、康治伯父さん達にもお祝いして貰わないとね」
「おいわい、ちりゃし、じゅし」
「じぃじにょ、ちりゃし、じゅし。もぅたん、しゅき」
「うん、ぼくも大好きだよ。同じだね」
「「あい、おんにゃじね」」
篠宮家と言うか、お義父さんの実家の緒方家由来により、お祝い事には、お義父さんがちらし寿司を作ってくれる。
何故か、そのちらし寿司のレシピは篠宮兄弟に受け継がれ、お祝い事には欠かせない料理となっている。
和威さんも例に漏れず、私と双子ちゃんの誕生日や記念日には腕を披露してくれている。
うん、和威さんは、その気になればホールケーキすら手作りしてくれる。
多分、料理の腕前は私より上だろう。
悔しい事にね。
私が剥れるから、その腕前は発揮しないようにしてくれてもいる。
朝霧邸では母屋に専属料理人がいるし、万能家人の彩月さんもいるから、私がなぎ君の入院に付き添っていた時も、滅多に料理はしなくて良くなったので、助かるとか言っていたが。
腕は錆び付いてはいないだろう。
お義姉さん達にもそれとなく聞いてみたら、兄弟揃って料理の腕前は確かな様だった。
どうも、皆さん学生時代に一人暮らししていた時期は、自炊生活をしていたようである。
上京する際に、お義母さんから仕込まれていたそうな。
学生時代にはお付きの家人は、いなかったとか。
月に一度は緒方家から、家政婦さんが派遣されて様子は把握されていたみたいだった。
仕送りも過度には渡されず、欲しい物があればバイトしなさいとか言われていたらしい。
しかし、隆臣さんが学生時代には緒方家の祖父が健在で、孫には甘かった様で度々お小遣いが渡されていたりして、和威さんの学生時代には亡くなられていたからか、その分お義兄さん達が渡していたんだって。
まあ、既に株式を譲渡されていた和威さんが、お金に困る事はなく、渡されていたお小遣いは姪っ子や甥っ子に還元されていたりする。
お小遣いに関しては、私も孫に甘いお祖父様がいたので、不自由しないでいたから分かる。
貯金していたら、高校生で7桁は優に越していた。
自慢でしかないので、親しい幼馴染みにしか打ち明けれない。
そして、現在進行形で増え続けていたりもする。
和威さんと結婚して通帳とカードを渡された時点で、和威さんも似たり寄ったりだったのが判明した。
また、篠宮の義両親からも和威さん名義の通帳を渡されて、投げ出したくなったのは言えない。
これは、篠宮兄弟の嫁に共通する事態だった。
まさか、お義父さんが張り切って資産運用して、兄弟全員に嫁と子供を一生養える財産を貯蓄していたとは、お義母さんも知らされてなかったようである。
そう、篠宮の義祖父さんが孫に残した婚約指輪に触発され、対抗して隠し財産を貯蓄していたのには驚かされたものだ。
離婚したら、それを慰謝料代わりにしなさいとのお義父さんの含みに、和威さんも静かにキレていた。
その通帳の財産は、和威さんが縁起が悪いと言って、友人のトレーダーに託して落ち目の株式に投下したのだけど。
流石、株式の流れを読む緒方の麒麟児の息子だけあり、その潰れそうだった会社がある新技術を産み出して莫大な特許権を有して、数倍の値に跳ねあがり、資産も莫大に膨れ上がりました。
結果、桁が増えた通帳は、貸金庫に眠る羽目に。
なぎ君かもえちゃんが成人したら、分けて譲渡する事になりました。
ただし、朝霧家からも、双子ちゃん名義の資産がありそうな気配がしてならないのは、多分ではない。
うん。
ごめんね、なぎ君、もえちゃん。
問題を先送りしたパパとママを許してね。
この時の私は、まさか財産分与で、恵美お義姉さんも悩んでいたとは、知らなかった。




