その4
お祖母様を竜宮へとお見送り、私達はまた朱塗りの渡り廊下を歩き、神域から水無瀬家の山屋敷に戻ってきた。
帰還の禊を本来ならしないとならないのだけど、幼い身で祝詞を唱えた反動で双子ちゃんの体力が尽き、撃沈した。
扉を潜るなり座り込んだので、お出迎えしてくれた女性神職の方と慌てて、なぎともえを抱き寄せた。
「「ねんね、しゅう」」
一言呟くやいなや、あっという間に熟睡に至った。
それはもう、本当に此方の心配をよそに、すうすう寝息をたてて、爆睡している。
「暫し、お待ちくださいませ」
女性神職の方が手に余ると思ったのか、廊下に座る私の膝になぎともえの頭を乗せて、一礼して優雅に立ち上がり踵を返して去っていく。
うん、まあね。
齢い二歳児が本葬の儀に立ち会ったのは、今回が初めてのことだから、勝手が分からないのは理解できた。
おまけに、巫女ではないなぎ君も神域に入ってしまったから、当主のおじ様か生き字引の方々の教えを乞いにいかれたかな。
慣例を次々に破ってしまったのだから、始末に負えないしね。
窮屈なお稚児衣装を着たままだけど、なぎともえは規則正しい寝息をたてている。
神域を出て以降、龍神様のお声は大事ないとだけ返してくれている。
どうやら、水無瀬の屋敷内ではむやみやたらとお姿を顕現したり、お声を出したりはしてはならないみたいである。
その変わり、朝霧邸では頻繁にお声を聞かせてくださるけども。
専ら、鳳凰様と嫌味の応酬にしか聞こえない内容で、世間話されていたりする。
殊に、もえちゃんからけんかはめめよ、と突っ込みが入るので、私は笑うしかない。
なぎ君も混ざって、みんな、なかよくよとも言われて、龍神様も鳳凰様もしゅんとされているから、尚更子供は強しと思わされる。
そんな私の百面相を見て、和威さんは仲間外れみたいな様子で苦笑している。
でも、龍神様曰く、篠宮家は天孫の家系をしっかりと受け継いでいるから、見たり聞いたりする才を磨けば、感知出来るとお墨付きをいただいてはいる。
和威さんに教えたら、何処で修行すれはいいんだ的な、真面目な相談された。
私は血筋によって巫女を引き継いだから、篠宮家の産土神社である、媛神様のお社で宮司さんの手解きを受けたらいいのでは、と返してみた。
本人は、かなり本気で修行する気でいるようだ。
しかし、肝心の修行に専念できる時間が捻出できない事態になっていて、このお話は延期となっている。
今年度は、朝霧家の喪中に巻き込まれたり、仕事がデスマーチにはまだ陥っていないけど、進行表が遅れているそうで、納期に間に合わない恐れがあるらしい。
本葬の儀も終わり、東京に戻れば、仕事に専念しないとならないよね。
多分、定時あがりは無理そうな気配が。
となると、なぎともえとの一緒の食事やお風呂は頻度が下がりそうだね。
休日出勤もありそうだから、双子ちゃんとの触れあいが減るのは、和威さん側のモチベーションもだださがりになりそうだけど。
休憩時間の電話が、唯一の癒しになりそうである。
まあ、我が家には万能家人の彩月さんもいるし、珠洲ちゃんなり司郎君なりワンコなり、双子ちゃんの相手には事欠かないのは助かる。
落ち着いたら、保育園の体験入園に行こうとは話している。
果たして、和威さんが付き合えるのかが、気掛かりといえば気掛かりだなぁ。
だなんと、脈絡のない思考に耽っていたら、水無瀬のおじ様と兄が連れ立ってやって来た。
「おや、なぎともえはお疲れみたいだね。もしかして、神域では何か神事に参加してしまったかな」
「はい、私と共に拙いながらも、祝詞を唱えてくれました。それで、体力を使い果たしたと思うのですが」
「うん。では、簡易の禊をしよう」
おじ様は禊の場の清水を私達に振り掛け、祝詞を口にされた。
兄と違い、おじ様は神職の地位をいただいている。
お祖母様の葬儀にて、僧侶の代理で読経をあげてくださったのは、水無瀬のおじ様である。
当主を継ぐなら、神職の冠位もいただかないとならない決まりはないので、兄は神事には携わらない当主になる予定でいる。
只し、当主ではなくてはならない神事では、兄がこなさないとならない決まりはある。
ただいまの様に、神域から戻る巫女を人の世に戻す役目は、当主にしかできない。
兄は、おじ様の一挙手一投足を間近にして、お手本を学んでいた。
「……。よし、これでお戻りいただいた。奏太はもえを頼むよ。私はなぎを運ぶからね。琴子は禊の場に行き、禊を終えてから客間に戻りなさい。なぎともえは、重蔵さんと和威君の側で寝かせるから、安心しなさい」
「宜しくお願い致します」
「篠宮が双子を見たら、写メらない確率は低いな」
「写真に残すのは、禁止なんだけどね。写メに残したい気持ちは理解できるよ」
お稚児衣装だなんて、滅多に着せたりしないから、和威さんの記録に残したい気持ちは大いに理解されているよ。
微笑み、なぎ君を抱き上げるおじ様と、もえちゃんを抱き上げる兄。
本葬の儀で私が着ている巫女衣装は神域に入る時にしか着用しない特別な衣装。
なぎともえのお稚児衣装も、神域に入る為だけの衣装。
そうした、特殊な衣装は絵画でも記録に残してはいけない仕来りだそう。
衣装を管理する役職の方に代々口伝で伝承していくだけで、管理は徹底されているのだとか。
お稚児衣装があるのは、稀に幼い身で巫女を継承した歴史もあり、重たい巫女衣装ではなくお稚児衣装で対応せざるをえない事態が起きたからだそう。
只し、二歳児用にお稚児衣装は、お祖母様の先見による進言があったから。
お祖母様の先見に外れはない。
おじ様は、直ちに衣装の作製を依頼した。
お祖母様。
自身の死後の先見をされただなんて、どれだけお祖母様を酷使しないとならなかったのか。
少しだけ、龍神様に怨み節を言いたい。
なぎともえが運ばれていき、私は女性神職の方に付き添われて禊の場に移動する。
再び、冷たい清水に浸かり、穢れを祓う祝詞を声に出さない作法で行い、禊を終える。
軽く冷めた身体をお風呂で温め、私服に着替えてお祖父様と和威さんが待つ客間に向かった。
時間的に、一時間も掛かってはいないかな。
水無瀬家には、目に着く場所に時計がないので、不便といえば不便である。
やや早足で客間に着いた。
「琴子です。ただいま、戻りました」
「おう。お役目、ご苦労様であった」
廊下側から閉ざされた襖越しに声をかけて、開ける。
座卓を挟んでお祖父様と水無瀬のおじ様は談笑されていた。
和威さんは?
姿が見えないのですけど。
「あれ? 和威さんと兄は?」
「ああ、奏太と和威君なら隣の部屋だ。なぎともえを見ておるよ」
反対側の襖の向こう側を示された。
山屋敷は古式ゆかしい武家屋敷だから、部屋と部屋を分かたれるのは襖か障子である。
お祖父様とおじ様に断りを入れて、隣の部屋に繋がる襖を開けた。
「失礼します」
「おお、妹。なぎともえなら、爆睡してるぞ」
「お疲れ様。琴子は、休まなくて大丈夫か?」
和室の中央に敷かれた布団の中で、二人仲良く熟睡しているなぎともえに安堵した。
夜の睡眠時と違って昼寝の時間は、他人の気配に敏感でよく起きてはぐずついたりするからね。
良かった。
パパが側にいてくれるのもあって、兄の気配があっても熟睡していられるのかな。
枕元には、お稚児衣装が畳まれていた。
寝苦しいのを見かねて、脱がせてくれたみたいである。
顔に施されていた化粧も落とされていた。
「神楽を舞い終わった時点では疲れていたけど。神域から戻る際に、龍神様の恩恵で疲労感が軽減されたみたい。今は、軽い脱力感があるだけよ」
「それは、休んだ方がいいだろう。龍神様の恩恵を疑うつもりはないが、休め」
「妹。篠宮の言う通りにしろ。兄が布団を敷いてやろうではないか」
私も休むのは想定していたのだろう。
兄が手際よく隅に置いてあった布団を敷いて、和威さんに促されて横にいつの間にかなっていた。
あれ?
「奏太さんと朝霧のお祖父さんとも相談して、今日は此方に宿泊させて貰う事にしたからな。事後承諾で悪いが、決めた」
「和威さんのお仕事に、負担が掛からない? ただでさえ、仕事始めから有給使わせているのに」
「俺の仕事なら、パソコンがあれば事足りる。それに、頼もしい助っ人が派遣されたからな。少しは楽が出来るようになった。心配するな」
山屋敷にWi-Fiが設置されてはなさそうだけど。
プログラムを組むだけなら、パソコンがあればいいのか。
って言いますか、パソコン持ってきていたの?
やっぱり、仕事に専念しないとならないのじゃないですか。
ああ、和威さんにも、お仕事仲間の方にも邪魔してしまっていたよ。
後日にでも、謝罪に行った方が良さげだろうか。
「妹、口にだしてるぞ」
「琴子。謝罪はいらないからな。既に、朝霧のお祖父さんと楓さんからお詫びがいっているし、代わりの人材も派遣して貰っている。他の部署のチームにもだから、納期に充分間に合う期間になったからな。それに、完成したチームには、朝霧グループ関連の仕事も依頼されるといったおまけ付きだ。うちの会社の昨年度の収益を、既に超える破格の金額が動いている。しかも、他のチームの依頼主にも根回しされていて、無茶ぶりされた納期が緩和されて、皆余裕が出来たと喜んでいると報告が来た」
「仕様変更を幾度と繰り返して、納期に間に合わない様に仕向けていた企業があったようだぞ。楓伯父さんが、新手の企業苛めだと名指して批難したからな。朝霧グループ関連の企業や緒方家関連の企業や、楓伯父さんの友人知人類による取り引き白紙が響いたんだろう。無茶振りしていた数社が潰れ掛かったそうだ。んで、開発していたヤツが無駄にならないように、新しい企業に持ちかけて継続出来るように手配はしているんだと」
お祖父様ではなく、楓伯父さん主体の謎な人脈さん方が動いているんだ。
きっと、睨まれたら萎縮するしかないお偉い方々なんだろうな。
そして、開発途中の仕事が無駄にならないフォローも手配済みである。
もういっそのこと、朝霧グループが親会社になってしまえ。
そうしたら、和威さんも仕事がやり易くなるかな。
いや、逆に難物件扱いになるとかかな。
下手したら、創業者ではないのに、だいそれた役職付きになってしまったりしたら、どうしようか。
ああ、何だろう。
寒気がしてきた。
うん。
やっぱり、休んでみよう。
寝てしまおう。
暫し、現実逃避させてくださいな。




