その60
店内に喚いて入店したであろうのは、母の自称友人であろう。
半個室になっている私達の席からは、どの様な外見をされているのかは見えてこないけど。
母が不敵に嗤っているであろうのは、分かった。
「あら、渡貫さん。いいえ、バレンダ夫人でしたっけ。お招きしていないお客様には、退場していただきたいのだけど?」
「はあ? あんた、誰よ。高橋を出しなさい。あの女は何処よ。なんで、しれっと営業しているのよ」
「あらあら。海外に留学して記憶が退化でもしたのかしら。それとも、都合よく名を騙った相手が多すぎて、誰だか分からないのかしら?」
「だから、あんた誰よ。私は、ある大使館の要人が重用する職員なんだからね。あんたなんか、彼を通じて苦情を政府に訴えたら、身の破滅よ。私には、逆らわないことを勧めるわ」
ぺらぺらと自身の都合よく喋る。外交官特権を振りかざす自称友人さんに、母が盛大に嗤い出した。
極妻姿の母が本気で嗤うので、少しだけ寒気がしてきた。
「うにゅ。ばぁば、きょわいね」
「きっちょ、にきょにきょ、ちあうね」
我が家の双子ちゃんも、恐れをなしていますがな。
美味しい料理を待ち望んでいた笑顔が固まっている。
速いところ、ざまぁして終わらせてくれないだろうか。
きっと、冷気が漂う雰囲気のなかで食べる料理は、消化に悪い。
「貴女がそう出るなら、此方もそれなりに対応させて貰うわ。ねぇ、大使夫人が病の為に不在の大使館で不倫相手がホスト役を担っている、と専ら日本政府も大使の本国に陳情しているのはご存知? そして、一昨日から大使と二人して業務をサボり雲隠れ。貴女の側にその大使がいない理由もご存知? きっと、情熱に夢中で情報番組も見てないのでしょうけど。貴女も大使も、外交官特権を有する権利が喪失したのを教えてあげるわ」
「なっ、何ですって。どういう意味よ」
「あら、私も意地が悪い性格なの。ご自分で調べたらいかが? まずは、電源オフにしているスマホをチェックしたらいいわ」
こそっと行儀が悪いけれども、衝立てから覗いて見た。
うわぁ。
派手な原色カラーのワンピースを着た、お化粧も派手な茶髪の女性がいる。
彼女と大使の動向は、既に把握されているんだろう。
あー。
そういえば、ある海外の大統領補佐官が緊急来日したとか報道されていたなぁ。
もしや、連絡取れずにいて大使不在の大使館に、滞在されているんだろうか。
不在の理由が、ある女性職員との不倫。
立派な更迭理由になる。
母に指摘された自称友人さんがスマホを起動する。
メールチェックなりしていると、みる間に顔色が蒼白になっていった。
と、手にしたスマホが鳴り響く。
着信相手を確認した自称友人さんが、大きく肩を跳ねさせた。
「どうぞ、出た方が身の為よ」
「なんで、どうして? あんた、何をしたのよ。なんで、私が、これじゃあ、復讐にならないじゃない。彼と私が、高橋と楢橋を惨めに追い落とす事が、出来なくなったじゃないのよ!」
「お生憎様。日本の諺にもあるわよね。人を呪えば穴2つ。身から出た錆び。一つ賢くなったのではない?」
「あんた、本当に誰よ。なんで、高橋を庇う訳?」
「あらやだ。学生時代に、散々名前を騙った相手じゃないの」
「高橋! あんた、卑怯よ。なんで、他人の手を借りて私に恥をかかすのよ」
「その言葉、そっくり返すわ。貴女も他人の権力を使って、やりたい放題しているのに、貴女が思い付く策を他人が講じないと思いつかないのはどうしてかしらね」
オーナー夫人の参戦。
劣勢に追い込まれた自称友人さんが、地団駄を踏む。
まるで、幼子が充分な常識を身につけずに、大人になった典型的な見本だ。
随分と甘やかされて育ち、更正の機会も碌に機能しなかったと見える。
でないと、海外にて面倒を見てくれた親戚の財産を盗んで、その厚意を無碍にしたりしないか。
「ねぇ、学生時代に私が貴女に対して、何をしたというの? 貴女の一方的な口約束で父による食事会を台無しにされて、貴女の面目を潰したから? でも、それは対価もなしに料理人に材料費から準備させて、働かせようとしたからよね。貴女を擁護するお祖父さんは、貴女が正しいと一切の謝罪をしなかったから、父の料理のファンであった著名人を敵に回して孤立したそうだし? それも含めて、高橋家を目の敵にするのはお門違いよ」
「煩いわね。私は歴史と伝統ある名家の娘よ。あんたみたいな一般人は、頭を下げて利用されるのが正しいのよ」
「その理屈に充て嵌めるなら、貴女が散々あんた呼ばわりする朝霧さんの家柄の方が上よね。なら、頭を下げたら?」
「朝霧? あんた、朝霧奏子?」
「旧姓で言うなら、そうよ。そして、貴女が乗り込んで騒いでいる今日の食事会は、その朝霧家が主催だわ。とんだ恥をかかせられて、迷惑極まりないわ。どう謝罪してくださるのかしらねぇ」
やっと母の名前に行きついた自称友人さんが、蒼白から真っ赤へと顔色を変えていく。
憤怒の余りに、血が昇ったのだろう。
格下と思いきや、格上の朝霧家が迎え撃った。
嵌められたのは、自分であると理解したようである。
「ひ、卑怯者。あんた達、私を……」
「歓談中に失礼します。旧姓渡貫蝶子さん。オルグレイ=バレンダ氏の夫人、蝶子=バレンダさんですね?」
「何? 今は、あんた達の相手をする暇はないんだけど」
母とオーナー夫人を糾弾しようとした自称友人さんを、数名の男性が囲った。
まるで、逃げ出さないようにしているみたいに。
自称友人さんも、初対面の相手をらしくぞんざいに返答している。
「失礼。我々はこういう者です」
差し出されたのは警察官の証しの警察手帳だった。
私服警官という事は、朝霧家が関与する際に対処してくれる管理官クラスの人材かな。
「警察が何の用事よ。それに、私は大使館職員ですからね。日本の法律で裁かれる権利はないわよ」
いやいや。
それは、おかしいですからね。
外交特権とはいえ、大使館職員が罪を犯して無罪放免とはいかないから。
そして、貴女は単なる通訳者だから。
海外政府の要人ではないからね。
「まあ、それは追々説明致しますが。貴女、自分が渡貫蝶子さんと認められましたね。でしたら、先月末から大和田翔子名義のクレジットカードを不正に使用したと判断させていただきますが、宜しいですね」
「そ、それは彼女から借りたカードよ」
「そうですか? なら、貴女は他人が自分名義のクレジットカードを使用して、多額の金銭を簡単にお支払いになられますか? まあ、単刀直入に言わせていただくと、貴女には盗難したクレジットカード使用の件と、勤務されていた大使館の公金を横領した疑いで被害届が出されています。これは、裁判所からの通知書で貴女の逮捕状です。此方は、貴女が勤務する大使館からの通知書です。貴女に拒否権はありません。まあ、黙秘権と弁護士を呼ばれる権利はありますから、どうぞ行使なさってください」
「ま、待って。どういう事?」
「貴女を重用していた大使殿もまた、本国から逮捕状が出されていましてね。既に、大使を解任されている頃でしょう。それから、貴女も解雇された訳です。貴女、海外でも同様な手口で、罪を犯していますね。インターポールからも指名手配されています。貴女は日本国籍から、ご主人の本国へと帰化されましたから、国外退去後に本国で裁かれるでしょう。それまでは、日本の法律に従っていただきます」
男性警官の中に、女性警官が交じっていた。
自称友人さんは、女性警官に腕を取られて手錠をかせられた。
いきなりな展開についていけていない自称友人さんが、足元から崩れ落ちる。
母かお祖父様か、楓伯父さんが描いたざまぁ劇場は、公衆の面前での逮捕と相成った。
しかも、見下して貶めようとしたオーナー夫人の眼前で。
多分、大使館側でも青天の霹靂な騒ぎになっているであろう。
母と朝霧家を甘く見た証拠による結末に、御愁傷様です。
「お待たせ致しました。お料理お持ちしました」
オーナー夫人に似通った容姿のコック服を着られた男性が、ワゴンを押して現れた。
お兄さんであろう方は、玄関口の騒ぎに頓着せずにこやかに配膳してくれる。
「いやぁ、朝霧家の方々は怖いね。短期間で調べあげるわ、警察を動かすわ、慰謝料名義で多額の報酬渡されるわで、おじさん脱帽だ」
「祖父並びに伯父が無理を言ったみたいで、すみません」
「まぁね。明日香の通う公立高校に恩ある朝霧家のお嬢さんが通われている、と知った父の明日香を通じての恩返し企画が、更に更新されて倍になって返ってきてると父が存命して知ったら、どうなっていることやら。少しだけ不安材料が減っているのは嬉しいけどね。本当に、楢橋家の方々にも恩返しするどころではなくなって、せめてもの恩返しが料理だなんて、此方も申し訳ないよ」
「ですが、その料理に救われる方々もおられるでしょう? 楢橋の大叔父様も、料理に携わる皆様が息災であられる事が何よりの慶びだと思います」
「尊君も、気丈にそういってくれたけど。本当なら、尊君が料理の道に進むなら、手助けしてあげる事が恩返しだろうかな」
「そうですね。御父様も、料理人として復帰をされるのを希望されています。楢橋家の味をレシピ集で纏められているとか。恩返しをではなく、一人前の料理人に導いてあげられる事が楢橋家への幸いになるかと思います」
「そうだね。済みません。愚痴にお付き合いいただいてありがとうございます。どうか、お食事になさってください」
オーナー夫人のお兄さんと会話していたら、料理を前に行儀よく待っていてくれたなぎともえのお腹が鳴ってしまった。
もえちゃんは、ちょっぴり涎が出てしまっていた。
ごめんね。
我慢させちゃった。
汚れ防止に前掛けしてあげて、ミニカニクリームコロッケをあーんしてあげる。
頬張るもえちゃんは、満面の笑み。
なぎ君も和威さんに、あーんされてご満悦な表情だ。
私達も料理に舌鼓打っていたら、いつの間にか自称友人さんと確保しに来た警官さん達は姿を消していた。
これで、自称友人が画策したお粗末な騒動は終止符と相成った。
問題が片付いた母が、私達のテーブルにやって来るまで後少し。
母を労いましょう。
何よりもご褒美は、なぎともえとのおしゃべりだろう。
空気を読める賢い双子ちゃんは、しっかりと味わいながら、母を労ってくれた。
ありがとうね。
なぎ君、もえちゃん。




