その58
小幡さんは見知った先輩にあえた安堵からと、暴行を受けた精神的や肉体的疲労から意識を失いかけた。
そりぁ、そうだよ。
小幡さんに必要なのは、お医者さんと安静できる安全な場所だ。
慌てて母が手配して、小幡さんを病院に連れて行くように指示を出す。
そして、そんな小幡さんを見捨てることをよしとしない篠宮のお義父さんが付き添うことになった。
母の自称友人を断罪する罪状が増えた。
母的には、小幡さんと篠宮のお義父さんにも加わって欲しかった様子であったが、小幡さんの体調を優先するのは人として当たり前なこと。
「小幡さんの分も、容赦なく断罪致しますね」
朝霧家の警護スタッフに守られて病院に向かうお二人に、母はにこやかに笑って見送った。
「娘を真っ当に養育できなかった私には、娘を擁護する権利はありません。ただ、娘に常識を認識するように厳しい沙汰を与えてください」
「誠四郎には酷だから、言わなかったけど。その娘が本当に、誠四郎の血の繋がった娘であるのか調べて貰うようにはしてある。かなり無理を言って、本日中には判明する手筈になっている。連絡がきたら和威に報せますので」
去り際に、お義父さんが爆弾発言を残して行かれた。
お義父さん。
個人情報保護は、いったいどこにやってしまいましたか。
恐るべし、お義父さんの母を上回る采配。
母よ。
あら、ではない。
断罪のいい話題が手に入ったでは、ありません。
だから、極妻姿で艶然と笑うなです。
「奏子さん。娘さん一家が引いてるから。そろそろ、現実に帰ってきて」
「あら、あら。そうね。なぎ君ともえちゃんに泣かれるのは嫌ね」
母。
娘と婿はいいんかい。
ちょっとばぁばのテンションに付き合いきれなかった双子ちゃんは、パパの足にくっついている。
うん。
怖かったんだね。
眉がハの字になっているから。
「「ばぁば、おやまにょ、ばぁばみちゃいに、ぶりゅっちぇ、にゃっちゃ」」
ああ、篠宮のお義母さんが、なぎともえを不吉だと声高に吹聴して怒鳴りこんだ篠宮の遠い親戚を、義祖母さんと二人して薙刀やらを持ち出して叩きのめした事件を思いだしたね。
篠宮のお義母さん達も、我が母も怒ると笑う派であったか。
いわゆる、目が笑っていない笑顔というやつである。
母、今すぐに止めてください。
なぎともえが怖がっているからね。
「お母さん。何があったかは、薄々分かるけど、招待客が来はじめているので、自覚ない威嚇は止めた方がいいよ」
「あら、奏太。あら、尊君。ごめんなさいね。見苦しかったわね」
ナイスなタイミングで、兄が尊君を連れて入店していた。
どうやら、本日の尊君の保護者役は兄であるようだ。
楢橋家を襲った事件以降、尊君の側には出来るだけ朝霧のお祖父様がついていた。
まあ、尊君にとっては身近な親戚がお祖父様ぐらいしか交流していなかったので、いきなり他人の中へ放り込まれても安心できない。
朝霧邸では、富久さんと喜代さんが交互にお世話を焼いていたそうだけど。
資産家で大富豪の朝霧邸での生活は、尊君に多少の負担がかかっていた。
ので、最近は水無瀬家当主に就任する為に、仕事を辞めた兄が付き添うことが多い。
兄の性格を把握していた私は、ますます尊君が萎縮するのではと内心気が休まらなかった。
しかし、兄の他人を振り回す唯我独尊の性格は鳴りを潜め、甲斐甲斐しく新たな弟分の世話をしているのだとか。
学区が違うせいで、お友達と気軽に会えなくなった尊君をお父さんのお見舞い以外の時間を配慮して、あわせてあげたりとかしているそうだ。
本日の食事会に尊君とお友達を招待させたのも、兄の助言もあったからである。
招いていない客が正式な招待客に粗相しないとも限らないのだけど、その辺りは朝霧家の財力と権力を使って押さえ込む作戦らしい。
まあね。
伊達に朝霧グループのネームバリューは、世界的規模に広まっていない。
楓伯父さんの謎な人脈もフルに使用して、他国の大使を更迭で済ませるぐらいは楽々な案件だとか。
既に、他国の根回しは終わっていて、憐れな羊さんが罠にかかるのを待ちな状態が今である。
「ばぁば、もぅたん、おにゃきゅぎゃ、ぐぅよ」
「あい、なぁくんも」
「あらあら、それは大変。明日香さん。可愛い孫達のお腹の為にも、美味しい食事をお願いするわね」
「ええ、任せて頂戴。今日は、私の兄も腕を奮って披露するから、期待していてね」
おや、オーナー夫人のお兄さんも参加しているのか。
それは、大いに期待していよう。
夫人のお兄さんも、故人となられた高橋氏のお店を継ぐだけあり、かなりの腕前である。
お父さんのように、一度味わった料理を寸分違わずに再現できる才能は受け継がれてはいないものの、料理界の神様と呼ばれた父親に弟子入り志願して、実子だからと甘えることなく研鑽して修行された強者だった。
そして、遺憾なく実力を磨いて、美食家達にもお墨付きをいただいて、亡き父親のお店を託された。
此方のお店も、コアなファンに支えられている有名店だ。
「ぷりんわ、ありゅましゅきゃ?」
「あるわよ。楽しみにしていてね」
「あい、もぅたん、よきゃっちゃね」
「あい」
なぎ君がもえちゃんの為にプリンを尋ねると、オーナー夫人は目線をあわせるようにしゃがんで答えてくれた。
もえちゃん想いの良いお兄ちゃんぷりに、和むわぁ。
笑顔全開のもえちゃんも可愛い。
「さあ、席に案内するわね。尊君は、少しだけ待っていてくれるかしら。私の兄がお話したいことがあるの」
「はい。僕のお祖父ちゃんが、高橋さんのお父さんを助けた話は、重蔵お爺ちゃんから聞きました。入院しているお父さんにも聞いたら、お祖父ちゃんのお父さんが支援してくれたから、助けてあげられたんだって言ってました」
「そうなのよね。当時は、祖父である宗助が現役でいて、普段頼ってくれない健蔵さんが相談してくれたものだから、張りきって国内外のお偉い方々に圧力かけまくったそうよ。まあ、やり過ぎて遺恨の種を生んでしまったのが、痛み分けよね」
そうか。
私にとっての朝霧の曾祖父は子煩悩な方で、朝霧家直系男児として分家を盛り立てる次男が、経営者への道を歩まずに料理人になる夢を大層支持したそうだ。
朝霧家には経営者として名を馳せる人材が現れる一方、一角の職人気質を発揮して違った道を歩み名を残す方もいる。
健蔵さんは料理の道に進み、下町気質の気取らない庶民に人気の食堂を営む楢橋家に婿入りした。
先代の味を受け継いで、息子の剛さん夫妻と食堂の暖簾を堅実に守っていた。
お祖父様や、朝霧家の面々もお忍びでよく利用していたそうで、私が知らなかったのは、単に水無瀬家側への配慮らしかった。
お祖母様の水無瀬家巫女の血を継承している母と私は、次代の巫女になりうる可能性が最も高い。
神秘性を尊ぶ水無瀬家分家が、庶民を見下してはいないが良く思わないのは確かで、下手に付け入る隙を与えないようにお祖母様は苦心していた。
まあ、母が巫女ではなく当主の才を受け継いでいるのを隠していた手前もあり、目立つ対立を避けていたのだろう。
母も敏感に察して、叔父である健蔵さん一家に邪推して悪評を広がらせないように、関わるのを自粛していた。
なにせ、私や兄に硫酸ぶっかける過激な思想の持ち主がいたのだ。
母の慎重さも頷ける。
そういえば、硫酸ぶっかけた彼女のその後はどうしたのだろう。
お祖父様を怒らせて、初犯ながら実刑判決くらって少年院入りしたとかの噂を聞いたけど?
水無瀬のおじ様も怒り心頭で擁護せずに、彼女の実家は落ちぶれたそうなのは知っている。
兄辺りなら詳しそうだから、後で聞いてみよう。
今は、楽しい食事会に専念しようかな。
夫人に案内されたのは、半個室の武藤家お馴染みの予約席。
今回も、双子ちゃん用にお子様椅子が準備されていた。
もえちゃんが両手をあげたので、抱っこして座らせる。
なぎ君は和威さんが抱き上げて座らせる。
「琴子ちゃんは、いつものかしら?」
「はい、お願いします」
私がこのレストランで決まって注文するのは絶品なカニクリームコロッケである。
夫人はそれが分かっているので、いつもので通じる。
「御主人は、がっつり系のサーロインステーキでいいかしら。良いお肉が余っているのよ。是非とも、賞味してくれると助かるわ」
「では、それで。以前のタンシチューも捨てがたいですが、お薦めの肉に心引かれました」
「ありがとう。本当に助かるわぁ。何せ、あの彼女の際限ない素材指定の注文にあらゆるつてを使って手配したのに、キャンセルだなんて始末でしょ。取り消しができなくて、困っていたのよ。だから、奏子さんの予約は大助かり。良かったら、タンシチューは持ち帰る?」
「えっ、でも、持ち帰りの注文は受け付けていないですよね」
「いいのよ。実は、奏子さん以外に、朝霧のおじ様からも料金をいただいているの。迷惑料込みだからって、うちが受けとれるギリギリのラインを踏んだ高額なね。だから、少しでも還元しないと、罰当たりな気分に陥るわ」
はぁと、夫人が溜め息を吐き出した。
どうやら、お祖父様も母の自称友人へのざまぁには、一役も二役も買ってでる気でいる。
恐らく、顧問弁護士も待機させていたりするのかも。
ああ。
それとも、警察官僚か、内閣官僚辺りもいたりして。
もしかしたら、招待客にしれっと混じっていたりとか。
お祖父様なら、あり得るわ。
「なぎ君ともえちゃんは、お子様ランチがいいかしら。それとも、ママやパパと同じようなお料理がいいかしら。あっ、でも心配しないでね。ちゃんと、なぎ君の事情は把握しているからね」
気分を変える為か、夫人が愛想よくウィンクする。
お肉やお魚厳禁で、油っこいのも駄目ななぎ君である。
自然とお野菜中心のメニューになってしまう。
「うちの兄の得意技を、堪能してね。あの人、父のように寸分違わない味の再現はできないけど。限られた食材で、お肉やお魚の味や食感を再現できる技があるの。だから、なぎ君ともえちゃんのお料理に差別はないわよ」
「おおう、しゅぎょい」
「なぁくんちょ、いっちょ、うれちいね」
「あい、もぅたんちょ、いっちょね」
「良かったな、なぎ、もえ。仲間外れは嫌だものな」
「「あい、パパ。いっちょ、うれちい」」
再び、笑顔全開のもえちゃんとなぎ君に、ほんわかと暖まる。
朝霧邸の料理長さん達や栄養士さんの尽力で、なぎ君の痩せた身体付きも幾分かふっくらしてきてはいる。
料理に携わる人達には、感謝の念しかない。
食べることが大好きなもえちゃんが、なぎ君に気兼ねして食べたくないと言うのは辛かったけど。
こうして、優しい人達のお陰で今がある。
本当に、感謝です。
だから、優しい人達を貶める方々に速やかな退場を願おう。
その時まで、後少し。




