その54
頻りにあくびをし始めたなぎともえを見て、もういつもねんねする時間を越えていたのを知った。
寝かし付けようと和威さんと抱っこして、寝室代わりの和室に運ぶ。
お布団は万能家人の彩月さんが準備してくれていた。
お陰様で、手間が省けて大助かりである。
「俺が寝かし付けるから、その間に風呂に入ってくればいい」
そう和威さんが言ってくれるも、抱っこしていたもえちゃんがね。
眠たいのを我慢して、服をしっかり握って離さないのだ。
「もえちゃん。ママは、もえちゃんとなぎ君がねんねしている間に、どこかに行ってしまったり、置いてはいかないから安心してね」
上目遣いで言葉に出さない不安を訴えるもえちゃんが、いじらしくて愛しくて仕方がない。
どうにか宥めてお布団に横たわらせ、和威さんが寝かし付けの恒例な絵本を読み聞かせるのを、もえちゃんの隣に寝転び一緒に聞いた。
漸く、安心したのか、はたまた不安を押し殺したのか、多分後者だと思うけど。
もえちゃんはなぎ君に釣られる様にして、ねんねした。
だからといって、いきなり私がもえちゃんから離れたら起きてしまうと思い、暫くは添い寝した。
ずっと握りしめて離さなかった小さな手から力が抜けて、服を離した腕にお布団そっと被せる。
「ねんねんね。なぎ君、もえちゃん、ねんねんね。パパもママもお家にいるから、安心してねんねんね」
なぎともえがねんねの歌と認識するリズムで、歌う。
和威さんは、そんな私達を和やかに見守ってくれる。
「ん、熟睡したな。さっきも言ったが、俺が見ているから風呂入ってくればいい」
「はい。お願いします」
和威さんの好意には甘えることにする。
しかし、熟睡する双子ちゃんを起こさないように気を付けて、お風呂の支度していざ入ろうとしたら、タイミング悪く私のスマホが鳴り出した。
慌てて和室から出て、スマホを操作する。
「母、バッドタイミング」
『あら、やっぱりなぎ君ともえちゃんはねんねしちゃった?」
「うん、その通り」
『それは、悪いことしたわ。でも、少し話したい事があるから、離れの玄関前にいるの。鍵を開けて頂戴』
電話を掛けてきた相手は母だった。
母なりになぎともえが寝ているかもとは遠慮して、離れのチャイムは鳴らさなかったようだった。
母の突然の訪れは、あのレストラン関連かな。
お風呂は諦めて、母を招き入れた。
この離れは父が構えた武藤家の実家を模して、お祖父様が建てた。
一般家庭に育った父が、莫大な資産に見合った朝霧邸の母屋の豪華さに気疲れさせない為だけに、お祖父様は意図的に模して建てたのである。
武藤家に嫁いだ母だけれども、良くも悪くも朝霧家の娘として顔を知られていたし。
お祖母様の生家の水無瀬家とも色々あったりで、一時避難せざるをえない期間があり、父の精神的負担を軽くする目的もあった。
なので、勝手知ったるなんとやらで、母は離れを熟知していた。
離れに招き入れられた母は、私の案内を不要として先ずは和室に足を向ける。
「お義母さん?」
「ごめんなさいね。事前連絡もなく、押しかけちゃって」
「いえ。構いませんが、生憎と子供達は寝てしまっています」
「ええ。多分そうだと思って、迷惑かなとも躊躇ったのだけど。少し和威さんや、琴子に相談したくて」
「あっ? もしかして、レストランの件ですか? 無理を言ってしまいましたか」
「母、和威さん。小声で話してくれているのは有難いけども。なぎ君ともえちゃんが、起きちゃうわ。リビングに移動しない?」
二人とも起こさないようにとは、してくれているけど。
小声であっても、間近で会話が続いたら起きてしまうのではないかと、ママは愚考します。
現に、和威さんが添い寝状態から身体を起した際に、もえちゃんがうっすらと目蓋を開けたのよ。
隣になぎ君の存在を感じて、目を覚ます事なくまた目蓋は閉じたから一安心。
私を探す素振りをしたものの、いないと分かるとなぎ君にぴったりとくっついてしまった。
ああ、寝ている状態でも我慢させているわ。
母の相談内容を手早く終わらせて、添い寝してあげたい。
手っ取り早く、母と和威さんをリビングに移動して貰った。
リビングと和室の間には廊下を挟んでいるが扉がないので、襖を開けて置けば寝姿は確認できる。
万が一起き出してしまっても、すぐに対応できるだろう。
「飲み物、コーヒーでもいいかな」
「あら、作り置きの麦茶でいいわよ」
「俺も麦茶で」
「了解です」
双子ちゃん用に水分補給とミネラル成分補給の意味で、麦茶はかかしたことはない。
冬なので冷蔵庫には保存していない小降りのケトルに入っている麦茶を、少しだけ沸かして温めた。
「それで、相談内容はなに?」
三人分用意して、ソファの前のローテーブルに置いた。
母も私が座るまで、和威さんと他愛ない会話を交わしていた。
相談内容とは違う世間話だったので、促してみた。
「まあ、結論から言えば。レストランの予約は29日に取れたわ」
「早くない。キャンセルでもあった?」
「そうよ。その日のランチタイムは、貸し切りの予約が入っていたのだけどね。急にキャンセルされた訳。しかも、予約自体も我が儘言って貸し切りにしたのに、間際になってのキャンセルよ。おまけに、レストラン側の都合でキャンセルになった事にしてって、馬鹿な事を言い出してキャンセル料は払わず、徴収した会費の料金は支払ってね、だって」
「それは、余りにも常識がないのでは?」
適度に温めた麦茶を一気飲みした母は憤り、空になったカップをぞんざいにテーブルに置いた。
聞いていた和威さんも、盛大に眉間に皺が。
母によると、その予約した相手は母と友人のレストランオーナー夫人とは、顔見知りな仲だったそうだ。
友人とは呼べない単なるクラスメートといった遠い仲だけれども、あちらの常識では仲の良い友人と認識されているらしい。
「彼女にとって見栄を張るには都合のいい、振り回しても文句は言われない使用人扱いが、どうして友人に値するか謎なのだけどね」
母とオーナー夫人は、クラスメートを格付けして差別するその人のあしらい方が上手かったのが、そもそもの間違いだった。
朝霧家とは格段に劣る家柄であるも、旧華族の流れを汲み、その旧家という誇りにしがみつき選民意識が高くて世渡りが上手くいかず、戦後の好景気に乗り切れず、資産を切り崩して家柄を維持したり、陰で成り上がりと侮蔑する相手に娘や息子を持参金無しで押し付けては法外な結納金を平気で請求するお家の出。
そんな家庭に育った子供は、他者を見下す祖父や父に習い、肥大したプライドを拗らせた問題児でしかなかった。
だからか、彼女とその家は悪名が広まり、とうとう縁組みを拒まれ、親戚だからと返す充てのないお金の無心ばかりする縁を切られて困窮する羽目に陥った。
クラスメート時代には母やオーナー夫人にも、余ってるんだから、私が使ってあげると宣い、母とオーナー夫人の名で買い物を勝手にしていた。
何十万とする商品が朝霧邸に届けられ、お祖父様が母に問い質して、事の真相を知った。
勿論、お祖父様はすぐさま手配をして、母とオーナー夫人名義での買い物客は詐欺行為を働く別人であると、証拠を揃えて被害にあった百貨店や有名ブランド店に通達、後に被害届けを警察に。
前科がついた娘を生家に助ける資産はなく、あっさりと放逐されたのだとか。
そうして、彼女から解放された母とオーナー夫人であった。
「まあ、要注意人物認定された彼女を、お祖父様は許してはなかったわ。逐一、動向を監視してはいたらしいの。でも、生家から見放された彼女を、未成年だったしね。哀れに思った親戚がいたのよ。必ず、更正させると念書を置いて、日本には居づらいから、わざわざ共に外国に移住してまで、彼女を保護したの。数年は、謝罪の手紙が届いたものよ。でも、私も明日香も、彼女を信用はしないでいた。だって、その手紙は一応は謝罪の体をなしてはいたけど、終わりの方では生活に困っているから助けてと、欲しい物リストを寄越していたし、手に入らないならお金を送ってとあったわ。無論、お断りよ。序でに、その手紙を保護者さんに返送してあげたわ」
うわぁ。
全然、更正してはないじゃないか。
どん引きだ。
母も、余程腹に据えかねていたんだなぁ。
きっちりと、報復している。
あれ?
でも、信用を無くして外国に移住したその人が、また日本に帰国している?
オーナー夫人が、どうしてその人と関わってしまったのか疑問である。
「ある意味、彼女なりの復讐だったのかもね」
私の表情を読んだ母が呟いた。
「レストランに予約した人物は、男性だったのよ。一見さんだったから、当初は断りの返事をしたそうよ。けれども、相手も粘って、常連客の紹介状を持参してきたわ。何でも、ある国の大使館職員なのは事実な訳だったし、大使も交代するのはマスコミが公表していたしで、送別会を是非ともこのお店でしたいと、一筆もあったしで、断りづらくなってしまったのよ。だからね、その日の予約者に事情を話して予約を変更して貰ったりと、随分と手を焼かされたのに、結果がキャンセルよ。キャンセルの連絡をしてきたのが、問題児の彼女だった。しかも、どうやって大使館を巻き込んだのか判明してはいないけど、高らかに笑ってざまぁみろと罵り、大使は自分の味方だから一介の料理人が反論しても無駄だから。レストランを潰してやる。お前を破滅させてやると、言い切ったそうよ」
なら、その喧嘩は買ってやる。
丁度良く、私からレストランを救済する理由が持ち上がった母は、ヤル気に満ちていた。
折よく、オーナー夫人との会話はお祖父様と楓伯父さんに、聞かせる事が出来た。
お祖父様は、溺愛するひ孫が珍しく主張する願いは叶えなくてはならない。
よし、参戦しよう。
楓伯父さんは、妹の名を騙り詐欺の片棒を担がせようと企んだ出来事を忘れてはいなかった。
はは、相手をしてあげよう。
唯一の常識人である父は、ほどほどにと力ない助言するしかなかったとの事。
「お義父さん。心中お察しします」
朝霧家の娘を嫁にした男性として、和威さんには父に通じるモノを敏感に悟ったみたいである。
いや、和威さんも我が子に悪意を向けられたら、反撃するでしょうが。
立派に、朝霧家の流儀に添っているから。
大使館という無敵な後ろ楯を得て、復讐してきたお相手に教えてあげたい。
うちのお祖父様、本気になったら日本の総理大臣に無茶振り出来てしまう人なんです。
そして、伯父さんも。
一見人当たり良さそうにみえるけど、その人脈は計り知れないですから。
身内びいきが凄くて、外国のお友達さん達は、楓伯父さんは子沢山の子供想いの父親と勘違いさせた程、甥っ子や姪っ子を自慢しまくった人だ。
だから、私の結婚式に送られた祝辞の手紙や、お祝いの品を態々送付してくださったお友達の名前を聞いて、和威さんと二人して仰天した。
読み上げた結婚式の司会を勤めてくれたの某元アナウンサーで名司会者さんが、声を震わせて読むはずだよ。
何故に、某国の有名ミュージシャンとか、某ノー○ル賞受賞者とか、世界的に名が知れた人達から祝辞がくるんだよ。
篠宮・緒方家側の招待者が騒然、阿鼻叫喚となったのはいい思い出といえるのかな。
うん、でも。
篠宮家への祝辞も、お名前は出せないけど皆様が良く知る方からの祝辞ですとあったな。
あれは、もしかして菊の御紋があったりして。
康治お義兄さんが回収してしまって、私達の元にはないので、推測の範囲でしかないけど。
司会者さん、一番震えていたしな。
祝辞を確認したお義母さんが、妙に疲れた表情をされていたしな。
やばし。
親戚を、過大評価して私達朝霧家まで含められていないことを期待しよう。
どうか、お祖父様と楓伯父さんの人脈だけで事がおさまりますように。




