その53
暫くして、和威さんもお風呂からあがってきた。
いつもなら、お風呂上がりにビールに手が出るのだけど、今日は違った。
仲良く水分補給するなぎともえの近くに座り、にこやかに見詰めている。
「パパ? ビールわ?」
「パパも、しゅいぶんほきゅー、しにゃいちょ」
なぎともえは、ビールをお酒とは思わず大人が飲むジュースだと認識している。
ので、パパがお家でビールを飲んでいても嫌がらない。
「心配してくれて、ありがとな。でも、今はお茶な気分かな?」
「冷たい麦茶で良ければ冷蔵庫に入っているけど」
「じゃあ、それを貰おうかな」
「はい」
序でに、自分の分も用意しよう。
立ち上がり、冷蔵庫を開ける。
麦茶のポットを取り出し、ガラスコップに二人分注ぐ。
双子ちゃんには、お風呂前に注いでおいた麦茶を用意しておいたので、冷たい麦茶でお腹を壊す心配はいらない。
ポットを冷蔵庫にしまい、コップを両手に元の場所に戻る。
「はい、どうぞ」
「ありがとう」
和威さんは受け取った麦茶を、一息で飲み干した。
空のコップを近くのローテーブルに置いて、なぎともえを手招きした。
「「パパ、にゃあに?」」
「いや。明日と明後日にお仕事に行ったら、パパはお仕事お休みになるから、何処かに遊びに行こうか」
「うにゅ? パパ、おしぎょちょ、おやしゅみ?」
「おうちに、いりゅにょ?」
「ああ、そうだよ」
マグマグをしっかり持って、和威さんの膝に乗るなぎともえ。
そうか、仕事納めか。
ブラック企業ではないので、年末年始はきちんとお休みがあるのは助かります。
お山の実家にて母屋の大掃除は、何故か男衆の仕事であったから、帰省したお義兄さん達も駆り出されていた。
その代わり、女衆は年末年始の食事の下拵えが待っている。
定番の年越しそばやお節料理、年始の挨拶に訪れる親族や集落の住人に振る舞われる食事に、家人達に労いの報酬の意味で提供する食事。
百人単位での数に、嫁いで二年目の年末に泣きたい気分だった。
私は料理の経験が浅い為、あまり戦力にならなかった。
お腹にいるのは双子だし、ストレスを与えたらいけないとのお義母さんの配慮で、初年度は免除されていた。
ある意味、五男夫婦の御披露目に近かった最初の年始の宴会も、お義母さんの指示で早目に離れに帰されていた。
そして迎えた二年目の年末年始。
張り切る私は戦力外でした。
まあ、乳児がいたので授乳やらおむつ替え等で、離れといったり来たりだったしね。
私の不在中は、梨香ちゃん達子供組がなぎともえの面倒を見ていてくれていたけど。
年末年始と聞くと、あのやるせない気持ちが思い出されてくるなぁ。
「最近は、あまり庭の外にも連れ出してやれていないからな。気分転換に、遊びに行こうな」
おっと。
感慨に耽っている場合ではない。
和威さんが考えているのも、分かる。
お山にいた頃の習慣だったお散歩も、庭での散策になっていたし、お買い物も彩月さんとか朝霧邸の家政婦さん達にお任せしている現状。
これ、引きこもりに近いよね。
折角、テーマパークに事欠かない都会にいるのだから、遊びに連れていきたい。
そう思ったのだろうな。
「それとも、もえは食べたい物の方がいいかな?」
和威さんがもえちゃんの頬をつつく。
もえちゃんは食べる事が好きだから、食べ物で釣る気とみた。
案の定、もえちゃんが片手をあげた。
「もぅたん、ぷりん、ちゃべちゃい」
「プリン? プリンなら、何時でも食べれるだろうに」
「ちあうにょ。じぃじちょ、ばぁばちょ、ちゃべちゃ、ぷりんぎゃいい」
「あい。なぁくんも、あにょ、ぷりん、ちゃべう」
なぎ君も参戦した。
じぃじとばぁばと食べたプリンかぁ。
ホテルで食べさせたかしら。
篠宮の義両親と義祖母さんと食事した際に、プリンは出てこなかったはず。
「昨日、食べたプリンか?」
「ちあうにょ。むちょーにょ、じぃじちょ、ばぁばちょ、ちゃべちゃ、れうちょあんにょ、ぷりんにゃにょ」
もえちゃんの説明に、ああと納得した。
武藤家に宿泊した折りに、皆で懇意にしている個人経営のレストランに行った時のプリンね。
おいちい、おいちいと、お代わりを珍しくねだったんだった。
そうか、もえちゃんはあのプリンが食べたいのか。
「分かった。じゃあ、レストランに行こうな」
「「あいっ」」
やったぁと、喜ぶ双子ちゃんだけど。
出来るなら叶えてあげたいお願いだけど。
ママは、約束してあげれないんだなぁ。
「ごめん、和威さん。それ、すぐには叶えてあげれないかも」
「ん? 予約が必要だったか?」
「それもあるけどね。あのレストランは、本当は小学生未満の幼児は入店禁止なの。そして、一見さんも入店拒否なのよねぇ」
「なら、あの日になぎともえが入店出来たのは何故だ?」
「あれは、我が母による孫自慢の結果と、オーナーさんのご厚意だったのよ」
件のレストランのオーナー夫人が母の友達であり、会うたびになぎともえの写真やら動画やらを見せて自慢していたのだ。
その動画の中で、騒がず食べ物で遊ばずに、二歳児にしては綺麗な所作で完食するなぎともえの姿に、夫人が旦那様のオーナー兼シェフに掛け合って許可してくれたのである。
あのレストランには、幼児用の椅子もなかったのに、わざわざ準備してくれた厚待遇だった。
メニューもお子様ランチなんてなかったのに、可愛いお皿と蓋付きコップもあった。
それだけ、母と夫人の仲は良好であった証しでもある。
「そう言えば、入店した時に注目を浴びていたな。それに、幼児はいなかったな」
「そう。あの日以降、何故なのか問い合わせがひっきりなしで、無理を言っちゃったと母が落ち込んでいたのよ」
「そうか」
「元々、開店当初は普通で入店拒否なんてなかったのよ。だけど、ランチタイムに礼儀知らずな親子連れによって、お店の備品は壊すは、走り回る幼児が料理を運ぶホールスタッフに突撃して怪我を負わせる。謝罪しないで、逆ギレして慰謝料請求する騒ぎになったの」
武藤家一家も開店当初から、良く利用していたレストランでもあり、母の友達がオーナー夫人だしで、母が慰謝料問題で相談相手になっていた。
その慰謝料請求した相手が、さる企業の身内だったから騒動が大きく発展してしまった。
親のコネで、悪い噂を流すなんて序の口。
あらゆる手段を駆使して、レストラン側を加害者に仕立て上げた。
三流のゴシップ誌や、ローカル新聞にて、嘘の記事が掲載されたのもある。
それでも、営業を続けるレストランに追い打ちをかけて、地上げ紛いな事までされたのだ。
まあ、最初の噂を流された時点で母の逆鱗に触れていた。
身内の財力やコネを使うなら、此方も対抗して朝霧家を出してやると息巻いていたのだ。
「結局の所、朝霧翁がでばるはめに?」
「それがね。お祖父様が腰を上げる前に、相手は潰されたの」
「誰にだよ」
「夫人のお父さんとお兄さんも、夫人の旦那様と同じ料理人でね。お父さんには、熱烈なファンがいたの。その人達が一斉に動き出して、あっという間に終息した訳」
「こわっ。何だか、ファン層に触れたくはないが、朝霧家クラスの資産家でもいたのかよ」
「うん。後、政治家とかね。夫人のお父さんを師と仰ぐ有名料理人もいたわ。何でも、夫人のお父さんは料理人の間では、天才料理人として名高かったらしいの」
当時は、若くして逝去された夫人のお父さんは、料理を志す人間なら誰もが知る神様扱いだったそうで。
たった一言のアドバイスで、伸び悩んでいた料理人が有名料理店の料理長にまで出世していたりとか。
その天才的な味覚と料理の腕で、遺失されたレシピを再現して廃業に追い込まれた店舗を復興させたりとか。
料理界において、ひとかどの大有名料理人だったのだ。
恩ある料理人の娘さんが困っている?
なら、恩返しといくかぁ。
といったノリで、ハッスルした方々が沢山いた。
そうして、レストランは守られて、入店禁止事項を立て、今に至る。
「? ぷりん、ちゃべえにゃいにょ?」
「ママ、めめ?」
私達の会話の内容は理解しずらかっただろうが、困った表情をしている顔を見て、敏感に悟ったのだろう。
なぎともえのお目目が、潤んできた。
ああ、泣かしたくはない。
「じゃあ、ばぁばに、聞いて貰おうね」
前回の段取りを付けたのは母である。
可愛い孫のおねだりであるから、何としても叶えて貰いたい。
慌てて、母に電話した。
本日は、朝霧邸に泊まると言っていたから、母屋にいるだろう。
そして、まだ就寝してはいないはず。
果たして、ツーコールで母は電話に出てくれた。
『はい、どうしたの? 何か用事?』
「母、ヘルプ。貴女の可愛い孫達は、母お薦めのレストランのプリンが食べたいと言っております」
『あら? 琴子も大好きなカニクリームコロッケのレストランね。懐かしいわね。琴子も、お祝い事の際には行きたがっていたわね』
ぐふっ。
私のささやかで遠回しなジャブに、ストレートでパンチが返ってきた。
ええ。
母が作るカニクリームコロッケを、不味いと食べなかった恨みをどうぞ晴らしてくださいな。
最初に食べたカニクリームコロッケが、絶品だったのが悪いんだ。
「母、真面目にお願い致します」
『分かっているわよ。ちょっと待っていて、メールしてみるから。今の時間はディナータイムだから、忙しくて返事は明日になるかもだけれど。可愛いなぎ君ともえちゃんの為に、貸し切りにしてでも頑張ってみるわ』
「よろしくお願い致します。ただし、無茶な裏技は止めてよ。また、迷惑かけちゃうなら、此方も考えるから」
『そうね。でも、色好い返事がくるかも知れないわよ。旦那様の、なぎ君ともえちゃんの印象は良かったと聞いたし。あれから、少し年長の幼稚園児も受け入れてみたりとか、子供向けのメニューを試作していたそうよ。まあ、一見さんお断りは続けるみたいだけどね』
母によると、行儀が良くておとなしめの幼稚園児連れの親子を入店させてみたら、きちんと礼儀正しい行動をして騒いだりはしなかったそうだ。
流石に、上流階級で常連のお客様が推薦するだけあった。
我が家の双子ちゃん同様に、好印象だった。
なら、入店禁止事項を緩和しても良いかなと、旦那様も思案しているみたい。
まあ、それも差別してしまいかねないのだけどね。
一見さんお断り時点で区別しているのは確かではあるも、理由が理由なだけにホームページにはちゃんと説明文を載せてはいる。
アットホームなお店を目指していたのが、路線変更を強いられてオーナー夫妻も大変気苦労であっただろう。
だがしかし、可愛い我が家の双子ちゃんの為にも、門戸を開いてくれるとありがたいなぁ。
スマホ片手に、期待するなぎともえに良い返事が返ってくることを頼みたい。




