その11
ふわぁ、と小さなお口から大きな欠伸ができた。
お腹一杯になり、お風呂に入り、用意されたパジャマに着替えて、ねんねの時間になったのに、もえちゃんがグズリだした。
とにかく、私から離れたがらない。
絵本の読み聞かせも無駄な努力だった。
眠たいのに眠りたくない。
「やあよ。ねんね、しにゃい」
抱っこをせがんできた。
初めての場所で緊張しているのかな。
なぎ君は和威さんの服を掴んでいる。
さては、飲み会に行くのを察知しているかも。
酔っ払いのパパはいやいやだね。
もえちゃんが眠らないと、なぎ君も眠らないとみた。
二人共に欠伸が出て眠気に抗っている。
大好きなにぃにとねぇねに囲まれて、大はしゃぎしたから眠いはずなのに。
何が不安かなぁ。
ママは何処にもいかないよ。
パパは別室で飲み会だけどね。
「もえちゃん、ねんね。なぎ君も、ねんね。もう夜だよ。ねんねの時間だよ」
「ねんねやぁ。ママも、ねんね、しゅりゅにょお」
ママも?
じゃあ、お布団にごろんと横になってみた。
間をおかずに和威さんもなぎと横になる。
客間にはキングサイズの寝台が置かれていて、一家四人が充分に揃って横になれた。
「ほら、ママもねんね。もえちゃんと一緒」
背中をトントン叩いてみたら、胸元で頭を振られた。
何が気にいらないのだろう。
「ママ、いっちょ、ちあう。ぱあじゃ、ちあうの」
「ぱあじゃ?」
「ねんねの服の事。パジャマよ」
聞きなれない単語にはてなな和威さんだ。
日々語彙が増えている双子ちゃんの翻訳には、私も疑問符が飛び交うのが日常だ。
大抵は私か和威さんが口にした言葉ばかりである。
そうか。
お風呂入ったのにパジャマではないからか。
置いていかれると思ったのか。
和威さんが部屋着だから、私もパジャマに着替えてはいなかった。
ならば、安心させる為にパジャマに着替えよう。
もえちゃんを抱っこしたまま用意されたパジャマを準備する。
「もえちゃん。お手々ちょっとだけ離してね。ママ、パジャマにお着替え出来ないよ」
「もぅたん、なぁくんちょ、パパちょ、いっちょ」
「……あい」
しぶしぶともえちゃんはなぎ君と一緒に、和威さんのお腹にへばりついた。
背中が哀愁を漂わせている。
もえちゃんの頭を撫でるなぎ君。
君たち本当に2才児?
聞き分けが良すぎるし、慰めるのも堂に入っているよ。
遺伝子は謎すぎる。
そう言えば、母に私の幼い時期の話を聴くのを忘れている。
明日は叔母様方と外食だから、夜にでも電話してみよう。
「ママぁ。まあだ」
「はあい。ちょっと待っててね」
いかん。
早く着替えねば。
もえちゃんに催促されちゃった。
見ているのは旦那と子供たちしかいない。
豪快に脱いでみた。
ああ。
もえちゃんが真似したら何と言って言いくるめれるかな。
その時になったら考えよう。
「はい。お待たせしました」
「「ママぁ」」
パジャマに着替えて両手を拡げると、もえちゃんとなぎ君が飛び込んできた。
そして、和威さんを見る。
んん?
これは、パパも着替えると思っているね。
どうする、和威さん。
「パパぁ。おきぎゃえ、わ」
「パパも、ねんね、しゅりゅにょ」
「パパは、おじじと話があるからねんねはしないぞ」
「「えっ⁉ パパは、いにゃいにょ」」
和威さんの説明に衝撃を受けるなぎともえ。
がーん、と効果音がつくのがみえた。
みる間に涙が盛り上がってきた。
次第にしゃくりあげ泣き出した。
和威さん。
その説明では泣くよ。
「何で泣くんだ」
「パパがいなくなるからよ。せめて、ねんねするまではいると言わないから、こうなるの」
場所が悪かったのよねぇ。
これが、自宅ならお仕事だと受け止めたかも知れない。
緒方邸にはお泊まりしたことがないから、パパだけ家に帰ると勘違いしたのだろう。
「琴子。どうしたら良いんだ」
「眠気でグズついているのもあるわ。まずはなぎを抱っこして」
「おう」
もえちゃんは離れてくれなさそうなので、なぎ君をお願いした。
素直にパパの元へなぎ君は抱っこされた。
もえちゃんを横抱きにして揺らしながら、背中をリズミカルに叩く。
和威さんも真似した。
なぎ君は直ぐに泣き止み目を閉じていく。
もえちゃんは手強い。
暫く泣き続けている。
「もえちゃん、ねんね。ねんねんね」
「ママもぅ。ひっく、ママも、ねんね」
「はい。ママもねんね」
再び横になった。
双子ちゃんを挟んで変則的な川の字の出来上り。
もえちゃんは左手になぎ君の指を握り、右手に私のパジャマを掴んで安心したのか、徐々に眠気に委ねていく。
なぎ君は既に熟睡している。
「ねんね、ねんね。ねんねんね。ママもなぎ君も、ねんねんね」
「ぁぃ」
涙を拭いてあげたら、にこりと笑い完全に目を閉じた。
直ぐに寝息が聴こえてきた。
今日ははしゃぎすぎたから、夢も見ないで朝までぐっすりと眠ってくれそうだ。
タオル地の上掛けを掛けてあげる。
私も眠るのは早いが、明日はなぎともえに早くに起こされるかな。
朝ご飯を作らなくて良いので朝寝坊したいなぁ。
「電気は消しておくな」
「お願いします。あんまり飲み過ぎないでよ」
「わかってる。酔っ払い嫌いは地味に痛いからな」
大絶叫するくらいだしね。
よっぽどのトラウマになってしまったね。
苦笑気味な和威さんがなぎ君の横を抜けた。
なぎ君は寝返りをうち、もえちゃんの方を向いた。
パパがいなくても平気だね。
「じゃあ、何か起きたら電話してくれ」
「わかりました。先に失礼しておやすみなさい」
「おう。おやすみ」
電気を消した和威さんが客間をでていく。
心配性なパパだね。
セキュリティがしっかりした緒方邸に、何事も起きないのにね。
これからは、嫁に聴かせたくない話が待っているんだろうな。
主に迷惑を掛けた叔父様の息子さんの対策に、篠宮兄弟がどんな罰を望むのか。
少し、不安な一面がある。
だって、私と和威さんに離婚しろと、突き付けてくれたのだから。
おまけに、兄の友人の里見さんにも間接的にしろ、迷惑を掛けたのだ。
情報通な兄も和威さんが関わっていたから、報復を取り止めて話を持ち掛けた。
篠宮家に配慮してくれたのだ。
生半可な処遇では納得してくれないぞ。
どうせなら、兄も交えて話をすればよいと思う。
いや、和威さんの事だ。
兄の報復分も残しておくな。
うとうと微睡みながら、なぎともえのお腹を軽く叩く。
二人共に熟睡してくれたな。
それにしても、イヤイヤ期かぁ。
明日から覚悟をしないとね。
育児書を読んだら、今日のもえちゃん以上に大変な体験が載っていた。
まだ、なぎ君が穏やかな気質のままでいてくれるのが助かる。
双子ちゃんの神秘性か、もえちゃんの感情がはち切れる前に教えてくれる。
柔らかく駄目よともえちゃんを制してくれる。
それでも、抑えきれないと抱き付いて、いい子いい子と撫でるのだ。
大抵はそれで収まってしまう。
私は、逆に爆発させてあげたいと思うのだけど。
溜め込み過ぎはいけないとママは思うなぁ。
今日みたいに、駄々っ子になってもママは怒らないよ。
余りにも我が儘にならない、おとなし過ぎにママは心配だよ。
なったらなったで、大変そうだけど。
私には育児の先輩方が色々ついているし、相談者には恵まれている。
何事も挑戦有るのみだ。
「……かかしゃま、ごめんしゃい」
ん?
寝言かな。
暗闇に慣れた目を隣に向ければ、いつの間にかもえちゃんが両手を頭の上に載せて魘されていた。
小さな身体を縮こませて、何かに耐えている。
この体勢は。
「かかしゃま、ごめんしゃい。わりゅいきょぢぇ、ごめんしゃい」
「もえちゃんは、悪い子じゃあないよ。いい子だよ」
一体どんな夢を見ているのかな。
頬を撫でると急に目を開けて飛び起きた。
「かかしゃま、いちゃいのわ、いやぁ。おきょりゃないで。あにしゃまを、うりゃんで、いにゃい、きゃりゃあ」
「もえちゃん。どうしたの? ママだよ。怒ってないよ」
「……ママぁ? ‼ ママ‼」
虚ろな目で呟いていたもえちゃんは、私を認識したら盛大に泣きだした。
今のは何?
かか様が、痛いことをした?
兄様を怨む?
何、これ。
何、これ。
「ママぁ。ひっく。もぅたん、かかしゃま、いやぁ。ママぎゃ、いい。なぐりゃない、ママぎゃ、いい」
「うん、うん。ママはもえちゃんを殴ったりしないでしょう。安心していいからね。かか様はいない、いないよ」
「あい。かかしゃま、いにゃい。いりゅにょは、ママちょ、パパちょ、なぁくん」
兄様はなぎ君か。
ビックリした。
かか様なる人物がもえちゃんを殴るのか。
私の可愛い我が子を殴るだとは赦せない。
それに、時代錯誤な呼称をもえに覚えさせるだなんて、何処の誰だ。
驚きが去ると怒りが湧いてきた。
もえちゃんを宥めながら、スマホで和威さんを呼び出した。
『はい。どうした?』
『緊急事態です。直ぐに戻ってきて頂戴』
『何が起きた?』
電話越しに扉を開閉する音がした。
言葉通りに受け止めたようだ。
『もえちゃんが魘されたの』
『それで?』
『直ぐに対処してくれないなら、離婚も視野にいれて頂戴』
『! 何が起きた」
客間の扉が開いた。
走ってきたのか、少し息が荒い。
対して私は怒りで冷静だ。
和威さんが灯りをつけた。
「ご親戚か身内に、私の可愛い我が子に、かか様と呼ばせて、娘を殴る方に、心当たりがありませんか?」
眩しさに耐えながらハッキリと言う。
はっと、息を呑む和威さん。
どうやら、心当たりがありそう。
処か知っていて見逃したのね。
頭に血が昇った。
腕の中でもえちゃんの身体が強張ったのが分かる。
ごめんね。
少しだけ、我慢してね。
「どうい……」
「いやぁ。もぅたん、もぅたんを、きゃえして。なぁくんの、ぢゃいちにゃ、いもーと、にゃにょ」
どういうことか詰問しようとしたら、今度はなぎ君が飛び起きた。
和威さんも驚いてなぎを見た。
「パパぁ。もぅたんわ?」
「ママといるぞ」
先程のもえちゃんよろしく、和威さんに突撃したなぎ君。
なぎ君まで、どんな夢を見たのか。
「もぅたん」
「あい。あにしゃま」
「兄様?」
もえちゃんがなぎ君に呼ばれて私の腕の中から、なぎ君の腕の中へと移動した。
ぎゅうぎゅうと力一杯に抱き締めあうなぎともえ。
もえちゃんの兄様発言に怪訝な面持ちな和威さんだ。
これは知らなかったと言うわけですか。
どちらにしろ、黙っていたのには違いない。
どんな、言い訳をしてくれるのかしら。
案件によっては、今すぐにでも離婚してあげる。
その際には親権は争ってでも奪うから。
「なぎ、もえ。パパが分かるか」
「「あい。なぁくんちょ、もぅたんにょ、パパ」」
「なら、正直に教えてくれ。でないと、ママにパパが怒られそうだ」
「「……あい」」
「お前たちは、前世の記憶があるな」
はい?
前世の記憶?
和威さん、真面目な顔で何て事を言い出すのか。
もう、酔っ払いになっているの。
「「あい。ありましゅ」」
ほえ?
何ですと。
衝撃的な双子ちゃんの回答に驚きが隠せない。
前世ですと。
何だか、頭がパンクしそうだ。
怒りのボルテージが駄々下がりになっていく。
少しだけでいいから、落ち着かせて頂戴。
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