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 逃避への誘い(後)

 二人が車で県警を後にして二十分ほどが経った。運転する安斎の隣で青年は静かに物思いに耽っている。そんな彼に安斎が声をかける。

 「やっぱ難しい事件なのか?」

 「分かりません、それを調べに行くんですから。」

 「調べるったって本人がいないんだぞ?家族の聴取はもう済んでるし…行く意味あるのか?」

 安斎の抗議ともとれる質問に青年は答える。

 「ありますよ。一番知りたい事が書類にはないんです。」

 それって何だ、と聞く安斎に青年は続ける。

 「感情です。失踪者が抱いていた感情や思い…。本当は直接会わないとなんですけど家族なら何か感じ取っているかもしれません。“奇”に関わる事ではそういうのが最も重要なんです。」

 「“奇”ねぇ…やっぱ連中の事はよく分かんねぇや。」

 安斎がそう言って青年はまた考えこんだ。“奇”…意志や目的を持った感情又は思い。奴らは自らの源を求め行動する。自分の仕事の対象であり、そして…。青年がそう思った時ある家の前で車が止まった。着いたぞ、と言い安斎は降りて青年もそれに続く。

 辺りは住宅街だ。まだ三時を回ったばかりなのに静まりかえっている。泣く寸前の空に覆われているからだろう。安斎と青年は車を止めた家の敷地に入っていく。表札には『長瀬』とある。ここは最初の失踪者、長瀬 真の自宅だ。安斎が玄関の呼び鈴を鳴らす。少しして一人の女性が戸を開け二人を招き入れた。


 俺達は居間に通されしばらくしてから長瀬婦人が盆に三人分のお茶を乗せてやってきた。

 「すいません、急に押し掛けてしまって。」

 「いえ、いいんです。私でも捜査に協力出来る事があるならさせて下さい。」

 そう言って貰うと助かる。

 「あの…こちらの方は?」

 やはり隣にいるこいつが気になるようだ。

 「彼の事でしたら大丈夫です。今回の事件解決を手伝ってくれる協力者ですから。」

 …実際はこいつ自身が解決するので協力者は俺達警察の方だ。だがそんな事を言えば混乱するだけだろう。

 「神崎です。」

 青年は座ったままお辞儀をして短く名乗った。

 「彼自身が色々聞きたい事があるというのでお邪魔させていただきました。」

 はあ、と答える婦人はまだよく理解していないようだ。

 「では早速ですが、御主人が最初の失踪をする前に最後に会った時、何か変わった事はありませんでしたか?」

 青年はそんな婦人にお構い無しに質問を始めた。まぁ相手が彼を不審がるのはいつもの事だから構っていてはきりがないのだが。

 「いえ、特にはありませんでした。」

 しばらく考えて婦人は答える。

 「失踪の動機になりそうな不満とか心当たりは?些細な事でいいんです。」 「前に警察の方にもお答えしましたがありません。」

 ここでほんの少し婦人に苛立ちが見えた。不審な相手に二度もありきたりな質問をされては当然だ。そんな事をするならさっさと夫を見つけるための行動をして欲しいと思うに決まってる。

 「そうですか。では失踪中の御主人の記憶ってどんなものか分かります?本人がそれをどんな風に思っていたのかも知りたいんですけど。」

 「私達の間に子どもが出来たとか、仕事が上手くいってるとかとても楽しげに話してました。」

 そう返答された時青年…神崎が反応した。

 「お二人にはお子さんはいませんよね?御主人はお子さんが欲しかったのでは?」

 婦人はまた苛立ちを表した。それは明確に言葉となって青年にぶつけられた。

 「それが何か関係あるんですか?」

 「あります。お気持ちは分かりますがこの事件での重要なポイントなんです。」 

 反感をぶつけられても冷静にそう答える青年に婦人は毒気を抜かれたようだ。

「…確かに主人は子どもを欲しがってました。男の子がいいって私によく言って…」

 「わかりました。お気を悪くさせてしまって申し訳ありません。」

 失礼します、と言って青年は立ち上がった。まだ来てから十分と経っていない。

 「おい、もういいのか?」

 驚きまじりの俺の問いにはいなんて短い返事が返ってくる。 「ごめんなさい、怒らせるつもりじゃなくて…ただ主人が心配なだけで…。」

 どうやら婦人は青年が帰ろうとするのは自分が機嫌を損なわせたせいだと思ったようだ。

 「そんなんじゃないんです。機嫌を悪くさせたのは俺の方だし。それに本当にもう十分なんです。」

 やっぱりこいつの考えてる事は分からん。だがもうここには手掛かりが無いのだろう。そう思って俺も立ち上がり玄関に向かった。

 玄関先で婦人の見送りを受けて俺達は車に戻った。途端に青年は持って来た資料を漁りにその一つに目を通す。

 「何か解ったか?」

 「まだ予測の域を出ませんけどね。二人目の家族に会えますか?」

 「了解。」

 少しだけ気だるいがそう答え車にエンジンをかける。

 「そう思わず付き合って下さいよ。」

 また思っていることを見透かされ少し驚く。やっぱ人の心が読めるんだなと、今まで疑問だった事を確信に変え長瀬さんの自宅を後にした。


 空を覆っていた雲は少し薄くなりその隙間からは夜空が伺える。

 「安斎です。只今戻りました。」

 ドアが開き、疲れ気味の安斎 徳といつも通り穏やかな雰囲気が漂う神崎が内本 要がいる部屋に入って来た。

 「あぁ、ご苦労さん。それで、何が解った?」

 内本 要が二人に訊く。その声と言葉には何も解りませんでしたは許さないという脅迫に近いものがある。

 「えぇ、失踪者たちの記憶について少し。後は彼らが帰って来るのを待つだけです。」

 神崎が答える。その発言に内本は眉をひそめた。

 「それまではもう何もしないのか?失踪のしかたとか彼らが何処に行ったのかとか調べる事は山積みだろ。」

 安斎が訊く。それは内本の疑問と全く同じだった。

 「でも調べる手段がないんです。残念ながら。」

 「ならどうするつもりだ?」

 内本の鋭い質問がきても神崎は動じなかった。むしろそうなることを予想しきっていたようにさらりと答える。

 「再び失踪が起こる時まで事件の犯人は現れません。でもその時に全ての真相が解ります。」

 「まだ事件は続くという事か。何故そう思う?彼らが最後に失踪してからすでに一ヶ月近く経つ。このまま帰って来ないかもしれないぞ。」

 内本が指摘した途端、電話の着信音が響いた。失礼、と言って内本は自分の携帯電話に出る。

 「私だ。………わかった。」

 電話を切った彼女は少し驚きながらも二人に失踪者達が戻って来た事を告げた。


 失踪者は六人全員が帰って来た。俺は今県警の一室に集められた彼らを見ている。何故警察に連れて来られたのか解らないと戸惑う人や怒る人を見て解った。確かに、彼らには失踪の自覚がない。そして、さっきから抱いていた予測を事実か確かめるためには彼らに訊くしかない。

 「一人ずつ質問したいんですが。」

 そう内本刑事に言って隣の取調室を使わせて貰う。

 最初に入って来たのは長瀬 真さんだった。俺が挨拶すると戸惑いながらも向こうも返してくれた。

 「お聞きしたいことが有るのですがよろしいでしょうか?」

 「…最近の記憶のことですか?」

 さすがに何度もこんな事が続くと本人も何を聞かれるのか解るらしい。はい、と答えるとすぐさま相手から反論が来た。

 「私は失踪なんかしていない。新しく決まった仕事が順調で妻も喜んでくれてる。」

 …なるほど、やっぱりそうか。

 「その新しい仕事は楽しいですか?」

 「楽しくてやりがいのある良い仕事さ。一度職を失ったけど前の仕事よりずっと良い。」

 「他に良かった事ってあります?」

 俺の質問内容に長瀬さんは少し不意を突かれたようだ。

 『他に覚えている事ありますか?』という自らの記憶を疑うような質問が来るとは思っていても、『良かった事ありましたか?』なんて質問は予想していなかったのだろう。戸惑いがちに様々な『良かった事』を話してくれた。

 その後、残りの五人にも似たような質問をした。そして…これで確信した。取調室を出て安斎刑事と内本刑事の所に行く。

 「どうだった?」

 待ちくたびれたように安斎刑事が聞いてきた。

 「納得いきました。彼らは失踪中に自分達の願いが叶っていて望み通りの生活を過ごしていたんです。」

 「それなら前から解っている。だから麻薬ではないかと血液検査をしたが異常はなかった。」

 苛立たしく内本刑事が言った。

 「でしょうね。本当に彼らは記憶通りの生活をしてたんです。」

 「何だと?どういうことだ?」

 なんと今度は内本刑事と安斎刑事は同時に同じ事を訊いてきた。

 「彼らは自分達の望みが叶う世界…いや、自分達に都合が良い世界にいたんです。そこで生活していたから彼らには失踪の自覚がない。彼らからしてみれば俺達がいるこの現実世界こそがおかしいんです。」

 「彼らは別の世界に行っていたと言うのか?」

 信じられない、とばかりに内本刑事が訊いてくる。

 「世界と言うのは正しくないかもしれませんけど現実とは別の場所です。」

 そんなのは解答にならないのだろうがそう答えるしかない。真相の正体が解らない今、言えるのはこれくらいだ。

 「なんかすげぇな。でもなら何でわざわざ帰って来る?ずっとそこにいた方が良いんじゃねぇか?」

 安斎刑事の言う事は確かにその通りだ。会議室で話を聞かされた時からのいくつかの疑問がまだ残っている。

 「…後はまた失踪が起きるまで待たないと。どんな―」

 “奇”なのかと言おうとした時、掌をこっちに向けて、内本刑事がそれを静止した。

 「内本刑事、彼らはどうしたらよいんでしょうか?」

 俺の後ろから声が聞こえてきた。振り返ると青い制服姿の警官が脅えながら立っていた。その恐怖はおそらく内本刑事へのものだろう。

 「今、重要な話をしているんだ。後にしてくれ。」

 内本刑事にあっちえ行けとばかりに睨み付けられ、警官はさらに脅える。“奇”に関することは警察内でも秘密にされていて知らない者が多い。俺も口止めされている。

 「で、ですが六人とも早く帰せと騒いでいて…。」

 内本刑事は軽く舌打ちした。

 「解った。指示するまでもう少し待たせておけ。」

 そんなぁ、と警察は情けない声をあげる。いくらなんでもそんな仕打ちはあんまりだ。

 「仕方ない。安斎、何とかしておけ。」

 「えっ!?」

 驚く安斎刑事にすぐそっちに行くと言って内本刑事は睨む。反論出来ない安斎刑事は警官を連れてしぶしぶ失踪者達の所へ行った。周りに誰もいないのを確認して内本刑事は話を続ける。

 「とりあえず失踪者はどこかで保護した方がいいだろう。」

 「いえ、もう自宅に帰って貰いましょう。」

 「何?」

 「彼らに何か異常があると“奇”は出てこないかもしれません。普段通りにして貰いましょう。」

 「だがそれでは解決出来ないだろう。」

 納得いかない、と内本刑事が反論する。

 「大丈夫です。でも、そうですね、長瀬さんだけ自宅で謹慎させて下さい。」

 「見張るのか?なら尾行するくらいでいいだろう?」

 「尾行だと見失う可能性があるし異変が起きた時に気付きにくい。これが最良の手です。」

 「…解った。長瀬婦人に協力して貰おう。」

 内本刑事は納得いかないようだが了承してくれた。

 「それで、どうするんだ?」

 「長瀬さんの自宅に張り込みをしましょう。監視は精神的に負担をかけます。現実と自身の記憶のずれに不安を抱いている長瀬さんにあまりストレスはかけられません。」

 俺が言っていることは色々矛盾していると思っているだろう。本人を監視しないで異変に気付ける訳がない…だがこれは巷でいう普通の事件ではない。常識が通用しないのはよくある事だ。だからこちらもそれに対処出来る行動をとらなくてはならない。内本刑事もそう思ったらしくようやく納得してくれた。

 「そうだな、君に任せよう。…だが確認しておきたい。これで事件は解決するんだな?」

 厳しい声の質問に俺ははいと答えた。


 失踪者達を帰した後に内本刑事から今後の行動について聞かされた。

 「あれ、あいつはどうしたんです?」

 青年が見当たらないのだ。

 「時間も遅いしもう帰したよ。明日から張り込みだしな。」

 何だかんだあって時刻は十時を迎えようとしていた。内本刑事は疲れているようだ。半年間ずっとこの不可解な事件に関わってきたのだから無理もない。

 「コーヒー飲みましょうか。ブラックでしたよね?」

 「あぁ、すまないな。」

 返事を受け自販機に向かう。ブラックを二本買って内本刑事の所に戻る。

 缶を渡すと内本刑事から質問が来た。

 「神崎は昔からこんな変なやり方で事件を解決してきたのか?」

 「そうっすよ。あいつ曰く変なやり方が“奇”事件解決の常套手段らしいです。」

 「毒を以て毒を制すか…だが私は失敗するんじゃないかといつも不安だよ。」

 そう言ってコーヒーを飲む内本刑事を見て自分も同感だと思った。だが、あいつに頼んで解決しなかった事件はない。ちゃんと依頼をこなしてくれる。だから俺はあいつを信頼している。内本刑事だってあいつを知ったばかりの頃に比べればそうだ。まだいくらかの不信感はあるようだが。

 「君も明日からに備えて今日は帰れ。」

 「ありがとうございます。そうさせて貰いますよ。内本刑事はまだ残るんですか?」

 「あぁ。やる事があるからな。」

 「ほどほどにしといて下さいね。それじゃお先に失礼します。」 そう言って俺は帰路についた。



 張り込みを始めてちょうど一週間が経つ。その間長瀬 真は家から出る事はなく変わった事など起こらなかった。いや、おかしな事なら今まさに起きている。

 張り込みの名の下に刑事二人と青年一人が堂々と玄関の外にいるのだ。どこかに隠れもしないでそんな犯罪めいた奇行を続けるのに俺と内本刑事はもう嫌気がさしてきた。

 「一体いつまでこんな事続けるつもりだ?」

 「長瀬さんが外に出て来るまでです。」

 限界をむかえつつある俺達をよそに、何事もないかの如く答えるこの青年の我慢強さは相当なものだ。だが苛立っている人間にとってそれは感情を逆撫でするだけでしかない。

 「こんな事に意味があるのか?」

 また俺は訊いた。

「仕方ないでしょう。いつまた失踪するか分からないんですから。」

 「ならこの落書きは何なんだ?」

 今度は内本刑事の質問だ。内本刑事は事件解決のためなら如何なる努力も惜しまない人だ。そんな人でもいや、そんな人だからこそこの無駄とも思える言動が矛盾した状態は耐えられないのだろう。

 内本刑事が言う落書きとはこの奇行を始める前に青年が俺達の手の甲に書いた物のことだ。円に線やなんやらが書き連ねてあるいわゆる魔方陣のような物で、『身を守ってくれるおまじない』とだけしか言われてない俺達はこれが何なのかはよく知らない。だが普通のマジックペンで書かれたはずのそれは一週間経ったのに全く落ちていない。

 「最初に言った通りおまじないです。危険な物じゃないんで安心して下さい。」

 「だがお前には書かれてないだろう。必要ないのか?」

 答えにならない解答に内本刑事はまた苛立ちを募らせながら訊いた。

 「俺はもう効いてますよ。」

 そう答える青年の瞳は何だかいつもと違う。濃いブラウンのはずなのに今は青く光っている。思い返すとこの一週間ずっとそうだったなと思い質問しようとした時だった。

 「行きましょう。」

 何の前触れもなく突然彼は言った。

 「行くって…何処へ!?」

 俺と内本刑事の同時質問に青年は彼に訊いて下さい、なんて訳の解らない事を言った。

 「安斎はここで見張りを続けていろ。私は神崎に付いて行く。」

 「必要ありませんよ。これから犯人に会いに行きます。ここはもういいです。」

 そう言って歩き出したあいつの雰囲気はいつもの物ではない。俺はこれを知っている。あいつが“奇”の存在を感じたした時に漂わせるものだ。と言う事は事件の真相が動き出したのか。

 「行きましょう、内本刑事。」

 混乱している内本刑事にそう言って俺達は彼に付いて行くことにした。六月終盤の夜八時の事だった。


 三人はにぎわう大通りを歩いていた。何かを見つめそれを逃さんとするような青年の後ろに事情を聞かされず混乱している刑事が二人。だが一人の刑事、安斎は間違いなく何か起きていると気付いていた。

 「本当に付いて来て良かったのか?今長瀬に失踪されたら終わりだぞ。」

 そんな安斎に内本は疑問を投げ掛けた。事態が進行していると分かっていた安斎も不安になり始める。それでも彼は青年を信じる事にした。

 「大丈夫です。今のあいつは“奇”の存在を感じています。」

 「何故そんな事が分かる?」

 「あいつの雰囲気…いつもと違うでしょ?“奇”を感じた時ああなるんです。」

 「…確かにそうだが、まさか根拠はそれだけなのか?」

 「…はい…。」

 「呆れた。いくら何でも信用しすぎじゃないのか?彼だっていつも正しいとは限らないんだぞ。」

 無意味と思われるに散歩を始めて三十分以上経ったからか、内本の内心は不満と焦りでいっぱいだった。

 三人の行く道は段々と人気が薄くなっていった。この街は夜でも明るくにぎわう大通りと廃れてしまった昔の商店街が一つの道で繋がっている。

 彼らはその一昔前の遺物に足を踏み入れ始めていたのだ。そこは本当に閑散としていて物悲しい。昼間なら子どもたちの絶好の遊び場となるのだろうが夜には近寄る者はいない。ただ陰があるだけだ。そんな所を歩く彼らの前には明かりなどないはずなのに、白く輝くモノがあった。刑事二人はそれを凝視する。そしてそれが一人の女であると気が付いた。

 江戸時代の姫様のような白く綺麗な和服に身を包むその女の美しさはこの世の物とは思えない。そのあまりもの優美な姿に刑事二人は声も出せず、ただ見つめていた。だが神崎は違った。何の感情も表さず女を見ている。

 そこで安斎は思った。神崎はいつもは穏やかで人を落ち着かせるような雰囲気を纏っている。だが“奇”を感じるとそれは一変するのだ。それがなんなのか今なら解る。こいつは“奇”を感じるとあらゆる感情を出さなくなるのだ。敵対心も恐れもなく本当に無感情になる。だが、今はそんな事を考えるよりただ女を見つめていたい。女の虜となった安斎を神崎は横から見ていた。

 不思議と女は三人に気付いていないようだ。ただ何かを待っている。微笑むその表情は楽しみを待ちわびる子どものように無邪気だ。

 神崎も何かを待っていた。

 少しして二人が待っていた何かがようやく来た。だが刑事二人にはそれが“認知”出来ない。

 そして神崎はパチンと指を鳴らす。その瞬間、周りの空間が一変した。


 俺は目の前の女に見とれている。確かにそうしたくなるほど美人だが何故だろう、なにも考えたくない。隣の青年の雰囲気に感情が無いから彼女が危険なモノだというのは解る。だが、それでも…。

 女は嬉しそうにおかえり、と言った。その声は静かでか細い。だが誰に言っているのだろう。周りには自分達以外には誰もいない。かといって自分達に向けられた言葉とも思えない。まぁそんな事はどうでもいいかと思った時パチンという音が暗い廃墟と化した通りに響き渡った。

 そこで急に意識が正常になった。と同時にどこからともなく数人の人々が現れる。彼らはこないだ帰って来たばかりの失踪者達だった。だが一人だけそうでない者が混じっている。この事態に内本刑事もかなり驚いている。俺だけじゃなくこの人も今まで彼らがいる事に気が付いていなかったようだ。

 更には白い女も驚いている。だが俺達の驚きとは違う。俺達を見て驚いている。不思議な事に彼女を直視してもさっきのように見とれはしなかった。

 「こんばんは。」

 青年が女に言った。その言葉からは感情が感じられずなんだか寒気がする。

 「あなた…誰?」

 女の問いに青年は答える。

 「神崎 雪乃…お前の敵だ。」


 その人たちはいきなり現れた。でも青年はさっきから其所にいて私を監視していたように立っている。こんばんはという彼の無感情な挨拶が来て私は恐怖した。

 「あなた…誰?」

 たじろぎながら震える声で私は尋ねる。

 「神崎 雪乃…お前の敵だ。」 敵なんて言っているのに尚も感情がない。敵対心すらない。だからこそ怖い。彼には私が付け入る隙がない。私の中で生まれた『恐怖心』は急速に膨張していく。逃げなきゃ私は彼に殺される。でも…どうやって?今の私にそんな力はない。

 「弱ってるな…なるほど、そう言う事か。しかしそこまで回復するなんて、一体どれだけ取り込んだんだお前?」

 彼は私が何をしていたか全部解っているみたい。その時私は周囲の異変に気付いた。さっきまで周りにいた私の『契約者』たちがいない。そんな、どうして?まさか此の人が?

 「悪いけどあの人達には帰って貰った。もうお前の呼び出しには答えない。」

 私の中で尚も成長する『恐怖心』の傍らで『怒り』が生まれ始めた。

 「…どうしてこんな事するの?なんで私の邪魔を…」

 「お前のやってる事が見過ごせないから。ここで終わりにするよ。」

 「正義の味方のつもり?彼らを救おうと言うの?」

 「全然違う、そんなつもりなんて毛頭ない。それに、彼らを救うなんて誰にも出来ない。幻想に呑まれた者がそれから抜け出すには本人が頑張るしかないんだ。周りは少し手伝うか、励まし見守る事しか出来ない。」

 「幻想に生きて何がいけないの?彼らは自分の人生に絶望してた。同じ事の繰り返しでしかない報われない日々に。私の力なら彼らを助けられる。私と彼らは互いに必要としあってるのよ。」

 「あの人達がどうとか、そんな事お前にはどうだっていいんだろ?お前は自分のためにこんな事してたんだから。

 それと、彼らは人生に絶望してなんかない。人生に絶望する奴が求めるのは新しい世界じゃなく自らの死だ。そんなのお前がよく知ってるだろ。」

 …その通りだ。だから弱っていた私でも彼らに接する事が出来た。

 「それでも私を殺すのは彼らの為にはならないわ。もう彼らにとっては此方の方が現実なのよ。彼らの世界を崩壊させる気?」

 「人はいつまでも幻想の中で生きるなんて出来ない。いずれ現実と向き合わなきゃならなくなる。…それに彼らはどうだか知らないけどな、現実から逃避して幻想に生きようとする奴の事なんて、俺にはどうだっていい。」

 「酷い人ね。あなたには逃げたくなる時がないの?」

 そんな訳ないだろ、と答えた彼の足下を中心に円を成した青い光が地面に浮かび上がった。それは大人二人の足下にまで及んでいる。

 「この光からは出ないで下さい。中は安全ですから。」

 そう言って彼が此方にゆっくりと近づいてくる。私を破滅させるために。殺されたくなんかない。でも弱ってる私は彼に太刀打ち出来はしないだろう。隙を見て逃げなければ。

 私は“門”を開けた。そこから四匹の私の(しもべ)が出てくる。出てくるなり青年に襲い掛かった。

 それを見て私はすぐ逃げようと青年に背を向ける。その瞬間、ざしゅという何かを斬る音が鋭い聞こえた。振り返ると私の僕は二匹に減っていた。二匹は…どうしたの?残りの二匹は彼に恐れをなしたようにたじろいている。彼の右腕が青く光っている。それは地面にある光と同じモノ。でも何が起きたかは解らない。

 一匹が彼に飛び掛かった。青年はそれを紙一重でかわすと右腕でその僕を切り裂いた。僕は青く光る切断面からその身を削られるようにして消えた。地面に落下する前に一瞬で。

 たじろきながらも私はもう一度“門”を開き僕を呼ぶ。今度は九匹。逃げる余力を残しておいて呼べる最大数だった。彼らが青年に襲い掛かると同時に私は人間には到底追い付けない速さで逃げる。後ろからはまたあの音が何度も聞こえてくるが今度は振り向かない。これなら…そう安心した瞬間、目の前に彼が現れた。何がどうなっているのか全く解らない。後ろを振り向いても居るのは光に囲まれた大人が二人だけ。青年の姿はおろか、私の僕すら跡形も無かった。

 信じられない。いや、信じられる訳がない。彼はあの数の僕を一瞬で始末して、そこから十五丈ほど離れた所で逃げる私の前に居るのだ。息をきらさず平然と尚も無感情のまま立って居る。

 「何…一体何なのあなた!?」

 最早、死神としか思えない相手に有りっ丈の恐怖をぶつける。

 「敵だって言ったろ。お前はあいつらのようにはいかないな。」

 そう言って掌を此方に向けて右腕を前に突き出す。殺されると思い避けたが違った。掌の前にまたさっきの青い円が浮かび上がっただけ。死神はそれに手を入れ何かを引き抜いた。

 その何か…それは刀だった。柄が白木で作られた鍔も飾りもない物で、刀身には何かが彫り込まれている。それは横に振るわれると青い光を帯びた。

 さっきの僕のように殺されるなんて嫌だ。でも、もう逃げられない。なら…彼を殺すしかない。

 多分、幻覚は効かない。もし効くのなら『契約者』が見える事は無かったはず。そうなると爪と牙で戦うしかない。得意分野ではないし、僕も残り少ないけど殺らなくては。

 僕の残りはあと五匹。その全てを呼び出し敵を囲む。そうなっても感情を表さないなんて…やはり此の人は只者じゃない。

 でもこれに対処出来る訳ない。私達は一斉に襲い掛かる。しかし敵は一瞬で視界から消えた。姿が見当たらない敵の刃が僕を襲う。一匹が殺られた。まさか…空間を操れるの?混乱の中必死で相手を探す。また一匹が殺られた時、ようやく見れた。彼は高速で移動している。人間にはあり得ない速さ、私にも追い付けない。

 死神は私を睨んだ。そのまま此方に突進してくる。応戦するべく右腕を振るった。だが鋭く尖った爪は空を裂いただけで敵には当たらない。また紙一重で避けられた。その動きは穏やかな流水のように滑らかだった。

 いけない、と思いすぐその場から離れようとしたけど間に合わない。敵は速さを減少させる事なく最小限に避けてそのまま斬りかかって来る。避けきれず右腕が斬り落とされた。

 その瞬間、体が白い獣の姿に変化した。此れが私の本当の姿。今受けた傷と力の使いすぎで人間の形を保てなくなってしまった。

 「綺麗だな。」

 そんな私を見て敵はそう言う。この状況でなければ何よりも嬉しい温かいはずの言葉…でもそれにも感情はない。言葉の意味すら死んでしまう。

 「あなたに言われても、哀しくなるだけよ。」

 それは本音なのに少しだけ笑いが混もっている。何故か私は微笑んでいた。

 チャキッと彼の刀が音を発した。この戦いに終わりを告げるように悲しく響く。私は僕をしまった。それは諦めたからではなく、すぐ殺られてしまうなら意味はないと判断したからだ。僕を呼び出し、“此方”に留まらせ続けるだけで私は力を消費してしまう。その浪費を止めて自身で彼を倒そうと決めたのだ。

 地面を一蹴りした彼が迫って来た。今度は外さない。牙を剥き出しにして彼に飛び付いた。私の右側に避けると思った。何せ私にはもう右側が無いから。でもまるで違った。避けるどころか突っ込みながら刀を構えた。彼の眼は恐ろしいほど鋭い。それを見た時、私は最期を悟った。


 無情に煌めく刃が振るわれる。


 今日は晴れだ。空は清々しいほど青い。

それにつられ街はガヤガヤと多くの人で賑わっている。

 そんな中を歩いて県警に向かっている。今日は説明会だ。今回の事件についての全容を、安斎刑事と内本刑事に説明する。以前は調査をしながら解った事をどんどん説明していたのだが、それでは理解出来ない、事件解決後に全てを解りやすく説明しろ、と言う内本刑事の注文から恒例行事になったのだ。

 内本刑事はそれを元に報告書を書くらしいのだが、それを誰に提出するんだろうといつも疑問に思う。

 一応前に聞いた事があるが、君には関係ない、と言われ答えは得られなかった。俺にはわざわざ足を運ばせ説明させるのに、こちらの質問にはちゃんと答えてくれないなんて理不尽だ。だがこの行事は俺にとっても無駄な事ではない。おさらいをするにはちょうどいいのだ。そう思いながら目的地に着いた。

 いつものように安斎刑事が待ってくれていた。だがその顔には混乱と疲労が見られる。

 「こんにちは、安斎刑事。」

 「おう、昨日はご苦労さん。悪いないつも。」

 声もいつもより暗い。眠れなかったのだろうか。

 「大丈夫ですか?」

 「大丈夫に見えるか?行くぞ。早く解説を聞いてモヤモヤを消したいぜ。」

 最もな答えが返って来た。そうして俺達はいつもの会議室に行く。これまたいつものように内本刑事がいた。疲れている安斎刑事とは対照的に、普段通り鋭い目付きをしている。

 「おはよう…と言っても、もうそんな時間帯じゃないな。座ってくれ。早速始めよう。神崎、昨日の“奇”は何だったんだ?」

 この質問はつまり、“奇”の種類と、その正体を聞いている。座りながら俺は答えた。

 「“明生(めいしょう)”です。外見からして、狐ですね。」

 「やっぱり狐だったのか…じゃあ、あの子分みたいな奴らもか?」

 今度は安斎刑事の質問。ずっとその事が引っ掛かっていたようだ。

 「はい。奴らは最初女だった、あの白い奴の(しもべ)です。」

 「僕…ならあれは別の“奇”を支配下に置いていたのか?」

 内本刑事の質問。

 「考え方によってはそうなります。

 僕というのは、それを統轄する大元の“奇”が自らの一部を分けた物なんです。奴らは独立した自我を持っています。だから一々指示をされなくても、勝手に行動できるんです。でも、僕とそれを支配する“奇”は生まれた源は一緒ですから、全く別物同士と言い切れる訳でもありません。有する能力も同じです。」

 「独立した自我…でもそれじゃあ、命令に背く事とか無いのか?」

 今度は安斎刑事の質問だ。それを聞いて内本刑事は安斎刑事に少し睨みを効かせた。安斎刑事はそれに気付いていない。

 「なくはありません。稀に自分がリーダーになろうと反旗を翻すケースもあります。でもそれを防ぐ為に僕は生み出される時、能力を制限されるんです。大元の“奇”はそうする事で主従関係を保ちます。」

 「楯突けないよう、力で従わせる訳か。私も気を付けなければな。」

 安斎刑事への睨みを一層強くして、内本刑事が言った。そこでようやく安斎刑事は睨まれている事に気が付いたようだ。

 「ちょ…俺がそんな事するとか思ってるんすか?!」

 焦る安斎刑事から目を離し、内本刑事が話を進める。

 「それで、あれを“明生”と言った根拠はなんだ?」

 「被害者の記憶の件と、あいつが白い狐だった事です。狐が出てくる昔話って知ってます?」

 「狐の昔話…?知らないな。関係あるのか?」

 「あります。あの“奇”の源になった感情や思いの『対象』が昔話の中にあるんです。

 狐が出てくる昔話や伝承っていうのは各地に沢山有って内容も様々です。そのほとんどは人に化けた狐が人間に干渉してくるってやつで、それらの狐を総称で“妖狐(ようこ)”と言うんです。」

 「へぇ、怪談とかで出ててくる“九尾の狐”とかもそうなのか?」

 落ち着きを取り戻した安斎刑事が聞いてきた。

 「はい。それは妖狐の代表例です。妖狐には種類があって、人に害をなす『野狐(やこ)』と、幸福をもたらす『善狐(ぜんこ)』の二つに分けられます。」

 ここで二人は驚いたようだ。バケギツネが幸福をもたらすというのが意外だったのだろうか。

 「お前、詳しいな。」

 どうやら違った。仕事柄、俺はこういった事を知らざるを得ないのだ。続けてくれ、と言う内本刑事の催促に従う。

 「善狐の中には“白狐(びゃっこ、はくこ)”と言う代表的な妖狐がいます。文字通り白い毛の狐です。あの“奇”は白狐が対象となって生まれたんでしょう。」

 「つまり、『幸福になりたい』と言う思いが源なのか?」

 内本刑事の質問にはい、と答えさらに続ける。

 「妖狐は幻術や神通力を使うとも言われています。あいつはそれで別空間に幻想世界のような物を造りそこに被害者を引き込んでいたんです。」

 「別空間?」

 驚いた安斎刑事が質問してくる。

 「ちょっと正確じゃなかったかもしれません…“奇”が僕を管理、隠しておくための体内にあるスペースと言った所でしょうか。」

 「僕達が出てきた白い光がそれに繋がっていたのか?」

 今度は内本刑事だ。

 「はい。あれは門です。被害者もあれを通って幻想世界に行ってたんでしょう。門を開けるのは僕を支配する“奇”だけです。それ以外の誰も内から外へも、外から内へも干渉は出来ません。」

 「では奴はどうやって被害者を誘導したんだ?」

 「“契約”に付加させた幻術で彼らを操っていたんです。」

 「“契約”?」

 安斎刑事の質問だ。そう言えば今までこの二人には“契約”のことは話していなかった。

 「じゃあ“契約”についての説明をしておきます。これはある一定以上の力がある“奇”のみが出来る手段なんです。契約なんて言っても内容は酷いもので、大概は“奇”にしか利益はありません。被害者側が知らない内に成されてしてしまう事もあります。」

 「まるで詐欺だな…だがそんな名ばかりの行為に何の意味がある?」

 内本刑事は怒りながら聞いてくる。確かに契約と言うよりは一方的な我が儘の押し付けだ。

 「ちゃんと意味はあります。これは呪縛なんです。“奇”が対象を逃がさないための物で、これをしてしまうとどこに隠れようと必ず見付かります。破棄をするには“奇”の同意を得るか、“奇”を殺すしかありません。

 “契約”には“奇”が有する能力を付加させる事が出来るんです。あいつは付加した幻術で被害者を操る時、彼らが周囲に認知されないようにもしていました。」

 「認知出来ない…だから俺達も被害者の家族も被害者がいなくなったのに気付かなかったのか。」

 安斎刑事が納得したように言った。

 『認知が出来ない』と言うのは『見えない』と言うのとは異なる。もちろん見えはしないが、発した音や声を聞く事もできない。『存在している事が分からない』のだ。たとえ被害者が玄関の戸を開けても、真後ろにいても、『存在が認知出来ない』のだからそれすら分からない。

 「“契約”というのがどういう事かはわかった。だが、なぜ認知出来ない相手が家から出るのがお前には分かったんだ?」

 内本刑事が聞いてくる。

 「目に“術”を施しましたから。」

 そう答えると、瞳が青かったのはそれか、と安斎刑事が言ってきた。

 「“契約”の内容は?」

 内本刑事が急かす様に聞いてくる。

 「多分、『幸せにしてあげるから、その分命をちょうだい』ってとこだと思います。被害者も“契約”した事は知らないでしょう。」

 「待て、命をよこせだと?!一体どういう事だ?」

 内本刑事はかなり驚いている。

 「あの“奇”は弱っていました。傷があったのを考えると、何かに襲われたんでしょう。半年前はもっと酷かったはずです。放って置けば死ぬのも時間の問題だった。回復しようにも、源を集めていたんじゃ時間がかかりすぎる。早急に回復するために他者の命に目をつけ、それを取り込んでいたんです。」

 「でも、被害者は生きてるじゃないか。」

 安斎刑事も動揺している。

 「幻術を見せる時間とその質に応じた分の量を奪っていたんです。多かれ少なかれ、彼らの命は減っています。こればかりはどうする事も出来ません。」

 「回復をする事が事件の動機か。それなら、被害者と失踪期間が徐々に増して行ったのも説明出来るな。」

 さすが内本刑事だ。

 「はい。幻想世界に留まらせたままでは、力が枯渇し死ぬ。だから被害者を帰すしかなかった。半年前はまとめていっぺんに人を操れない程弱っていたんでしょう。命を取り込む度に力を回復して行ったから最終的に七人も操り、一ヶ月間幻想世界に留まらせる事が出来たんです。以上が今回の事件の真相です。」

 そう言って説明会は終わった。いつもの様に数分の沈黙が続く。


 「安斎、もう質問は無いか?」

 内本刑事の質問で沈黙は破られた。

 「いえ、俺は何も。」

 「そうか。神崎、今回はご苦労だった。それで報酬はいくらだ?」

 「調査費の三万で。」

 雪乃の答えに俺達は驚かさせた。こいつには欲と言う物が無いのだろうか。

 「一週間も張り込みしたのに、たったそれだけか?」

 そう聞いてもはい、と答えるだけだ。

 「まぁ本人が言うのならいいか。いつも通り振り込みをしておく。安斎、神崎を送ってやれ。」

 そう言われ俺と雪乃は会議室を後にした。エレベーターを降り、玄関に向かう途中でずっと気になっていた質問をする事にした。

 「一つ聞いてもいいか?」

 「え?さっき質問は無いって言ったじゃないですか。」

 「事件には関係無さそうだったからな。答えたくないならいいんだが。」

 「それは内容によりますよ。」

 そう言う雪乃にはいつもの穏やかさがある。昨夜とは大違いだ。

 「『幻想に生きようとする奴なんて、どうでもいい』って言ったよな?あれ、どういう意味だ?」

 「?別に他意はありませんよ。言葉通りです。どうしてそんな事聞いたんです?」

 「いや…お前って奴らと対峙する時いつも無感情なのに、あの時は怒ってた様に見えたからさ…」

 今の発言はまずかったのだろうか、雪乃は黙り込んでしまった。

 「わりぃ、気にさわったか?」

 「いえ、そうじゃないんです。俺全然だめだなぁって思っちゃって。」

 だめって…一体何がだろう。

 「奴らが近くにいる時には無感情にならないとだめなんですよ。」

 それは前聞いた。でもそんなに落ち込む事なんだろうか。

 「完璧を求め過ぎると、身が持たないぜ。人間なんだからさ。」

 そう言うと、雪乃は驚いた顔でこっちを見てきた。そして楽しそうに笑う。これはちょっと心外だ。

 「何だよ?そんな面白い事言ったか?」

 「すいません。まさか誰かに師匠と同じ事言われるなんて思ってなかったんで。」

 「師匠って…お前の“術”の先生か?」

 「えぇ、以前全く同じ事を言われました。別に完璧を求めてる訳じゃないんですよ。」

 なぜかほんの一瞬だけ、こいつが悲しんでいるように思えた。それに確証はないけど、気のせいとも言い切れない。なんだか違和感が残る。

 「安斎刑事、ここまででいいですよ。ありがとうございます。」

 いつの間にか玄関まで来ていた。

 「そうか。気を付けろよ。また何かあったら頼むな。」

 無い方がいいんですけどね、なんて言って雪乃は去った。


 玄関の戸が開いた。部屋の主、神崎 雪乃が入って来る。そのままキッチンで湯を沸かし、少ししてカップを片手にリビングに来た。時刻は六時過ぎ。

 雪乃はテレビをつけ、ニュースを見る。内容はある変死事件、現場はここから然程遠くない。死亡したのは男性、年齢は三十五。突然倒れ近くにいた人が駆け寄った時には既に事切れていたらしく、原因は調査中。死亡した人物の名前と顔写真が表示される。それは昨夜、雪乃と刑事二人が尾行した人物だった。

 あらゆる終わりを告げる報道を、青年はただ見ていた。その目には憂いがある。それは何に向けられたものなのだろう。

本作品を読んで下さった事、誠に感謝します。本作「白い感情 White Emotion」は去年の七月頃には、大まかな世界観、登場人物、ストーリーの一部が出来上がっていました。第一章は色々な意味で申し訳ない物になってしまった気がして反省しております。

 ですが投稿は続ける所存なので宜しくお願いします。

 後書きには登場人物の紹介、用語集、次章予告などを書かせて頂きます。


登場人物

神崎 雪乃 カンザキ ユキノ

十九歳なのに白髪。謎が多い。時たま女性にも見える。よく血だらけの悪夢を見るようだが…。


安斎 徳 アンザイ ノボル

三十三歳。刑事。無精髭やボサボサの髪でやさぐれ気味。雪乃とは三年ほどの付き合いだが理解出来ない事が多く戸惑うことも。面倒見のいい性格。


内本 要 ウチモト カナメ

安斎の上司の女刑事。二十五歳。様々な理由で雪乃に仕事を依頼するのを快く思っていない。周りからは恐れられているが実はかなりの美人。


用語集

長さの単位。約三メートル。


契約

詳しくは第一章後編参照。「今日は見逃してやるから明日は殺させろ」と言う酷い内容の物もあった。


予告

雪乃は因縁の敵と対峙する。その戦いには巻き込まれる七人の男女がいた。雪乃は彼らに“奇”とは何たるかを告げる。戦いの行方、雪乃の真意、そして“奇”とは一体…?次章・死神の巣窟

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