1.逃避への誘い(前)
初の自作小説です。目に余る物があるでしょうが感想などもよろしくお願いします。
ガタガタと全身が震えている。目の前には赤い海とそれに没した三人の被害者、そして身も心も深紅に染まった人に化けた悪魔が一人、俯いて邪悪な笑みを浮かべている。
…怖い、こんなの見たくない、逃げだしたい、そう思っても動くことさえ出来ない。
赤い悪魔がこちらに振り向く。次の獲物…自分をその瞳に映しゆっくり歩み寄って来る。
…いやだ、来るな!
無情な左手で獲物を抑え赤い牙を握った右手を振り上げる。 いやだ、止めてくれ!!
そう思っても声すら出せない無力な自分を嘲笑い悪魔は牙を…。
そこで目を覚ます。視界が一変した。見渡せばいつも通りの自分の部屋。さっきまでの惨劇はそこには無い。安堵のため息をついて少し震えながら額の汗を拭う。
またか…そう思いつつ時計に目をやる。五時…起きるにはまだ早いが眠れる訳もない。仕方ないからコーヒーでも飲もうとキッチンに行き湯を沸かしコーヒーを入れる。冷めないうちにそれを啜った。やはり気を落ち着かせるにはこれだ。
だいぶ安定した足取りで窓際に近づき外を見る。自分の好きな天気。今日は安斎刑事と会う約束があったな。これじゃまた文句を言われるかなと想像しながらコーヒーを飲み干した。
十分ほど玄関で一服しているがやはり息抜きにならない。今朝からの雨で気が滅入るしおまけにこの天気の中あいつを待っているのだ。 雨の中傘もささずに居るのが好きという自分には理解出来ない嗜好を持っているあいつはずぶ濡れで来るのだろうが勘弁して欲しい。風邪を引かないだろうかと心配しながら出迎える俺としてはいい迷惑だ。
吸い殻を携帯灰皿に入れ終えて辺りを見渡すとあいつが来ているのに気付いた。やはりずぶ濡れだ。タオルを持ってきて正解だったなと思いながら来るのを待つ。彼は屋根の下に入る前に立ち止まり一面灰色の空を見上げ静かに笑った。
「相変わらずだな、まったく。」
安斎はそう言いながらずぶ濡れの青年にタオルを投げる。
「身体壊しても知らねぇぞ。」
「すいません。でも大丈夫ですよ。風邪引きにくいんで。それにしてもいい天気ですね、安斎刑事。」
青年の発言に安斎は顔をしかめる。
「さっさと、拭いてくれ。今日は内本刑事機嫌悪いんだから。」 「今日もでしょう?」
「…それ本人に言うなよマジで怖いから。」
「言いませんよ。」
笑いながら答える青年をよそに安斎は落ち込んでいた。
またこいつに仕事を頼むのか。いくら専門外とはいえ命に関わるかも知れない仕事を十九歳ほどの青年に頼むなんて自分たちの無力さが情けなく惨めだ。
「安斎刑事、あんまり思い詰めないで下さいよ。まだ俺に依頼すると決まった訳じゃないんだし。」 俺の考えてる事が分かったのか?やっぱりこいつは…
「前から思ってたんだけどお前人の心が読めるのか?」
「まさか、俺にはそんな能力ありませんよ。安斎刑事は顔に出やすいタイプだしあなたとは付き合い長いから分かっただけですよ。」
だがこいつなら有り得るんじゃなかろうか。本気でそう思う。確かに付き合いは長いがこいつには不可思議な事が多すぎる。雨の事はともかく学生ほどの年齢なのにいつ呼び出しても時間通りに来るし、なぜこんな“仕事”をしているのか分からない。更には何を考えているのかすら分からないのだ。
外見も不思議だ。
健全な青年の筈なのに雑じり気の無い完全な白髪。光の当たり具合によって銀色に見えることもあるその髪を背中まで伸ばしている。以前染めたのかと聞いたら違います、地毛ですと真っ向から否定されたので尚驚いた。顔つきは綺麗に整っていて時には女にも見える。濡れ髪の今など正にその時だ。女性物の服装で街にいればすぐに声を掛けられるだろう。
「あの、もう大丈夫ですけど。」
青年の声で現実に引き戻された。大丈夫とは拭き終わったという意味合いらしいがとてもそうには見えない。
「なら取り敢えず部屋に行こう。暖房つけといたからな。感謝しろよ?まったく出迎えるこっちの身にもなって欲しいぜ。」 すいません、とまた謝るのを聞きながら県警本部に入って行く。あまりに不可思議であまりに非常識な事件の解決を彼に依頼するために。
上がっていくエレベーターの中、安斎と青年は終始無言だった。エレベーターが止まり二人は長い廊下を突き進む。突き当たりの扉の前で止まると、安斎は大きく深呼吸した。
「安斎です。入ります。」
二度ノックをした後そう言いドアを開ける。安斎は青年が入るとドアを閉めた。部屋は会議室で広く、沢山の長机と椅子がある。そこに一人女性が座っていた。
「遅くなってすいません、内本刑事。」
安斎が謝るあたりこの内本という女性は安斎の上司なのだろう。邪魔にならないよう揉み上げから後ろの髪は後頭部で一つに結っている。眼光はナイフのように鋭い。犯罪者はそれだけですくんでしまうだろう。どんな悪も許さず屈することのない強い意志を感じる。そんな目で彼女は二人を睨んみ続けている。
「遅れた理由はいい、さっさと座れ。私は暇じゃないんだ。」
確かに今日はいつにも増して不機嫌だ。声に尖りがある。それに安斎刑事の緊張もいつもよりすごい。
「私達は仕事のために君を呼んだのだ。遊びではない。遅刻されては困る。大体なんでそんなに濡れているんだ?」
次の矛先は俺に向けられた。…遅れた理由がこれです、なんて白状したら火に油だろう。すいませんと謝るしかない。
「まぁいい。関係のないことだ。今回君には失踪事件の調査をして貰いたい。」
そう言って資料を渡される。随分多いなと思いながら一番上の資料に目をやる。三十代ほどの男性の顔写真と調査書だ。この人を探せということなのだろうか?
「写真の男の名前は長瀬 真。半年前、一度目の失踪をした。」
俺の仕事上“おかしい”というのはつきものだがそれでも今の説明はおかしい。
「一度目の失踪って…何度も失踪したんですか?」
「そうだ。一週間失踪して彼は帰って来た。」
内本刑事が答える。更に説明は続く。
「一週間失踪したのに何事も無かったかの如く自宅に帰って来た。そして本人には失踪したという自覚がない。その間普通の生活をしていて記憶もちゃんとあると言うのだ。当然周囲の人間で彼と連絡はおろか、接した者はいない。そして帰宅から二週間ほど経って彼はまた失踪した。しかも今度は別の人間も同時に消え同時に帰って来た。」
「その二人もまた失踪した自覚がなく記憶があった?」
「その通りだ。流石におかしいんで二人を精神的、肉体的に検査をしんだが異常は見つからず、精神的には逆にリラックス状態だった。ちなみにこの二人には接点はなくお互いの事も知らない。」
「…そしてまた彼らは失踪してその時に別の人間も消えまた帰って来たんですね?」
「あぁ、今度は二人が消えた。そんな事が何度か続いて現在は六人が失踪中だ。」
資料を漁ると確かに六人分の顔写真と調査書があった。見た目彼らには接点はない。男女、年齢にも法則性はない。
「それら全体を通して他に共通点はありませんか?」
「失踪が起こる度にその人数と期間が増える事くらいだな。」
今度は安斎刑事が答えた。
「それだけじゃない、彼らが帰って来る度に検査をした所、失踪する度に精神的にストレスが薄くなっている事が分かった。」
内本刑事の今の付けたしは気になるものがあった。『ストレスが薄くなる?』
「じゃあ彼らの失踪中の記憶ってどんなものでした?」
「これといった異常は無かったぞ。当然周囲の者達の記憶とは合う訳がないが…それがどうかしたのか?」
「えぇ、少し。気になって…」
もし俺の考えが正しければ…。でもどうして最初から大勢失踪しなかったのだろう?それに失踪期間が伸びるのも変だ。
「やっぱ“奇”なのか?」
考えこんでいるっ安斎刑事が聞いてきた。
「…詳しくは調べないと分かりませんけどそう考えていいでしょう。でも“奇”だとしてもちょっと異例ですけど…。」
「異例?何がだ?」
内本刑事が鋭く聞いてくる。
「失踪者が帰って来る事です。“奇”は自分の目的を果たしたら後はどうでもいい、つまり拐った人間を無事に帰すような事はしません。それに何度も拐わずに捕まえておけばいいのにわざわざ帰す。
失踪者が増えていく事も変です。一度に済ませればいいのにそうしない。」
「“奇”の中の変わり者とか?」
安斎刑事の本気か冗談か分からない発言は内本刑事の癪にさわったようだ。鋭い目付きが安斎刑事に向けられる。
「まぁ私達が把握しているのはこのくらいだ。何か要望は?」
「失踪者の近辺の人達に直に聴取させて下さい。それと失踪者が帰って来たら連絡を。」
分かったと内本刑事は了承してくれた。
外に出ると雨はやんでいた。灰色の曇り空は相変わらずだけど。この天気は嫌いだなと思いつつ俺と安斎刑事は県警を後にした。




