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もふもふ禁止の時代に、美青年がぬいぐるみを背負って事件を解決する話

作者: 帰初心

忍丸様と一緒に考えた「もしも、動物をもふもふすることが禁じられた時代があったら」という仮定で作られたお話です。ちょびっとミステリー。

「誰もが無茶な法律だと分かっても通ることがあるのですよ。人として本当にありえないと思っているのに……その場の空気と時の勢いってやつですかね?」


「ことなかれと生きているやつは白票を投じて、強く主張しているやつの背中を押してしまう」


「今はいいですよ? 世論というこの世で一番いい加減なものを味方につけたのですから」


「でもこの法律。いったい誰が最後に喜ぶのか」






 とある政治記者が評した法律。

 『真の毛皮保護のため、毛皮のある動物の一切を保護する動物愛護法』。

 別名『もふもふ禁止法』。


 世界でも有名な悪法が施行されて、すでに十年が経つ。


 法律制定後、国は特殊組織を立ち上げて、全国で「毛」狩りを行った。


 そして毛の生えた動物たちは、一年も経たずに殆ど地上から姿を消す。

 行方は国の機密として扱われ、誰も知ることはない。

 愛する対象を失った者たちは嘆き、絶望のあまり自殺するものすらいたらしい。


 もちろん家畜も例外ではない。

 代わりに養殖と食用ハ虫類の生産が推奨された。

 日本の食卓は激変する。



 

 動物たちのぬくもりを求め、代用品として手触りを尊ばれたのは毛皮。それすらもやがて特殊組織の家宅捜査が入り、全て燃やし尽くされた。

 焚書坑儒に並ぶ悪行、燃毛隠宝だ。


 唯一国民に触ることが許されたのは、合成毛皮。

 そして動物の姿を模した、ぬいぐるみ。

 人は自分が大切にしていた動物たちのぬくもりと姿を追い求め、ぬいぐるみを求めた。



◇◇◇◇




 犬飼東吾いぬかいとうごは、若くして成功したぬいぐるみ作家だ。

 特に毛の豊かな動物を得意とした。


 彼の作るぬいぐるみの感触は極上。

 写真よりも丸めにディフォルメされた姿はさらに愛らしく、子供たちは憧れた。

 癒しを求めた大人たちもこぞって彼のぬいぐるみを求め、今や十年先まで予約が入っている状況だ。


 ある評論家はこう評する。

「彼のぬいぐるみたちは本当のぬくもりがある。まるで生きているかのように。……そう、かつて私達を癒してくれた、ペットたちのように」


 ある新聞記者はこう指摘する。

「なんであの人、いつも背中にブルドッグのぬいぐるみを背負っているんですかね? ぬいぐるみ作家っていってもやりすぎでしょ……下手に美形なだけに勿体ない」



 

 

 

 繊細な横顔に夕陽が当たる。

 女性には「綺麗」と言われ、友人たちには「神経質な女顔」と言われている顔に、はっきりとした陰影ができる。

 時折、黒髪が一部跳ねた頭を針先で掻きつつ、一針一針縫い続けていた。




 どれだけ時間が経ったのだろう。

 やがて、東吾は完成間近のタヌキのぬいぐるみに最後の一針を入れた。

 力を入れて引っ張り、糸を歯でかみ切る。

 赤いブルドッグ型の針山に針先を突き刺し、糸切りはさみではみ出た糸と余分な毛を整えた。


 タヌキ持ち上げ、ひっくり返す。

 毛の柔らかさで、掴んだ指が沈み込む。

 黒と灰のコントラストが美しい。

 わざと不揃いにした毛で段差が生まれ、ふわふわ毛先が飛び、躍動感を感じさせた。

 チャームポイントである、ふっかりとしたお腹。


 そっと撫でて、彼はふんわり具合に満足した。


「初めまして、可愛いタヌキくん。これから命をあげるから、その毛並みをさらに素晴らしいものにして欲しい」


 そう、ぬいぐるみに声をかける。






 東吾は毛のある動物が大好きだ。


 鳥に犬猫、ネズミにリス。キツネやタヌキも捨てがたい。

 もちろん鹿や猪、熊の少し強い毛並みも魅力的だ。

 そして、何よりも彼らの魅力を、愛するぬいぐるみに生かすことに夢中だった。

 

 ふわふわの毛。

 ざらざらの毛。

 手に吸い付くようなしっとりした毛。

 またはさらさらしすぎて手から零れる絹のような繊細な毛。

 あの感触をずっと味わっていたい。 


 写真や映像を見た動物の姿と毛並みは、一回見ればおおよそが再現できる。

 幼いころに触れ回った、山の動物たちの感触も、確実に手に残っている。


 東吾はぬいぐるみに魅せられている。

 そして、人を魅了するその毛の手触りに命を懸けていた。

 作家として職人として。何よりもぬいぐるみ好きとして。


 人の良識を捨てても良いほどに。






「先輩。準備しますよ」


 彼の横には短毛でふわふわの布地で作られた、ブルドッグのぬいぐるみが、つぶれ気味の饅頭のように横たわっている。

 そしてつぶらな瞳が、東吾の手元を向いていた。


 いつもは背中にしょっているそれを、東吾はなぜか「先輩」と呼んでいた。


 机の上にある、色の付いた「狸」の写真を桐箱にしまう。

 生身の、それも毛の生えた動物に触れることのできないこの時代。

 唯一国民が動物を知ることができる、映像と写真は貴重だった。

 色の付いた色彩豊かなものなど、それこそ滅多に手に入らない。

 東吾は当初、あるつてを使ってそれを入手していた。今は代理人を使って、増えた稼ぎで収集している。




『東吾。君はぬいぐるみを作るのが好きなのだろう? もっと人の心を癒すような、素晴らしいものを作ってみたくないか?』

「確かに作りたいですが」

『そうだろう、そうだろう! 動物の毛皮を味わえなくなった昨今、君のような才能のある人間に作ってもらってこそ、かつてのペットたちも浮かばれると思うのだよ』


 脳裏に浮かぶ声。

 彼女はずいぶんと変わった女性だった。

 東吾の素質を見抜き、「素晴らしいもの」を作る方法をあれこれ教えて、彼女は消えた。


 そう、世間からは思われている。




 隣の部屋に移動する。

 二十畳ほどあるだろうか。広く、周りは打ちっ放しのコンクリートの壁のみ。

 大きな窓赤い夕日が差し込んで、床を赤く染めている。

 その中央には幾何学模様で何重にも描かれた不思議な黒い円陣。


 東吾はその中央にタヌキのぬいぐるみを置く。

 そしてポケットに入れていた針ケースから針を取り出し、軽く親指に刺した。

 赤い滴が円陣に落ちる。


 すると。

 円陣が淡く光り、夕日の光と赤い液体を取り込み、ぬいぐるみに色彩が流れていく。

 ふわふわの毛がふんわりとふくらみ――――まるで生きているかのような艶を帯びる。

 東吾は満足そうにため息をついた。


「毛並みが綺麗になったね。これで本当に完成だ」

《うゅーん》


 ドアの向こうに。

 タヌキの鳴き声が、響きわたった。




◇◇◇◇




「はい。君の依頼で作ったタヌちゃん。大事にしてね」

「わあ……! ブルドッグのお兄さんありがとう!」


 ふわふわの冬毛で膨らんだタヌキのぬいぐるみを、今年七歳の誕生日を迎えたという女の子に渡す。

 長い黒髪に花のヘアピン。

 品のいいピンクのワンピースを着た女の子は、まん丸なタヌキの目と同じような目をして喜び、頬を紅潮させながらぬいぐるみを抱きしめる。


 後ろの裕福そうなご両親も本当に嬉しそうだ。

 当初俺の背中を見て微妙な顔をしていたが、目の前の艶々ふわふわの毛並みを目にしてからは、いたってご機嫌だ。


「絶対に、乱暴に扱わないでね。タヌちゃんが泣いちゃうからね?」

《でないと呪うからな》

「お兄ちゃん? 今、何か言った?」

「いいや!? 何も? 風の音じゃないかな」


 素知らぬふりをしながら、契約書を女の子のご両親と交わす。

 ぬいぐるみ作家・犬飼東吾の作品を購入する者は必ず、譲渡契約書を交わすことになっている。




 『譲渡』と書いてあるが実質は売買。高額で取引をする一方で、契約書には、

「信用によって売ったものです。もしもぬいぐるみを泣かすようなことがあれば、商品を回収させていただきます。お代はお返しします」

 という記載を必ず入れてある。


 更に事細かに注文を付ける。

 ・汚したら丁寧に洗うこと。

 ・乱暴に扱わぬこと。

 ・愛情が目減りしても、決して捨てない。大切に保管すべし。

 ・更に他人に譲渡するなら、犬飼ぬいぐるみ商会で契約をし直すこと。


 自分でも面倒くさい条件だと思う。

 それでも俺のぬいぐるみの温もりを求めて、大勢の客が列をなす。

 皆、昔ペットを飼って大切にしていた金持ち連中だ。


 もふもふしたい。

 癒されたい。

 あのころの思い出に浸りたい。


 毛皮すら販売が禁止された今。

 世界で一番「生きた動物に近い毛の感触とぬくもり」を再現できる俺は、すっかり時代の主流となっていた。



 

「犬飼さん。ちょっと署まで同行願います」


 喜ばれすぎて、警察に目を付けられるほどに。






 見慣れた目黒谷めぐろや署。

 前の職場だ。


 パイプ椅子に座った俺の前に出されたお茶。容疑者にしては優しい対応をしてくれるのは、元後輩の柴山だった。


「無罪だ。俺はこの十年、本物の犬は見ていない」

「僕も思いますよ。ですが先輩、先輩のぬいぐるみの毛並みはリアル過ぎるんですよ。いちゃもんの類でしょうが、これも仕事なので。お願いしますから、ここ最近の行動は正直に答えてくださいね。毛皮の検査もさせていただきます」

「分かった」


 ぶっきらぼうに答える自分の前で、柴山が書類をめくる。


《つくづく貧乏くじだよね、柴山君は。あのデブタヌキに言いように使われている》


 背中から声がする。


「今、何かおっしゃいました?」

「いいや。気のせいじゃないか」

 



 そこにドタドタと足音が聞こえてきた。聞きなれた重い体重の音。

 ドアを勢いよく開けたのはかつての上司だ。

 サスペンターで支えられた大きなお腹を揺らして、ドラ声を張り上げた。


「柴山、事件だ! またぬいぐるみが……! って、ぬいぐるみ野郎が来ていたのか」

狸岡まみおか警部。お久しぶりです。お元気そうで」

「ふん。職務を全うせず手芸おんなのてあそびに逃げた男が何を言う。ところで、あの奇怪な女はどうした」

「自分は知りませんが、元気でおられるのではないでしょうか」

「仕事がちょっと出来るからって、威張りくさっていたあの女が、まともな再就職ができるわけがない。あの性格じゃ嫁にもいけないだろう。年増じゃ生きている価値もなし! その辺でのたれ死んでいなけりゃ御の字か」


《デブ、殺す》


「ああ!? 何か言ったか!?」

「いいえ!? 何も」




 元上司はすぐに頭を切り替えた。

 柴山に状況を説明して、慌てて部屋から出ようとするが、「そういや」とこちらを振り返った。


「盗まれたのはお前のぬいぐるみだ。夫人は現場に警官に『ただのぬいぐるみと思わないで!』となかなか捜査が進まない。ちょっと手伝ってくれ」




◇◇◇◇




 それは俺が以前作ったコーギーのぬいぐるみ、パンタの持ち主だった。

 警察官が質問に泣いてしまって対応ができない中年の女性と、おろおろとなだめている夫らしき男。


「山田さん」


 俺が声を掛けると、強ばって言葉少なに対応していた奥様の表情が変わる。


「犬飼さん!? あの、あの子は昨日の夜からずっと私と寝ていたのです! なのに、朝になったら……誰があの子を盗ったのですか!」

「分かりません。なので、一緒に探しましょう」

「確かにあの警察官が言うように、『たかが』ぬいぐるみですよ? でもあの子は遠くに行ったパンタのぬくもりを持っていた。あの子は大切な私の……!」


 涙で声が出なくなって、ハンカチで顔を隠した彼女の肩を優しく抱く。


「私もできる限り、パンタ君の心を込めたつもりでした。どうか落ち着いて。まずは状況を教えてください」



 

 奥様が毎日大切に手入れをしているパンタ。

 もふ禁法により愛犬を国に取り上げられ、毎日泣き暮らしていたところに、俺の作品を知る。

 少しでもパンタに似た子を。

彼女の願いを聞き入れ、その毛並みを再現した。


 ぬいぐるみが紛失したとされる、寝室に通される。

 俺も特別に許可されて調書に付き合うこととなったのだ。


「あの子が帰ってきたと、思ったのです。あのぬくもりはまさにパンタ。そしてぬいぐるみなのに、私をお母さんと慕ってくれているような気がして」 


 子供のいない夫妻にとって、パンタは大切な子供代わりだった。

 特に奥さんにとっては、何よりの存在。

 自分が先に死んでしまったら、遺産の半分は彼にあげたいと周囲に漏らしていたほどに。


 今は、ぬいぐるみのパンタが、彼女のよすがとなっていた。

 毎晩旦那ではなく、ぬいぐるみを抱きしめて眠るほどに。




「寝る前にはきちんと窓にもドアにも鍵を掛けていました。お手伝いさんはいますが、彼女は昼間しか働きませんし、鍵の在処も知りません。ねえあなた」

「ああ。起きたら、妻の腕の中のぬいぐるみがいなかった。それは本当だ」 


 旦那さんがおどおどと自信がなさそうに説明する。

 ふいにじっと彼の目を見つめてみた。向こうの視線がわずかにずれる。

 

(怪しい)  

 ――――この場の誰もが思った。


 狸岡まみおか警部は、調書を眺め、胡散臭げに旦那さんを見て尋ねた。


「妙なことをお聞きしますが……旦那さんは、その。パンタ君を」

「犯人は主人ではありません! 主人も私も、就寝前は睡眠薬を飲んでぐっすりと眠るのです。そして大抵は私の方が早く起きます。今日もそうでした」 

「これは失礼。ではあくまでご夫婦が寝ている間に盗まれたということですね。他に盗まれたものはありませんか」

「いえ、特には……」


 目の端に、見知った処方箋の袋が映る。

 記載名は睡眠薬。奥さんに聞くといつも服用しているものだという。


 俺は奥様と警部に断って、柴山に借りた手袋をして、袋を開けた。

 処方日は一昨日。処方量は二週間分。

 だけど、シートは一枚しか入っていない。

 随分ともったいないなと思っていると、背中から声がした。


《東吾。犯人が分かったぞ》


「どういうことです?」

「何かあったのか?」

「あ、いえ。睡眠薬が少ないな、と」

「あらやだ。そういえば……」

「俺じゃないぞ!?」


 唐突に旦那さんが叫ぶ。

 汗をかきながら、必死に弁明する姿が、一層あやしい。






 とりあえず応接間に移動することにして、俺は一度トイレを借りに行くことにした。

 そして道に迷ったふりをして、庭に出る。


 俺は近くの庭石を見つけると、しゃがみこんだ。  

 先輩に教えられた、パンタ君を隠した犯人に会うためだ。


 石の陰に向かって、優しく声を掛けた。

  

「パンタ君。君はどうして自分から姿を消したのかな?」


 おずおずと庭石の陰から現れた、コーギーのぬいぐるみ。

 映像よりも少し丸みを強調した毛並みの犬のぬいぐるみが、ほてほてと近づいてくる。

 体の作成者である俺が分かるのだ。




 俺は作家として、ぬいぐるみに毛並みのリアルさとぬくもりを追い求めた。

 そして作成した作品たちには、最後の仕上げとして―――。


 ――――モデルとなった動物の、「本物の魂」を入れている。

 





 誤解をしないでほしい。

 別に動物を殺して入れているわけではない。

 そもそも隔離された動物の居場所は、俺にも分からない。「彼女」だってとうとうその場所を突き止めることはできなかった。 

 

 俺はただ、魂だけとなった存在を、召喚しているだけだ。

 かつての主人に会いたい、またはもう少し現世を生きたかったという思いのある魂の了承を得た場合にのみ、かつての姿に似せたぬいぐるみに憑依させている。


 その技術はみな、背中で偉そうにしているブルドッグのぬいぐるみの「中身」に教わった。




 おずおずと俺に近づく、茶と白のふわふわ丸いコーギーのぬいぐるみ。

 俺の膝の上に、綿の入った前足をぽふっと置いた。

 まん丸のお尻を振りながら、しきりにガラスの黒い瞳で訴えてくる。


《どけ東吾。パンタ君の悩みは私の悩み。代わりに聞いてやる》


 背中の「先輩」が、じたばた動き出したので、背負いひもを解いて下ろす。

 立ち上がり、ぼてぼてと歩き出す、へたれたブルドッグのぬいぐるみ。

 ふんふんとぬいぐるみ同士で、額を合わせ頷き合った。

 いつ見ても不思議な光景だ。



 ――――数分後。

 先輩はへちゃむくれの顔をいっそうしわくちゃにして言った。


《まずいな。どうやら今回は、命に係わる案件のようだ》






 普段は全く動くことのないぬいぐるみのパンタ君

 彼は今回魂の力を削ってでも、動くことを決意した。


 騒ぎを起こし、警察を呼ぶことで。

 少しでも周囲を警戒させたいと思ったらしい。


《睡眠薬を盗んだのはおまけだな。今どきの睡眠薬を大量に飲んだくらいで人が死ぬわけがない。だが、やましいところのある旦那さんが動揺する程度の効果はあったらしい》





 旦那さんは入り婿だ。

 長年子供に恵まれず、周囲に「種なし」と罵られていた。


 奥さんはやがて子供代わりに犬を可愛がり始めるが、親戚連中の責め苦は終わらない。むしろ強まった。

 しかも最近は家の養子問題が浮上し、ますます息が詰まった旦那さんは、浮気――――が怖くて、博打に手を出した。

 最近流行の、為替の先物取引に手を出したのだ。


 すぐに大損失を出したが、相談する相手もいない彼は数字を取り返すために他の取引にも手を出して、莫大な借金を抱えてしまう。

 さらに裕福なこの家と土地を、奥さんに無断で抵当にいれてしまった。

 この家の権利一切は、一人娘だった奥さんが握っているのに。


 悪い意味で恐妻家と陰口を叩かれる彼は、完全に孤立していた。




「まさか。旦那さんは奥さんを殺そうと」

《言うな。誰が聞いているか分からない。特に私の声をな!》

「……ならば普段から黙っていてくださいよ」

《知らん》


 最後の手段か……。

 旦那さんは養子が決まる前に、自分よりも愛犬もふもふを愛する奥さんを殺そうと血迷い始めていたのだろうか?

  



「だが、旦那さんはいまだ実行していないと」

《そうだな。小心者の男のようだ。だが、いい機会だ。奥さんはこどものことしか考えていない上に、夫は一人孤独に陥って思い詰めている。二人はきちんと話し合うべきだろう》


 先輩は、パンタ君とむにっと額を付けあって、何やら知恵を授けていた。

 犬のぬいぐるみ同士の密談。

 可愛らしい光景のはずだが、片方が先輩だと思うとあまり心が惹かれない。






「パンタが見つかったの!?」

「はい。なぜか、隣の旦那さんのクローゼットの中にありました」

「クロー、ゼット?」


 柴山の報告に、激しく動揺する旦那さん。

 彼に胡乱に視線を集中させながら、当事者全員は黒いクローゼットの前に集まった。


 そこにはパンタ君がいた。

 衣類の下、薄い道具箱の上で、くたりと転がっている。


「パンタ!」


 一人冷や汗を大量に噴き出している旦那さんを横に、奥様は大喜びでパンタを持ち上げ抱きしめた。

 すると。

 パンタの後ろ脚に引っかかっていた、箱のふたがずれた。


「あら、懐かしいわ。これは私と夫の昔の写真ね。それに主人宛ての手紙? あと証書かしら。―――――何これ、借金!?」

「すまん、ミツ子!!」


 旦那さんがその場で土下座をする。

 パンタを抱きしめながら呆然とする奥様。片手には発見した証書に愕然とする。


「あなた……どうして私を相談してくださらなかったの」

「……」


 旦那さんは動かない。

 静かに背中が震えている。


「そして、どうやってこれを返すつりだったの!? ねえ、何か答えて!」

「……」


 動かない旦那さん。奥様も小刻みに震えだす。




 ―――――そこに、小さな声がした。

《お母さん、手紙を読んで! お父さんは追いつめられていたんだ!》



 

「え、手紙?」

「誰だ!? 先ほどの声は!?」


 動揺する奥さんの腕の中から、ぎりぎり不自然ではない程度に体をひねらせ、パンタは落ちた。

 頭から。証書の上にあった手紙を目掛けて。




「パンタ!」


 慌てて持ち上げると、手紙がパンタの口に「ささって(ただしくは必死に噛んで)」いる。

 

 これ以上言葉を発すると、知られてしまう。

 パンタがただのぬいぐるみではないということに。


 彼は短い手足を一切動かさない。

 狸岡警部も、柴山も。まだ気が付いていない。

 ただ、手紙をお母さんに開いて欲しいだけなのだ。

 



 奥様はパンタを抱え直しながら、不思議そうに手紙を開く。

 そして目を見開いた。


「死亡保険の案内?」

「おや、最近よく名前をお聞きするコンサルタントの会社ですな。金に困った当人に、その家族の名前で契約をさせて、『自然死』した後に手数料をいただくと言う噂の……」

  

 狸岡警部が失礼、と手紙を借り受ける。

 眉間に皺を寄せて眺める。


「これは……山田さん。借用書と同額ですね」

「あなた……そんな!」

 

 肩を落とす旦那さん。

 俺は、コーギーの動きがばれなかったら内心はらはらしている背中のブルドッグのぬいぐるみを撫でながら、様子をみた。


 狸岡は一度目をつぶり、全員の前にそれを広げる。




「そして、証書の名義は、旦那さんの名前だ」







 ぬいぐるみに憑依できるのは、あくまで「魂のみ」になった動物だけ。

 ――――つまり、パンタはすでに死んでいた。

 収容された場所で。

 そこは白い空間だったとしか、彼には記憶がないらしい。




 だけど、彼には未練があった。


 人間のお母さんとお父さんの仲が心配だ、と。

 自分ばかりを可愛がるお母さんは、お父さんが苦労しているのに気が付かなかった。

 惚れた女に覚悟を決めて入り婿になったはず。

 だけど、家のことで苦労が重なっていくのに、守りたい彼女はもう自分を見ていない。


 パンタは犬だから、三歳児くらいの知能しかない。

 だけどお父さんが苦しんでいるのはよく分かった。

 どうにかしてあげたい。

 

 お母さんも心配だった。

 だけど、それ以上にお父さんのことも心配だった。

 いつか彼に、何か起きるのではないかと。


 だから、パンタは俺の召喚に喜んで応じてくれたという。






「本当にありがとうございました。これからのことは夫婦でちゃんと話し合っていこうと思います」


 頭を下げる二人。

 事件は、パンタの発見で終わった。


 旦那さんは何もしていない。

 ただ、死への誘惑に囚われただけ。




 狸岡警部が、悪徳会社については詐欺に加担をするなと厳重に注意し、これからの相談窓口を説明した。

 借金そのものはどうにもならないが、投資会社は怪しいところが混じっているので、精査すればだいぶ減らせるとも。


 パンタは、お母さんに大切に抱えられて見送ってくれた。

 これからもぬいぐるみとして、仲直りしたお父さんお母さんと一緒にいられることも嬉しいらしい。

 彼は二人が死ぬまではこの世にいたいと、先輩に伝えてきたのだ。


 二人の子供の魂は、ぬいぐるみの中で生き続けていく。




◇◇◇◇




 ようやく調書からも解放された俺は、問屋街に向かって歩いていた。

 もう時間は夜だが、街頭は明るい。

 先輩を背中に背負ったまま、今日ずっと思っていたことを質問する。

 

「先輩」

《なんだ、東吾》

「どうして、あの子の中身はパンタ君なのだと教えてはいけないのですか」


 いつも先輩は言う。

 決して魂の存在がばれてはいけないのだと。

 ぬいぐるみに入った動物たちも、絶対にそれを守るのだと。


《日本なら神の一人というだろう。西洋だったら悪魔か――――とにかく「ヤツ」が許さないからだ。ばれたら魂は一瞬にしてあの世に引き戻される。こうして魂を呼び出してぬいぐるみに入れるだけでもえらい譲歩だったのだ》


 背中の柔らかいタオル地に似た感触が、揺れる。 


「先輩がこうしてぬいぐるみに入っているのは――――」

<……以前から、ブル太郎の魂を呼び出して、この体に入れてくれと私は交渉していた。だがな>




『ないものは入れられない。そいつはまだ死んでいない』

『何!? どこだ。ブル太郎はどこにいるのだ!』

『お前が我の嫁になれば会わせてやろう』

『断る。下僕なら間に合っている』

『……いい性格だ。実に好みだ。そんな女が困った顔をするのを見るのも私は好きだ。とりあえず自力でなんとかするのだな』

 



 「ヤツ」という存在に交渉を断られた先輩は、継続して「もふもふ禁止法」を廃止するために先輩は警察内で活躍した。少しでも出世し、真実に近づくために。

 同時に当時のブル太郎ぬいぐるみを作った俺を、まあいいように扱ってくれた。


 だがやがて、その思惑は上層部にばれ――――特殊組織に付け狙われことになる。

 しまいには半死半生の状態に追いやられてしまう。




《そんな折に「ヤツ」に体を奪われ、気が付いたら、代わりにこの体に入れられてしまったがな》

「俺も現場にいましたからね」


 先輩は全く後悔していない。

 それどころか、とことん前向きだ。




《とにかく今は生きていてラッキーだった。ヤツに感謝しなければならないな。……私はブル太郎に会いたい。あの子を抱きしめたい。そのためなら、何でもしよう》


 だが犬の寿命はせいぜい十五年。うまく延びても二十年。

 すでに十年が経過した今、当時五歳だったブル太郎の残りの時間は―――――。




「……もしもですよ。ブル太郎が亡くなったら、どうするのですか」

《お前にブル太郎の魂を召還してもらって、この体を譲るよ。せっかくこの世界で生きられるんだ。あの子にはもっと現世を味わってもらいたい》


 先輩は死ぬ気だ。

 どこまでも生き方が明確で、死に際まですがすがしい。

 思わず感心をしていると、彼女は背中でふんっと鼻息を荒くした。




《まあ、別にすぐに死ぬ気はない。近い将来「もふもふ禁止法」は廃案になる》


「え、いつですか!? 初めて聞きましたけど」


 一日の大半を俺に背負われていて、いつそんなことが分かるのか。


《ぬいぐるみの世もなかなか狭くてな。案外お前が交流している先から得た情報と天才的な私の頭脳を足せば、それくらい読める》

「交流している先って、他のぬいぐるみ作家や人形作家くらいで――――え、まさか」

《そうだ。何らかの事情があって憑依しているのは、お前のぬいぐるみたちだけではないということだ》


 ……そういえば。

 川田先生のお花ちゃん人形の前髪が最近伸びていたような。

 新しい髪型かと眺めていたけれど。




「ええええええ……」

《この世は常に魑魅魍魎に溢れているのだよ、東吾。気がつかないだけで、我らみないな存在はごろごろいる》


 ただ、確かなことはある。 

 先輩は続ける。


《私はブル太郎を愛している。あの子の無事を見届け、あの子の幸せを願うこの気持ちは変えられない。魑魅魍魎になったからには、得たものを最大限に利用するのだ。だからこそ……》


 背中のぬいぐるみに、熱が宿る。


《廃案の後に、隔離された動物たちを見つけ、ブル太郎を助けるのだ。お前がな!》

「俺ですか!」


 先輩は笑う。 


《私が一番手駒として使えるのがお前だ。これからも魂のぬいぐるみが作りたいだろう?》

「う」

《ふん。お前とて罪なヤツだ。死んだものの魂を使うとはいえ、作品を高めたいという欲望に囚われている》




 何も反論できなかった。

 先輩がいるからこそ、理想のぬいぐるみが作れる。あの素晴らしい手触りを再現できるのだ。


 黙った俺に、ふっふっふと勝ち誇る先輩は、やがて静かになった。

 魂が摩耗したのだろう。今日はとにかくしゃべり通しだった。

 へたれたブルドッグのぬいぐるみとして、俺の背中にもたれたまま動かない。




 先輩をおぶい紐から下ろすと、それはへたりとしたブルドッグ。

 作家に憧れていることを知った先輩に、「作れ」と命じられて必死で作ったぬいぐるみ。

 バランスはいささか悪い。

 他のぬいぐるみと違って、使った材質も高くない。


 だけど――――これほど憎らしくて、思い入れのある作品もそうはない。




 手でつかんだところは綿そのもので、だけど毛並みは極上。

 我ながら初期の最高傑作だといえる。


 先輩は愛犬のために、自分の魂を神に売ったようなものだ。

 そして愛する犬のためなら、国とどこまでも戦える。

 俺も、この感触を得るために、先輩に良識を売ったと言える。




「まあ、先輩には付き合いますよ。俺とてあなたと同じムジナだ。愛するもののためならば、なんだって出来るでしょう」


 へたれた先輩を脇に抱えて夜道を帰る。

 明日もぬいぐるみとぬくもりの思い出を求める客がやってきて、忙しくなるだろうなと思いながら。



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― 新着の感想 ―
[良い点] 推理ものかと思いきや、神や魂、果ては国家転覆(は言いすぎか)の計画まで。終始落ち着いた調子で話が進んでいるというのにスケールがどんどん広がっていく展開が面白くて一気読みしました。
[一言] ちょっ!結局ブル太郎はどうなった!?俺と先輩は!? 続きが気になるではないですか。。
[一言] 読ませていただきました! 本物の手触りと同じぬいぐるみ……欲しいです笑
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