7話 別れ
アカリの家でルディの手当てをしてから三日後。
「突然で悪いんだけど、俺、今日で帰ることにした。俺と一緒にきた奴らも帰ってくるのをテントで待っているからな」
アカリは突然のことに驚いて持っていた木目皿を落としてしまった。木で出来ており割れる心配はないが、皿は駒のように回ると、止まった。
「すいません!」
慌てて落としてしまった皿を拾った。
「で、でも。まだ手当てが終わってないです……」
「傷の治り順調そうだから、心配ない」
ルディは傷のある腕を振ってみせた。
アカリが毎日傷口を見ていた。傷はふさがり、化膿することなく、順調に回復していっている。
傷の手当てはただの口実。アカリはそのあとこう続けたかった。
『ローちゃんが帰ってくるまでいてください。一人だと、リーが怖いんです』
口先まででかけて、言えなかった。そんなのわがままだ。この人をここに止めておくことはできない。してはいけない。
アカリは唇をかみしめて、ルディに向き直った。少し寂しげな笑顔で。
「分かりました。いつ発たれるんですか?」
アカリは努めて明るく承諾した。悲しいなんて、悟られたくない。
「夜遅くに。世話になったおばさんに礼を言いたいが、夜遅いとさすがに、な。昼でも構わないけど、アカリが困るだろ?」
迷って首肯した。
昼に知らない若い男性と歩くアカリを見た村人は不振な目で二人を見ていくだろう。姉妹は、村のお荷物でしかない。両親のいない子供がいくべき場所は、修道院になる。修道院に入れば、行動の制限をされ、自由はない。
姉妹が修道院へ行くか、行かないかで村人達とひともめしている。
両親が健在だった頃に比べると暮らしにくさは否めない。
「ミネおばさんならあたしが呼んできますよ。まだ家にいると思いますから」
「昨日の奴にも、一様礼を言いたいんだけど……アカリ?」
玄関へ向かったアカリはドキリとした。昨日の出来事がまざまざと思い出される。アカリは昨日、リーライの真剣な告白に返事をしていない。
ルディが恐怖で顔をひきつらせるアカリを気遣って、リーライを外へ出してくれた。そのまま家へ帰したらしい。
「無理なら、おばさんだけでもいいぞ」
「はい。大丈夫、です」
あまり乗り気ではないけれど、ミルリィーネが一緒だから大丈夫、と言い聞かせミルリィーネの家へ急いだ。
ドアの前でミルリィーネを呼ぶ。
「はいはい。ちょっとまってね」
小さい声が聞こえてくる。リーライの声がしない。居なくて安堵した。昨日のあの出来事で、会いにくい。
ドアが開いた。
そこにいたのはいるはずのない人物――マーリェが立っていた。二歳になる娘を抱き上げている。
マーリェは髪を後ろで一つに結んでいた。娘は母に抱きつき、眠たそうに瞼を擦っている。
「アカリ、久しぶりね!」
アカリはマーリェが出るとは予想していなかった。目を見開き、驚いた。マーリェが帰ってくるなんて聞いていなかった。
「びっくりした。マーちゃんがいるなんて思わなかったよ。どうしたの? 里帰り?」
マーリェの娘に挨拶をすると、眠いながら挨拶が返ってくる。
「そう、ちょっとね」
歯切れの悪さにどうやら、単なる里帰りでなさそう。
「違うさ。この子は、夫と大喧嘩して実家に帰ってきたのさ」
仕事を終わらせて、エプロンで手を拭きながらミルリィーネが横からひょいっと顔を出した。
「もうじき迎えに旦那が来るだろうから、それを待ってんだよ。この子は」
「そんなことないわよ! 今日は帰らないんだから」
憤慨して、ミルリィーネへ突っかかった。よほど頭にくる何かがあったようだ。
「で、何か用事があるのかい?」
ミルリィーネが用件を訊ねる。
事情を知らないマーリェの前で言うべきか悩む。
「どうかした?」
マーリェが不思議そうにアカリを見下ろした。
マーリェはローラの次にアカリの相談相手だった。それは、彼女が結婚するまでの話。結婚してからは村に戻ってくることが少なくなり、今ではアカリの相談相手はローラ一人になってしまっていた。
二日前に起きたことをマーリェは当然知らない。ミルリィーネが話していれば別だが、もし話していたら、興味本位にルディを見に来るだろう。
ミルリィーネが何も伝えていないとなると、事情を知らないマーリェの前でルディのことを話すわけにいかない。
「あの、えっと」
なんと切り出したら、マーリェの興味が失せるのか、考えてもでてこない。
ミルリィーネはアカリの用事を悟ったのか、マーリェを娘をダシに奥へ追いやってくれた。その上、外に出て、ドアをきっちりと閉めた。アカリを手招きして、家からほんの少し離れる。マーリェが聞き耳を立てても分からない距離だ。
「用事って、あの男の子のことかい?」
「は、はい。そうです。今日の夜帰るから、おばさんと……リーにお礼言いたいって」
「そうかい。帰るのかい。マーリェがいるから行くことはできないね。あの子に何も言ってないから。リーライだけ行かせるっていうのも難しいね。アカリ一人の家にリーライが一人行くってなるとマーリェが不信がって、アカリの家へついて行くかもしれないだろ? どっちにしても行けないね。あの子には悪いねぇといっといてくれないかい? お礼はいいからって」
「はい。分かりました」
アカリはミルリィーネの返事を聞きながら沈んだり、喜んだりと自然に顔に出ていた。ミルリィーネは面白いものでもみたように笑む。アカリにしては、とても珍しい。両親を失ってから、アカリはあまり外に感情を出さなくなった。面倒をみているミルリィーネに限らず、ローラにも。
本人はまったく気付いている様子がない。どうも無自覚らしい。
「まったく、分かりやすい子だねぇ。こりゃ、リーライは失恋かねぇ」
ミルリィーネは家へ帰るアカリの後姿を見ながら微笑んだ。
家に戻ると、ルディがいない。
家の中を探しても見つからなかった。
もしかしたらと畑の方へ行くと、ルディは収穫できる大きさまで育った野菜を収穫していた。
「ありがとうございます」
「昨日やってたから、見よう見まねで」
「ちゃんと綺麗にとれてますよ」
ルディは昨日アカリが不慣れな手つきで収穫していたのをどこからかみていたみたいだ。
収穫された野菜の切り目は綺麗で、アカリがやるよりも丁寧だ。
収穫時期を迎えた野菜は最良の時期を過ぎると旨味がなくなり、美味しさが損なわれてしまう。
「おばさんは? 来てくれたか?」
「ミネおばさん、来られないそうです。お礼はいいよって言ってました」
「そうか。分かった。でも、アカリには言わせてくれ。いろいろと世話になったしな。ありがとな」
ルディは笑顔でアカリにお礼を言った。
アカリはその笑顔を見て頬が赤くなる。なんだか恥ずかしくなりうつむいてしまった。
「そ、そんな。お礼を言うのはあたしです。森で助けてくれてありがとうございます」
お礼は顔をあげて、ルディを見て言った。すぐにうつむいてしまった。男の子にお礼を言われたのが初めてで恥ずかしい。
アカリはルディと並んで畑で野菜を取り始めた。野菜の収穫に専念する。そうしないと、ルディとの残りの時間を意識してしまう。あとどれだけの時間過ごせるのか、気にしてしまう。
取れた野菜は平たく浅いザルに並べながら入れていく。気がつけば陽が傾き、東の空から見えなくなりはじめていた。
取った野菜は外の水道場で土を落として洗い、家の中へ持ち込む。土のついた残った野菜は貯蔵庫へ入れた。
夜遅く、村がしずかになり虫の音がやけに大きく響く頃。
アカリが村を出るまで送るという申し出を断り、ルディは村を出て行った。
「また、きっと会えるさ」
アカリに謎の言葉を残して――。