6話 告白
ミルリィーネの言うように、夜遅くから、ルディは熱を出した。ミルリィーネに言われたように、薬をルディに飲ませ、額に浮かぶ汗を拭き取る。
秋とはいえ、冬へ向かうにつれ、夜は冷え込んでいく。汗でルディの身体が冷え、肩を震わせた。アカリはいつでも、使えるように、倉庫から出してあった姉妹の掛布を上に重ねて、自分は冬に使う上着を羽織った。
額の汗を再び拭く。
アカリが木の実採りで道に迷ったりしていなければルディはアカリを庇い熊に襲われ怪我を負わなかった。
ぎゅっと両腕を手で握りしめ、重い溜息をついた。
頭がカクンと揺れて、ゆっくりと瞼を開ける。
いつの間にか疲れて寝てしまっていた。
窓の外は東の空が明るみ、朝陽が昇りはじめていた。静寂な室内に鳥の鳴き声が小さく聞こえてくる。
床に横たわり寝ているルディの額に自分のをあてた。熱を測るにはこれが一番わかりやすい。
熱は微熱まで下がっていた。
ほっと安堵したのもつかの間、アカリは朝の仕事を思い出した。
ローラが出稼ぎへ行っている間、畑の見回りをしなくてはならない。良くできた野菜は、ミルリィーネへ持っていくのだ。
早速、畑へ通じる裏の戸から出る。
朝の清々しい空気に、頬が綻んだ。
平べったい篭に、採った野菜をのせ、ミルリィーネへ渡す野菜を選別し終えると、玄関を控え目に叩く音がした。
早朝に、アカリの家へ来客はない。
アカリに用がある人はこの村にミルリィーネを除いていないのだ。
ミルリィーネでも、早朝にこない。誰だろうと、玄関を開ければリーライが立っていた。
「昨日の男は?」
「あの、まだ……」
アカリは無意識に後ろへ下がった。四年前の出来事が自然とそうさせてしまう。
リーライは逃げるアカリの腕を捕まえて、強引に引き寄せる。捕まれた腕に悪寒が走る。
リーライの手を解こうと腕を引くが、びくともしない。それどころか腕をきつく握られてしまう。
「は、はなして」
消え入りそうな声で訴える。
リーライは手を放してくれない。
「お前、何でそうも俺を避けたがるんだ? 昨日も今日も、今までだってそうだ。昔、アカリをからかってたことは悪かった。それ以外に俺、お前に何かした?」
四年前のことは今でも鮮明に覚えている。
頭で分かっているが、体が自然とリーライから離れようとしてしまう。やはり、四年前の出来事を引きずっているせい。
どうしたって、忘れることはできない。
六年前、九歳のアカリは日曜学校へ通っていた。
アカリの他に、同じ歳の村の子供たちも通っており、その中にリーライもいた。
日曜学校で、休憩時間に帰宅時に、ブリエッサは村長の娘という絶対的権力を振るい、ブリエッサの上からの圧力を村娘たちにかけていた。圧力に負けた彼女らはイヤながらも従うしかなかった。
アカリは家の事情から友を作れず、大人しく過ごしていた。ある日、帰ろうとしていたアカリをブリエッサが呼び止めた。怒りに満ちた形相に、アカリは怯え、やむなく従わざるおえなかった。
教会の裏手へ連れられたアカリは、壁に追い込まれ、ブリエッサの取り巻きに囲まれた。
アカリの知らない上級生が中に数人混じっている。
アカリの前に立つ背の高い上級生に見下ろされ、アカリは不安で胸が押し潰されそうだった。
ブリエッサは囲いの外から勝ち誇った笑みを浮かべた。
ブリエッサの仲間が六人に対して、アカリは一人。
アカリの回りはブリエッサの笑みに似た、人を蔑んだ表情をしていた。
『あなた、親がいないんですってね?』
何処から聞いてきたのか、唐突に言われたことは誰もが知っている周知の事実だ。
ブリエッサが囲いの中へ入り、アカリに近づいてくる。
『そうです』
周知の事実をなぜ今頃になって聞かれるのか、不思議に思った瞬間、ブリエッサの顔に人を見下す嫌悪の表情がアカリに向けられた。
『リーくん、こんな子のどこが良いわけ』
どす黒い、怒りの声。眉間に皺を寄せ、聞いたことのない言葉をいくつも吐き捨てた。
怯えるアカリがもつカバンを強引に奪い、中身をぶちまけ、カバンは教会の裏を流れる小川へ投げ入れられた。
ローラが買ってくれた、アカリが大事にしていたカバンは軽いせいで、水にのって流れていく。
流すために、カバンの中を出したのだ。
なにも、あそこまでしなくても。
取り巻き女子の怪訝な小声をひと睨みで一蹴した。嫉妬で怒り狂う瞳が逆らうことを許さない、と言っていた。
『用ってなに……』
そこへ、ブリエッサに呼び出されたリーライが現れた。
女子に囲まれたアカリに気づき、状況を悟ったリーライは今にも泣き出しそうなアカリを助けるでもなく、ブリエッサ側へ回った。
この日から受けた行為。辛い思い。忘れたくても、忘れれない。
「……して。離して。仕事があるの」
リーライの顔を見ることなくアカリは、努めて冷静に、リーライを突き放す。
本当は朝はさほど忙しくない。
リーライから離れるために、嘘をつく。
アカリは木の実拾いをしない日は、たいてい家の掃除かローラの畑仕事を手伝っている。
畑仕事といっても、手を出せばローラに追い返されてしまい、手伝っていると言えるのかきわどいところだが。
「嫌だって言ったら? 俺、お前のこと好きなんだって言ったら?」
「好き」は今までローラとその友達のマーリェがよくアカリに言ってくれる言葉で二人とも軽い気持ちで言ってくれているのを言葉の感じで感じとっていた。
アカリは二人にそう言われることが嬉しかった。だから好きといわれたら「あたしも好き! ずっと一緒にいようね」と言っていた。
たぶん、リーライの言っている「好き」はローラたちが言ってくれている「好き」と違う。
言葉の重みが違う。
アカリは腕をとにかく引っ張った。びくともしない。リーライの目に入らない場所へ行けるなら、腕が抜けてでも逃げたい。
「そうやって逃げようとしないでくれる? 俺、本当にアカリが好きなんだからさ、そんなの……傷つくよ」
アカリのあんまりな態度に、しょんぼりと気落ちした声がしたとたん、リーライがアカリに抱きついた。逃げようとするアカリを逃がさないように、背中に回った腕に力がはいる。
「や、めて。は、離してっ」
身体の奥底から、諦めていなかったアカリはなんとしてでもリーライから離れようと必死になった。
(ローちゃん、助けて。ローちゃん!)
眦に涙を浮かべ、抵抗してもびくともしない。男の人の力強さをはじめて思い知った。どんなにアカリが力を振り絞っても、抵抗してもほどけない。
その間に嫌悪感は徐々に憎悪していき、気持ちが悪くなってきた。
「なにしてんの?」
怒りを抑えた声がリーライに向けられた。
普段はアカリの家にいない、男の人の声。リーライはびくりと身体を震わせ、ひるんで腕の力が抜ける。その隙にリーライを振り払いアカリは逃げ出た。
隣室と隔てる戸はなく、リーライの会話は筒抜けだ。
ルディが寝ていた部屋から一歩出たところで立つルディの背中に隠れる。
「アカリ、泣いてるけど、なにした?」
アカリを背中にかばい、リーライを牽制する。
「おれ、は」
リーライの動揺した視線を、ルディ越しに感じて、たまらず、ルディが寝ていた隣室へ逃げた。部屋を隔てる戸をつけておらず、会話は聞こえてきてしまう。
リーライはアカリが男性を嫌う原因を作った人。そんな人がアカリに好意を抱くようになっていたなんて、知らない。知りたくない。
身体の震えが止まらず、涙が流れた。
「外、出てくれない?」
ルディがリーライを家の外へ連れ立って出ていく。家の中に人の気配がしなくなり、力を抜いた。
床にへたりと座り込む。
怖かった。とても怖かった。
真剣な眼差しでアカリを見下ろす、見たことのない表情が、リーライを別人に見せた。