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5話 手当て

「アカリ、彼の手当てはうちでしていきな」

 ミルリィーネの家に近づいてきた頃、あと少しで我が家だと内心安堵したアカリの背中にミルリィーネが声をかけてきた。

 アカリの家に帰るより早く手当てができる。ルディのためを思うなら、ミルリィーネの申し出はとても嬉しい。

 ミルリィーネの家にはリーライがいる。彼の家でもある。日が暮れたこの時間、家にいないわけがない。

 無意識のうちにルディと繋いだ手に力がはいる。

「ううん、このまま帰ります。ミネおばさん、ありがとう」

「いや、アカリそういうわけにはいかないよ」

 いつもなら、ここで引き下がるミルリィーネが今日は違った。

「あんた、今日は――」

 ミルリィーネが言いかけた言葉を遮る。

「大丈夫です」



 ミルリィーネと別れ、家に入り、まず蝋燭ろうそくに火をつける。暗かった部屋が明るくなった。

 寝室にしている隣の部屋に、薬を取りに行った。ローラが村の子供と喧嘩して怪我をしてくる。出稼ぎへいくようになり、めっきり減ったがそれでも怪我は絶えない。

 紐をほどき傷に注意して、ルディがシャツを脱ぐ。シャツは怪我を負ったときよりも、赤く染まっている。

傷口についた汚れをきれいに洗い、傷が早く治るといわれる薬を慎重にぬる。

「……っ」

 薬が傷口にしみ、ルディが苦悶した。傷口に触れないように気を配っていたが、触ってしまった。

「あっ、すいません!」

「気にするな」

 別の薬を塗った布で押さえ、包帯を巻いた。使った薬を薬箱へ戻す。

「処置が早いな。慣れてるのか?」

 腕を眺めていたルディがアカリに聞いてきた。きれいにまかれた包帯は軽く動かしただけではほどけそうにない。

「あ、それは……!」

 褒められて緩む頬を抑えられず、薬箱から顔を上げたアカリの目にルディの上半身が――。

 アカリが薬を塗った腕は適度に筋肉が鍛えられ、畑仕事で鍬を振り下ろす男の人の腕のよう。引き締まった身体は村に住むどの男の人とも比べようがない。肌はところどころ、薄く傷が残っていた。

 直視したことがなかったアカリは目を見開いて、ぱっと顔をそらせた。

 頬が上気するのを止められない。見てはいけないものを見てしまったような気分だ。

「ええと、ローちゃんが、よく怪我をするから手当てして、て」

 薬瓶のふたを用もないのに触る。何かに触っていないと気持ちが落ち着かない。

「ローちゃん?」

「あ、あたしの姉です。とっても頼りになるんです」

「そのローちゃん、今日はいないのか?」

 ルディが首を傾げた。姉なら家にいないのかと暗に聞いてくる。

「街へ仕事をしに、今朝行ったばかりです」

 ルディが部屋の中を見渡す。アカリ以外の人が見当たらない。

「ほかに家族は?」

「いません」

 ルディがなぜ、と口を開いたところへ戸が叩かれた。

 きっと、ミルリィーネだろう。アカリの家の戸を叩くのはいつもミルリィーネかマーリェだ。ほかの村人はアカリの家へ滅多にこない。

「は、はいっ」

 戸を開けると、外にリーライが立っていた。小さく丸めた包みを手に持っている。

 アカリは条件反射で二、三歩下がってしまった。ミルリィーネだと思い、油断していた。これまでリーライが、ローラのいない家へ訪ねてきたことがなかった。

「これ、着替えと薬。夜熱が出るだろうからって母さんが」

 リーライは一歩で間合いを詰め、包みを押し付ける。

「え、あの」

 凍り付くアカリの足元に包みは落ち、入っていた薬瓶が隙間から転がり出た。

「ちゃんと持てよ」

 呆れた溜息をついて転がった薬瓶を拾い、包みへ乱暴に押し込む。包みを拾い上げもう一度アカリへ押し付けようとアカリへ振り返った。

 アカリは恐怖に顔を強張らせ、蒼白になっていた。手が小さく小刻みに震えている。

「お前、どう――」

 なにがあったのかと不思議そうに聞くリーライとアカリの間に身体を差し込まれた。

 見上げるとリーライより手一つ分背の高いルディが冷めた瞳でリーライを見下ろしている。

 アカリはリーライとの間に隔たりができ、止めていた息を吐きだした。

 白いシャツに縋りつき、握りしめる。

「きみ、ちょっと失礼じゃない」

 血に濡れたシャツを上から羽織っているが、アカリの家に知らない男の人がいることが気に入らないのか、むっと不機嫌になった。

「ああ、あんたか。怪我した男ってのは」

 リーライは持っていた包みをルディへ押し付けた。

「あんたの着替え」

「わざわざありがとう」

 右手で受け取った。羽織っただけのシャツから包帯が見える。

「ここか? きれいに処置してあるじゃないか。母さんの心配は無用だな」

「ああ、問題ない。彼女が手際よくやってくれた」

 よくみようと覗き込むリーライからシャツを引きよせ包帯を隠す。右肩に引っかかっていたシャツははずれ、シャツを握るアカリの腕の上に落ちる。

 見るなと暗に言われ、さらに不機嫌になった。

「お前、ここで待ってろ。母さんがもうすぐ着く」

 剣呑けんのんな空気が二人の間に漂いだすと、その雰囲気を吹き飛ばす声が割って入った。

「リーライ!!」

 玄関には二人分の夕飯を持ったイズミと、怒りをあらわにしたミルリィーネが立っていた。

「玄関で渡したら帰ってきなさいといっただろう!」

 リーライに叱り、背中をぴしゃりと叩く。大きな音がして、リーライが前に倒れた。ルディはアカリを背に守り、倒れこむリーライから離れる。

 その音に、驚いてぎゅっと握りしめていたシャツを放した。強く握りしめていたようで、シャツにはくっきりとしわができている。

「アカリ、お邪魔していいかい?」

 ルディの背に隠れるアカリへ訊ねてくる。ルディの背から顔を出し、ミルリィーネの困り果てた笑みにほっと安堵した。

「は、はい」

「お邪魔するね」

 ミルリィーネに続いて、イズミが優しく断ってきた。弟と比べるとイズミはいつも優しい。瞳の色はリーライと同じ濃茶色をしているのに、細められた瞳からは優しさがにじみ出ている。

 イズミへは何度か首肯して返した。

「母さん。心配しなくたって、こいつの消毒はアカリがやったみたいだぜ」

 立ち上がったリーライの腕を引っ張り、リーライを玄関外へ追いやる。

「あんたは外!!」

 リーライは文句を言いながらイズミのところへ行った。イズミは玄関から入りはしたが、それ以上は動いていない。

「俺、戻る。必要ないみたいだ」

 家へ帰っていくリーライを見届けた。

「アカリ、悪かったね」

 ルディの後ろに隠れるアカリへ一言謝る。

「アカリ。大丈夫?」

 ルディが聞くと、今度は頷いた。

「腕の怪我はアカリがやってくれたようだね」

 ミルリィーネは断って、ルディの腕を見やる。アカリが巻いた包帯がきれいに巻かれているのを確認した。

「先に家に行ってておくれ」

「分かった」

 イズミは夕飯をテーブルに置き、家を出て行く。


 ミルリィーネは腰を下ろし、ルディに押し付けられた包みを受け取り、ひろげた。中からルディの着替えと薬瓶が数個入っている。

「これはあんたに。向こうの部屋で着替えといで」

「ありがとうございます。アカリ、借りる」

 アカリが寝室にしている部屋を指した。ルディはありがたく受け取り、寝室へ行った。

「さて、この家には今アカリ以外誰もいないからね。本当は私の家で看病しておやりなさいと言いたいところだけど、あんたは嫌なんだろう?」

「うん。あたしが、する」

 アカリは迷いなくきっぱりと答えた。

 ルディが着替える音が隣から小さく聞こえてくる。

「そうかい」

 嬉しいような、寂しいような複雑な笑顔を見せ、ミルリィーネはテーブルへ薬瓶を並べた。

 熱が出たら飲ませる薬だといい、使い方を教えてくれた。

「それじゃあ左肩、みせなさい。まだ、なにもやってないんだろう?」

 ルディの怪我のことで頭がいっぱいで自分の怪我のことをすっかり忘れていた。

 ミルリィーネに背を向け、左肩を見せる。熊に引っかかれた線が赤く残っている。

「これは……熊かい?」

「そう、です」

 だから言っただろう、危険な場所へは行くなと言われることを恐れて、ぎゅっと手を握りしめる。

 ミルリィーネは森へ向かうといったアカリを引き留めた。息子のどちらかを連れていけという申し出を断り大丈夫だと言って行った結果がこれだ。

 いくなと言われれば、はいというしかない。

「その怪我は俺のせいだ」

 着替えを終えたルディが寝室から出てきた。見たことのない服だが、よく似合う。リーライとイズミどちらのだろうか。

「イズミの服がぴったりのようだね。それ、袖を通していないからそのまま着ていきなさいな」

「これもう着られないから、感謝する」

 ミルリィーネの隣に座り、アカリの左肩を覗き込む。熊に押し倒され、爪が食い込んだ痕がくっきりと残っている。

 ルディ程ひどい怪我ではないにしても、治るには時間が掛かる。

「あんたのせいとはどういうことだい」

「人を襲うから退治依頼されて、俺が追っていた」

 アカリが怪我をしてしまった経緯を簡単に説明してくれる。それもアカリは悪くないととれるように。

 ルディの説明を聞きながら、肩の怪我に薬を塗られる。少し薬がしみて、痛くて目をつぶった。布を当てて、包帯を巻かれる。

「そうかい」

「アカリが悪いんじゃない」

「だけど、あんたが全部を被る必要はないさ。そんなところへ行かせたわたしも悪いんだからね」

 行くなと言われるとばかり思っていたアカリは驚いた。ミルリィーネの提案を突っぱねて森へ行ったのはアカリで、一人で行ったがために迷い込み、結果怪我をしてしまった。

 もう一人、誰かがいれば木の実を拾うのに夢中になりすぎて場所が判らなくなることはなかっただろう。

「冬を越すためには木の実を備蓄しなきゃならないのは知っているかい?」

「ああ」

「どうしたって、必要分を確保しなきゃならない。この時期、私たち村の人は木の実を拾わなきゃならない」

「そうだな。冬はとれる作物が限られる。その大事な木の実を食べるまではいいが、人を襲うとなると退治をしないわけにはいかないだろう」

 ルディは頷きながらミルリィーネの話を聞く。

「アカリ、越冬えっとうのためとはいえ、これからは気をつけなさいな」

 ルディへ木の実が村にとってどれだけ大事なものなのかを説いているのを、はらはらしながら聞いていたアカリへ突然振られた。

 行くなと言わず、気を付けて森に入りなさいと言われている気がする。入るなと言われても、まだ木の実は十分といえる量には到底足りない。

 怪我が治ったら、また森へ入らなくてはならない。

「はい! ミネおばさん、ありがとう」

「ローラが帰ってきて、傷が治ったら、あの子と一緒に行くんだよ? いいかい」

 一言ちくりということは忘れない。

「はい」

「一人ではいるんじゃないよ」

 一人で取りに行くのは禁じられてしまった。熊に襲われているのだ。一人で行きまた襲われないとは限らない。

「うっ、はい」

 アカリは一方的に禁止されなくてよかったと安堵しつつ、苦笑いをミルリィーネに向けた。

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