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4話 村長の娘

 木の実を詰め込み重くなった籠を、軽いと笑ってルディに持っていかれてしまった。ルディはぐれてしまわないよう、アカリの手をひき、迷った森を歩いて行く。

 日が沈んでいくにつれ辺りは暗くなる。陽が落ちる前に森の入り口に戻っている予定で、カンテラを持ってきていない。暗くなってしまう前に村に戻らなくては。

 木の根元に足を引っ掻けないようにするのに必死で、知っているところを歩いているのか、それとも知らない場所を歩いているのか方向感覚がさっばりで、大人に引かれる子どものように、ルディの背中を追いかけた。


「着いたよ」

 アカリの足が歩き疲れた頃、村に戻れた。森から出ると見慣れた景色が広がる。

「ありがとうございます」

 陽は落ちてしまって、空は藍色になっていた。森の境に火を焚いて、動物が村へ入ってこないようにしてあり、アカリが立っているところは明るかった。

 村へ一歩入れば火は焚かれておらず、とたんに暗くなる。

「よかった。――あ、誰か来るぞ」

 夜に森へ近づこうとする村人はいない。

 誤って出てきた動物と遭遇して、危険な目にあってはかなわない。

 ルディに指し示された道を凝視すると、ふっくらとした女の人のような形の影が村からこちらへ向かってきていた。

 森へ近づく人で、アカリが思い当たる人は一人しかいない。

(ミネおばさんかもしれない!)

 あまりにも帰りの遅いアカリを心配して、来ているのだろう。ふらりとした足取りに、心配をかけてしまったと、胸が苦しくなる。

 こんなに遅くなるつもりはなかった、は言い訳にしかならない。心配かけたことをまず謝ないといけない。

 アカリはその影に向かって走ろうとして、ふと足をとめた。

 隣に怪我をしたルディがいる。自分は籠をルディに持たせて、森をはやく出ようと小走りをしたせいで息切れしている。

 ミルリィーネの誤解を招きかねない。

 ルディに怪我をさせて、必死に逃げるアカリの後を、しつこく追いかけてくる、迷惑な人――。

 早とちりするミルリィーネは、事実と違った思い違いをしかねない。

 ミルリィーネの早とちりで何度、事実をねじ曲げられたか……。

 アカリは急いで籠をルディから奪いとり、ルディを慌てて森の中へ引き返させる。

「あの人、知り合いかもしれなくて……ごめんなさい」

 ルディが頷き、森の茂みに隠れると、呼吸を整える。深呼吸を何回かして、向かって来る影が歩いてくる道をゆっくりと歩き始めた。

 なにも問題ない風を装うと、人影が近づいてくる。森からそう離れてなくて、炎が相手の姿を映し出した。

 ミルリィーネと似ても似つかない。アカリが苦手とする、村長の娘、ブリエッサだった。

 知り合い――ではあるが、会いたくない人のひとりだ。

 肥えた体格をゆっさりと揺らしている。足首まである長いスカート。女性ものは入らなくて、男物の上着を着ているが、揺れる二の腕で袖はパツパツになっている。

 ブリエッサとアカリは同い年だが、村長の娘というだけで苦労というものを一つもせずに育ってきた。

 そして、自分が一番じゃないと気に入らず、何かにつけて強気に出てくる。なにか言えば村長に言われると、村民は誰一人注意ができずにいたら、手に終えない子へ成長していた。

 引き返そうとしたアカリにブリエッサが気がつく。

「あら、こんな夜に誰かと思ったら、汚い家のブスの妹じゃない。こんな遅い時間に人目を忍んでなにやってんだか」

 気がつかれてしまった。引き返せない。

 ブリエッサに向き直ると意地悪そうに、口角をこれでもかとあげアカリの前に立ち止まる。彼女は手に手頃な瓶を持っていた。

 アカリの家で見たことのない、度数の高い酒瓶のようだ。

 瓶を振り回されてはたまらない。防御できるのは大事な食料が入った手籠しかない。

 アカリの服装を、持っている籠を丹念に侮蔑を込めた視線で、わらった。

「あんた、遅くまで大人がやる仕事なんかやって、ブスが泣きついてくるよ」

 ブリエッサはアカリとローラが毎日生活のために働いていることをよく思っていない。彼女は働くのは大人の仕事で、まだ、子供のブリエッサがやることじゃない。家事はお手伝いがやることで、自分がやることじゃないと本気で思っている子だ。

 アカリの両親が亡くなったのは子供達のせいだと決めつけてもいる。実際は違うけど。

「早く帰ってこないと飢え死になっちゃう、てね。あははははっ」

 ブリエッサはローラの真似をして話し始め、嘲笑あざわらう。

(こんな人は無視しなきゃ。何か言うと付け上がるだけ)

 日曜学校て初めて行った日、ブリエッサに泣かされて帰って来たアカリに、ローラが言っていた。

 なるべく気にしていない風を装って早くいなくなることを願う。

 ブリエッサはなにも言わないアカリに、つまらなさを感じたのか、なかなか行ってくれない。

「それにあんたのうちはお金もないんだって? 近所のミルリィーネに助けてもらってんだ? これだから貧乏って言うか、子供だけで生活していこうとする人はいやねぇ、人の迷惑を考えてほしいわ。ミルリィーネさんだってそう思っているに違いないわ。何であんなボロ家のために私の家庭が犠牲にならないといけないのかしらってね!」

(ミネおばさんはそんな人じゃない)

 ミルリィーネの心根は優しい。幼い姉妹を残し、不慮の事故により両親が天へ行ってしまった。両親がいなくなれば、必然的に二人は孤児院へ行くことになる。孤児院行きを止めさせ、我が子のように接してくれた。生きていく為に、マーリェよりも早くアカリに家事を一から根気よく教えてくれた。ローラがいない日は心配して、マーリェを毎日泊まりに来させたりしていない。

 ミルリィーネがそんな人じゃないと、アカリがよく知っている。

 そう言いたくても、彼女は耳を貸さない。こうだと決めつけたら、事実と違っていても、正しいと思い込んでしまう。

 ブリエッサの中で、ミルリィーネは不幸の人とされているのだろう。憐れんだ瞳が、そうだと語っている。

(くやしい。ローちゃんがここにいれば、この人は何も言えないのに)

 五年前、ローラはアカリをいじめているブリエッサを見て肩書きなしに頬を打った。

 そして一言、『これから、あたしの目の黒いうちに大事なアカリをいじめることなんて許さないよ! 親に言ったって無駄。いじめていたから反撃しただけで、あたしがアカリにすべて聞いて一部始終を事細かに言ってやる! 言われなくなきゃとっととうせろっ!』と言った。

 よほど悔しかったのか、ローラを警戒して、ブリエッサはアカリに何もしてこなくなった。

 アカリの側には常にローラがいて、ブリエッサはローラを睨みつけるだけで、なにも言ってこなくなった。

 ブリエッサはアカリをいじめないだろうとそう思っていた時、久しぶりに行った日曜学校だけは別だった。

 その日はちょうど、ローラが町へ仕事に行っていてアカリを助けてくれる人は誰もいなかった。日曜学校までローラの目は届かない。

 この環境を逆手にとり、ブリエッサはアカリを気がすむまでいじめた。今まで、ローラがアカリを守ってきていた分、酷さは増していた。村の女の子たちを集めて集団で。

 この日の記憶は誰とも接したくないと人間不振に陥る程に、アカリの心に深く傷をつけた。

 アカリはスカートを強く握りしめた。

 なにも言いかえせない。思い出し、恐怖に、身体が震えた。

「何か言い返してきなさいよ。……あはは、何もいえないって? そうよねぇ、なんてったって、あたしは村長の娘。何か言い返したらあたしが言いふらしちゃうものねぇ。あそこのうちの誰かさんがあたしに暴言を吐いたって。言われたきゃ、言い返しなさいよ、ブスのようにね!」

 村長の娘。

 肩書きを盾に、言いたいことを言い放題で村人が困っていることを本人とその家族は知らない。

 悔しくても、口を閉ざしているだけのアカリに栓を開けた瓶が頭の上に持ってこられた。

 瓶が傾き、ぼとぼとと酒が落ちる。

「……っ」

 アルコールの匂いが鼻についた。冷たい酒に、長い髪が濡れる。少量の強いアルコールに酔い身体がくらりとして、地面に座り込む。

「ここまで、されてもなにも言わないなんて、つまらない子ね。さっさと帰りましょっと。お母様がこれを待っているもの」

 歩を弾ませて、ブリエッサは立ち去った。

 アカリの籠がお酒くさくなる。木の実にお酒がかかってしまった。

「大丈夫か?」

 森に隠れて一部始終を見ていたルディが、座り込んだアカリの前でしゃがみこむ。

「アカリの知り合い……にしてはそんな感じしなかったな」

 ルディはうつむいているアカリの顔を覗きこんでくる。涙を浮かべ震えるアカリに怒りを露にした。

「この匂い……酒?」

 ルディがアカリの頭に顔を寄せる。

「お前あの女になにされた?」

 ブリエッサがアカリに言った暴言の数々を聞いていなくて安堵する。暴言しかない言葉は聞いていい気はしない。

「あいつになにされた」

 ルディはゆっくりともう一度訊ねた。

 何も、と答えるにはおかしな状況だ。何もなければお酒をかけられていない。

「ル、ディさんが、気にすることじゃないです」

 ローラがいれば、ブリエッサはアカリにここまでひどい仕打ちはしていない。ローラにかかれば、ブリエッサは、言い負かされ、ブリエッサの思考の上をいくものだから、仕返ししようにも空振りに終わる。

 その鬱憤はローラが居ないときに、アカリへ向けられ、幾度もブリエッサから仕打ちを受けた。

「立てるか?」

 ルディが手を差しのべてくる。

 見上げると、複雑な瞳をしていた。

 聞かないでと暗に言ったようなもの。聞きたくても、聞き出せない想いが表情に出ている。

 怖いと感じる顔のまま、手を出さないアカリの両脇に両手をいれ、上げる。座り込むアカリの両足が宙に浮いた。

「きゃ」

 驚いて、ルディの肩を掴む。

 ゆっくりと下ろされ、地に足がついた。

 ほっと胸を撫で下ろす。

 緊張からか、恐怖心か、先程から心臓が暴れて胸が痛い。

 ふらつく足が、しっかりと地面を踏みしめられず、ルディが支える。

 腰に回った片腕で、アカリが彼の腕の中に収まろうとした刹那。

「アカリ!」

 女性の安堵した声に、身体が震える。突然で、驚いた。

「あーよかった。心配したんだよ。無事に森から出てこられたんだね。おばさん、あまりにも遅いから入り口のところへ今から行こうとしてたんだよ」

「ミ、ミネおばさん」

 二人に向かって来たのは、本物のミルリィーネだった。

 息を切らせて、アカリの無事な姿に笑顔になる。

「無事、戻ってきました。心配してくださってありがとうございます」

「いいや。とんでもない。心配することが出来る子供がいるっていうのはいいことだねぇほんとに。だからお礼なんて言わなくてもいいんだよ。……おや、その子は誰だい? 見ない顔だね。この村の人じゃないね」

 ミルリィーネはアカリを支えるルディに気づいた。

 知らない男の人に、ミルリィーネが警戒する。

 田舎の村へ旅人には到底見えない服装。顔色のよくないアカリ。

 ミルリィーネが顔を強ばらせるには十分な状況だ。

 説明しようにも、熊に襲われたなんて言えない。

 ミルリィーネのことだ、「だから言っただろう! もうあの森の奥へは行かせないからね!」と強く言われ、次から行かせてもらえないだろう。

 冬を越す大切な食糧を取りに行けなくなる。

 事実は伝えられない。ミルリィーネに偽りは言えない。

「俺、怪我して森の中で動けずにいたら、アカリが自分の家で手当てしてくれるって言ってここまで連れてきてもらったんだ」

 ルディが事実とは少し違って、ミルリィーネに説明してくれた。

「あんた、怪我しているのかい?」

 ルディがアカリを支えていない方の腕をミルリィーネに見せる。

 ミルリィーネは腕の具合を確かめた。

 血はすでに止まっているが、熊につけられた傷口は膿始めている。

「急いでちゃんと手当てしないと。……アカリ、あんた酒臭くないかい?」

 ルディの怪我の具合をみるときに近くにいるアカリからするアルコールの匂いを嗅ぎとる。

「あの、えっと……」

「村の態度が大きい女の人が酒を頭からかけてった」

 言い出しづらくて、言葉を濁していると、ルディが説明した。

 見られていたのだから、知っていて当然だ。

「ああ、ブリエッサかい」

 ルディの分かりやすい人物像にミルリィーネが思い当たるのは一人。

「その人、彼女になんの恨みが……」

「恨み……じゃないさ」

 ブリエッサがアカリに対する態度は恨みとは違う。

 ブリエッサがアカリに抱く想いが、なにか。ミルリィーネは知っていた。

「あんた、歩けるかい?」

「あ、ああ」

 アカリがふらついて支えてもらったが、会話の流れからアカリが、彼を支えていると思い込んでくれたようだ。腰から手が離れる。とたんに、アカリの足がおぼつかなくなる。

 倒れる前にルディの手がアカリの腕を掴まえた。お礼を言った後、足元にある籠をとろうとして、ルディに持っていかれ、焦った。いつまでも、持たせてばかりじゃいけない。取り戻そうとして、手を伸ばす。

「これは、男の仕事。アカリは危なっかしいから持たせられない」

 ルディは、怪我していない腕に籠を持ち、怪我した方でアカリと手を繋ぐ。ふわりとアカリがぎこちなく微笑んだ。


 その光景に、ミルリィーネは目を見張る。そうなった原因がブリエッサと分かるが、アカリが嫌がっていないことに驚いた。アカリが謝りながらも、ルディと繋いだ手を拒否していない。

 アカリは年頃の近い男の人が近寄られたくなくて、今まで何度も拒み続けていた。それが、彼と何があったのか、アカリは嫌がっていない。多分本人すら気づいていない変化にミルリィーネの口元は喜びに微笑んだ。

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