3話 出会い
昨日の場所から随分離れた場所で、昨日拾った同じ木の実を拾った。
手持ちの籠いっぱいにさせ、太陽の位置を見ると、空の上まで上っている。
そろそろお昼の時間だ。
木の下に腰を下ろして、昼食をとる。すると、どこからか小鳥やリスがどこからともなく姿を現した。
リスは木の実を、小鳥はアカリのご飯をもらいにやってきたのだ。
森に住んでいる、小動物はなぜかアカリになついている。
アカリが森に入って、休憩を取るとどこからかやってくるのだ。
リスの後に兎が四、五匹。その次に、子狐。
いつのまにか回りは動物でいっぱいになっている。
アカリは集まってきた動物へ採ったばかりの木の実と自分の昼食を分けた。昼食を終えると、森の奥へ向かった。
その後を、動物たちは追ってこない。アカリが歩き出すと、ばらばらと散り散りに戻っていってしまう。
何年か前にローラに教えてもらった秘密の場所に着いた。
そこは、村人が誰も近寄らないためか、落ちてる木の実の多さに驚いた。
去年は木の根元に、ところ狭しと落ちていなかった。きっと、ローラが拾った後に連れて行ってもらったからかもしれない。
すべて拾えば、持ってきた籠にはいりきらない。拾えるだけ拾ってしまおうと急いで、手持ちできる籠を出して拾い始めた。
昼食を入れていた手籠がいっぱいになって、村へ戻ろうと立ち上がると周りは知らない場所になっていた。森の中でも、木の並び方、根元の形や葉た当たる光の加減を見るに、アカリの見知っている場所じゃない。
辺りは暗く、太陽の光が繁った葉に遮られ、ほとんど地面まで届いていない。
急いで戻ろうとしたが、戻ろうにも道が分からない。
拾うことに夢中になりすぎた。
急いで帰らなければ。ミネおばさんが心配している。
知っている道に戻らないと。
見回して、どこから、来たのかを見極めなければ動けない。木の実が拾われてきれいな道を探すが、そもそも大きな木の実を拾っていて、何処がきれいになったところなのか分からなかった。
周囲を見渡したせいで来た道も見失ってしまう。歩き回れば余計に迷うかもしれないし、知っている道に抜けることができるかもしれない。
余計に迷って本当に出られなくなるのだけは避けたい。
そのときに、ふと五十年前の話を思い出してしまった。
余計に怖くなり、早く出たい気持ちがより強くなる一方、方角が分からなければ村に戻れない。
暗くなってくると焦り、周囲をひたすらぐるぐると見回す。まさに、今のアカリのように――。けれど、向かうべき道が見いだせない。森から、村の方角は南の位置。
南の方角だけで、下手に動くことが出来ない。
戻らなければ、自分はおかしくなってしまう。そんなの嫌だ。
すこしずつ、一歩一歩、来たであろう道へ重たい足を無理やり動かす。動けば、何処かで外につかながる場所があるはずだ。
そんな時に前方の道の脇から、がさがさと不吉な音がする。足を止め、手籠を胸に抱く。
恐怖に体を震わせ近づけずにいると、音が大きくなり茂みから黒い大きな塊がひゅっと飛び出してきた。
それは地面に着地して、周囲を見回す。
「……人?」
恐怖に立ち尽くすアカリを、見つけた。
暗がりから現れたのはこの辺りでは見ない、騎士団のような装いをした、男の人だった。服は枝に引っ掛けたと思われる服の破れと、土汚れが付いている。腰に長剣を下げていた。
「ここにいたら危ない。今すぐ森を出るんだ」
彼はアカリを案じ、剣の柄から手を離さず、彼は緊張した面持ちで歩み寄ってくる。
アカリは森の村から離れた場所で人に会ったことがなく、驚いた。アカリが人目を憚って、人目につきにくい道を選んでいたとしても、五十年前の噂を信じる者が多く、奥深くまで入ってくる人はそういない。
ミルリィーネのように、
前に垂れ下がってきた金髪を爪弾き、彼は緑の瞳を大きく見開いた。アカリの後ろから近づく気配を察した。
「危ない、後ろ!」
青年は駆け出しながら、切迫した声で叫んだ。
アカリが振り向くと、そこには大きななにかがぬっと立っていた。
四本足で歩き、狼に似ているけど、狼よりも大きくて狼に似ても似つかない恐ろしい生き物。
どんな姿をしているのか暗くてはっきりと分からない。ただ、自分が襲われることは分かった。
「そいつは熊だ! 早く逃げろ!」
熊は瞬時に動き、牙をむき出しに、鋭い目を光らせ、アカリに向かって猛然と走ってくる。恐怖に足がすくんで、動くことが出来ず、尻餅をついた。
剣を構え警戒する青年より、アカリの方が弱いと判断したのだろう。足は地面に貼り付けられたかのようになって、動いてくれない。
逃げなければいけないのに、足がすくむ。
目の前に熊が迫ってくる。
腕に抱いている籠を持っていられなくなり、地面に放り投げた。中に入っている木の実が地面にばら撒かれる。
「ばか! 逃げろって!」
熊は籠に気を取られたりしなかった。転がった木の実を足で潰し、恐怖で動けないアカリに迫る。前足で襲いかかり、地面に押し倒した。爪が服越しに肌を傷つける。
「いっ……!」
大きな口が開き、鋭い牙が覗いた。息を飲む。
動かないアカリにかぶりつこうとした、その時。青年が熊に体当たりをくらわせ、アカリの上からどかしてくれた。爪が食い込んだ左肩がジンジンとする。
青年が熊とアカリの間に立つ。背中にアカリを庇った。
「今日こそ捕まえてやる!」
青年は腰の剣帯から剣を抜き、熊に立ち向かった。
熊は、青年の剣を簡単にかわす。かわされた剣を構えなおし、熊のいる場所に向き直る。熊の標的はアカリから青年に変わった。
一人と一匹が争っているとき、アカリは体を起こしその成り行きを見守っていた。爪が食い込んだ左肩がヒリヒリと痛む。
その場から離れようとしても、うまく力が身体に入らなくて立てない。
熊が青年の隙をついて、標的をアカリに移した。四本足で走り襲いかかってくる。
でも、青年の方がアカリに近かった。
座っていたアカリの腕を引き、アカリを抱き抱えて、ごろごろと地面を転がっていく。
勢いが止まると、素早く起き上がりアカリを背に庇った。熊を睨みつける。
熊はそれでも襲う体制だ。
青年は剣を構えなおし、襲ってくる熊の前足に切り傷をつけた。剣がかすっただけで、傷は浅い。
熊は体を傷つけられても襲ってくる。どうやら興奮しているようだ。
熊はアカリより、先ず青年を倒した方がいいと判断したらしい。
剣を熊へ何度もしかけ、何ヶ所か切傷を作った。が、どれも熊の急所にはならない。
熊はどう判断したのか、アカリを睨むとさっさと逃げていく。
油断させて襲ってくるとも限らない。青年はしばらく剣を構えたまま、辺りを警戒するが、気配がしない。どこかへ逃げたようだ。
「逃がしたか」
青年は剣を鞘に収め、一向に立ち上がらないアカリの前にしゃかみこむ。
「……おまえ、大丈夫か?」
動かないアカリを気遣ってくれる。爪で引っ掛かれた肩がヒリヒリと痛い。
肩の傷以外、なんともない。アカリは頷いた。
「そか、よかった」
青年を見ると、やっぱり品のある服を着ていた。
この辺の貴族か何かだろうか。
「怪我は……その肩、見せてみろ」
青年はアカリが傷つけられた左肩に手を伸ばす。
その前にアカリは平気だと言わんばかりに彼の手を拒絶した。
痛いけど、ひどく痛む訳じゃない。
「痛くないのか?」
我慢できるから、平気。
声に出せない代わりに頷く。
アカリは地面に暗くて少し醜いが、黒い液体が落ちていることに気がついた。
最初は自分の血なんじゃないかと疑った。けれど、肩の傷はそんなに深くない。血は滲んでいても、抉られたわけでないから、地面に落ちる程じゃない。
熊は切傷をつけられてから、アカリに近づいていない。……アカリはじっと青年を観察した。彼の方が怪我をしているのかもしれない。
すると、彼の左腕が服と別の色で染まっていた。
(気づかなかった)
怪我してるって言いたくても声にならない。はふはふと空気が震えるだけ。
「……」
「何か言いたいのか?」
うなずいて、彼の左腕をさした。
「左腕がどうかしたのか?」
青年は左腕をあげた。上着が、血と土に汚れている。
「うわっ。俺、いつの間に怪我してたんだ!?」
青年が驚いた
アカリが覗きこむと青年の怪我はひどかった。上着の上から熊の爪痕か三本走っている。そこから、血が出ていた。
急いで手当てをしないといけない。
アカリはじぶんの腰に巻いてある三本の赤い紐を解いて、残りはまた腰に巻き直した。
「あの……服、脱げますか? 止血、しないと……」
「あ、ああ」
アカリが真剣な瞳で訴えた。この紐で止血できればいいけど、紐だけじゃ応急処置ぐらいしかできない。
彼は瞬きをして、戸惑いながら上着を脱ぐと、薄いシャツは血で濡れている。濡れていないところで素早く紐を巻き付けていく。
「いっ」
「あっ、ごめんなさい」
青年が顔を歪める。怪我したところを触ってしまっていた。紐を緩めてから再度巻き付けた。それから、籠の中にいれてあったハンカチをとり、腰から赤い紐をもう一本ほどく。ハンカチを患部にあてて、ずれないように紐で緩やかに結ぶ。
「これで、いいはずです」
青年はアカリが処置した腕を軽くふってみる。ハンカチはずれることなかった。
「びっくりした。手際がいいな」
アカリの手際のよさに青年は驚いて、それから優しい表情に変わった。
「ありがとう」
青年はアカリに笑いかけると、地面に散らばった木の実を拾い始めた。
「えっ。あっ、いえ」
アカリは急いで青年から離れ、顔はみるみる赤く染まる。
怪我の処置に必死になりすぎて、苦手とする青年に近づいていた。慌てて離れて、近くにおいてある籠を握りしめた。
不思議と彼は怖いと感じない。熊の方が断然怖かった。
ハンカチ越しに血がにじみ出している。まだ、止血できていない。家なら、処置できる道具が揃っている。
男の人といるのは苦手だけど、アカリは覚悟を決めた。
「あ、あの! あたしの……い、家にきませんか?」
とても小さな声だったが、周囲の静けさで青年に聞こえていた。
「えっと、これの手当てしてくれるってこと?」
戸惑いながらゆっくりと首を縦に振り返事の変わりにした。
アカリは立つと、散らばった木の実を拾い出す。
青年も一度止めた手を動かして手伝う。大事な食糧を無駄にしてはいけない。
「俺、ルディ。君は?」
青年……ルディは集めた木の実を手提げ籠に入れながら聞いてきた。
会ったばかりで、何も知らない人に、名前を教えてはダメだとローラから言われていた。なぜ、と聞いたら理由ははぐらかされた。
ルディは足がすくんで動けないアカリをかばってくれた人で、自分のせいで怪我までさせてしまった。
アカリが道に迷っていなかったら、負わなくて済んでいた。
恩人になにも言わないなんてこと、アカリには出来ない。
「アカリ……です」
顔をあげるのが恥ずかしくて俯いたまま、名前を名乗った。
「アカリ、立てる? 早くしないとまた熊が戻ってくる」
元々暗い地面がさらに陰る。上を向くと、ルディが屈んで手を差し伸べていた。
ルディから差し出された手に、恐る恐る手を重ねる。ぎゅっと強く握られ、引っ張りあげられた。
村の男の人だと嫌悪感で触ることも出来ないのに、アカリが知るどの男の人よりも、紳士的で嫌悪感は全く感じなかった。
「家はどっち?」
「デニエローエ村の方……です」
「よし、分かった。行こうか」
アカリは握られた手に引かれるまま、歩きだした。