22話 謁見
ローラの話はラズの言うようにアカリが知らないことだった。
ローラが隠し続けていた事実で、アカリがなにも知らずに巻きこまれていなければ、ローラはアカリヘなにも話してくれなかっただろう。
「ローちゃん」
なんと言えばいいのか言葉が見つからない。口を噤む。
「気にしないで。まだ、終わってない」
「そうですね」
「こ、これからよ。歩けるようになったら……!」
あっさりとラズに同意され、ローラは言葉を詰まらせた。その通りなのだ。大怪我を負ってまで山賊ホラルダの一部を捕らえられただけで、ヒスメド地方の領主はいまだ叔父のまま。叔父を領主の地位から降ろさなければローラの長年の願いは叶わない。
ローラは首から下げているペンダントを握りしめた。紋章がかたどられたものは、ローラの手にぴったりとおさまっている。
「ローちゃん、それは?」
「ジェバリア家の家紋。ヒスメド地方を治める長の証で、父から託されたものよ」
ローラはアカリにそれを見せてくれた。縦に長く、盾のような形をし、中に幻と言われる草花が描かれている。これがジェバリア家の、ローラが生まれた家の家紋。
「証を紛失したと国王へ報告してから猶予は十年。見つけられなければ、その土地は一度国王のものとなり、何年後かに別の者へ権利が移ります。その前に貴女が名乗り出れば、ヒスメド地方は取り戻せますよ?」
「知っている。それ、あんたが昔教えてくれたでしょ」
「そうですよ、大切なものを酒場で出して回るから危なっかしくて」
その頃を思い出したローラは、恥ずかしさにアカリから顔を背けた。
「ご迷惑をかけました!」
ローラが何を言っても、それを上回ることをラズに言われ、結果、勝てない。
ローラが言い負かされているところをアカリは初めて見た。なんだか新鮮だ。
いつも相手を言い負かせているローラを完璧に完封させてしまうラズに思わず心の中で拍手を送った。村の男相手だと、ローラは負けなしだ。
ローラのもつ知識を上回る博識な男は村に存在しない。日夜学校へ通っている男の人はことごとく言い負かされていた。それは女の人も例外じゃない。
村長の娘ブリエッサはローラに一度も言葉で勝てたことがない。言葉以外でも、勝てたことないが。
ローラは拳を握りしめて、ソファに座りなおす。ほかになにも思いつかなくて、不貞腐れた顔をした。
そのあまりな可愛らしさに思わず笑みがこぼれた。ローラに見つからないように、両手で口元を隠して笑ったのに、ローラは目ざとい。
「アカリ、なに笑ってるのよ」
すぐに見つけてしまう。ぎろりと睨まれ、なんとか忍び笑いを引っ込めて、口元から両手を離す。
「なんでもないよ」
笑わないように、口元を一文字にしても、やっぱり可笑しくて、笑みが隠しきれない。すると、ローラから頬をつねられてしまう。
騒いでいると、扉が遠慮がちに叩かれた。ゆっくりと開けられた先に、ミユーアが申し訳なさげに立っている。
「ラズファロウ様」
「なに?」
「ジェーカス様が至急お伝えしたいことがあるそうです」
ミユーアの後ろで、双子の従者が立っていた。
ラズが部屋を出て行ってから三十分後、再び開けられたドアの向こうで正装をしたラズが、同じく正装したルディと立っていた。
双子というだけに正装は同じ白を基調とした襟の立った服装に、細かい装飾が施されている。
少し緊張した面持ちの二人は、それぞれローラとアカリの隣へ立つ。
「二人とも、今から国王に会うことになった。服装はそのままでいいから、一緒に来て」
どうして王が。王から許しをもらわずに部屋をあてがわれ、住んでいた。そのことで呼び出されたのではと、アカリが不安を覚える一方で、ローラは目を輝かせた。
「この証を見せることができるわけね」
服の中に隠した家紋を、引っ張り出して外に出す。
家紋を国王へみせれば、ヒスメド地方の領主はローラに移る。ローラの長年の夢が叶うのだ。
「先日の街の出来事は報告してありますよ」
ラズは手を伸ばし、ローラが立ち上がる手助けをする。杖を支えに歩き出すと、身体がどうしても杖がない方へ傾いてしまい、ラズが支える。
「あんたに支えてもらわなくたって、歩ける!」
杖で追い払おうと試みると、両足で杖を受け止めた。逃げると思っていたローラは驚きを隠せない。
「ど、どうして避けないのよ!」
綺麗な白のズボンを汚してしまう。ローラは慌てて汚れを落とそうと屈もうにも、足が思うように動いてくれない。杖を支えにズボンへ手を伸ばしたローラを、ラズは腕の中に閉じ込めた。
とたんにローラは石のように固まってしまう。頬がぶわりと朱に染まった。
「今更照れてるんですか?」
意地悪な笑顔でローラの顔を覗き込む。
「て、照れてない! 離せ!!」
ジタバタするローラを、素早く横抱きにして部屋を出て行った。
騒がしい二人が出て行くと、部屋に静寂が訪れる。
廊下で騒いでいても、徐々に小さくなる声にアカリはルディを見上げた。
二人が出て行ってしまうと、ルディと二人きりになる。
「アカリ」
「は、はい!」
ルディがすっと手のひらを出され、躊躇わず手を重ねた。導かれるように席から立ち上がる。重ね合わせた手を握りしめられ、ルディの左手がアカリの腰を支える。
「えっ」
驚くアカリが逃げて行かないように、腰に回った腕で、引き寄せられ、背中にルディの熱を感じた。
握られた手は離されたけど、腰の手は離れない。
「え、あの」
「アカリは、初めて国王に会うだろ?」
一村民のアカリは、一生会うことのない相手だ。緊張で足が震えてしまう。
「初めてです」
「俺がいるから大丈夫」
ルディが微笑むと、アカリは頷いた。
先に行き待っていた二人と合流して、呼び出された謁見室へ入った。
部屋とはいえ、他と比べてもはるかに広い部屋の奥まで続く赤い絨毯。左右対称で端に細かな模様がほどこされている。絨毯の先の玉座で、豪奢な椅子に座る男性がいた。
白髪が混じっているが、双子王子より少し濃い金色。笑い皺と、横にくっきりと深い皺がある額。肘掛に両肘をつけ、張りのなくなった骨ばった手は手前で組まれている。瞳は閉じられていた。
国王の隣でにこりと微笑む女性が座っている。赤が混じるオレンジの髪を後ろで縛り、肩が見えるドレスを着ている。手に先端がふわりとした毛で作られた扇を閉じて持っていた。
表情は微笑んでいても、瞳は笑っていない。アカリとローラ双方をじっとりと観察するように目線が動く。
双子王子の後ろにぴったりとついて歩きながらも、隣で歩を合わせているローラよりも遅くなる。心臓はこれまで以上に鼓動を打ち、緊張で足と手が同時に出てしまいそう。絨毯に足を取られないかと不安になっている間に、気がつけば玉座の前まで来ていた。
王子が腰を落とすと、姉妹も絨毯に両膝をつく。ローラは苦労しながら、なんとか膝をまげた。前かがみに倒れそうになるローラをアカリが支える。
「国王陛下」
ルディが硬質な声で呼びかけると、レフィール王国の王は、ゆっくりと瞼を開けた。
アカリはローラのそばで首をたれる。目があってはいけない。
国王は、一同をジロリと見る。
「ルディラス、ラズファロウ」
息子達の名前を呼び、顔を上げさせる。
「先日の城下の騒動の報告は受けている。終息ご苦労だった」
ローラが城下でホラルダの一部と騒動を起こした件のことだ。
「ジェバリア家の生き残りはどちらだ」
国王はルディの後ろで足を痛めているローラの首に下がる家紋に目を止める。
偽物でないかぎり、この世に一つしか存在しない家紋。
「私の後ろにいる彼女です」
ルディが後ろに並ぶローラがジェバリア家だと教える。双子へ聞かずとも、王はすでに知っている。
「そなた、名は?」
その姿をアカリは隣からこっそりと見守っていた。
その顔は、普段アカリが知るローラの明るい表情と違い、強張り不安げな顔に、アカリの方も緊張してきた。
ローラは緊張から手にしていた杖を絨毯に落としてしまった。毛の柔らかい絨毯が音を吸収して、派手な音は鳴らなかったが、王の眉がぴくりと動いた。
謁見中に、物を落とすなどあってはならない。アカリが頬を引きつらせると、杖はそのままに、ローラは両手を拳にして、気合いを入れる。
そして、立ち上がった。杖を頼りにせず、自身の足で床を踏みしめる。
杖を頼りにしなければ歩くのも苦労するローラが杖なしに、国王に許可されてもいないのに、立ち上がった姿に、アカリだけでなく双子もヒヤリと肝を冷やす。無礼だ、出て行けと言われやしないかと。
三人の心配を他所に、国王はローラになにも言わなかった。
「……大変失礼いたしました、陛下」
ゆっくりと腰から頭を下げる。
「私はナヒロ・ヒメルカ・ジェバリアです」
はっきりと、聞き取りやすくゆっくりと、ローラは名乗る。
「両親の名は?」
「父はギオム。母はメリシィルです」
「ヒスメド前領主の末娘か。あの悲劇の生き残りか?」
返事をすると、国王は首から下がる紋章に目を止め、尋ねた。
「その紋章は?」
「父から預かったものです」
首から家紋を外し、掌に乗せる。
そして、もう一つ。
袋に入れて持ち歩いている領主の印も。
領主になるには、この二つがなければならない。
「確認されますか?」
偽物でないことは、ローラが一番知っている。国王が本物だと認めなければ、本物でも偽物扱いになってしまう。
「確認せずとも本物であることは間違いない。それの中に少し細工がしてある。光に照らされるとはめ込まれた宝石が輝くように、な。ジェバリア家の家紋には、小ぶりのサファイアだ。偽物の青い石では到底再現できない輝きがある。その領印についても同じだ」
ローラは安堵し、家紋をそれは大事に両手で包み込む。
「そなたが欲しき言葉をくれてやろう。ナヒロ・ヒメルカ・ジェバリアをヒスメド地方の新たな主としよう。そなたはその証を譲り受けた時点で、ヒスメドの主はナヒロであると認めよう。ヒーオメはそなたが十八になるまでの仮の領主である、とここに宣言しようではないか」
国王、レフィセ二世は紙面に署名と印、ヒーオメはナヒロが十八歳となるまでの代理領主であるという内容の文をしたためた。
「ありがとうございます」
これで、ヒスメド地方はローラの元へ戻ったこととなった。
(ローちゃん、良かったね)
書簡を受け取る手を震わせながら、大切に胸に抱きしめる姿を見上げ、アカリの胸に嬉しさがつのり瞳が潤み始めた。
「二人にとても大切お話がありますの」
これまで沈黙をしていた王妃が扇をバサリと広げて、椅子から立ち上がった。
「ルディ、ラズ。今日呼んだのは、貴方たちどちらかの婚約相手を連れて来ているからなのよ」
「は?」
突然のことに、ルディはぽかんとする。王族である以上、親が相手を決めるのは仕方がないことではあるが、突然だ。
「僕は辞退しますよ。僕の相手は五年以上前から決まっていますから」
早々と先手を打ったのは、ラズの方だった。
「まあ、どなた? 紹介して欲しいわ」
ラズは立ち上がると、立ったまま座り直せなくなったローラの横に並んだ。
「ナヒロですよ、母様。やっと彼女の長年の願いが叶ったら、領主となる彼女の手助けをしたいと思っていました。僕は第二王子です。いつかは王族の権利を返上しなくてはいけません。幼い頃に出会ったナヒロを伴侶として支えていこうと思っていたのですよ。許してもらえますか?」
ローラを支えるように、自然と腰にラズの手が回った。ローラが抵抗しても、ビクともしない。
「そのような話は聞いていませんが?」
声音を低くする王妃に、ラズはローラを更に引き寄せ、抵抗できなくさせてしまう。
「すみません、母様。ナヒロが領主となる日まで口に出さずにいたのですよ」
「そうでしたか。……それでは、ルディラス。そなたの相手といたしましょう」
「待ってください! 俺にもすでに決めた人がいます!」
ラズが先手で、ローラを婚約相手としてしまった後でも、ルディにも決めた相手がいる。
ラズよりも最近のことだが、これは譲れない。
「その方はわたくしが連れて参った方よりも良い方と? 一度会ってからでもよくて? お入りなさい、ミアリ殿」
小さく返事をした女性は王妃の左側から現れた。ピンクブロンドの髪をふんわりとなびかせ、王妃に並ぶと、春の花が咲き誇るように、優しく微笑んだ。
「お久しぶりです。ルディラス様、ラズファロウ様。ウルマリー王国第三王女、ミアリ・アズ・ウルマリーですわ」
少女は優雅に挨拶をすると、姉妹へ優越感に満ちた笑みを向けた。ローラへは友好的な、アカリには恋敵と言わんばかりの凍てつくような目で笑む。
アカリは思わず顔を背けた。
「ルディラス。もう一度聞きます。ミアリ様よりも良い方なのかしら?」
「ええ、良い方です」
ルディはきっぱりと、母へ挑む目を向けた。ゆっくりと立ち上がり、アカリの前に来る。
「アカリ、手を」
アカリの目の前に手が差し出された。王妃は察した。ルディが決めた相手が、王国の、貴族よりも下の位の娘だと。王宮を歩く資格のない娘だと。
「ルディ、とても認められません。我が国のことを思うのなら――これ以上言わなくとも、分かりますわよね?」
頭がいたいと、こめかみを押さえ溜息をつく。こうならないように、お目付をつけていたはずなのに、と小さく零した声はミアリ以外聞こえてはいなかった。
ルディはぐっと奥歯を噛み締め、なにも言い返さなかった。いや、なにも言い返せなかった。
国に住む人々や、周辺各国との現状を鑑みると、ルディは母が決めた相手を容易く突っぱねられない。
「ナヒロ様。貴女も人事ではありません。ラズが王族を返上するに値する方かどうか、ヒスメド地方の活躍を見させていただきますから、そのおつもりでお願いしますね」
王妃はローラに笑顔を向けて、忠告をした。それは相手がアカリのような一般人に向けてのものより優しい。しかし、地方の領主へ向けてのものでもない。王妃も母だと言うことなのだろうが、息子を取られたようで気にいらないのだろう。
「その心配は無用です、王妃様」
ローラに向けられた王妃の視線を受け流すかのように、瞳を伏せる。
「彼は女装してわたくしを騙し続けた十年前から、わたくしを将来の相手にするとお決めになられていたそうです。わたくしよりも、ラズファロウ様のご心配を。ヒスメドの暮らしが合わないのではとこちらが危惧しているのですから」
にこりと笑う、よそ行きの声でローラはラズを向いた。
「ナヒロ、君、なにを言っているのですか。僕が女装なんて」
知ったような笑いをする国王に対して、女装して街に出ていることを王妃は知らないらしい。眉をぴくりと動かし、扇を閉じた。ぴしゃりと扇の先端をラズへ向ける。
「ラズファロウ、どういうことか後で説明にいらっしゃい。いいですわね」
母の一言にラズは了承の返事をしてその場を収めた。
ローラの話に区切りがついてももう一つの方は終わらない。
ミアリはルディを婚約相手として、壇上から見つめている。
ルディはアカリと繋いだ手を離しはしなかった。けれど、ルディが向いている視線の先はミアリだ。王妃に国の未来を考えろ、と諭されてからは、一度もアカリを見てくれない。
謁見室に入る前は、アカリの不安と緊張を和らげてくれる為に繋いだ手は、今やただ繋がっているだけで、不安は増していくばかり。王妃はアカリを邪魔な人と認識してしまっているし、ローラは若き領主。ただ、領主としての器量がなければ、即ラズを城へ戻してしまうだろう。王妃はローラの今後を期待していない。ラズの相手をまだ認めていない。
「ミアリ様。ルディラスが誠意を込めてもてなさせていただきますわ。一ヶ月後に良い返事をもらえるように」
王妃は立ち上がって、ミアリの手を取る。
アカリではなく、ミアリがこの国の、ルディの相手として将来を託すかのように。
「ええ、王妃様。楽しみですわ」
勝ち誇ったミアリの笑みがアカリに向けられる。ルディと手を繋いでいるのに、指先がすっと冷えていくような感覚がした。