1話 姉妹
レフィール王国首都の東、隣国の近くにひっそりと小さな村がある。
住宅が密集しているなか、密集地の外れに、小屋のような小さな家がひっそりと一軒建っている。
「木の実採りに行ってくるね」
手籠を持って、アカリは家から出ると、姉のローラが鍬を片手に裏の畑へ向かうところだった。
家にいないときは大抵畑にいることが多いローラはアカリの声に振り向いた。
「日暮れまでに帰ってきなさいよ」
「行ってきます!」
アカリはローラに見送られながら、小道を歩き始めた。
村に隣接している大きな森は、秋から冬にかけて様々な種類の木の実が地面に落ちている。
森で採れる木の実はすりつぶして小麦と混ぜ合わせ、焼くとととてもおいしい。これから冬に入る時期に拾い集め、本格的な冬に保存食として食べる大事な食料の一つになっている。
森へ向かって歩いていくと、アカリの家の近くに建つ家の前でひとりのおばさんが竹箒をもって掃除をしていた。
アカリは彼女の周りを見回して、誰もいないのを確認すると小走りに駆け寄った。
ぷっくりとした体型に、茶色の長い髪を器用に丸くおだんごにして結んでいる。
「ミネおばさん、こんにちは」
近づく足音に気がついて、女性は手を止めた。
「アカリじゃないかい。……その格好は――木の実を拾いに行くのかい?」
「そうです」
「こんな時間に……ああ、そうだったね。仕方ないね」
アカリは苦笑いを浮かべた。
ミルリィーネが言いかけて、飲み込んだ言葉がわかるから余計に。
「こんな時間だからですよ」
陽は西に傾き、あと一時間もすれば、辺りは暗くなってくる。こんな時間に森へ入る村人はいない。まだ明るいとはいえ、森の中は生い茂る木々が日光を遮り、すでに薄暗くなっていて、危険だからだ。
アカリはこの時間じゃないと木の実を取りに森へ入れない。
その理由をミルリィーネは知っている。
「……私も行こうかねぇ。今年はまだ採ってないんだよ。なかなか行けなくてねぇ」
「時間があれば、一緒に行きましょうよ! あたしここで待ってますから」
「そうかい。悪いね。急いで取ってくるから」
ミルリィーネは、竹箒をもって家の中へ入っていった。
(いない、よね?)
アカリはミルリィーネが家へ入ったの確認してから周囲を再度見回す。あまり会いたくない人が、この家にいるからだ。
名前はリーライ。アカリと同い年の男の子で、ミルリィーネの次男。
いつもいじめられていた記憶以外、彼との思い出はあまりいいものは一つもない。
しばらくして大きなかごをもってミルリィーネが出てきた。一緒にイズミが出てくる。背の低い玄関をかがんで潜ってきた。イズミはミルリィーネの長男でアカリと五つ離れている。
イズミが来たとなるとリーライもいそうだ。いやだと表情に出ないように顔を引き締め、待った。
イズミが家から出ると玄関を閉めた。リーライはいないようだ。
「遅いから用心棒にね」
「こんにちは、アカリちゃん」
イズミは濃紺の瞳を細めて微笑んだ。アカリはぺこりとお辞儀をして挨拶を返した。
肩にかかる少し長い髪を鬱陶しそうに払って、さりげなくアカリの籠をさらうように持っていく。
「あっ」
「どうかした?」
イズミが振り返り、不思議そうに小首を傾げる。
アカリは首を振ることでなんでもないと表現した。こういうさりげなさが、お兄ちゃんらしい。リーライだったら、気遣いなんてしないで一人で先に歩いて行ってしまう。
「イズミ、これ持っとくれ」
「ああ、いいよ」
一回りも大きな籠をイズミは軽々と持ち上げる。籠の中に小さな籠二つとアカリの籠を入れて、歩き出した。
「それじゃあ、行こうかね」
「はいっ」
ミルリィーネと森へ向けて歩き始めた。
ミルリィーネは家が近いこともあり、両親がいないアカリの家の事を心配して、どこで探してくるのかローラに出稼ぎの仕事を持ってきてくれる。
ローラが出稼ぎをしてくれるようになって、アカリの家は以前より経済的に良くなってきているから、ミルリィーネには感謝してもしきれない。
「今日、ローラはどうしてるんだい?」
「ローちゃんは、畑仕事です。あたしがいると邪魔みたいだから」
「ローラはてきぱきと何でもこなしちまうからねぇ」
「家事以外はですけどね」
アカリは呆れながら話した。姉のローラは家事が全くできない。その代わりに、アカリが苦手とする力仕事をこなしてくれる。
そのローラはそろそろ嫁に行ってもいい年齢をとうに越していた。
それなのに他の人と比べると、いまだに嫁ぎ先が決まっていないのはおかしい。
ミルリィーネの娘でローラの友人マーリェは三年前に隣村へお嫁にいってしまった。
マーリェと歳が同じローラが、結婚することに関心がないことを心配したミルリィーネが「そろそろお嫁に行ってもいいんじゃないか」と訊ねても、そのたびにローラは「アカリを一人にしたら、餓死すると思わない?」と言って、うまくかわしている。
アカリをだしにして断り続けていたら、アカリのことが心配でお婿さん候補が出来ないらしいとミルリィーネに勘違いされてしまい、最近ではアカリに、結婚相手は決まっているのかと聞いてくるようになってしまった。
アカリにとってはいつまでもローラと暮らせるから嬉しい返事だけど、ミルリィーネは、「十八で遅すぎるぐらいなんだからね」とぴしゃりと言い、次にアカリへ相手はいないのかと振られてしまう。
心配してくれるのはとてもありがたいが、さすがに二人とも迷惑をしていた。
「マーちゃん、今度はいつ来ます?」
また、結婚相手だのと話をふられる前に、マーリェの近況を聞いた。昨日、子供を連れて帰郷していて、ミルリィーネの機嫌はいつもよりもいい。
「次は、確か――春だと言っとったよ」
「お孫さん、もっとおっきくなってますね。 楽しみ!」
「私もだよ。孫の成長した顔がみられると思うと、今からでも楽しみだよ」
ミルリィーネは嬉しそうに話してくれた。昨日、赤ん坊を抱っこして、優しそうな旦那と家に来てくれたマーリェを思い出して、アカリは微笑んだ。
日暮れ前に森を後にしてミルリィーネと木の実を分け合った。
「ただいま」
イズミに送ってもらって、家へ入るとローラが食卓の椅子に座っていた。
「あ、おかえり」
疲れ切った生気のない声に、アカリは駆け寄った。
畑仕事に相当疲れたみたいだ。
「ローちゃん大丈夫?」
「平気平気。そっちはいいのあった?」
「うん! 明日は、もっと奥のほうに行ってみようと思うんだ。畑はどう?」
冬に入る前に畑で育てている野菜を全て収穫しなくてはいけない。しかしアカリは野菜を一つ取るのに時間がかかり、ローラに邪魔だと何年か前に言われて以降、手伝っていない。収穫はローラが一人でやっている。
「冬までには何とかなりそうよ」
「よかった! ミネおばさんが、ローちゃんはいつになったら嫁ぎに行くのって、また言ってたよ」
結局マーリェの話題を出したすぐ後、結局嫁ぎ先はいつ決めるんだという話になってしまい、苦笑いで受け流すしかなくなったのだ。ローラに聞いてみるといっても、なかなか話題はそれてくれず、苦労した。
「またぁ? 心配してくれるのはありがたいけど、今は畑の方が大事だわ」
「そうだよね」
「家事全くできないし、結婚なんて無理よ。きっと。家事やってくれるアカリなしでなんて暮らしていけないわ」
「あたしも力仕事してくれるローちゃんいなかったら暮らせないよ?」
「可愛いヤツめ」
ローラが意地悪な笑いを浮かべてアカリに抱きついた。
ローラがお嫁に行き家を出ていくと、アカリ一人でローラが今までやってきた仕事を全部やらないといけなくなる。
テキパキとこなせないアカリには、とてもじゃないけど出来ない仕事ばかり。
ローラも同じく、料理を作ることが大嫌いで、アカリがいないとご飯もろくに食べずに仕事をするから、アカリは家を離れることはあまりしない。なにかあればお昼過ぎてから、人目を憚って出ていくことが多い。
二人を足して二で割ればちょうど一人前な姉妹だけど、アカリは毎日楽しく暮らせればそれでいい。
アカリの両親は、アカリが幼い時に亡くなった。
母を亡くして、まだ小さかったアカリは何も出来なくて、昔は二人ともミルリィーネのところで食べさせてもらっていた。
七歳になって料理を覚えるようになったら、自然と自分の家で作れるようになり、アカリは家事担当で、ローラはそれ以外を担当するようになった。
どちらかがいなくなるなんてアカリは考えられないし、本音を言えばローラにはお嫁になんか行って欲しくない。けれど、そういうわけにはいかないのが現実だ。
ミルリィーネの気持ちも分からないわけではないけど、アカリはローラがずっと傍にいてくれると今も昔も変わらずそう信じていた。