17話 リンスレットの正体
いつもよりも早く目が覚めたアカリは、ベッドに座り昨日のことを思い出した。
昨日も、夜遅くに城へ帰ってきたローラは、疲れた顔でアカリに笑顔を浮かべて就寝の挨拶をした後、ローラをよく観察してみれば、深妙な面持ちで部屋を出て行った。
アカリはラズからローラが毎夜城下へ行く理由を詳しく教えてくれなくても察してしまった。
ローラがアカリと暮らす前になにかがあった。ローラが部屋へ来たらそのことを聞いて、城下へ行かせないようにしないといけない。
アカリの亡き両親は、ローラの事情をどこまで知っていたのだろう。アカリがうろ覚えていることは、ローラのように頻繁でないにしろ、首都へ出て行っていた。
不慮の事故で両親が亡くなってからはミルリィーネが親代わりになり、二人を実の子のように世話してくれた。
けれど、そのあと……。
「アカリ!」
肩を揺さぶられ、過去を思い出そうと没頭していると、現実に引き戻される。
「あ、ローちゃん」
夜遅くに寝たローラが心配な顔を浮かべて覗き込んでいた。
「おはよう」
笑顔を向けて失敗する。ローラはもう出かける格好をしていた。外套を羽織り、服は動きやすい短いズボン。ブーツを履き、腰に届きそうな髪はひとつに結ばれていた。
アカリは一抹の不安を覚えた。
出かけるにはまだ早すぎる。
「ローちゃん、何処かに行くの?」
「そう。女官ローラは今日非番でお出かけに行ってくるのです。あんたは一日、勉強頑張りな」
ベッドから立ち上がり、片手を上げて部屋を出て行くローラの外套を慌てて掴む。
アカリは焦っていた。
この手をはなしたら、ローラは出て行ってしまう。
ローラはこれから城下で起きることを知らない。巻き込ませてしまう。
「今日は、お休みなの」
「へぇ、そうなんだ」
「だからね、今日は久しぶりにローちゃんと居たいなって」
引き留める理由を必死に考えて出てきたのは、ローラが外套を脱いでくれるようなものじゃなかった。
「あんたは、ルディラス殿下といればいいじゃない」
ローラはアカリの手を強引に引き剥がす。農作業をしている手は皮が厚くなり、力は強い。アカリの縋る手は簡単に外套から離れてしまう。
「ルディは、今日忙しいの。ねえ、ローちゃん、出かけるならあたしも一緒に……」
ラズと城下へ行かなければならない。しかし、ルディは城下へ行くとローラに言えない。ラズに口止めされていた。
「何言ってんの、あんたはここにいな。いつもべったりしてるでしょ」
「してないよ。執務で忙しいから」
会えるのはいつも夕食が終わってから。それまで会えたことがない。廊下を歩いていても、中庭で花を眺めていても、ルディは姿を見せない。
アカリと会う時間を作ろうと、昼は執務に追われているのだ。
「あんたって子は」
指を額にあてて盛大に呆れられた。
アカリを睨み、怒っている。アカリにだけは甘いローラが、冷たい視線でアカリを見下ろした。
アカリより少し背があるローラはブーツを履いている分高くなっている。
「気がつきなさいよ! あんたのそばに毎日いるのは誰よ?」
毎日常にいる人は。
「ローちゃん?」
「違うでしょ!」
ローラは地団太を踏み、アカリの耳朶を掴み、引き寄せる。
「リンスレット」
苛立ちを隠して冷静さを装った声がアカリの耳にはっきりと聞こえた。
「彼女はルディラス殿下が化けた女よ。いい加減、気がつきな」
「え、リンスは違うよ」
アカリが首をかしげると、ローラは呆れた。
「どこまでも出来た頭ね、どうして気がつかないわけ?」
リンスレットは慣れないアカリを助けてくれる。午後からローラと入れ替わるまでの間、彼女と共にいる時間がほとんど。女性にしては背が高く、ローラとは違った姉のような感覚がしていた。
「そういうところ鈍いからね、あんたは」
半ばショックを受けている隙に、ローラは外套を翻す。
「ダメ、待って!」
もう一度、外套を掴もうとしたアカリの手を華麗に避けた。バランスを失い、床に転ぶ。
「もし、戻らなかったら……ごめんね?」
ローラは目もくれず、廊下へ出て行った。
「ローちゃん!」
アカリは急いで着替えを済ませると、外套を羽織った。ローラを追わなければならない。
アカリの為に用意される服は動きにくいものばかりで、ローラのように動きやすいものはひとつもない。
その中でも、わりと動きやすさのあるドレスを厳選したが、それでも歩きにくい。
廊下へ飛び出したところで、女官服に身を包んだリンスレットと出くわした。
「アカリ? どうかした?」
「リンス……」
ドアを開け、切羽詰まった顔で出てきたアカリに、リンスレットは小首を傾げる。
「ローちゃんが」
リンスレットの腕を掴み、慌てて離した。彼女の腕をはじめて触った。ローラよりも筋肉質な二の腕だった。思わずリンスレットを見上げる。
(リンスがルディなんて)
こんな時にローラの言葉が思い浮かぶ。ローラを引き止めなければいけないのに。
「ローラがどうかした?」
よく聞けば、声音が似ているような。
「な、なんでもない。ローちゃんが待ってるから、いかなきゃ」
外套を翻し廊下に出る。
「アカリどうした?」
リンスレットに肩を掴まれ、思わずその手を叩いてしまった。
リンスレットの表情が瞬時に変わった。叩かれた手を見つめ、悲しそうだ。
リンスレットがルディだと聞いて、平常でいられない。
それがローラの思い違いだとしても、そう思わせてしまうことがリンスレットとローラの間にあったのだ。
お互いに口を閉ざしている。
アカリは何か言おうとして、なにも出てこず、口元がはふはふする。
「ルディ! ナヒロが外に出たそうです。急がないと……っと、アカリさん」
重苦しい空気を取り払うようにラズが廊下を歩いてきた。ローラの背に隠されたアカリを見つけ口を噤む。
「ル、ディなの?」
リンスレットを振り返り、見上げる。ローラから聞かされても、半信半疑だったことがラズの一言で決定的となった。
――リンスレットがルディラス王子。
「ごめんな、アカリ」
リンスレットの声音が変わる。女性にしては低い声は、低くなり、男性のものへとなる。
リンスレットが長髪に手をいれ、小さく何かを外す音がした。
長い髪がずるりとすべり、短い髪が現れる。鬘でぺちゃりとした髪。女官の服を着ていても、ルディだと判った。
目を見張る。ローラの言っていたことが正しいなんて。
「騙して、たの?」
溢れた涙を堪えて、外套を握りしめる。
「違う、これには理由が!」
アカリの肩を掴む。今度は振り払わなかった。顔を下に向ける。ルディと視線を合わせたくない。
「離して、酷い。……嫌いよ」
ルディを悲しい目でみあげると、アカリはその場を駆け出していた。
「まだ言ってなかったのですか?」
ラズにため息混じりに問われ、頷いた。
「早く着替えてきてください」
「わかった」
アカリへ言っていなかったことで、嫌いと言われルディは意気消沈している。
「急いで。城下へ行かれたらアカリも危険……」
後ろ姿にラズは再度声をかけた。言い終わる前に廊下を走り出す。
「準備して待ってろ。……アカリを引き止めておいてくれ」