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16話 夜の散歩

 ココン。

 ドアが遠慮がちに叩かれた。アカリは読んでいる本を閉じて、椅子から立ち上がる。

「はい」

 声を抑えて返事をした。緊張して、声が上ずる。

「アカリ、散歩に行かないか?」

 ドア越しにルディの声がする。優しい声音にドキドキする。

「は、はい!」

 ショールを羽織り、変なところがないか確認したらドアを開けた。

 シャツとパンツだけの着崩した格好でルディがドアの前に立っている。剣は腰に下げていた。

「お待たせして」

「待ってない。行こう」

 アカリがショールの中に隠した荒れた手を強引に繋がれた。

(あれ?)

 数日前は滑らかだった彼の手が少し荒れている。その荒れ方がアカリと似ている。

「中庭で、いいよな?」

 アカリがルディの手のカサつきに疑問を抱いたと知らずに、ルディが手を引いた。ゆっくり歩き始める。

 数日前からルディは夜になるとアカリの客室を訪れるようになった。昨日別れ際に、今夜は中庭を散策しようと約束していた。夜の中庭は証明がぼんやりとしていて綺麗だとルディが教えてくれてたのだ。

「勉学は進んだ?」

「ユフェさんが、教えてくれてるので解りやすいです」

「あの人にしたかいがあったな」

 ふわりと笑う表情に、アカリの顔が熱くなった。

 アカリが日曜学校を途中でいかなくなった事情を知った次の日。ユフェは大量の書物をアカリに渡した。字は書かなくても読めるとなると、覚える優先順位をつけてくれた。

「ありがとうございます。ルディラス様もユフェさんから習ったの、ですか?」

 ルディの足が止まった。

「どうかされましたか?」

 何かあったのかと前を見れば何もない。人がいるでもなく通路が続いている。

 アカリは何か言葉を間違えたかと今度は心配になった。

 午前はリンスレットから女官の仕事を教わり、午後はユフェからの講義を聞き、村にいた頃より言葉の使い方がよくなっていた。どこか間違えがあるなら、直さないといけない。

「何か間違えてましたか?」

「アカリはもう俺のことをルディと呼んでくれないのか」

 ルディの切ない表情に息を飲んだ。

 ルディが王子と知らなかった会ったばかりの頃は、彼のことをそう呼んでいた。

「その、ダメと言われたので」

 ユフェの前で「ルディ」と呼んだ勉学の初日。王族の呼び方を教え込まれ、それ以来呼べなくなってしまった。

「その敬語、やめてくれ。悲しくなる」

 アカリの手を離して、両肩に手をのせられる。ぐっと顔が近づけられ、どうしていいかわからなくなる。

「お願いだ、アカリ」

 額が合わされる。間近にルディの寂しげな、切ない顔が。

「ルディ……様」

「様はいらない。俺を悲しませたい?」

 アカリが言えば言うほど、ルディの表情は暗くなっていく。

 なんだか子犬の待ちぼうけのような顔に、思わず手が出た。頬を撫でる。本当は頭を触りたいけど、近くてできない。

「違うよ、ごめんね……ルディ」

 意を決して、ルディが嫌う言葉をなくした。すると、とたんに笑顔が零れた。頬に伸ばした手に手を重ねられる。手を取られ、頬から離されると、手のひらに唇が落とされた。

 柔らかな感触とルディの息遣いが直に伝わり、肩がびくりと震える。唇が離れると、手は解放された。

「これからも、そうしてくれ」

「わ、わかった。気をつけるね」

 更にぐっと顔が近づいて思わず目をぎゅうっと瞑る。

 頭の後ろを支えられ、前髪の付け根へキスされた。

 驚いて瞑った目を開ける。満面の笑みをしたルディがアカリを見下ろしていた。

「簡単に目を閉じたら何されても文句言えないぞ」

 こつんと額を優しく小突かれる。

「気をつけるね」

 恥ずかしくて俯くと、耳朶に顔が近づけられた。自然に身体に力がはいる。

「俺には早く気を許してくれると嬉しいな」

 囁かれた声の優しさと少しの甘さに心臓が飛び跳ねた。ほっぺたが熱くなってくるのがわかる。

「ど、努力します」

 両手で頬をおさえて顔を隠す。熱くなるのが止められない。

「アカリかわいい」

 囁かれて思わず変な声が出てしまった。笑うルディを思わず恨めしげに睨む。

 ローラがアカリに言う「かわいい」とどこか違った響きが、アカリを冷静でいられなくする。

 ルディに手を包みこむようにぎゅっと握られる。頬から手が離れると、顔を赤くしたアカリがルディを見上げていた。

(ルディに気に入られるようなこと、あたし何もしてない)

 こんなことされるようなこと、した覚えがない。森で熊に襲われて、アカリを庇い怪我をした。アカリがいなければ負わずに済んだ怪我を治療しただけで、気に入られると思えない。

「ルディは、どうしてあたしを選んでくれたの?」

 通路を歩きながら、アカリは聞いてみた。

「婚約相手にってことか?」

「そうです」

「庭についたら、な」

 照れ臭そうにそっぽを向いてしまった。


 通路の反対から人が歩いて来る。アカリは思わず顔が見られないように、顔を背けルディの背に隠れる。

 ルディに会釈した見回りの騎士が不思議そうにアカリを見ていきながら、通り過ぎて行く。ルディが連れている女性を気にしながら、廊下を曲がっていった。

「恥ずかしがらなくていいのに。堂々としていろよ」

 夜にルディと歩く女性が誰か興味津々な目をしていた。

「できないです」

 顔を赤くして空いた手でルディの腕を掴み小さく首を振るアカリを、緊張の綻んだ満面の笑みでルディは見下ろした。

「ゆっくり慣れてくれればいい」

 握られていただけのアカリの手は、返事の代わりのようにルディの手を握り返していた。


 中庭はぼんやりと石畳を灯す照明が、植えられた花を照らし幻想的な空間を作り出している。

 ぽうっと見惚れるアカリの手をその隙に腕にかける。手を握り合うよりも、二人の距離が縮まる。

 慌てるアカリをルディは言いくるめてしまう。腕から離そうとした手を脇を締めて離れないようにされると、アカリは戸惑いながら抵抗をやめた。

「歩こう?」

 ルディと並んで石畳を歩き出す。火照った身体にひやりとする夜風が涼しく感じられた。

 ぶわりと吹き抜ける風で肩から落ちかけたショールをかけ直してもらう。戸惑いながらお礼を言うと、遠慮がちに咳払いが聞こえた。

 誰もいないと思っていた中庭に人がいた。慌ててルディから離れると寂しそうな顔をされる。こんなところ、人に見られたくない。

「お二人で楽しんでいるところ、すいません」

 中庭にある四阿あずまやの屋根の下で、誰かがすくっと立ち上がった。

「ラズ……!」

 四阿は明かりがない。光が届く場所まで歩いてくるラズは、ルディと似た格好をしていた。ルディはアカリをすぐさま腕の中に囲う。顔を胸に押し付けられ、息がしにくくなった。

「そんなに怒らないで下さいよ。謝ったじゃないですか」

 二人のそばで足を止めて、ラズはくすりと笑った。

「帰れよ」

「僕はアカリさんにお話があります。ルディ、少しでいいので、時間を下さい。――ローラのことですよ」

 ラズの瞳が険しく細められ、ルディは悟った。アカリの背に回していた手を離す。

「ありがとうございます。やっと話せます。彼女に僕を近づけないようにするから、なかなか出来なくて苦労しました」

「当たり前だ。お前にとられてたまるか」

「とりませんよ。それにアカリさんは、あなたがいいみたいですよ?」

 ルディの腰辺りの服をぎゅうっと掴んでいる手を指摘されて、慌てて離した。

「え、あ、ごめんなさい!」

 ぱっと手をはなす。無意識とはいえ、恥ずかしい。

「離さなくていいのに」

 残念がるルディに、顔があげられない。

「まったく、二人のときにやってて下さい」

 ラズが両手でお手上げだと呆れた。けれど、表情は嬉しそうに微笑んでいた。

「少し、時間を下さいませんか? どこから聞かれているかわからない庭の真ん中でするような話ではないのですよ」

 アカリは返事をして、三人で裏庭を出た。裏庭からほど近い談話室へ入る。部屋の前で、双子の従者ジェーカスが立っていた。

「十分だけでお願いしますよ」

「わかってますよ」

 心配そうな顔のジェーカスに見送られ部屋に入る。ソファに座るような気分になれず、ラズに勧められてもお断りした。ルディはアカリのすぐ隣に立った。

「僕のお話というのは、明日ローラが城外へ行かないよう引き留めてくださいませんか」

 前のめりになりながら、ラズはアカリを見上げた。

 男性と話をするのはまだ慣れない。ルディの隣でショールの中に両手を隠した。前で合わせたショールを両手で握りしめる。

 ルディはなにをとっても優しくて、安心する。他の男性に感じる怖さを感じない。

 対してラズは言葉こそ優しさはあるが、どことなくわからない。目に見えない怖さに耐えるかのように、ショールへすがりついた。

「どうして、ですか」

 ローラは毎日、決まった時間に城下へ出かけていた。隠したりは全くなく、堂々と裏門から、門番と挨拶をかわして出ていっていた。ルディの招待客の姉の行動を彼が把握していてもおかしくない。

「貴女は彼女がなぜ毎日城下へ行っているか知っていますか?」

 ローラは城下へどのような用かアカリへ話してくれないが、行かなければいけない事をしに行っている。夜の城下へ行く用がアカリは思いつかなかった。ローラには必要なことなのだろうと聞かないでいたし、聞かれたくないのか、ローラは女官服へ着替えるとそそくさと部屋を出て行ってしまい、聞かれるのを嫌がっているように感じていた。だから、アカリはあえて聞かないようにしていた。そのかわりに「気をつけてね」と言うと綻んだ笑顔でかえしてくれていた。

「知りません」

「予想通りですね」

 ラズはつまらないと言わんばかりに、肩をすくめた。

「ローちゃんは家のために働いているだけです」

 すべてを知らないわけない。ローラは家計のために、年に何度も城下へ行っている。ラズはローラと会ってまだ十日しか経っていない。ラズよりも知っている自信があった。

「そんなの、村から出る理由に過ぎませんよ」

 あっさりとそんなもの理由にならないと突っぱねられる。家計のためが村を出る理由なんて、そんな事ない。

(ローちゃんはいつも)

 アカリのことを考えてくれてた。出稼ぎに、家の畑の世話。村人の冷めた視線を鮮やかにはねのけ、いつも笑顔で。

「そんなこと」

「ないと言えますか?」

「……っ!」

 アカリが独り言のようにでた言葉を引き継ぐように、ラズがたたきつけてくる。

「思い出してみて下さい。ローラは出稼ぎへ行っていたときを」

 出稼ぎへ行くと必ず帰る予定を教えてくれていたローラは、いつも予定日を過ぎて帰ってきていた。帰宅予定の日を守ったことは一度もない。

 遅くなる代わりに城下で衣服を買ってきてくれていた。そして、ローラが稼いだお金で、次の出稼ぎまで凌いできた。

 遅くなっていた理由が別にあったなんて、微塵も考えたことなかった。

「アカリさん、ユフェからこの国のことは学んでいますね?」

 今日から近隣国へ移ったところだった。アカリは震える手をスカーフを握りしめることで抑える。ゆっくりと頷く。

「それでは、ヒスメド地方のことは学びましたか?」

 それはつい昨日、知ったばかりの場所だ。王国最北にある一帯で、現在は前当主の弟が治めている。主な収入源は観光。地方にあるおおきな湖を目当てにくる人が多い。それ以上はユフェは口を閉ざしなにも言わなかった。

「は、い」

「ローラさんはそこの出身です。それは?」

 はじめて聞いた。驚いて目を見張る。ぶるりと首を振った。ローラはアカリの小さい頃から一緒で、デニレローエ村へ越してきた時にはもう、アカリのそばにいた。両親から、アカリ以上にかまわれていて、嫉妬を覚えたぐらいに。

「なにもローラさんから教えられていないのですね」

 グサリと胸をえぐられた気がした。ラズの言うように、長く暮らして、ローラからなにも聞いていない。

「ローラは貴女の本当の姉ではありません」

 決定打をうけ、アカリはふらついた。

「ラズ、言い過ぎだ! ローラがアカリに言わなかったのは、言う必要がないからだろう!」

 見守っていたルディが募ったイラつきを吐き出す。ふらついたアカリを横から支えた。スカーフが床に落ちてしまう。

「貴女は知るべきです。ローラの妹としてね、アカリさん」


 ラズが言うことが本当だとすれば、アカリはどれだけ知らなさ過ぎたか。

「ルディは、知っていたの?」

 震える声で問う。昂ぶった感情が涙になって目を潤す。ローラがアカリにひた隠していた事実を。

「悪い、知っていた」

 アカリの視線から、顔をそらす。全部、この双子王子は知っていた。

「明日、城下で不審な動きがあります。僕は彼女をそこに巻き込みたくない。貴女に、ローラさんを引きとどめておいてほしいのです」

「はい」

「僕とルディが明日、不穏な動きを封じている間、ローラさんが城下へ来られたら困るのですよ。ローラさんが危険にさらされたくありませんよね?」

 もちろんだ。ローラが城外に出て危険な目に合うかもしれないと聞いてしまえば余計に。

「わかりました、やってみます」

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