14話 城下
ローラとの入れ替わりは一日のなかで何度かある。
ローラの苦手な勉学の時間と夜更け頃。アカリが客室のベッドで睡眠をとったら翌朝ローラと入れ替わる。夜更けの入れ替わりは必ず外套を着ていく。城の外へ出ているようだけれど、アカリは深く聞けずにいた。
普段、他国の王族が来城したら開放する客室を、一般の平民育ちが我が物顔で使っている。
ローラが読んだように貴族出身の女官たちが眦を吊り上げて、見慣れない品格のないアカリを睨みつけきた。大抵はローラがアカリとなっている間が多い。アカリ本人にあまり被害はないとはいえ、その場面に出くわすと、心が沈む。事実と関係ない話を本人に聞えよがしに廊下で話し、嘲笑うのだ。村長の娘ブリエッサよりもはるかに陰湿な人たちだ。彼女らにローラがアカリの姉だということが知れると、たちまち態度が変わった。働き始めて三日後の出来事だった。
一人孤立するようになったアカリの傍には、指導者という名目でリンスレットが常にいてくれる。おかげでアカリは意地悪をされることはあっても、リンスレットが離れずいてくれるおかげで、女性たちから直接何かをされることはなかった。
彼女たちの反発は強く、廊下ですれ違っても挨拶をしてもらえない。彼女たちに認めてもらうには、今の仕事を早く覚えてこなすしかない。
アカリは少しでも早く独り立ちがしたかった。その先走った思いがよくないことを引き起こしてしまった。
リンスレットが傍を離れた一瞬の隙を狙って、アカリを僻んだ一部の女官から、仕事を押し付けられてしまった。シーツ洗いに、廊下のすべての窓ふき。更には東屋の掃除まで。これが一人で出来れば、認めると言われてしまえば、やらないわけにいかない。
王城で働きはじめて五日後の事だった。
シーツの洗い方を知らないアカリを、用事の済ませたリンスレットが見つけた時には、洗い場でシーツに大量の水がかけられた後だった。そのシーツは今日、アカリが使う客室のベッドシーツで交換するものだった。
アカリは知らなかったとはいえ、認めてくれるという彼女たちの言葉を信じて、新しいシーツをダメにしてしまった。替えの予備があったからよかったものの、なければ注意だけですまない。
シーツをよく見れば皺が引き延ばされ、折り目はきちんとしていて、まだ使われていないシーツだと気が付けだろう。
未使用のシーツは剥がされた後のようにくしゃくしゃに丸められ、使い終わったものだという彼女らの言葉を信じてしまった。
アカリが使うベッドのシーツ以外は使い終わったシーツだったことが後から判明した。アカリにそれらを押し付けた女官らはミユーアに呼び出され、理由を問いだたされた。
「田舎娘が、王子に気に入られているのが許せない」
口を揃えて、女官達はこう言った。
彼女たちと並び立つアカリを憎悪に満ちた瞳で睨みつけてくる。
アカリの姉という立場を理由に、未使用のシーツを洗わせる理由にならない。と、マリアーゼとミユーアが言っても耳にはいらない。いまにも噛みつかんばかりの顔と、態度にアカリは足がすくんだ。
「出よう」
このまま、先輩女官とアカリを同じ部屋に居させていいとこはないと、判断したリンスレットがアカリを部屋の外へ出してくれた。
女性にしては大きな手がアカリの小さな手を包む。
アカリはその手にすがった。そうしなければ、卒倒していた。
村長の娘、ブリエッサの直接、言葉で言ってくる仕打ちがどれだけ生易しいかを思い知った。
知られなければ、もっとやれたのに。アカリをい殺さんばかりの視線がそう語っているように思えた。
彼女らに、厳重注意ですんでしまったのは、ミユーアや、マリアーゼよりも貴族階級が高い少女がいたせいだろう。
ローラは客室にいた。ローラにこの蒼白な顔と、滲んだ涙を見せたくない。心配をかけてしまう。だから、ローラの胸へ飛びついた。
「アカリ!?」
驚きながらも、ローラは背中に腕を回してくれた。姉の腕の中は安心できる。
背中を優しくなでられ、慰められる。昔から変わらない慰め方に出かかった涙が崩壊して、止まらなくなる。ローラのドレスを汚してしまうと判っていても止められなかった。
「ロー、ちゃん」
声音ばかりは変えられず、涙声になってしまう。
「どうした!?」
何もと答えれば、ローラは、近くで様子を見ていたリンスレットを睨みつけた。
「アカリに何してくれた」
アカリが言えない理由が、リンスレットにあると勘違いさせてしまっている。リンスレットは関係ない。
アカリは首を振るのが精一杯だった。アカリの首振りはローラに伝わった。
わかったと、頭を撫でられたのに、リンスレットは信用できないのか、睨みをきかせた。
「なにもしてない」
リンスレットは呆れながら、息を吐き出した。
ローラは簡単に信じない。疑いの目を向けたままだ。
「違う、リンスレットじゃないよ」
ローラの背に回していた腕をはなして、もう一度、否定する。涙が滲む瞳で真剣に。リンスレットは助けてくれただけだ。なにもしていないと。
アカリの言葉でローラは一先ず信じた。内心、まだ疑っているようだ。アカリがもう一度違うよ、と念を押す。
話をしたくないと首を振るアカリの沈んだ表情は、明らかに何かがあったとローラへ訴えている。それをアカリは話したくなかった。
「ねぇ、アカリ。城下へ出かけて来なさいよ」
「城下?」
「そう。せっかく来たんだ、行かないなんて選択肢はないよ。……それに、気分転換になるから」
アカリも馬車の車窓から見た城下は楽しそうで、行きたくてしかたがなかった。
一人で歩くには、不安だ。そこで、隣のリンスレットの裾を掴んで、見上げる。
「リンスレット、あの、一緒に来て欲しい、です」
潤んだ瞳の上目遣いに、リンスレットはなぜか動揺した。
「うっ……くっ。いいよ」
片手で両目を覆ったリンスレットの腰に腕を回した。
「良かった、ありがとう!」
訪れたことがない城下へ行けるとあって、暗かった表情は一変して、瞳を輝かせた。
出かける支度を早々にして、リンスレットを連れて門を出た。
リンスレットがいれば心強い。歩きなれているから道に迷う心配がない。
アカリは歩けるだけで心が弾んだ。女官達の意地悪を一時でも忘れられるぐらいには。
「これ、かわいいね!」
「あれは何をやってるの?」
「リンスレットー!」
街に出たとたん、アカリの暗ーい気持ちはどこかへ飛んでいった。
女官の服では歩けないので、着替えて、寒さ対策に外套を羽織った。デニレローエ村よりも気温が低い王都は、アカリが村で着ていた服では肌寒かった。
はしゃぐアカリをリンスレットは見失わないように注意深く目で追いかける。
食べたことがないワッフルに目を奪われていると、リンスレットが買ってくれた。
(あれ? ローちゃん?)
ワッフルに蜂蜜がかけられ、美味しさに頬を緩めていると、外套を羽織ったローラが視界をよぎった。
旅人が使い古したようなボロい外套はそう見ない。
両親が使っていて、ローラが大事に使っているものは、見慣れている。色や破れた方、汚れた場所までアカリは覚えている。
アカリの代わりに講習を受けているはずのローラがなぜ城下へ?
「ローちゃんがいる」
ワッフルを急いで食べ終ると、アカリはベンチから立ち上がった。ローラが人目を気にしながら角を曲がっていく。
ローラも城下に来たかったのだろうか。それなら言ってくれればよかったのに。
一点から目を反らさないで、走り出そうとするアカリの腕をすんでのところでリンスレットがつかんだ。
「何処?」
先に食べ終わっていたリンスレットが、アカリの視線の先を凝視する。眇めた先にローラの姿は見つけられない。
「あ、あの赤い屋根の家の角曲がって」
赤い屋根の家をリンスレットはすぐに見つけた。
「アカリは……、ここで待ってろ。違うかもしれないから」
フードは背中に落ちてローラの顔がよく見えた。張りつめた、誰かを恨んでいるような恐ろしい形相だった。
ここのところ、夜に出ていっている理由がその先にあるような気がした。
なにも話さないローラが妹として心配なのだ。
「ローちゃんを見間違うなんてしないです」
リンスレットの手を振り払おうとしたアカリの弱い抵抗力を、リンスレットの強い力が押さえつける。
「追いかけたら、ダメだ!」
両肩を捕まれ、無理やりベンチに座らさせられた。
「アカリはお願いだから待っていて。俺が」
新人に優しく微笑んでくれるリンスレットはそこにいなかった。強張る真剣な眼差しがアカリを見下ろしている。
「リンスレット?」
リンスレットは苦笑いを浮かべた。
「私の足の方が早いでしょ? 見てくるからまっていて?」
リンスレットは、アカリが再びベンチから立ち上がる前に、雑踏をよけ家の角へ消えていった。
(俺って、言ってなかった?)
「アカリさん」
どういうことなんだろうと、首をかしげぽかんとなるアカリに声がかけられた。
「はい」
咄嗟に返事をして振り返ると、そこに可愛らしい顔をした男の人が立っている。くりんとはねる髪に、帯剣をした彼は、濃い青の上着と空に似た薄いズボン、膝下までの黒いブーツで、アカリが王城でみかける騎士の格好をしていた。
胸に手を置いて、一礼する。
「はじめまして、僕は……」
「シリル様!」
彼の言葉を覆い被さるようにして歓声が彼の後ろからでた。複数の甲高い声にアカリの耳が痛くなり、思わず耳を塞いでしまった。アカリに目もくれずかごを下げた少女たちが彼を囲ってしまう。
「ごめんね? 今日は仕事なんだ」
滅多に会えないとあって、弾んだ声で一方的に聞いてくる少女たちに困った顔で謝罪をした。
仕事と言われればどうにもならない。買い物途中の少女たちは残念そうに散らばっていった。
彼女たちが離れていくのを見守り、シリルはアカリの前に立った。
ベンチから立ち上がっていたアカリと背がたいして変わらない。シリルと視線の高さが一緒だ。
「改めて、ルディラス殿下の護衛をしている、シリル・ナリエックです。街中で心配だから貴女の護衛をするようにと頼まれました」
シリルはにこりと柔和に笑った。可愛い顔の男の人が笑うと、なぜだか愛らしくみえる。
「リンスレットが戻るまで、大人しくしていて下さいね」
アカリはシリルの笑顔に頷くと、促されるままに大人しくベンチへ座った。
(村の男の人たちと全然違う)
王城へ来てからというもの、アカリに対する男の人たちの対応の仕方が、同じ年頃の村の人と違うのに、戸惑ってしまう。
シリルがアカリを人目から庇うかのように立たれ、リンスレットが戻ってくるまで、そわそわして居心地がとても悪かった。
「アカリ、ローラじゃなかったよ」
リンスレットはシリルへ礼を言い、アカリの隣に座った。走ったせいか、汗をかいている。
「本当ですか?」
アカリはリンスレットの言葉を半ば疑った。見間違わない自信があった。
「別人だったよ」
リンスレットは路地裏の家の女の人で――と、さもローラに似た女性へ聞いた内容を親切に教えてくれる。
その話が現実的で、アカリの見た女性はローラじゃなかったのだろう。似た外套を着た別人を姉と言って、リンスレットを行かせてしまい、申し訳なくなる。
「勘違いで、走らせて、すいません。ローちゃんじゃなかったんですね」
姉じゃないと知ると安堵した。ローラはアカリに何も言ってくれない。姉だから、妹に心配かけたくない気持ちは判らなくない。アカリは散々ローラやミルリィーネに心配をかけまくってきた。
逆に何も言ってくれないのも、心配になる。王城で過ごすようになってから、ローラは外套を着て行く理由をなにもアカリに言っていかない。今までそんなこと一度もなかった。
「戻ろう。王城でローラが待ってるよ、きっと」
リンスレットの言葉に、アカリはベンチから立ち上がった。
そうだ、王城でローラは講習を受け終わり、アカリの帰りを待っている。
(お土産話をたくさんしなくちゃ)
そうしたら、アカリの中で渦巻くものが解消されるかもしれない。