11話 再会
「アカリ、城下街に入ったよ」
「……」
アカリの目前にみたことのない景色が広がる。
舗装された通りを馬車がゆっくりと走る。
密集した家は高く、騒がしい。
デニレローエは、静かで家一軒一軒が離れ、家は横に広かった。
村との違いを見つけているうちに楽しくなってきた。
「落ち着きなさいって。ほら、座って」
ローラに諭され、座席に座る。
「アカリはこんなにぎやかな街見たことないからはしゃぎたくなる気持ちも分からなくないけど、あたしたち、これから第一王子様に会うんだからね? はしゃいでる場合じゃないんだよ? それと、忘れてるみたいだからもう一度言うけど、あたしのことはアカリって呼ばなきゃダメだから」
アカリはすっかり忘れていた。思わず苦笑いをした。
「気を付けるね」
興奮していた気持ちが一気につぶれてしまった。
「そんなに落ち込まない。一時的なんだから、何もなければ、あんたがアカリって言っていいから。それまでの辛抱」
ローラのその言葉を聞いてアカリは満面の笑みを浮かべる。
「ほんとに? じゃあ、いろんな人に嘘つかなくて良くなるんだね? あたし、ちゃんとローちゃん演じてみせるよ!」
アカリがローラの提案を嫌がっていた本当の理由は人に嘘をつくことがイヤなのだ。これけらお世話になる人に、名前かを偽り続けなければいけないかと思うと心が痛む。
ローラはそこを感じとり、アカリらしいと思った。
アカリは人に嘘をつくということが出来ない。嘘をつこうとすると顔に出てしまうから、すぐに嘘だとばれてしまう。
そのことをローラはすっかり忘れていた。
「アカリが、嘘つけないの忘れてた」
「大丈夫、できるよ。ローちゃんになってみせるよ」
出来る自信はこれっぽっちもなかった。活発的なローラに対してアカリは大人しい。正反対なローラになりきれるかどうか。
「もう、さすがあたしのアカリだわっ!」
ローラはアカリに抱きついた。力一杯頭を撫でられ、髪がぐしゃぐしゃになった。
城下町を走る途中、正門へ向かう通りから明らかに違う通りへそれていった。
人を招待しておいて、正面から入らないなんて。ローラが目を細めた。
小窓から外を見れば城の城壁を沿って走っていき、食材を運びに来る商人用のような古くさい門をくぐった。
アカリはお城の中に入る門を通れるということだけで、興奮した。入れない場所に入れた、それだけで嬉しい。
馬車から降りて、城を見上げる。空に吸い込まれそうな高さに、首が痛くなった。ローラとアカリは三人の女性に迎えられた。正面玄関ではなく、明らかに城で働く人が使っている入り口から案内される。ローラの目がさらに険しくなった。
小さな部屋へ通されるが、ローラの目は一点を見据えたままで、着替えが始まった。
王族へ謁見の前に綺麗にして会うためと言われる。光沢がある薄い黄色のドレスを着て、髪をくくり、着飾ったのはアカリと名乗ったローラの方だった。
デニレローエ村にいれば、着ることのない服装に、ときめかないわけがない。アカリはローラが変わっていく様を側で見ていた。
ローラは女性たちの手によって別人のように変わった。
本当のアカリは自分なのに。
名前を交換しなければよかった。後悔しても今さら取り消せない。
「えっと、ア、カリ綺麗だよっ。よかったねぇ!」
沈む気持ちを奮い立たせ、アカリは褒めた。着てみたかったけど、ドレスに着られている感が否めなくなるアカリと違い、ローラは妙にしっくりときた。
家庭のために働いている様に見えない。
「ありがと、ローちゃん。あたしじゃないみたいだよ」
すでに、ローラはアカリになりきっていて、表情から何処までだませるかを楽しんでいるようにみえた。
アカリはローラと比べ物にならない簡素なドレスに着替えた。部屋を出て、別室で姉妹を呼んだルディラス王子を待つことになった。
城の廊下を急いで歩く。
アカリが着いたと報告をもらってからもう三十分はたってしまった。
来客が帰ろうとせず、執務室に居座り続けてくれたせいだ。
ルディラスは一歩を大きく踏み出し廊下を急く。
「何処行くのですか?」
その後ろを同じ速度で背格好、顔の輪郭までもが似た男がついてくる。
違うところといえば、雰囲気と髪の長さくらいだろうか。
「ルディ、政務途中で投げたして、俺に押し付けて、何処行くのですか?」
ルディラスの後ろをのほほんと同じ速度で歩き、兄からつかず離れずでついてくる。弟のラズファロウだ。
ラズは肩に触りそうな長さの淡い金髪を後ろで束ねていた。
「ラズ、仕事をしてこい」
引き返すよう追い払う。
「戻らないですよ? 俺にに押し付けて何かあるの?」
諦めずルディの後をついてくる。アカリが待つ部屋までついてきそうだ。
「そういう俺も押し付けてきたんですが。ジェーカス大丈夫かなぁ?」
兄に押し付けられた仕事を自分の仕事とあわせて従者に押し付けてきたとあっけらかんと言い笑う。
政務二人分ともなれば、膨大な量になる。聞こえもしないジェーカスの嘆き声が、容易に思い浮かぶ。
ジェーカスというのは二人についている従者だ。
「ひでぇやつだな」
「どっちがですか?」
これにはさすがに口をつぐむ。弟にやりかけの政務を押し付け、飛び出してきたのだから、なにも言えない。
「ハイゼルが何か報告にきたみたいですね。……そういえば、最近……ルディが三日間の失踪してた事がありましたね。その事と関係があったり……」
足を止めたルディを追い越したラズが振り返った。
「するんですねー」
わかりやすくてなりよりです。
呆れた表情にむっとしながらも、ルディは無言で歩きだした。
熊退治に手こずり帰城が遅れた、と国王へ報告をした。怪我も報告している。
しかし、ラズの記憶力はルディ以上にいい。
一度聞いたことはどれだけ時間がたっていたとしても覚えていて、忘れることはない。
その記憶力があるからこそ、ラズは相手の痛いところをついてくる。
「俺もいこうかな。どんな子だろうね?」
ルディの反応を横目で気にしながらラズは興味あるように話す。
「ついてくるな! お前がいると俺の気に入った女の子は全員お前に向いちまうんだよっ!」
ルディはとうとうラズに本音を言った。
ずっと黙っていたのは、誰が来ているのか知られたくなかったところからきた態度だった。
アカリがラズに優しくされて、自分からラズの方へ行ってほしくなかった。
だから、ラズに知られないように事を運んできたのに、当日になってばれてしまうとは思いもしなかった。
「最近、俺の知らないところでこそこそと何かやっているなとは思っていたけど、あの子のために動いてたわけだ」
ルディはつい先ほどまでばれていないと思っていたのに、実は知られていた。
ただ、ラズが何も言わなかっただけなのだろう。
(くっそ。こいつ、なんでこんなに頭の回転がいいんだ)
ルディは弟の洞察力が侮れないことを今日、身をもって体験したのだった。
「あ、ルディ、この部屋?」
ルディより先を歩いていたラズが部屋の扉の前で止まる。
扉の前には女の人が立っていた。
ハイゼルに言われたところか確認をし、扉を叩いた。
扉を開け、二人の男の人が入ってきた。
二人の顔はとても似ていて、顔だけを見れば見分けがつかない。
しかし、一人は髪を結い、アカリにルディと別人であると教えてくれる。
もう一人は短い髪を揺らしていた。アカリにはどちらがルディがすぐに判った。思わず頬が緩んでしまう。
ルディは政務の疲れが残る顔を少し歪め、似た姉妹を交互に見比べた。
(気づいてくれないかな)
三日間。短いとはいえ、覚えていてほしかった。
ルディの視線がアカリの前で止まった。
「――アカリ?」
こんなにも似せているのに、雰囲気が違っているのだろう。
そうです、の返事の代わりにはにかんだ。
ふんわりとした甘い空気が漂い始める。
二人の絡み合った視線をたちきるようにしてローラがルディとアカリの間に入った。
「わたしがアカリです、ルディ様」
ここでばれてしまっては、名前を交換した意味がくなってしまう。強気になって名乗る。
「え、君ですか?」
思わず、といった体で割って入ってきた。
「ええ、そうです」
ローラがきっぱりと言うとルディと顔が似た男性は首を傾げた。
「ルディから聞いてた話の雰囲気的に、貴女ではないと思ったんだけど、違ったんだね。僕はラズファロウ。ルディの弟です。君がアカリさん、君は?」
名前を確認しながらアカリへラズは向いた。 ラズはどことなく村に住む年頃の男と纏う空気が違った。そこにいるだけで、周りの空気がさっと冷えてしまうような感覚に陥る。
部屋は寒くもないのに、やけに寒さを感じて、腕をさする。
ラズはローラをさりげなく押しのけてアカリの前に立った。
「貴女の名前は?」
ラズは、言葉尻優しく、紳士的にアカリを伺う。アカリが感じた冷えるような空気はなくなっている。
さっきのはなんだったのだろう。
「アカ……アカリの姉でローラ、です」
最初はアカリです、と言いかけ、押しとどまった。ローラが既にアカリだと名乗っているのに、アカリが「アカリです」と名乗れば、どちらかが嘘をついていることになってしまう。
ローラがアカリといってしまった時点で、どうしようもない。ローラと名乗るしかなかった。
「アカリさんのお姉さんでしたか。はじめまして」
ラズはさっと手を出す。握手を求められているのだと、遅れて気がつき、アカリはおずおずと手を出した。ラズと合わせるだけの握手をした。
ラズは一瞬、口角をあげた。しかし、部屋にいる誰もその顔を見ていなかった。
お茶を乗せたワゴンがくると、四人は椅子に座ってお茶を楽しむことにした。
ローラは動きにくいドレスを着ているにもかかわらず、慌てずゆっくりとお茶を口に運んでいく。洗礼された淑女かのような優雅さとは対照にアカリはしどろもどろでお茶を飲んでいた。アカリは使いなれないティーカップに苦戦していた。
その行動を見ていたラズは意味ありげな表情をした。
ある程度、お茶を楽しんだところでラズはアカリに話し掛けた。
「ローラさん。アカリさんの付き添いと言うことでこちらにいらしたみたいですが、アカリさんが心配で?」
「……あ、はい」
アカリはローラと呼ばれることにまだ慣れない。
「どうして?」
どうしてと聞かれても困る。アカリはローラじゃない。ローラがアカリをいつも気にかけていてくれる。
「そ、そうですね」
「この二人が婚約できるかわからないからですね。僕もそう思いますよ」
にこりとした笑顔は変わらない。言葉はローラに向けられているのに、アカリにずしんと重くのしかかる。決まったわけでもないのに、そうなることを歓迎されていない。
「ラズ!」
たまらずルディが声をあらげた。
「ルディ、彼女は父と謁見するんですよね?」
「そうだよ」
弟を警戒しながら、ぞんざいに言った。
「そうですか。いま国王は外交へ出掛けていて、帰城予定日まで二週間程あります。それまで、会うことが叶いません。ローラさん、その間貴女はなにを?」
青ざめた顔をラズへ向けた。笑顔なのに、目元が笑っていないようにみえる。
「……あ、あの。――女の人がしていたような仕事がしてみたいです」
ラズは小さくああっと思い出したように白々しく言った。
「お茶運んでくれた彼女のことね。アレ、やりたいの?」
「はい」
「ああいう仕事好き?」
「はい。好きです」
「じゃあ、女官長に話してみるよ」
「あ、ありがとうございます」
アカリは椅子から立ち上がるとよろよろとお辞儀をした。
「じゃあ、そういうことだからルディよろしく」
ラズは笑顔でルディに頼んだ。
「俺じゃなくてお前がいけよ」
ルディは、ローラが本物のアカリだと信じて疑わず、ローラとラズを二人にしたくないようだった。嫌そうな顔をする。対してラズは面白いものでも見つけた子供のようにくすりと笑んだ。
「僕はアカリさんに話があるんですよ」
「なっ、なっ……ま、まさか……ラズ!」
ルディは狼狽えた。自分を外に出したらラズがアカリを口説くんじゃないかと思ったからだ。
事実、本当にラズは昔ルディが好意を持っていた女の子を口説いて自分のものにしたという前科がある。その後、彼女とどうなったかはルディは知らない。
「口説かないよ。心配しないで、行ってきてください」
にこにこと読めない笑顔。この人に話があるだけだといっているように取れた。
「くそっ。分かったよ。だけど、すぐに戻ってくるからなっ!」
ルディは乱暴に椅子から立ち上がる。椅子がガタリと音をあげた。
立ち上がるとルディの腕をラズが掴んだ。
「すいません少し、待ってもらっていいですか? ルディ」
アカリが頷く。ルディの掴んだ腕を引っ張り、ラズは壁際へ連れていった。
何か話し始め終わると、すぐにラズは戻ってきた。話が終わったルディは姉妹を遠くから交互にみやり、ふいと反らす。扉へ向かっていった。
「終わりました。ローラさん、ルディが案内してくれるそうですから、行ってください」
アカリはルディを追った。
ラズは笑顔を崩さずにローラへ近寄ってきた。
「僕の予想だと、ルディと行かれた方がアカリさんだよね? ローラさん」
ラズは偽り続けている名前の違いをずばっと言い当ててきた。
「あたしが嘘言ってるって言うのですか?」
ルディから特徴を聞いていたとしても、少し前に初めて会い、少し言葉をかわしただけでローラが本物のアカリでないと見破った。ルディが見破れなかったのに、この男は見破ったのだ。
「いえ? どうしてかなぁーって思っただけ」
「なにもないわよ! あたしはアカリです。ローラじゃないわ」
必死で本人だと言い張った。いつかはもとに戻すのだ。その日が決まっていないだけで、いつまでもアカリで居続けはしない。それでも、いまここでばれてしまうわけにはいかないのだ。
「どうして、僕が君がアカリでないっていえるのか教えてあげようか?」
不適な笑みをローラに向けられ、無性に怒りが込み上げてくる。
「い、いらないわよっ」
「そういわないでさ。聞いてよ。どうしてかって言うとね」
断っているにも関わらず、ラズは話始めた。
「ローラって子の手、荒れてたんだよね。手が荒れてるってことは、水仕事をいつもしているってことの証。アカリと名乗った君と、握手できなかったけど、してみる? 握手」
右手をずいっと出してくる。両手を後ろに隠していなかったら、手を強引にとられていた。
残念、と呟きながら右手を振った。口とは裏腹に企みの含んだ笑みは、残念そうに見えない。
「いいよ。握手しなくても。手の指を見れば判ります」
ローラは両手を合わせて握りしめ指を隠す。隠したところで鍬や鎌を振っていることを隠せやしない。
「君は、力仕事をしていますよね? ルディから聞いたアカリって子は料理をするのが好きだと聞いています。だとすると、変ですねぇ。――アカリさんはルディと出ていった子となる。貴女は……姉のローラでしょう? 俺の推理当たっている?」
確信めいた表情に、負けたと思わさせられた。この男に隠し事は通用しないんじゃないかとさえ、錯覚する。
この人の近くにいるとなにもかも、ローラが必死に隠してきたことまで当てられそうで怖くなる。
まだ、知られるわけにいかないことまで。
ローラは椅子から立ち上がった。足早に扉へ向かう。
「そんなの、ただの推測にしかすぎないわ。あたしはアカリであの子はローラ。白状することなんて何もないわ!」
ローラが扉を開けかけると、後ろから、影が射し、開きかけた扉が強引に閉じられる。取っ手を両手で開こうにも、開かない。
ラズが開けられないように、扉に手をついている。ローラが振り返らなくても、部屋には二人しかいなかった。誰か判ってしまう。
「なにすんのよ、離して」
強気にいい放つ。ゆっくりと腰に手が回された。後ろに引っ張られる。ローラが取っ手から手を離さず、ラズは扉についた手を離さ なかった。
ドレス越しに背中から男の人の体温がじんわりと伝わってくる。
呼吸する音が耳元で聴こえる。
「ローラ」
心臓が跳ねる。ラズが耳元で艶めかしく、囁いた。
「アカリさんを巻き込んで、なにをするつもり?」
ローラが王都へ来たかった理由をこの男はしらないはずなのに、知っているそぶりをする。いや、知っているのだ。ローラがやろうとしていることを。
何処で知り得たのだ。
「なんのことでしょう?」
緊張で身体が強張る。逃げ道をなくされたことで、ローラの声が少し震えた。
自身に叱咤して、震える唇を噛み締めた。
「へえ、しらばっくれるんだね」
「――離して下さい、殿下」
なんとも言い返せず、ゆっくりと、取っ手から左手を離した。拳を作る。ローラはあろうことかラズの脇腹へ勢いよく肘鉄を入れた。これが、油断していたラズにきれいに決まる。腕が緩み、その隙に、扉を開け、廊下へ逃げた。
ゴン、と扉が彼の何処かにあたった音がした。
自業自得だと思いながら足早に部屋から離れる。
やみくもに通路を歩いていき、歩きながら怒りがふつふつと湧き上がってきた。
(なんなのよ! あの男はっ! 城下で聞いた噂とは全く別人じゃないのよっ! 何処が優しいって!?)
ローラは歩みを止め、周囲に人がいないのを確認した。
「あんな奴、だいっっきらい――――!!」
廊下に響き渡る大声でおもいきり叫んでいた。