9話 村長の訪問
ローラが出稼ぎに出かけ二十日が過ぎると、稼いできたお金と少しのお土産を持って帰ってきた。予定の四、五日は大幅に超えていた。
アカリは、予定の日数を大幅に越えて帰ってきたローラの無事な姿に、安堵した。アカリが幼い頃、両親は出稼ぎの帰宅途中で命を落としてしまっていた。もしかしたら、と嫌な考えばかりが頭をよぎり不安で仕方なかった。
ローラのあっけらかんとした笑顔に、開口一番怒ってしまったのは親の事があり、とにかく心配だった。
今回は予定以上にお金が入り、アカリのために衣類を買ってきてくれた。ローラが買ってきてくれた服はとてもかわいい。スカートの裾から中のフリルがちらりとみえるようになっている。着てみると、アカリによく似合っていた。城下町で流行っている服らしい。新しい服はアカリの心を躍らせてくれた。リーライの告白を一時でも忘れられれるぐらいには。
アカリはルディを見送ってから、リーライを露骨に避けるようになっていた。面倒見のいいミルリィーネが息子に対するアカリの態度が以前と違うことに気が付かないわけなかった。何があったのか、リーライの気落ちした落ち込みように、二人の間にあったことを察し、お使いを兄のイズミに頼むようになった程度にはあからさまだった。
ローラが家を空けた日に会ったルディのことをアカリは話していない。
話すきっかけを逃してしまい、ローラがいない間この家であったことを知らない。ミルリィーネ経由で知られてもおかしくない。慌ててミルリィーネに聞けばローラに話していないと言った。アカリが話さないことをミルリィーネが話すわけにいかない。アカリが話したくないなら、アカリが話すまでは心の奥にしまっておくと。
ミルリィーネの方は安心できても、二人の息子、イズミとリーライが、特にリーライは信用できなかった。ローラは気兼ねなく二人の兄弟と話をする。リーライがいつローラへ話してしまうのだろうとびくびくしていた。ローラが出てくるというとアカリはひどく不安になる。ミルリィーネの家へ行きはしないだろうかと。こんなにも気にするぐらいなら話してしまえばスッキリすると思った。けど、話さなかった。
ローラがどれだけすごいことになるのか想像できなかった。
ローラは、常に自分から男の子と接するようにアカリに言ってきた。
アカリは昔のことがトラウマになり、特に村の男の子とは近づきたくないし、知り合いにもなりたくない存在として定着してしまっている。
アカリの男の人の位置づけを知っているローラだからこそ、村の男子でない人と三日間一緒だと知ったら、どうなるだろう。アカリの想像する域を越えていた。
ローラが家に戻り、数日が過ぎた日、デニレローエ村にはふさわしくない豪奢で質素な馬車が来た。
黒塗りの箱馬車は村の入り口から堂々と入り、舗装されていない道をゆっくりと進んでいく。通りにある数件の家を見向きもせず、なにか目的をもって走っているようにみえた。
村人から報告を受けた村長は、慌ててその馬車を探しに家を飛び出した。馬車が走れる道幅がある通りは村に一本しかない。積荷を乗せた馬車を使う商人が使うための道。その道以外に村に大きなものが通れる道がない。
馬車を見つけた村長は馬車に刻まれた紋章が小さくあった。
二頭の獅子が向かい合いその後ろに一本の旗が右の獅子へ向けて斜めにはためく紋章。
実際に見たのは初めてだ。村長の人生の中で初めてのことで思考が停止してしまう。村長は目を何度も瞬かせ何度も確かめたが、夢ではなく現実だった。
先ほどよりも慌てて村長は馬車に追いつこうと走る。老いた体は馬車に追いつけるどころか離されていく一方だ。このまままっすぐにいけば、開けた広場に出る。広場から先へ広い道はなく、馬車は通れない。
馬車の向かう先が広場なら、後ろを追いかけていても追いつけると思えない。村長は広場へ近道をすることにした。
何故この村へ来たか知らないが、村を治めている長がその人に挨拶をせずに見送ることは許されない。馬車に刻まれていた紋章は――国王家のものだ。
アカリはローラが帰ってきてからというもの同じことをぐるぐると悩んでいた。日にちが経つにつれ、ローラにいいづらくなり、余計にアカリを悩ませていた。
ルディに熊から助けてもらい、その時に負った傷を手当てしたことを言えていない。
ローラは長期間家を空けていた間、できなかった畑仕事に勤しんでいる。
アカリは家の中で家事をやっているようにローラに思わせて、畑にいるローラが気になって仕方がない。いつもだったら何かしていないと落ち着けないアカリが、最近は悩みのせいでまったく仕事が進まないでいた。
そんな時、乱暴に戸を叩かれ、ぼうっとした頭が覚醒する。
最初は空耳かと思ったアカリだが、大きな音で何度も叩かれれば、空耳でなく家に誰かが来たことを教えてくれる。
(ミネおばさん……じゃないよね。おばさんなら戸を叩いた後、声かけてくれる。じゃあ、村の人? それだったらローちゃん、呼ばなきゃ!)
何度も叩かれるドアに壊れはしないかとはらはらする。急いで畑へ向かった。
ローラはできたばかりの野菜を選別しているところだった。地面に置かれた籠に収穫された野菜が入っている。
「村の人みたいなの。ローちゃん、出てくれない?」
「ミネおばさんじゃないの?」
「違うよ。ミネおばさんなら、いつも叩いてから名前呼ぶもん。凄く強くドアを叩いてて」
気にしながら家の方を振り返る。
「そう。アカリ、ここで待ってな」
「う、うん」
ローラは急いで手を洗い、家の中へ入っていった。
アカリは気になって、重いかごを置いたままに、閉じずに少し開いた裏のドアに身を潜める。
「――出るのが遅いからって、叩きすぎなんじゃないの? 村長」
玄関を開けると、汗を顔中にかいた村長と、後ろに見たこともない格好をした男の人が一人立っていた。
「村長。家に何か用?」
村長に対してぶっきらぼうに言う。
日頃のローラに対しての意地の悪さに加え、村長の娘のブリエッサがよくアカリをいじめてくれる。その怒りからくる態度だった。
当の村長はそれどころではないらしい。
「あ、あの。申し訳ないのですけども、これと二人で話したいのです。少しここでお待ち頂いても?」
「いいですよ。遠慮なさらず村長の好きにして構いませんよ。こちらは急いでいませんので」
「ありがとう存じます」
丁寧に言っているのかどうなのか微妙な返しに、相手は気にしていないようだった。
村長は焦りの滲む顔で、不振な目でにこやかな男性を睨むローラを強引に家の中へ押し込む。ドアを荒々しく閉めた。
「ちょっと! 何するのよ! 無断で入って来ないでよ! こっちはあんたなんか家に入れるのはお断りよ!!」
「出てけるかぁ! このばか者が! ちっとぅは静かにせぇ!」
村長の尋常じゃない一喝にローラはおし黙った。村長をこうさせる理由ななにかがある。
村長は静かになったローラを見上げた。村長はローラより頭一つ分低い。
「ルディラス王子をしっとうか?」
ぽかんと口が開く。
その名前を知らないわけない。
「はぁ? そんなの、国民全員が知ってるわよ。第一王子様の名前でしょ。とうとうボケたんじゃないの?」
「た、たわけっ。ボケとらん!」
ローラの襟首を掴み屈ませる。外で待たせる男性の耳に入りはしないか気が気でない。
「その王子がこの家でお世話になったとあの人は言うとった」
ローラはわけがわからなかった。
あの人というのが村長の後ろに立っていた人ということは分かるのだが、ルディラス王子がこの家で世話になった?
「なにそれ」
「どぅいうことか説明せぃ」
知らない。言葉にする前に村長に迫られた。
そんな話、聞いたことない。
「知らないよ! あの人のただの勘違いじゃないの?」
辺境にある田舎村。村の中でも、集落から離れた場所に建つ家に王子が来ると思えない。
「こんな田舎に王子様が来るわけないでしょ。寝ぼけたこと言ってんじゃないよ」
村長の手を払いのける。
「寝ぼけとらん! 王子の使いと言うお方がそうおっしゃっとるんじゃ。正しいにきまっとろぅ!」
ローラは小首を傾げる。
そういえば、出稼ぎで長く家を空けていた。
「村長。ちょっと待って。事実確認に行ってくる」
ローラは裏のドアへ向かった。
家を空けている間、アカリは家に一人だった。
「ちょっ、待て! わしは頼みを……おい! 聞かんか!」
村長の叫びを背で聞きながら、ローラは裏口を飛び出した。
勢いよく開いたドアにごつんとぶつかる音がする。
「いたっ」
ドアをゆっくりと閉じると、額を押さえたアカリが、座っていた。
聞き耳を立てていたら、ドアが開きぶつけた、らしい。
「ローちゃん、終わった?」
額をおさえ、はにかむ。
内容が気になって聞こうとしたが、よく聞き取れなかったと、表情から読めた。
「ちょうどよかった。アカリ、聞きたいことがあるのよ。ちょっとこっち来て!」
ローラは強引にアカリの腕を引き立ち上がらせ、畑へ連れ込む。家から離れたここなら、聞かれる心配がない。
「ローちゃん、痛い。痛いよ」
強く握りしめすぎていた。慌てて手を離す。少し腕が赤くなってしまっていた。
「ごめん」
「……どうかしたの?」
ローラは息を整えると、アカリの肩をつかむ。
「アカリ……」
ぐっと唇を噛み締める。ローラがいない間のことを聞かなければ。アカリが、言っていることと村長が言ったことの事実が一緒かどうかを。
「あんた、あたしのいない間に、何があったのかすべて話しなさい! 隠し事はなしだからね!」
目尻を吊り上げ、アカリに詰め寄った。
これまで一度もアカリが見たことのない形相に、怖さを感じた。森に入ってから、巨体の熊に襲われ、ルディに助けられたこと、すべてを話した。
ブリエッサがローラを恐れる理由がアカリははじめて知った。蛇に睨まれた蛙のような気分になる。恐ろしくてローラに何か言おうと思わない。
「そういうことね」
ローラはにこりと何かを企むような笑顔をみせた。背筋が凍りつく。
「行くよ!」
「えっ」
ローラはアカリを強引に、今度は家の中へ連れ込んだ。
玄関前で、杖をついて待つ村長がいた。村長はローラに詰め寄った。
「わしの頼みを聞かずに何処へいっとった!」
「あんたは関係ない!」
ローラはぴしゃりと村長を切り捨てる。
村長はローラの後ろから騒いでいるが気にならない。ドアを開く。夜は涼しくなったとはいえ、昼はまだ暑い。むっとした熱気をはらんだ空気が家の中に入ってきた。
小声でアカリに「何も喋んなくていいから」と言う。アカリが、何か言えばややこしくなる。ローラの思惑通りに物事が進まなくなる。
アカリは、頷いた。
「すいません、長らくお待たせして。それで、用件は?」
ローラが開けたドアの向こうに、紳士的な男の人が背を向けて立っていた。ローラが声をかけると、男の人はくるりと前を向く。
「話は終わりましたか?」
「ええ、無事に」
ローラは外へ向けた笑顔で答える。
「では、こちらの用件を申し上げます。ルディラス王子は、こちらに住まわれておりますアカリ様を将来の相手にしたいとおっしゃっておられます」
「はい?」
褒賞金が貰えると内心喜んでいたローラは頓狂な声がでる。
結婚するというのか。世間知らずで、男の人を怖がる妹と。
「ええ。そのため、国王と謁見することとなりますので、迎えに参りました」
頭の中にあった報奨金という文字は消え、今度は「きさき」という三文字が頭の中を駆け巡っていた。
「?」
アカリは話し出さないローラに声をかけようと、口を開けたが、先ほど言われたことを思いだし口をつぐむ。
「ちょっと、待って。要するに、ルディラス王子のお嫁さんになれということですか?」
ローラはあまりの事実に頭が追いついていかない。それでも整理をしようと必死に話を続けた。
「はい。そういうことです。貴女はアカリ様のお姉様ですよね?」
ローラがうなずかないのを見て、代わりにアカリが戸惑いながら頷く。
「わたしは側近のハイゼルと申します。以後お見知りおきを。それでは、お城へ向かう準備を行ってください。ご姉妹でいらしてもいいと王子からいいつかっております」
「は、はいっ」
アカリはローラより早く、返事をした。
ローラは、固まった。ただ、助けただけでお嫁にって。どんな裏がある話だ。
いち村娘がそう簡単に国王一族と婚姻を結ぶことはできない。ローラは知っている。
(なにするつもり)
ハイゼルのにこやかな笑顔の裏を探ろうにも、能面のように作られた笑顔は崩れなかった。
部屋に取り残された村長は、娘の出世が遠のいたと嘆きはじめた。
村長は、自分の娘をアカリと名乗らせ、王子の嫁の座を取るつもりだったらしい。アカリが返事をしてしまった以上、もう無理な話なのだが。
放心している村長を家から押し出し、二人は城へ行く準備を急いだ。