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炬燵四重奏

作者: 戸松秋茄子

 その炬燵は従姉の部屋にあった。あの人はストーブやエアコンよりも炬燵で温まるのを好んでいた。アオイやミヅキが遊びにいくとあの人を含めた三人でよく炬燵を囲んだ。

 天板が正方形の炬燵だった。三人で座ると、けっこう狭苦しい。当然、足なんて伸ばせないから、みんな正座なりあぐらなりをかいて座ることになる。

 ――この前、ネットで雀卓として使える炬燵を見たんだ。

 あの人が言った。

 ――雀卓?

 アオイは首を傾げた。

 ――麻雀に使うテーブルだよ。上から見ると、ちょうどこの炬燵みたいな正方形でね。それを四人で囲むんだ。

 ――四人で? さすがに足が窮屈そうね。

 ――まあ、仮に友達がもう一人増えても大丈夫ってこと。

 ――でも、わたしは三人でいい。三人がいい。

 ミヅキは言った。

 ――炬燵が三角形だったらいいのに。

 ――それはちょっと座りづらそうだなあ。

 あの人が笑う。歯を見せず、唇だけで笑うようなわずかな微笑み。幼い頃からずっと一緒なのに、ミヅキはあの人がどんな歯をしているか知らない。

 小さな炬燵だった。だから、形見分けとして家に持って帰るのにはあまり苦労しなかった。


   ※※※ ※※※


 飼い猫に頭を叩かれて目を覚ますと、炬燵に突っ伏していた。顔を起こそうとして首が痛むことに気づき、ミヅキは顔をしかめた。朝のニュースを見て今日は雨かとぼんやり思った覚えがあるが、テレビはもう明日の天気予報をやっている。採光用の大きな窓が設けられているリビングだが、部屋はもうすっかり薄暗い。

 夕方だ。

 自分の不精ぶりにあきれる。飼い猫がしつこく催促するので、餌をやろうと立ち上がろうとするが、足がしびれて身動きが取れない。じわと広がる痺れに悶絶していると、猫が催促するように何度も鳴いた。

「わかった。わかったからもうちょっと待って……」


   ※※※ ※※※


 四人だって悪くない。そう思うようになったのは、中学校でカナと出会ってからだ。小柄で、笑うと八重歯が覗くカナ。ミヅキは最初、それを不愉快に思った。無神経に笑うカナの八重歯が憎々しかった。けれど、あの人を介して接するうちにカナのほとんど無防備なほどの純粋さや意外な繊細さを知った。はにかむように笑うとき見せる八重歯が、不思議と不快ではなかった。

 ――やっぱりちょっと狭いんじゃないかな。

 ミヅキが言うと、あの人は苦笑した。四人ではじめて炬燵を囲ったときのことだった。

 ――ずっと空けてた席が埋まったんだ。喜ばしいことだよ。

 ――猫じゃないんだから、何も自分から狭いところを好む必要もないのに。

 ――三人のときはここで何やってたの?

 カナはあの人だけに使う、少し甘えた口調で言った。

 ――おしゃべり以外だと、トランプに宿題、ボードゲームといったところかな。あとは借りてきたDVDを見たりね。そうだ、今度麻雀でもしよう。頭数がそろったわけだし、この炬燵も雀卓にはちょうどいい大きさだから。

 ――ルールがわからないよ。

 ――わたしも……

 ――わたしもだな。

 ――なら各自予習が必要だな。

 一週間後、四人ではじめて麻雀を打った。ビギナーのはずのアオイがつきについてトップをかっさらったときはカナと一緒になって悔しがった。もう一回もう一回と、全員が勝利の美酒を知るまで半荘を重ねた。

 ミヅキ、アオイ、カナ。三人は一緒に行動するようになった。高校に進学したあの人とはなかなか会えなくなった。けれど、三人でいるときも、その中心にはいつもあの人がいるような気がした。炬燵の一辺が空席だったところで、それを気にしたことはなかった。三人でいるときも四人だった。

 やっぱり炬燵は四角でよかったんだ。

 まさか、二度と埋まることがない空席が生じるなんて思いもしなかった。

 

   ※※※ ※※※


 キッチンで自分用のシリアルとアキのキャットフードを用意して、それぞれの皿に盛る。 アキは待ちきれないとばかりにミヅキの足元に張り付き、皿が下ろされるや否や顔を突っ込みかねない勢いで食べ始めた。頭を軽く撫でてやる。うちに来てもう三年になる。

 ――いやあ、実在したんだね。雨に濡れた捨て猫っていうのは。珍しいから拾ってきてしまった。

 そう言って、猫を抱えてきたあの人がずぶ濡れだった。猫とあの人にタオルを用意してやったのが昨日のことのように思える。

 皿をシンクに片付ける。部屋に戻って、スマートフォンの電源を入れると、担任の富士野からメールが届いていた。


 今日もお休みだったようなので、心配です。明日からは冬休みですね。今後のことについて相談するためにも、一度訪問させてくれませんか?

 冬休みのプリントは森野さんと岬さんが持って行ってくれるようです。


  とっさにカレンダーを見る。そういえば、今日は終業式だった。引きこもっていると、家の内と外でまったく別の時間が流れているように感じる。

 スマートフォンを置こうとしたところで、メールが届いた。アオイの端末からだが、件名は「カナより」になっていた。携帯電話を持っていないカナはこうしてアオイのスマートフォンからメールを送ってくることがあった。

 親指が画面の上で彷徨う。メールを開くのが少し怖かった。


   ※※※ ※※※


 ミヅキは従姉と同じ学校に入学した。教室のある二号棟の四階からはあの人が飛び降りた三号棟の屋上がよく見えた。真新しいフェンスの向こうに立つあの人を想像しようとしては挫折した。

 まるで霧に包まれているようだった。何もかもが曖昧で空々しく思えた。いつかあの人がひょっこり出てくるんじゃないかと思っていた。

 やがて霧が晴れてくるとそこには退屈な学校生活が待っていた。あの人の四十九日を終えたあたりから、学校に行くのが億劫になってきた。感じる心が戻ってきたらしい。ミヅキは自嘲気味に思った。けれど、どうせこんな何もない毎日が待っているなら、心なんてない方がよかった。ずっと霧の中を漂っていたかった。

 学校へと向かう足が重くなり、やがて目覚ましがなってもベッドから出ないようになった。

 カナからはアオイのスマートフォンを借りてメールが届くようになった。


 お前は言い訳にしてるだけだ。


 カナの言うことは当たっているのだと思う。生きていれば誰もが感じる憂鬱、倦怠感。日々をやり過ごす中で澱のように溜まっていくそれを、自分はあの人の死という悲劇を手形に回避している。親や教師がそれで「わかってくれる」と期待して。

 わかってはいても、一度軌道から外れたものを元に戻すのは簡単ではなかった。学校よりも深夜のラジオに腹を抱えて笑い、動画配信サイトでだらだらと喋っている時間の方が真実らしく思えた。

 カナのメールはまるで辻斬りだった。操作に不慣れなのだろう。文面はいつも簡潔で、だからこそミヅキの心をえぐった。切り返そうにも、カナはアオイのスマートフォンを借りているだけだから、返信することもできない。文句があるなら、直接会って言い返してみろとでも言っているようだった。メールに限った話じゃない。いつだってまっすぐで、遠慮がないのがカナの言葉だ。

 それが変わってしまったのはいつからだろう。


   ※※※ ※※※


 炬燵の上で鍋がぐつぐつ音を立てていた。カナとアオイが材料を持ち込んで鍋をすることになったのだ。スーパーの袋を提げてやって来たカナは我が物顔でキッチンに入るや否や、手際よく具材を切り分け、トレイに並べた。ミヅキにできた手伝いは炬燵の上にカセットコンロを用意することだけだった。挙句、カセットが切れていて、予備を探すのに手間取る始末だ。

 鍋に張られた湯は真っ赤に染まっていた。キムチ鍋だ。コンロの脇ではトレーに乗った具材たちが出番はまだかと待ちかねている。ねぎ。豚。えのき。しいたけ。白菜。豆腐。

 炬燵は三人で座っても狭い。なのに、その一辺の空席が気になった。

「思い出すよ」カナは言った。「四人で鍋を囲ったときがあったろ。あの人は鍋奉行だったよな」

「そうね。どてらを着て、鳥籠を前にした猫みたいにじーっと鍋を見つめてたわ」

 そろそろ具材を入れてもいい頃だろう。ミヅキがトレーに手を伸ばすと、カナの手がそれを阻んだ。炬燵で温められた手が季節はずれに暖かい。

「待て。ミヅキ」

「なんだ」

「まずは肉からだ。その後にきのこ。出汁の出るものから入れるんだ」

「今度はお前が鍋奉行気取りか」

「こういうことは誰かがやらなきゃならない。そうだろ?」

 カナは鍋を取り仕切り始めた。火加減を調整し、具材を入れるタイミングを指示する姿はあの人を意識したものに他ならなかった。


   ※※※ ※※※


 あの人がいなくなってからはじめて三人で炬燵を囲んだとき、カナはあの人の指定席に腰を下ろした。

 ――カナ、そこは。

 ミヅキが指摘すると、カナは驚いたようにしていつもの席に戻った。きっとカナもショックからぼうっとしていたのだろう。そう思って、そのときは気にしなかった。けれど、それから炬燵がしまわれるまでの間、何度となく同じことが続いた。

 カナはあの人を真似ようとしている。

 確信を持ったのは、葉桜の頃だった。髪を伸ばし、歯を見せずに笑うカナを見ると、ミヅキはいつも心が痛んだ。少しずつカナがカナじゃなくなっていくようなメールの文面を読むのが怖くなった。

 あの人だけじゃなく、カナまでがいなくなったようだった。いるのは、あの人でもなければカナでもない誰かだ。季節がめぐり、また炬燵の季節が来ると嫌でもそのことを実感する。あの人の席に座って、あの人のように振舞うカナ。狭いはずなのに、がらんとしているように思えた。四人で足があたらないように配慮していたときの窮屈さが思い出されて、胸が締め付けられた。

 ――悲しみの作業って言うんだってね。大切な人が亡くなったとき、まずそれを悲しむ。悲しんだら、それから徐々にその人の死を受け入れていく。その一連の作業のことだけど。

 アオイが言った。

 ――どうなのかな。わたしはちゃんと悲しめたのかな。あの人のことを受け入れられたのかな。それとも、まだ十分じゃないのかな。これから悲しくなるのかな。

 ――ミヅキちゃんは遠からず乗り越えられると思う。心配なのは……

 ――カナか。

 ――そうね。カナちゃんはむしろ悲しまないように必死になってるように見える。

 ――あいつ、馬鹿だよ。馬鹿の癖に素直じゃないんだ。


   ※※※ ※※※


 鍋が終わると、急に手持無沙汰になった。テレビのリモコンを引き寄せ、いたずらにチャンネルを切り替えるが、自分でも何を求めているのかわからなかった。

「カナ、そこじゃテレビ見づらいだろ」

 結局、カナにボールを放ることにした。

「いいよ、別に」カナは言った。「それより久しぶりに麻雀でもしないか?」

「三人でできるの?」アオイが訊く。

「ああ、三麻ってものがあってな」

「アオイも知らないみたいだし、また今度にしないか?」ミヅキはリモコンをいじりながら言った。

「なあ、ミヅキ……」カナそこで言葉を切った。「いや、いい」

「なんだよ、気味が悪い」

「あたしはただ」カナは背中を丸め、炬燵の上に顎を乗せた。「三人でも楽しめることはあるんじゃないかって言いたかっただけだよ」

 なら、最初からそう言えばいい。カナの回りくどさに、思わず歯噛みする。噛み潰した感情が言葉となって口から洩れた。

「なあ、カナ。お前、むかしよく自分がいない頃の話を聞きたがったよな。わたしたちが三人だった頃の話だ」

「そういう時期もあったかな」

「知ってるか。あの人が鍋奉行はなんて別に好き好んでやってたわけじゃないんだよ。ただ、猫舌がばれるのが恥ずかしかったから、それをごまかそうと時間を稼いでいただけなんだ」

「へえ」

 カナは特に動じたようには見えなかった。

「鍋のときだけじゃない。熱いものを口につけるときはいつもなんだかんだと素っ頓狂なことを喋って冷めるのを待っていた」

「あの人って変なところでシャイだったよな」

 カナは受け流す。それがどうした。自分はちっとも気にしていないとでも言うように。

「あと、この炬燵だけどな。お前のために空けてたって席ももともとはあの人が座ってたんだよ。お前が移動したからいまはまた空席になってるけどな」

 ミヅキが言うと、カナはアオイの方に顔を向けた。アオイは黙ってうなずく。

「あの人に騙す意図はなかったはずだよ」ミヅキは続けた「ただ、お前が勝手に勘違いしたんだ。特定の席を空けていたんだって。でも考えたらわかるはずだよ。さっきも言ったけど、その席はテレビが見られないだろ。当然最後まで空けておくのはその席のはずだって」

 ミヅキが口を閉ざすと、テレビの音声がやけにうるさく聞こえるようになった。ミヅキは黙って音量を下げた。アオイは心配そうにカナとミヅキの間で視線を行き来させていた。

「人間ってさ。けっきょくのところ習慣の生き物なんだよな」カナが誰にともなく言った。「一度、根を張ったらそこからはなかなか動けない。一方で何かに憧れたり、懐かしがったりっていう気持ちも捨てられないもんだからその板ばさみになって苦しむことになる」

「それが答えなのか?」ミヅキは言った。「どうなんだ、カナ。お前の悲しみの作業はまだ終わらないのか?」

 頼むから言い返してくれ。ミヅキは思った。人のことを言えた身か。そう自分を叱ってほしい。あの人の真似なんかじゃなく、自分自身の言葉で接してほしかった。ミヅキは祈るような気持ちで、カナの言葉を待った。

「なんだよ、それ」

 カナはそう言って、歯を見せずに薄く笑うだけだった。

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