一緒に
俺はいつも通りの時間に家を出て、いつも通りの道を通り、バイト先へと向かっていた。ただ一つだけ、いつもと違うことを挙げるとするならば、すぐ横にいる謎の少女だろう。
俺はちらりと彼女を見る。
一体、こいつは何者なのだろうか。
俺はもちろん、こいつが本当にペンだなんて思ってはいない。現実的に考えてあり得ないからだ。
しかし、事実として、彼女は目の前で亡くしたはずのペンを残して、姿を消してしまった。間違いなく、人の類いの存在ではない。
では、何者なのか。その答えは、考えるまでもなかった。
「俺が見ているのって、幻覚だよな……」
俺はすぐ脇を歩いている物を、もう一度見つめる。
その様子ははっきりと、その目に映っていた。
これは、自分が思っている以上にヤバイ状態かもしれない。 知らず知らずのうちに、ストレスでも溜め込んでいたのだろうか。確かに最近は、バイトの息抜きも碌にしてなかったし。
「これは、末期かもな……」
「ん?なにが?」
不思議そうに顔を見てきた。その、問いかけの声も鮮明に聞こてきた。
これは、重症だろう。明日にでも病院へ行くべきだ。
因みに、なぜ一緒にバイトへと向かっているのかというと、「私も行きたい!」といって駄々をこねたからだ。
幻覚が自我を持っているとするならば、だが。
「ねえ、私の話聞いてるー?」
「はいはい、聞いてるよ」
「私ね、名前あるんだよ?」
「名前?」
幻覚に名前なんて有るのだろうか。
「……なんていうの?」
「商品名 ボールペン。商品No.26 製造番号A245」
「…………もう分かったから」
やっぱり名前なんて聞くんじゃなかった。
それから暫くして、俺はバイト先のコンビニへと着いた。念のために言うが、昨晩に向かった所とは違う店舗だ。
理由は簡単で、ご近所の知り合いに会いたくないからだ。
「いやあ、天野くん。いつにも増して、テンションが低いじゃないか」
この人は先輩店員の『池沼さん』。
中年でてっぺんハゲなおじさんで、いつも妙にテンションが高い。だからという訳ではないが、俺はこの人が苦手だ。そのくせ、俺にしょっちゅう話しかけてくるので、なかなかに鬱陶しい。
「すいません、池沼さん。なにか見えませんか?」
「ん?何が見えるかって?私が見えるのは、いつも以上に気だるそうにしている天野くんくらいかなぁ?」
池沼さんはそう言って、ケラケラと乾いた笑い声を出した。
この様子だと、やはりあれは俺にしか見えないらしい。これはいよいよ不味いかもしれない。
「ねえー、暇なんだけどー?」
不意に顔をひょっこりと覗かせた。
(おい、色々とややこしくなるから、今は話しかけてくるな!)
俺は目でそう合図を送った。
返事なんて出来るわけがない。そんなことをすれば、俺はたちまち周りから変人扱いされる。
彼女は俺の意図を汲み取ったのか、ぷくーっと頬を膨らませて、そのままペンへと消えていった。
まったく、身勝手な幻覚だ。
そのあと、俺はあいつが消えたのを良いことに、いつも通り業務を終えた。
その帰り道だった。相変わらずあいつはペンから出てこない。俺はふと思った。
もし今ここ、これを捨てて帰れば、幻覚を見ることはもうなくなるんじゃないだろうか。自分は病気じゃないかと不安になる必要もなくなるんじゃないだろうか。
確かに、彼女のいうとおりに正体がペンだとすれば、それでこの問題は解決できる。
だけど、
「本当にそれでいいのだろうか」
自分は何を躊躇しているのだろう。これを捨てれば全て元通りになるかもしれないのに。
俺は胸ポケットからペンを出して、道の脇においた。
「……ねえ、一体何するの?」
今朝のあの件から出てこなかった彼女が、こちらの様子を伺うようにして現れた。だけど、俺はそれを見て見ぬふりをする。
「ねえ、置いてかないでよ。今朝のことまだ怒ってるの?」
違う。そうじゃないんだ。
俺はペンを置いたまま、自宅の方へと歩き出す。
「ねえ、今朝のことなら謝るから!」
お願いだ。黙っててくれ。
俺は必死に彼女の声を聞かないようにする。
「仕事場ではもう話しかけないから!」
俺はもう、幻覚なんか見たくない。
だから、連れて帰るわけにはいかないんだ。
「だから、一緒に帰らせてよ!」
「……!」
分かんない。分かんないんだよ。自分は一体どうしたらいいんだ。
それでも俺は歯を食い縛り、歩みを進めた。
「一緒に……帰らせ……て…よ」
曲がり角を曲がったところで、自分の位置から彼女が見えなくなる。次第に聞こえてくる彼女の声は弱々しくなり、終いには聞こえなくなった。
俺はその場所から進めなかった。
本当にこれでいいのだろうか。俺は後悔はしないのか。
たかが幻覚だ。おいて帰ったところで、何も誰も困らないじゃないか。
俺は、俺は…………!
気付けば俺は踵を返していた。
自分でもよく分からない。でも、あいつのもとへ戻らなきゃ。そのときは、そう強く感じていた。
駆け足であの場所へと戻る。ペンのあったところに彼女の姿はなかった。それでも俺は駆け足でそこへと向かう。
「あった。…………ごめん、ごめん」
俺は大事にそれを拾い上げて言った。
「……帰ろう。『俺達』の家に」
「本当に?」
「ああ」
「……うん!」
そういうと、いつの間に出てきたのか。彼女は俺の目の前で、目一杯笑ってみせた。
この選択が正しかったのかは分からない。でも、これだけはいえる。今は、そしてこれからも、この選択を後悔することはないだろう。