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希望の村

 買い取りカウンター前で今回の報酬を四等分するカズルの顔に笑みが零れていた。ハンナもフィリアが喜んでいるのを見て尻尾を振っている。

 一人につき銀貨十四枚近くを手にできたのだ。

 ちなみに薬草だけでは銀貨二枚強にしかならない。残りは黒魔蛙を倒した鬼丸が一人で稼ぎだしたと言っても良かった。それなのに鬼丸はみんなで稼いだ金だからと四等分にしようと提案してきたのだ。

 カズルはそんな鬼丸に感謝しながらも、太っ腹というより金銭感覚が鈍いと思った。

 もちろん自分にもそう言うところはある。村での生活は基本物々交換。金の扱いには慣れていないのだから。

 それでもこれからの事を考えると例えわずかな日数であっても一緒にやってきた友としてこれだけは心配になる。

 

「鬼丸さん。誘っておいてなんなんだけど俺たち……」

「わかって……」


 その時だった。

 カズルに声をかけてきた者がいた。




 時間を少し戻す。


 カルシマの町には東と西に一つずつ出入り口がある。

 その東にある大門を土埃にまみれた小汚い浮浪者が朝からずっと見張っていた。「あれはダメだ。あいつらは断られた」とブツブツと呟きながら。


 服や顔だけでなく髪にまで泥を塗りつけた小汚い格好の浮浪者。

 気の強そうな目つきはしていても男にしては体の線が細く顔つきは柔らかい。注意して見れば格好は男の成りだが器量の良い娘だと分かるだろう。

 歳は十七、八だろうか。器量の良い年頃の娘が一人でこんな場所にジッとしてれば攫ってくれと言っているようなものだからだ。

 攫われて町の外へ連れ出されれば誰も助けてはくれない。慰み者になって殺されるか、死ぬまで娼館で働かされるだろう。

 この娘にはその危険を冒してでもやらなければならない理由があった。


 そろそろ昼になろうという時刻。娘が大門を見張っていると子狼を連れた四人組が入ってきた。

 ハンター会館で一、二度見かけた顔だ。

 子狼を連れていたとは気がつかなかったが、まだ駆け出しだ。

 何故彼らに目が行ったのかといえば、荷車に黒魔蛙の皮を積んでいたからだ。しかも大量の。

 駆け出しが倒すには、一匹でも厳しい相手なのに、だ。

 駆け出しには違いないが、かなり腕の立つ連中らしい。


 使えるかも知れない、と考えながら大門を見張る娘に背後から年老いた男が近づいてきた。


「お嬢、こっち(の門)はどんな塩梅(あんばい)で?」

「やっと見つけた」


 お嬢と呼ばれた娘がジッと見つめていたのは、その四人組の少し後から門を潜ってきた二十代後半の男だった。

 腰に下げているのは長さ二メートル近いクレイモア。

 その長さ故、普通は背負う事の多い大剣。ところがこの男は腰に差しても違和感がないほどの巨大な体躯を持っていた。古傷の多さと胸板の厚さから見て相当な猛者に見える。

 この町は初めてなのか門を潜ると一瞬立ち止まって周囲を見渡し、ゆっくりと歩き出していた。


 これだけの大男だ。すれ違う人々が自然と道を譲っている。

 それでも人通りが多いだけに、なにかの拍子に肩がぶつかってしまう者もいる。

 「気をつけろっ!」と息巻いて大男を見上げると一瞬で青ざめ、「いや、俺が余所見をしてたのが悪いんだ。殺さないでくれ」とばかりに地面に頭を擦りつける。

 しかし、大男は怒る様子もなく謝る男に優しく手をさしのべていた。



 娘と爺はこっそりと大男の後を追いハンター会館に入っていった。

 どのハンターも大抵は三つ四つの町を掛け持ちしている。稼ぎを当てにして新しい町へと移動する事も珍しくない。

 そういったハンターが新しい町に来て最初に行うのがハンター会館での登録だ。

 ハンター証は共通だがカルシマに限らずハンターはその町その町で登録が必要になる。


「爺、見ろ。やはりこの町は初めてだ」


 男は依頼が貼られた掲示板ではなく、真っ直ぐ登録カウンターへと進み手続きをしている。

 しかも娘の睨んだとおりハンター証の発行ではなく、男の持っていたハンター証で登録を行っている。つまり経験者だ。この町を新しい稼ぎ場所と決めて移ってきた可能性が高い。


「今日中に何人集められるかが問題ですじゃ」


 爺の言うとおりだ。報酬の問題はあるが、雇いたいのは一人ではない。できれば十人ほどの手練れを集めたいのだ。

 先ほどの四人組は駆け出しだが使えるかも知れない。見ると買い取りカウンター前で鑑定と報酬を待っている。


 娘は数日前からとある依頼を出しているが、この町の中堅クラスのハンターには見向きもされなかった。手当たり次第に頭を下げて回ってもけんもほろろに断られた。

 理由は難易度が高すぎるのと報酬が低すぎるのだ。

 そして期日は今日まで。明日の朝にはここを発たなければならない。最後の望みとばかりに朝から流しのハンターを捜していたのだ。


 と、四人組が立ち上がり報酬を手に嬉しそうに喜んでいる。

 このままではすぐに出ていってしまう、と娘は小さく舌打ちして小走りに四人に近づいていった。

 そこそこの実力はあるのだろうが、まだ駆け出しだ。

 ちょっと稼げる話があるから、と待っててもらえば良いのだ。


「もしかしてあんたたちがデッドエンドから来たって噂になってるハンターか? えっと、この格好は気にしないで。攫われないように小汚くしているだけだから」


 浮浪者が話しかけてきたと驚かれるが、愛想良く事情を簡単に説明すると納得してくれた。

 大抵の駆け出しは、こう言えばすぐに嬉しそうな顔をする。少しでも自分を売り込む為にデッドエンドから来たと騙るのだから。


「ま、まあな。俺がリーダーのカズルだが、何の用だ?」

「ちょっと美味しい依頼があるんだが、やらないか?」

「どんな話だ?」

「ちょっと待っててくれ。あそこにいるクレイモア持ちも誘いたいんだ」


 そう言って目をやると、登録手続きを終えたのか掲示板に向かおうとしている。

 娘は大男に慌てて駆け寄った。


「お兄さん、この町は初めてかい?」


 娘は、はやる気持ちを抑え、用心して低い声で話しかけた。

 この町の相場を知る前に依頼を受けてもらわなければならない。

 そして、こういった猛者がいれば後半日で何とか人数を集められるかも知れないと考えていた。


「門からつけてきた小娘か。何用だ?」


 大男の声はぶっきらぼうだったが、一瞬で女だと見抜いていた。しかも、門から追ってきた事まで気づいていた。娘の背筋に思わず冷や汗が流れる。


「お兄さんにおすすめの依頼があるんだ。話を聞かないかい?」

「直接交渉に来るくらいだ。ここのハンターに見放された厄介な依頼なのだろう?」

「うっ、……。ま、まあ、ちょっとね。でもっ、絶対に話を聞いて損はないよ」


 娘の小賢しい目論見など完全に読まれていた。そして、今までの会話からもかなりの実力者という事だ。

 しかし、まだ完全に断られた訳ではない。娘は持ち前の性格から強気に出ていた。


「なあ、このおっちゃんと何やるんだ?」


 大男に興味を持ったのか、四人組の一人が呑気な声で尋ねてきた。

 空気を読めと言いたいが、お陰で話が切り出しやすくなったと娘はほくそ笑む。


「ほお……」


 その若者を見て大男は目を細めた。


「こんちは」

「どこの出だ?」

「ああ、ナウラ村から来た」

「聞かぬ名だな」

「そりゃそうだ。神々の(くら)。ここいらじゃこの世の果てとかデッドエンドとか呼ばれている麓にある小さな村だからな」


 娘は呆れるしかなかった。これ程の猛者にハッタリを言っても馬鹿にされるだけだ。なにより話がし辛くなってしまった。


「ならば、この小僧と一緒に聞いてやる」

「こいつだけじゃないんだ。向こうに後三人待ってもらっている」


 どう切り出そうと考えていた娘は思わぬ進展に戸惑う。

 しかも、彼らに美味い話には毒がある、もしくはハッタリを言うなら相手を見ろと忠告されたり、押しつけられて終わる可能性がある。

 それでも話すら聞かずに断られるよりはマシと考え、ニコリと微笑んだ。


 そのまま彼らを引き連れて会館を出て近くの路地へと入っていく。

 本来なら酒場にでも連れていきたいが、なにしろこの格好なのだ。いくら金を持っていると言っても浮浪者が入ってきたと叩き出されるのがオチだ。

 幸いその辺の事情は分かってくれていた。先ほどの空気の読めない男だけは、「なにか食べながらにしようぜ」と不満げだが、仲間に説明されて渋々納得したようだ。


「まず、私はマフシード。リクシマ村の士族の娘だ。連れはナヴィド。当家の……。まあそれは良いか。名を教えて欲しい」


 さっきまでとはうって変わった凛とした声にちょっと戸惑う五人。

 ナヴィドを紹介しようとして言い淀んだのはマフシードの家の使用人だからだ。


「俺はマドック」

「俺はカズル。で、こいつが鬼丸。キシムとフィリア。そしてハンナだ」


 子狼はどうでも良いがとマフシードは思うが、目をやるとちょこんとお座りして自分を見つめていている。


「それでは、ナヴィドから依頼の内容を話させてもらうわ」


 もちろん若い娘より年寄りが話した方が話に重みが出ると考えての事だ。


 七十人余りの野盗が現れたのは去年の秋。

 いつものように豊作を喜ぶリクシマ村を襲い、わずかばかりの穀物を残して全て奪い去っていった。

 さらに、「来年は、オミード姫も頂くからな」と捨て台詞を残して。

 去年は士族頭たちが命がけでオミードだけは守りきったのだ。

 その時の戦いで士族頭を継ぐオミードの兄も村を守る士族も討ち死にしてしまった。駆けつけてくれた隣のリクヤマ村の加勢で野盗が逃げなければ、オミードは無事では済まなかっただろう。

 しかも、その戦いが元で士族頭までが今年の春に亡くなってしまった。

 士族頭を継ぐのはオミードしか残っていなかった。

 士族で戦える男は七名しか残っていない。後は片腕を亡くしたり、半身が麻痺したままなのだ。後はマフシードのように弓を使える女たちだけ。

 今年はリクヤマ村からの援軍はない。しかもリクシマの士族頭がオミードでは話にならないと因縁をつけてきた。嫁に来い。そして村を明け渡せ、そうすれば村を守ってやると弱みにつけ込んできたのだ。

 野盗だけでなく、リクヤマ村もリクシマ村を手に入れようと動きだした。魔物の暴走後、飢えに苦しむリクヤマ村を救った恩も忘れて。


 リクシマ村は名前の通り四方を深い谷川に囲まれ、まるで陸の孤島のような村だ。

 村に入るには吊り橋を渡らなければならない。魔物の暴走の時には全ての吊り橋を落として守りきった。

 しかし例え橋を全て落としたとしても頭を使えばいくらでも攻めようはある。

 今年は野盗が倍以上に増え、その数を相手に数名の士族や農民では余りにも厳しすぎた。

 だからこそ危機に陥った村を守る為、なによりオミードを守る為に農民が立ち上がり、秘かにマフシードに話を持ちかけハンターに依頼を出す事になったのだ。


「まともに殺り合うなら、これだけでは足りんな。最低でも中級ハンター十人以上は必要か……」


 話を聞き終わったマドックの口から出たのは、当然の言葉だった。

 川に囲まれた地形とはいえ、村一つを守らなければならないのだ。


「要するに、村と姫さんを守って欲しいってこったろ。簡単だぜ」


 お気楽発言をする鬼丸に、マフシードは頭を抱えた。

 カズルたちはオミードを知っているのか、「オミードって白百合姫とか噂されている姫様の事だろ。そんな事になってたのか」と驚いている。

 マフシードは下っ端のハンターを端から誘わなかった。なにしろ野盗百人以上を相手にするのだ。金を払うから死んでくれと言っているような物だからだ。



「小僧、何か策でもあるのか?」

「ねぇよ、んなもん。けど襲ってくる奴等を一纏めにして潰せば良いだろ」

「その剣がどれほどの業物かは知らぬが、二十人も斬れば剣は切れ味を失う。それを分かっての発言か?」

「百でも二百でも構わねぇぜ。流石に万となると自信がねぇが」


 その言葉にマドックは鬼丸の得物は細身の奇妙な剣ではなかったのかと訝しんだ。

 鬼丸が何らかの体術スキルを習得してるとなれば可能だろう。相手が案山子ならばという条件付きで。

 それでも鬼丸には惹きつけられる何かがあるのは確かだ。

 大陸の東方に暮らす者が持つという金色の目。

 デッドエンドから来たのは嘘ではないだろう。

 問題はそこからここまで、なんの苦労もなく来られるはずがないと言う事。

 襲ってくる数多(あまた)の魔物を倒し、時には盗賊まがいの連中を相手にしなければならなかったはずなのだ。

 それに謎の英雄の噂で聞いた、燃えるような金色の瞳。

 鬼丸の瞳は燃えているようには見えないが、同じ色をしている。

 もしかしたら謎の英雄が偶々金色の瞳だったから、デッドエンドから来たと噂が流れたのかも知れないが。


 あの魔物の暴走で、当時幼かった自分の心は壊れてしまった。

 普段は平穏でいられるが、一度血を見れば抑えが効かなくなる。

 付いた二つ名がブラッディ・クレイモア。

 だが、それを知るものは少ない。抑えが効かなくなれば己が疲れ切るか仲間諸共相手が死に絶えるまで愛剣を振り続けるからだ。


 カルシマを訪れたのは、その野盗討伐の依頼を見込んでだった。

 報酬の額はあまり気にしていない。なぜなら自分は死に場所を探して彷徨っているのだ。

 まともなハンターであれば十名は必要だろうが、話を聞く限り吊り橋を全て落として自分が野盗を相手にすれば、よほどの手練れでない限り半分以上を道連れに死ねるだろう。


「請け負っても良い。が、俺は戦いに参加せぬ」


 いざとなれば戦うが、その時は村人を避難させてからだ。

 後は士族と農民。そして鬼丸たちをどう活かすかで村の運命が決まるといって良いだろう。


「ど、どうして!?」

「戦わぬとは言わぬが、俺は血を見ると抑えが効かなくなるからな。村人諸共皆殺しにはなりたくないだろう。その条件で良ければこの小僧たちと一緒に行ってやる」


 マフシードは皆殺しという言葉に頬を引きつらせながらも、最後の言葉で「ありがとうございます」と涙を浮かべながら深々と頭を下げた。この言葉をもらう為に頑張ってきたのだ。

 後はマドックを看板にハンターを集められるだけ集めるだけだ。


「よしっ、話は決まった! 前祝いにパァーッとメシにしようぜ」

「なに馬鹿な事を言ってんのっ! 今日中に人数をかき集めないとならないのよ!」


 ずいぶんとマフシードの口調の変化に戸惑いを隠せないマドックたちだが、これが本来の口調なのだろう。

 ここで忘れ去られていたかのようなカズルたちが慌てだした。


「ちょっと待ってくれ。俺たちやるなんてひとっ言も……」

「大丈夫だって。このおっちゃん強ぇーぞ」

「問題はそこじゃない。俺たち三人はまだ実力もないんだ」

「ハンナの仇をとってやろうぜ。それに、野盗をのさばらせておけばカズルたちだって依頼を受けられなくなるかも知れねぇんだぞ」

「それはそうだが……」


「お気軽小僧の言うように野盗はリクシマだけの問題ではない。このままではこの地(バリエス特別小国家群領)は野盗の巣窟になってしまうのだ! 我が身可愛さの半端なハンターなどいらぬっ!」


 マフシードがカズルたちに厳しい言葉を投げつけた。

 士族とハンターでは意識の違いに差があるのだから仕方がない。

 民と畑を守る為に戦う士族と自分が生きる為に戦うハンターとでは見ている物が違う。


「…………」

「退く勇気も大切だぜ。カズルたちは自分たちのできる事を頑張れ。ハンナの仇は俺がとってやるから」

「すまない、鬼丸さん……」


 悔しさを背中いっぱいに鬼丸の元を去るカズルたち。

 ハンナだけは状況が分からないのか、フィリアの横を歩きながら何度も振り返って鬼丸を見ていた。


 残ったのはマドックと鬼丸だけ。

 そしてマフシードの懸命の誘いの甲斐もなく、この依頼に乗ってくるハンターはいなかった。

 マフシードのあまりにも強気な勧誘に警戒心を抱いてしまったのだ。



 翌朝、すっかり気落ちしたマフシードと鬼丸たちはリクシマを目指し歩き出した。

 リクシマまで二日の道程。

 自分の立場をわきまえているナヴィドですら、鬼丸が話しかけるとつい言葉が出てしまうのか、珍しく口数が多かった。


 カルシマの町が見えなくなってからが、野盗の出没する危険地帯となる。

 今年最初の被害が出たのは夏の終わり、それから今までずっとこの辺りを荒らし回っている。

 行き交う人たちがピリピリと緊張していた。

 マドックを見て、すぐ後を付いてくる行商人とハンターが途中まででもと同行を持ちかけてくるくらいだ。


 マフシードとナヴィドですらカルシマへの往路は、護衛をいっぱい付けている商隊のすぐ後を歩いたくらいだ。何かあったらすぐに助けを求められるように。

 ところが、そんな自分たちですら野盗の仲間と勘違いされたのだ。

 爺さんと小娘の二人連れが、だ。

 けれども、野盗がそれほどの脅威となっているのだと彼女たちは改めて実感した。

 幸い、商隊の隊長さんが顔見知りだったので同行を許してくれたが、そうでなかったら途中で見た行商人とハンターのように無惨な姿で道端に転がっていたかも知れなかったのだ。


 そんな中、鬼丸がすれ違う商隊に元気に挨拶をしている。

 ところが、どの護衛ハンターもビックリした顔で反射的に剣に手をかけていた。


「なんか、空気悪くねぇ?」


 マフシードは、そんなの当たり前でしょ。あんたが空気読みなさいよっ! と口から出かかった。


「馬鹿じゃないの? いつっ、どこからっ、野盗が襲ってくるかわかんないのよ。みんな用心してんのよ!」


 まあ、これくらいで済ませてあげないと。

 マドックはいざという時まで戦わないし、死人が出るのは嫌だけど鬼丸が一番矢面に立つのだから。

 それに鬼丸のこのお気楽さが張りつめていた緊張を解してくれているのだ。おかげで同行している行商人やハンターも適度な緊張だけで、何かあればすぐにでも動ける状態だった。

 もちろんマドックがどっしりと構えているのもある。

 マフシードは心の中では感謝していた。






 深い谷に囲まれたリクシマは、のどかな田園風景が広がっていた。

 秋植えの種を播く為に数人の村人が鍬を振るい畑を耕していた。

 その向こうでは脱穀に励む農民たちの姿が見える。

 それを見たマフシードは長い間待ちわびた米がようやく食べられるとうっすらと涙を浮かべていた。


「あそこにおられるのがオミード姫様よ」

「オミードって姫さんだろ。なんで一緒に畑を耕してんだ?」

「ホントあんたは底なしの無知ね。ここいらの村はどこもそうなのよ。開拓地主として村を守り、そして一緒に田畑を耕すのよ。村の一つ一つが独立した国のような物なんだから」

「働きもんの姫さんか。良い奴だな」


 畑を耕していたのは野良仕事の服を着た二十歳前くらいの娘だった。

 頭を覆う布の横からサラリと美しい髪が零れている。

 きめ細やかな白い肌と凛とした佇まいから白百合姫と呼ばれ、リクシマの村人たちの自慢だったのだ。それが今では肌は荒れ、血色も良くない。


「二人とも良く無事に戻りました。この方たちが?」


 オミードが驚きもしないという事は、マフシードのカルシマ行きを知ってしまったからだろう。


「はい、姫様。マドック様と雑用係の鬼丸というお調子者です。申し訳ありません。二人しか集められませんでした」


「本当にありがとうございます。お嫌でなければ追加報酬として成功の暁には我が身を差し出します。どうか、どうか村の民を、村の未来をお守り下さいませ」

「姫様っ、このような者に何と言う事をっ!」


 オミードはどんな屈辱を味わっても村を救わなければならなかった。

 姫などと羨ましがられるが所詮士族頭の娘。父や兄が生きていれば村を守る為に顔も知らぬ男の元へと嫁がされる身だったのだ。それが士族頭の娘に生まれた運命なのだから。

 だから、覚悟はできていた。

 問題は、誰にという事だけだ。


 野盗は自分の体を欲している。差し出せば村は見逃すとまで言っている。

 だが、相手が野盗では約束を守る保証などない。

 リクヤマ村に差し出せば、今回は守ってくれるだろう。しかし、その後はこの地を奪われ追い出されるか奴隷のように扱われるのは目に見えている。他の村の士族も同じような物。野盗と殺り合って数が減れば、今度は自分たちの村が襲われるとしか考えていない。

 残された道は、ハンターに我が身を差し出すくらいしなかった。

 ただ、それ以前にハンターを雇う目処すら立たない。なにしろお金がないのだ。ハンター会館に依頼を出す時は全額前払い。収穫した米を売った後では遅いのだ。おそらくマフシードが提示した報酬はこの話に乗ってくれただけでも感謝しなければならないほどのわずかな額だろう。

 そんな報酬でどれほどの(おとこ)が来てくれるか。それだけが気がかりだった。それでも来た以上マフシードを信じてこの者たちに身を差し出すしかない。


「今回の依頼を知ったのは、マフシードが村を出た後です。そんなわたくしに士族頭の資格などありません。民が苦しい生活の中から今回の報酬を絞り出すなら、わたくしも身を切らねばなりません。ですが、すでに蓄えの全てどころかわたくしの服までも今までの民の食料にしてしまいました。今のわたくしにお支払いできる物は、もう我が身しか残っておりません」


 そう言ってマドックと鬼丸に静かに、そして深々と頭を下げるオミード。

 マフシードはただオロオロとしていた。まさかこんな展開になるとは考えてもいなかったからだ。


「自暴自棄、という訳ではないようだな。それにボロを纏ってはいるが、心は高貴そのもの。十分士族頭の顔をしている」

「もったいないお言葉、ありがとうございます」

「が、その心と身の美しさ故、今回の災いを招いたとも言える、か。今年だけでは済まぬだろうな」

「お心遣い感謝いたします。マフシードもこのような漢を連れてきてくれて感謝します」


 オミードも同じ事を考えていた。そして次に備える為には士族をこれ以上減らす訳にはいかないのだ。害獣ですら駆除できない人数しか残っていないのだがら。

 そしてマドックの目をジッと見つめ、さらなる覚悟を決める。

 ハンターが二人しかいないのは心許ないが、信じるしかない。

 信じて、そして我が身どころか心までも差し出し、今後も守ってくれと請うしかない。

 浅はかな考えだとは思うが、それに縋るしかないのだ。


「んじゃ、野盗どもをぶっ倒した後は、おっちゃんが姫さんを嫁にしてこの村を守ればいいだろ。結構お似合いだぜ」


 オミードの考えをあっけらかんと言ってのけた鬼丸にオミードの目は点になっていた。そしてマドックもだ。


「ばっ、馬鹿を申すな。そ、そもそも俺は流浪のハンターだ」

「いつまでも、って訳にゃいかねぇだろ? 決まりだぜ。おっちゃんは姫さんを守れ。後は俺が受け持ってやる」


 鬼丸の言葉に他意など微塵も感じられない。

 だがらだろうか、オミードにはマドックの好意が微かに読み取れた。


「まったく。なんであんたはそう調子がいいのよっ! 野盗相手に一人でどう戦うつもりなのよっ?」


「鬼丸様は本当は雑用係ではないのでしょう? マフは口が悪いから」

「あはは、気にしてねぇよ。あいつは優しい奴だ」


 明るく笑い飛ばす鬼丸に、そして、こういった場でマフシードを愛称で呼ばせてしまうほどの鬼丸にオミードの心に光が差し込んでいた。

 もちろんマフシードもそうなのだろう。以前は茨のような刺々しさに包まれていたのが今では昔のように明るさが前面に出ている。

 そしてマドックという男。

 鬼丸が明るさを振りまくなら、マドックはいるだけで安心感がある。この男がここに留まってくれるのなら民も安心して暮らせるだろう。

 マドックなら身だけでなく心までを捧げられるかも知れない。

 心まで捧げられそうな男など、そう多くはない。

 マフシードは本当に素晴らしい二人を連れてきてくれたのだとオミードは思った。







「んめぇーっ! この米ってのはなんにでも合うんだな」

「鬼丸、周りを見ろ。あれがたらふく食っていた者の体か?」


 マドックの目線を追うと、痩せ細った子供たちがいた。

 こっちを恨めしそうに見つめている。


「おーい、お前たちも食うかぁ?」


 鬼丸はすぐに笑顔で手招きして子供たちを呼び寄せた。

 年端のいかぬ子供とは言え、それがどういう事を引き起こすかを知っている子もいるのだろう。しかし、ほとんどの子が鬼丸の言葉に目を輝かせ、我先にと貪り始めていた。そうなると残った子も食べずにいられない。料理が並んだテーブルは村の子供で埋め尽くされた。


「ば、馬鹿たれっ! お前ぇらが食ってどーすんだ!」


 すぐに村の大人たちが駆け寄り、慌ててテーブルから子供を引き離す。しかし、どの大人も自分の子供だけは食べ物を鷲づかみにした手を叩く事などできなかった。

 ようやく収穫が終わり何とか腹一杯食べられるようになったばかり。どの子も飢えの恐怖から抜けきれていない。そして、大人たちの野盗への不安を感じ取るから子供たちの心はいつまでも不安定なままだった。

 それほど切迫した状況まで追い込まれていたのだ。


「申し訳ねぇ。申し訳ねぇ。大事なハンター様の食事に手をつけて。後できっちり叱って……」

「構わねぇよ。腹空かしてんだ。ほら、これも食え」


 ひたすら謝る大人たちを無視して鬼丸はあっけらかんと手にした料理を子供に押しつけると徐に立ち上がった。


「おっちゃん、ちょっと狩りに行ってくるわ」


 川に囲まれた村には獣の気配がないが、川向こうならいくつか感じる。

 冬を前に獣も沢山の栄養を蓄えようと必死なのだ。


「ハンター様、お気をつけ下せえ。あの森にゃ野盗ですら近寄らねぇ獰猛な熊がおりやす。森に入った士族様や村人も襲われておりやすから」


 農民の一人が心配して声をかけた。

 村人がなかなか森の恵みや肉にありつけないのはこの為だった。

 知恵が回るらしく罠が効かない。

 そればかりか罠にかかった鹿等を平気で持ち去って食ってしまう。

 幸い吊り橋では熊の体重を支えきれない。リクシマまで渡ってこようとすれば熊は谷底へ落ちるしかないから村での被害はでていない。


 ところが、鬼丸はそれを聞いて嬉しそうに笑い出した。


「あはは、このでけぇ気配は熊か。それも人を襲った獰猛な奴の! そんじゃ、是非とも手伝ってもわらねぇとな」


 さっそく鬼丸の頭の中では熊が戦力として加えられていた。

 ナウラ村の近くには熊がいる。

 時には家畜を襲ったりするから、村の大人たちは総出でよく追い払いに出かけた。

 そして鬼丸が鬼気を練習し始めると、それを恐れて近寄らなくなった。

 どんな凶暴な獣でも人を怖がる。基本的に動物は臆病なのだ。

 ただ人肉の味を知った獣は別だ。

 どちらも気づかずに近寄ってしまったとか、突然威嚇したとか、そういった不幸な事故で人を襲う事を覚えた獣は、確実に息の根を止めないとならない。



「鬼丸、熊を使役できるのか?」

「んな事できねぇよ。けど、クセは知ってるからな」


 熊は一撃で相手を骨ごと砕くほどの凶暴だ。

 そして剣や槍で攻撃を加えても毛皮と厚い皮下脂肪が身を守っている。

 弱点を知らなければ野盗ごときが数人集まろうとも、怒り狂った一頭の熊には敵わない。


「ほんじゃ、ちょいと行ってくるな」


 農家の家から桶を借りた鬼丸は楽しそうな顔で吊り橋を渡り向こう岸へと消えていく。それを見たマドックの顔に自然と笑みが浮かんでいた。


「なに? あのお調子者は森に何しに行ったの?」

「マフシード。お前さん、なかなか良い買い物をしたようだぞ」

「はぁ?」


 それから鬼丸の向かった森からは時折うっすらと煙が上がっていた。

 そして陽が落ち、足下が暗くなってきた頃、鹿を背負い両手に重そうな桶を持った鬼丸が帰ってきた。


 その間、マドックはマフシードとオミードに案内されながら、士族の男たちとリクシマの周囲に策を講じていた。





「あんた、この非常時にこんな時間まで何やってたのよ!」

「ほへっ!? 何って散歩だぜ」

「なに呑気にハチミツなんて集めてんのよ! ってハチミツぅ~!?」

「勝手に舐めんなよ。大事な助っ人に払うんだからよ」

「なに分けのわかんない事を! それよりちょっとだけで良いから舐めさせてっ!」

「馬鹿っ、俺たちの食いもんはこっちだ。涎垂らしてないで大鍋を用意してみんなを集めろよー」


 そういって背負っていた若鹿を降ろす。


「なに、あんた若鹿まで狩ってきたの!? 見直したわっ! 雑用から食料調達係に昇格してあげるわ」


「良くそんなに集めてきたな」

「こんくらい楽勝だって。仕掛けもバッチリ。まあ、この時期、蜂どもから全部取り上げたら冬を越せねぇからな。巣から少しずつもらってきたんで遅くなったが。あの森の熊はでけぇぜ。それより野盗の奴等が偵察に来てたな」

「うむ。六人な。良く気づいたな」

「奴等は全部で百五十三人だ」

「ほお、散歩してきた甲斐があったな。川向こうの木陰に身を潜めてこちらを窺っていただけだ」


 鬼丸は大まかな野盗討伐の流れと注意すべき場所を聞きながらハチミツをコロコロとした丸い瓢箪にせっせと流し込む。



 野盗が襲ってきても気づけるように村の真ん中では鬼丸の捕らえてきた鹿肉を使った鹿鍋が振る舞われていた。

 オミード姫がマドックの横に座り、鹿汁を椀によそって持てなしている。

 二人は村を案内しながらいろいろと話していた。それもあってかオミードはすっかりマドックに心を許しているようだった。

 そんな仲睦まじい二人にマフシードは嬉しさがこみ上げてくる。

 オミードのあんな顔を見たら、どこかへ嫁ぐより良かったのかも知れないと思うほどだ。

 確かに今の時代、こんな状況では他の村の士族を頼っても食い物にされるだけだ。それほど士族の心は失われている。二人の関係は士族同士ではなく他の血で補う時代が来ていると告げているのかも知れない。

 マフシードも父が死に家督を継いでいる。だから自分も相手が士族と拘らなくても良いのかもと考え始めていた。村を守るのは士族という身分ではなく、士族の心を持ってれば良いのだから。

 村人も、マドックが村に残ってくれるならと期待しているように見える。


 子供たちは鬼丸が空にしたハチミツの桶を囲み、珍しく仲良く舐めまわしていた。

 そこでマフシードは気がついた。子供たちの心に余裕が生まれている事に。


 鬼丸が、場を盛り上げている。


 会った時はあまりのお気軽さに不安になったが、間違っていたようだ。

 鬼丸が人懐っこい顔で明るくしてくれるから、村人たちも不安に怯える事なく安心して騒げるのだ。

 もちろんマドックがどっしり構えている事も大きい。だが、それだけではここまで騒がない。

 爺にも言われたが、鬼丸は強いんだと思う。腕っ節ではなく心が。



「そんな野暮な事すっから姫さんに嫌われんだ」


 そう呟いた鬼丸が、少し怒り気味に突然立ち上がった。

 マドックもオミードに何かを言っている。


「残念だけどお開きだな。おっちゃん、後は頼んだ!」


 鬼丸はそういうと、いきなり闇の中へと消えていった。


「女子供はオミードと一緒に屋敷に隠れていろ。戦が始まる」


 そう言うなり、マドックは焚き火から燃え盛る薪を一本取りだし、放り投げた。

 途端に火が走り、リクシマの周囲を囲っていく。

 明るいうちに油を含ませた藁と薪を周囲に巡らせておいたのだ。


「弓の準備よ。私たちは一人でも多く野盗を射抜くだけよ」


 マフシードのかけ声で士族と士族の娘たち、村の男たちがマドックの指示でそれぞれの持ち場へと走っていく。


 メラメラと燃える火に野盗の姿が浮かび上がった。

 そして、走った火はリクシマに渡る吊り橋を燃やし次々に落としていく。

 何人かの野盗が戻りきれずに、谷底へと落ちていく。

 鬼丸はというと、唯一残した吊り橋の前で野盗と戦っていた。

 

 矢で援護するマフシードは鬼丸の腕を大したことはないと思っていたが、信じられないくらい強かった。

 と思ったら、マドックも驚いている。あの馬鹿は、非常識らしい。


「まずは、奴等を一箇所に絞って鬼丸が迎え撃ち数を減らす」


 マドックは、野盗が敵わないとなれば一旦退くと読んでいた。

 鬼丸には追撃しないよう伝えてある。

 手駒が少なすぎるのだ。

 奴等の手を読み切れないと勝機は薄くなる。


 一時撤退した野盗を無視し、鬼丸がなにかを森の中へ投げ込み、そして、途中から野盗に投げ始めた。


 あの馬鹿、なんてもったいない事をするのよっ!

 肥汲みに降格よっ!


 マフシードはそう叫ばずにいられない。

 よりにもよって、ハチミツを詰めた瓢箪を景気よく投げつけているのだから。


 野盗ですら唖然として動きを止めたくらいだ。

 なにかを投げつけられたと思ったら、ハチミツなのだ。

 体中ベトベトになりながら、吊り橋の先にいる鬼丸を始末しようと矢の準備に入ったところだった。

 突然、背後から熊に襲われた。

 熊の縄張りからは外れているはずだった。

 それが、怒り狂って襲ってきたのだ。

 一撃で半身を失う者。反撃しようと剣を抜く者。

 慌てて矢をいかけ、熊の怒りに油を差す者。

 熊は動き回る野盗をひたすら蹴散らしていく。


 熊はこの森に自分より強い者など存在しないと考えていた。

 だから昼間から自分の縄張りをコソコソと動き回る人間の気配に怒りを覚えていた。しかも自分のより高い位置に熊剥ぎの爪痕らしき物を残され、あざ笑うかのように人間の匂いが擦り付けられていたのだ。

 そこへ突然立ちこめるハチミツの甘い薫り。そしてその先で騒いでいる人間どもの気配。

 俺のハチミツに手を出している、と熊は怒り狂った。



「ここは退けぇーっ! 次の手でいくぞーっ!」


 吊り橋を諦め移動する野盗たち。


「馬鹿野郎ーっ! 投げてくんなーっ!!」


 その逃げる野盗へとハチミツ入り瓢箪を投げつける鬼丸。

 直接当たらなくても、甘い匂いが立ちこめるだけで熊の恐怖に駆られる。

 対岸という事もあって、矢でもなければ届かない。


「さてと、次はあっちだな」


 熊の住む森からリクシマのおよそ半周。野盗は熊を恐れて逃げ出していた。

 夜襲をかけた事が、逆に野盗たちに不利に回った。

 今も「熊が出た!」と吊り橋の向こうから悲鳴が上がっている。

 鬼丸はマドックの指示通り次の場所へと走り出していた。


 ズズズーンッという音と共に谷の一番狭まった部分に丸太橋が渡されていく。


「行けぇーっ! 行けぇーっ!」

「奪えーっ! 何もかも根こそぎ奪い取っちまえぇぇ!」


 続々と丸太橋を渡りリクシマへと足を踏み入れてくる野盗たち。


 それを待っていたとばかりに士族と村の男たちが一斉に矢を放つ。

 火矢も混じっていて、野盗の動きは暗がりから丸見えだ。


 狙い定めて矢を放つ必要はない、とマドックに言われ、村の男たちは遮二無二矢を放つ。

 矢が襲って来るという事さえ、野盗に分からせれば良い。

 一瞬でも足止めできれば、後は鬼丸の出番だ。


 吊り橋前での戦いを見て、マドックは鬼丸の腕を十分当てにできるとわかった。

 駄目なら村人を屋敷に避難させ自分が出るだけだ。


 マフシードが話を持ちかけて来た時は、単純にここで戦って死んでも良いと考えていた。

 だが、オミードに会って、この娘を救いたいと願う自分がいた。

 外見の美しさにではない。

 その心に惹かれたのだ。

 そのオミードが村を守りたいのなら我が命など捨てても良いと。

 今まで女など何人も抱いたが、商売女だからだろうかこんな気持ちになった事はなかった。

 この壊れた自分が、守りたい者の為に死ぬのも悪くないと変わっていた。




 鬼丸はもう六十人は斬っただろうか。

 熊にやられた者は二十人くらいのはずだから、残りは七十人程度だ。

 必死に大太刀を振るっていた。

 今度こそ鬼気に頼らずにやり抜こうと考えていた。

 しかしまだまだ経験不足。気持ちだけが空回りしている。

 すでに大太刀は血に染まり、切れ味は鈍っていた。


「おっちゃんには大見栄切ったが、結構しんどい……」


「見ろっ、ハチミツ小僧がへばってきたぞっ!」

「一気にぶっ殺せーっ!」


「けど、漢ならっ」



「マドック様、どーするのよっ! あのお調子者、百人、二百人屁でもないって、もうヘロヘロじゃない」


 ここまで倒しただけでも常人離れしている。

 それでも長くは保たないだろう。

 次は自分の番とマドックは立ち上がろうとした。

 その時だった。

 野盗の背後から「うおぉぉぉぉぉぉ!」と凄まじい声が響いてきた。

 マドックは、新手がやって来たのかと声の上がる方を見てニヤリと笑う。



「鬼丸さーん!!」


 カズルたちが三十名近いハンターを引き連れてやってきたのだ。

 しかし全員が見るからに駆け出しのハンターといった出で立ち。



 鬼丸と別れたカズルたちは、あれから町中の駆け出しハンターに頭を下げて回っていた。

 このまま野盗がのさばればカルシマで仕事ができなくなる。そうなれば自分たちは暮らしていけない。そればかりか生まれ育った村が野盗に食い荒らされるかも知れないのだ。

 カズルたちもだが、カルシマにいる駆け出しハンターはバリエス特別小国家群領出身者だ。

 ここは駆け出しハンターが一丸となって、野盗討伐に参加しようとなったのだ。

 死ぬかも知れない。

 報酬すら出ない。

 しかし、生まれ育った村を守る為、そして、自分たちがこれからもハンターとして暮らしていく為に立ち上がったのだ。


 五人一組で丸太橋を戻ってくる野盗一人を囲み、途中で鋭く斬り落とした大量の竹槍で串刺しにしていく。

 もし、危険となればフィリアが魔法結晶を使い仲間を援護する。

 と、地面がせり上がり押し出されるように谷底へと落ちていく野盗がいた。

 地面からの鋭い岩に串刺しにされる野盗もいる。

 経験が少ないだけにその戦い方は(つたな)いが、駆け出しハンターたちは必死に戦っていた。


 駆け出しの奇襲によって一時は混乱した野盗だが、すぐに立て直し始めた。

 カズルたちは一人、二人と減っても逃げ出さずに必死に耐えていた。

 フィリアは魔法を放ち尽くしたのか、盛大に放っていた魔法はあの一時だけで終わっていた。


 奇襲で倒せたのは十四、五人。その後が続かない。

 鬼丸も足下が覚束なくなっている。

 このままではじき嬲り殺しになるとマドックが立ち上がった。

 士族の男たちは指示通りに矢をいかけているが、いたたまれずに斬りかかろうとしている。

 今、士族の男たちが全滅すれば村は助かるかも知れないが、今後守る者がいなくなる。


「俺が行くっ! 巻き込まれたくなかったら皆は屋敷に逃げろ」


 血を見ればまた殺戮が始まる。

 オミードと村の者たち。そして鬼丸たちはなんとか生きてもらいたい。

 自分一人で立ち向かわなければ犠牲者が出る。


「鬼丸と駆け出しは、下がれっ!」


 その声に振り向いた鬼丸。

 マドックがもの凄い勢いで走り出すと腰のクレイモアに手をかける。

 丸太橋を渡り始めていたカズルたちは、慌てて橋を戻り戦いの様を見守る。

 野盗は突然の大男の乱入にヒートアップしていく。


「血祭りだぁぁぁぁ!」


 その声で一斉にマドックに野盗の弓が襲いかかる。

 すばしっこい小僧と違い、これだけの大男。

 矢の的になるには十分な大きさ。


 マドックはそれなりの戦場(いくさば)で生き残ってきた。例え仲間を殺してきたとしても。

 瞬時に地面に転がる野盗の死体を楯に矢を避ける。

 呻いていようが、死んでいようが、そして、剣を構えていた者さえ問わない。

 次々とマドックに捕まり、ハリネズミとなって地面に転がっていく。


 それでも数本の矢がマドックの体を掠めていた。


 ドクンッ……


 眠っていたマドックの狂気が目を覚ました。



 爆発、という言葉が適切だろうか。

 マドックの周囲が一瞬で、まるで血を爆発させたかのように真っ赤に染まった。

 弓持ちも剣持ちも関係ない。クレイモアの閃光が走ると野盗の弓が、剣が砕け散り、楯がひしゃげ、ひん曲がった甲冑ごと真っ二つになり、内臓が飛び散る。

 その返す手で振り抜くと別の野盗の兜が飛び、頭を失った体が血を吹き出しながら倒れていく。

 マドックはこの地にある全ての命を喰らうがごとくクレイモアを振り始めていた。





「なんですって!? マドック様まで?」

「あっ、駄目です。姫様っ!」


 屋敷に避難してきた者たちの話を聞いて、オミードは思わず屋敷から走り出していた。

 そして、戦場となっている村の端に来て、我が目を疑った。

 戦場にはあちこちに無惨な姿で死に様をさらす野盗。


 その屍の中で戦う、二人の男。

 大きな体はマドックだとすぐに気づいた。

 そして、もう一人は鬼丸だった。


 何故二人が、戦っているの?

 まさか!?





 何本の矢を受け死に絶えた野盗を楯にマドックは戦場の中心へと飛び込んできた。


「おっちゃん、面目ねぇ!」


 最初から退くつもりなどなかった。

 そう思っていた鬼丸だったが、目の前に迫ってくるクレイモアを見て咄嗟に大太刀を構えていた。


 鬼丸は呆気なく吹き飛ばされていた。

 幸い大太刀で受けたので、他の野盗のように真っ二つにならずに済んだだけだった。


 マドックはあっという間に残った野盗を叩き伏せていく。

 あまりのマドックの戦いぶりに、吹き飛ばされた鬼丸の事など野盗には忘れられていた。


 己の力で全ての命を否定するかのような怒り狂った剣。

 クレイモアの一閃が走るだけで辺りには血の花が咲く。

 ところが、まるでマドックの気配を感じない。

 妙な気配を纏っているのだ。

 そうだ。これは戦奴隷の気配に似ている。


 おっちゃんは壊れてんだ。

 タリムのように。


 タリムと一緒にいて一つわかった事がある。

 己の心が何かに負けたのだ。

 心を縛る何かを断ち切ればタリムのように元に戻るかも知れない。

 だが、どうすれば……



 その時、屋敷の方からオミードが走ってきた。

 新たに現れた人の気配にマドックが、オミードの元へと走り出していた。

 

 おっちゃん、姫さんまで手にかけるつもりだ!


 野盗を壊滅させたというのに、最後の最後でとんでもない事になった。

 鬼丸は大太刀を握ると、一気にオミードの前へと走り出す。


 マドックの乱入で幾らかの回復できたとはいえ、鬼気を使わなかった鬼丸は疲れていた。

 心眼をもってしても凌ぎきるのがやっとだろう。


 ガキンッ……


 鬼丸の手にマドックの重いクレイモアの衝撃が襲う。

 その度に吹き飛ばされそうになる。

 いくら鬼の血で鍛えた大太刀であっても、わずかでも剣筋が逸れれば断ち斬る事などできない。


「このぉぉぉぉ!」


 鬼の血が戦わせろと騒ぎ出す。

 ガンガンと打ち合う剣から火花が飛び散る。

 大太刀と打ち合うたびにクレイモアから悲鳴が上がっていくようだ。

 だが、妙な気配で殺戮だけしか頭にないマドックの剣筋は、心眼をもってしても今の鬼丸にはついていくだけで精一杯。

 弾き、逸らし、逃げ、何度も仕切り直す。


「悔しいが、鬼気に頼るしかねぇか……」


 今回は使わないと心に決めたが、そうも言ってられない状況なのだ。

 鬼化しなくても鬼気を大太刀に纏わせるだけで、この戦いは大きく変わる。

 だが、そう考えた一瞬でマドックは鬼丸ではなくオミードに走り出していた。


 なんで、そこまで姫さんに拘るんだよっ!




 マドックが突然オミードへと走ってきた。

 そして、手にしたクレイモアを振り上げる。

 オミードはすでに覚悟ができていた。

 下がらせようとするマフシードの手を振り切って前へと進み出た。

 その時、オミードの視界を青白い光が駆け抜けていった。

 と同時に、自分の腕に衝撃が走る。

 真っ赤に染まっていく腕。

 マフシードの悲鳴が聞こえる。

 マドックの涙が見える。

 わたくしはマドックを救えたのかしら?




「ちくしょーっ! 間に合わなかったーっ!」


 ギリギリ間に合うかと思った鬼丸だが、オミードが何故か前へと出てきてしまった。

 何故かわずかに逸れながらオミードに振り下ろされるクレイモアの剣先をすんでの所で斬り落としたが、その剣先は勢いを殺しながら、オミードの左腕に襲いかかってしまった。

 真っ二つにこそならなかったが、オミードの袖が真っ赤に染まっていく。

 鬼丸は、オミードを守るように立ち、そのまま青白い光を放つ剣でマドックと向かい合った。


「おっちゃんっ! なんて事を……」


 そこで鬼丸は、気がついた。

 マドックは泣いているのだ。

 涙を流しながら、姫さんを斬ろうとした。

 いや、斬ろうとしたから涙を流しているのか?

 だから、姫さんを斬ろうとした剣筋に躊躇いがあったのか?

 でも、あのままなら右腕は斬り落とされていた。


「姫さんの傷はどうだ?」

「深手だよぅ、なんで姫様は自ら斬られるような真似をしたんだよぅ……」


 オミードを手当てするマフシードが、泣きそうな声で答える。


「うおぉぉぉぉぉ」


 鬼丸が吠え、大太刀を握り返すとマドックと剣を交え始めた。

 鬼気を纏わせたからには(やいば)で受ければ簡単にクレイモアを斬れる。

 しかし、斬ったからと言ってマドックが止まるとは思えない。

 時間稼ぎにしかならないが、鬼丸は峰で打ち合う事で何とかしようと考えた。

 

 ガンガンと打ち合うたびにクレイモアから悲鳴が上がる。

 まるでマドックの心から悲鳴が上がっているようだ。妙な気配が少しずつ弱くなっていくような気がする。

 それでもマドックは止まらない。


 おっちゃん、目を覚ましてくれっ! そう願いながら鬼丸は大太刀を振るい続ける。


 メキッ……


 クレイモアから聞こえるヒビの入る音と共にマドックの顔が苦痛に歪んでいく。

 そして、鬼丸が渾身の一撃を叩き込むとマドックのクレイモアが爆散するように砕け散った。

 と同時にマドックからは妙な気配がなくなり、憑き物が落ちたようにガックリと膝を付いた。


 カズルたちは野盗討伐が終わり、マドックと鬼丸の戦いをずっと見守っていた。

 流石にクレイモアを振るうマドックに向かおうとは思わないが、クレイモアを失ったマドックなら止められるかも知れないと二十数名が一斉に飛びかかる。

 体力が尽きたかのようなマドックは呆気なく取り押さえられた。



「オ、オミード……許してくれ……」


 慟哭のマドックが大粒の涙をこぼしオミードを抱きしめていた。


 それを見て鬼丸はもしかしたら、と疑問をぶつけた。


「おっちゃんのクレイモアは呪われてたんか?」

「それは違いますよ。マドック様は己の壊れた心をクレイモアに重ねていたんです。ですからクレイモアが砕けて正気に戻ったのです」


 それに答えたのはマドックではなくオミードだった。


「マドック様は狂気の中でわたくしに救いを求めていたのだと思います。ですから、わたくしの命で救えるなら、と」


 もっとも本当に死んでしまえばリクシマに未来はない。

 オミードは命を賭けてマドックを、そして村を救おうとした。


「無茶する姫さんだ」

「己の心に打ち勝たなければ、いずれまた起こるでしょう。けれども、切っ掛けを掴んだと思います」


 そう言ってオミードは血の滲む左腕を見せる。

 マドックはその左腕を見つめながら、「もう二度とお前を傷つけたりはしない」と誓う。


 本来なら男を選ぶなど叶わない士族の女。

 だが、そんな士族の女にも矜持はある。添い遂げたいとなれば命がけで愛するのだ。

 その士族の女としての気持ちが痛いほど分かるマフシードは何度も頷き、泣いていた。



 そして野盗との戦いが完全に終わったと宣言するようにハンナが「キャウォォォォォン」と遠吠えを始めた。

 親の仇をとってくれたと理解したのだろう。

 小さな体で野盗の死体の匂いを嗅ぎ、何度も牙を剥いていたのだから。



 翌朝、リクシマの周りを見回りに出た鬼丸はハリネズミと化した巨大な熊を見つけた。

 最期まで戦ったのだろう。

 辺りには折れた剣を手にした幾人もの野盗の死体が転がっていた。


「お前にゃ悪い事をしたけど、安らかに眠ってくれ」


 そう言って冥福を祈り、熊肉を取り始める。

 穴だらけの毛皮は使い物にならないが、肉は今夜行われる収穫祭で食べればよい。

 村ではマドックが残った駆け出しハンターに剣術を教えている。


 そして数日後、オミードはマドックとの厳かな結婚式を執り行われた。





「さてと、どこへ行こうかな」


 リクシマの皆に見送られ、ハンナの遠吠えを聞きながら歩き出していた。

 特に当てなどない。

 足の向くまま、気の向くまま、という奴だ。

 鬼丸の大太刀はマドックの剣術を応用していくらか様になってきた。


 姫さん、幸せそうだったな。


 それにしても、女は凄いと鬼丸は思った。

 確かに鬼丸よりも年上だからそれなりの人生経験もあるのだろう。

 マドックを思うオミードの気持ちと行動など、まだ尻の青い鬼丸には理解できなかった。


 女は家を守り、子を育てる為にどんな些細な事でも目が行くようにできているのよ。


 不思議そうな顔だったのだろう。

 オミードがクスリと笑って教えてくれた言葉だ。

 そう言われれば母親のライラもそうだった。

 気がついていないと思っていても、しっかりお見通しなのだ。

 タリムもそんなところがあった。バリデウ村で散財した話や開拓村での話をしたら呆れていた。だから、何が入っているかを教えないでお金を渡してくれたのだろう。

 フィリアやマフシードは良く分からないが、少なくともフィリアはハンナの事をよく見ているのは分かる。

 女ではないが、カズルからもお金は大事にしろと念を押されていた。


 人間、一人じゃ生きていけねぇって事だよな。




 バリエス特別小国家群領は独立した小さな町や村がそれぞれ頑張っている。

 治める者の器にも拠るのだろうが、リクシマはオミードを中心にしっかり纏まっていた。


 数年後、リクシマにはハンター会館が建ってバリエス特別小国家群領の中心的な町へと発展していく。

 そして、特に功績のあった者だけに贈られる狼の紋章入りのハンター証はリクシマのハンターの憧れとなった。

 それに大きな役割を果たしたのがマドックがリクシマに腰を下ろしてすぐに始めた剣術道場だ。

 剣術だけでなくさまざまな武術を士族の子弟はもちろん、農民や駆け出しハンターでも格安で教えてもらえると好評だった。

 その教えにはオミードの意志を尊重し士族の心が込められていた。その為ここで学んだハンターは、ここぞという時には報酬など(いと)わず弱き者を守る存在として、リクシマだけでなくバリエス国内でも一目置かれるようになっていくからだった。


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