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奴隷のタリム

 鬼丸は気分が良かった。

 世界にはきっとまだまだ強い奴がいる。

 悔しいのはただ一つ。鬼化しなければ倒せなかったという事だ。それでも気分は良かった。

 今度は鬼化せずに戦おうと心に決め、漆黒のガリアウルフとの動きを思い出して何度も何度も大太刀を振るう。


 ……って、いつまでもこの服じゃマズイよな。金もねぇし。


 あちこちが裂け、破れまくっている。奴隷だってもっとまともな服を着ているだろうと思ってしまうくらいだ。

 ガリアウルフとの戦いでボロボロになってしまった着物を見て鬼丸は改めてそう思う。

 次の村か町で着替えを探さないとならない。

 その前に稼ぐのが先か……


 鬼丸は特に目的地を決めないで旅をしている。

 ただ、ガジムが教えてくれたように、まずはハンター証を早めに手に入れた方が面倒がなさそうだと考えている。

 そこでガジムが言っていたバリエス国のミラディルという町へ行こうと考えた。

 ところが、詳しい位置関係など知らない。開拓村の東にはナウラ村、北へ行けばバリエス国、と大雑把だ。開拓村から北へと歩けばミラディルに着くとしか思っていない。

 


 北へ向かって四日。

 途中いくつもの分かれ道があったが、何も考えずに北へと延びる道を選んで歩いていた。

 道中、行商人どころかハンターとも出会わず、途中で見かけたのは廃墟となった村ばかり。

 それでも鬼丸は、そのうち町か村が見えてくるだろうとお気楽だった。


「お、やっと……結構でかいな。町か?」


 峠を越えたところで木々の間から遠くに町らしき物が見えた。

 大きくはなさそうだが、うっすらと立ち上る炊事らしき煙の数からもそこそこの大きさはあるようだ。

 ようやくハンター証を手に入れらそうだと思わず笑みがこぼれる。それに開拓村を出てここまで、チョロチョロと流れる小川はあったが体を洗えるような場所はなかったから風呂にも入れそうだと期待が高まる。


「あれぇ、おっかしいなぁ……」


 近づくにつれ鬼丸は首を捻らざるを得なかった。

 町ではなく廃墟なのだ。

 だが、確かに廃墟の中から煙が上り、誰かが生活している。

 元々住んでいた住民なのか、廃墟を利用して人が住み始めたのかはわからないが。


 近づくにつれ廃墟からは多くの人の気配を感じる。ところが、ちょっと妙な気配が多いのが気になる。集まって何かをやっているようだが……

 と、廃墟から棘のような視線を感じた。

 峠を越えてからは木々も少なく、鬼丸が近づくのは見えていたはずだ。


 また、警戒されてんのかな?


 この格好じゃ仕方がないか、と思いつつ所々崩れかけている大門を潜り、中へと踏み込んでいった。

 大通りらしきところには、荷物が山積みとなり真っ直ぐに進めない。

 刺すような視線は増え続けるばかり。

 だが、誰も姿を見せない。


 町の中心らしき広場まで歩いて、ようやく鬼丸は人と会う事ができた。


「そこで止まれっ。下手に動くと死ぬ事になるぜ」


 その野太い声と共に現れたのは、強面の見るからに胡散臭そうな連中だった。

 しかも、警戒しているのか剣や戦斧を持ちっている。


「えーと、ここは町?」

「知らずに来るとは、お前も運がなかったな」


 たちまち囲まれてしまうが、鬼丸に攻撃する気は全くなかった。

 たいして強そうに見えないし、なにより状況が掴めない。


「お頭っ、こいつ妙な剣を持ってやがるぜ」


 そう言って鬼丸の大太刀を奪い取った男は、抜こうとして思いっきり力んだ。


「抜けねぇよ」


 鬼丸の言葉にムキになる男。


「ぬ、抜けねぇーっ! だーっ、やっぱただの木剣かよっ!」


 ゼイゼイと肩で息をしながら、鬼丸を睨みつける。


「返してくれよ。大事な物なんだから」

「馬鹿。誰が奴隷に得物を渡すってんだよ」

「それは違うって! こんな格好になったのは……」

「お前、ホント馬鹿だな。ここは奴隷商、バイトマ様のアジトだぜ」

「だからぁ、俺は奴隷じゃないって!」


 鬼丸はボロボロの服を着ているから逃げ出した奴隷と間違えられた、と思った。

 ひょいと刀を奪い返えすと、慌てて取り返そうとする男たちの間をすり抜けていく。


「この、すばっしこい小僧だっ」


 ちょこまかと逃げ回る鬼丸だが、本気を出すほどでもなかった。

 それより人がいたのだ。このまま町へ行っても逃亡奴隷と間違われるだけだ。ここなら誤解が解ければなにか稼げる話があるかも知れない、と考えたのだ。


「ちょいと待ちな、小僧」


 鬼丸の行く手にお頭と呼ばれていた男が立ち塞がった。

 このまま横をすり抜ける事は簡単だが、わざわざ向こうから目の前に出てきてくれたのだ。


「なに?」

「なかなか良い動きだ。小僧、俺の手下に加わらんか?」

「仲間って事? なにをするんだ?」

「いろいろだ。小僧にもいい目を見せてやるぜ」

「いい目? 俺、今は服が欲しいんだけど」

「がはは、よしっ。任せておけっ」


 どうやらお頭だけあって人を見る目はあるようだ。

 これで誤解は解けたようだと鬼丸は気を抜き、手招きするお頭の後に続く。


 商売という物は、相手の望む物を用意する事から始まる。それは奴隷商でも一緒だ。

 お頭であるバイトマはこの若者の手下に対して物怖じしないところと素早さが気に入った。

 一癖も二癖もあり人殺しも厭わない者たちよりも確実に腕が立ちそうなのだ。腕の立つ手下は一人でも多い方が良い。

 そしてこんなガキであれば、ちょっと甘い蜜を吸わせてやればすぐに仲間に引き込める。

 駄目なら戦奴隷にするか、口を塞ぐだけだ。


 バイトマは町から外れたこの廃墟を利用して奴隷を調教している。

 ここならどんなに泣こうが喚こうが外に知られる心配がないからだ。

 攫ってきた若い男女をここで奴隷として調教して他の町へと売りさばき、そこで新たな奴隷を攫ってくる。

 どの町も人手不足なのだ。

 攫ってきたばかりだと騒ぐ者は多いが、そういった者がどう扱われるかを見せつければすぐに大人しくなる。

 それからは、二度と逆らう気など起きないように躾ければ良い。

 折れるだけ心を折れば簡単に素直になる。

 中には、それで壊れてしまう者もいるが。


「ところで、小僧は南から来たようだが、開拓村から来たのか?」

「ああ。一晩泊めてもらった」

「ちゅー事は旅人って訳か。まだ若ぇのに大した奴だ。やっぱり開拓村っちゅーのは子供が多いんだろうな?」

「ちっちゃい子供ばっかだったな。うるさいくらい楽しいぞ」

「俺は子供が苦手だかんな。若者はいないのかか?」

「大人と小さな子供ばかりだな。行った事ないの?」

「いやいや、なんせあそこにゃガリアウルフっちゅー強ぇ魔物がおるだろ?」

「いたよ」

「良く生きて抜けられたもんだ。まあ、それだけの腕がありゃ心配ねーぜ」

「まあね」

「俺はバイトマ。小僧はなんちゅー名だ?」

「鬼丸」


 やはりわざわざ危険を冒して出かける甲斐はないらしい。バイトマは心の中でほくそ笑んだ。

 だが、後十年もすれば仕入れ先として有望という事だ。

 そしてこの鬼丸という小僧はガリアウルフと会っている。奴等に狙われたら逃げられない。つまりは倒して生き残ったという事。服がボロボロになるほどの死闘だったという事だ。

 ガリアウルフ十数頭の群れなら手下どもでも何とかなるが、それ以上となると手下どころか自分でも危ない。そんな中をこの小僧は細っこい木剣だけで抜けてきたのだ。しかも、おそらく一人で。

 どんな強力なスキルを持っているのか分からないが、ハンターであれば中堅クラスで通用する腕の持ち主だ。

 もちろんハンターでない事は、見ていれば分かる。ハンター志望か兵士志望かは知らぬが。

 ここに入ってきた時、ハンターであればすぐに進まずに慎重に辺りの様子を窺う。荷物を積んで死角を多くしてあるのはそういう理由もある。

 臆病とは違う。死ぬ危険の多い奴等だからこその習性だ。

 ここが初見なら、なおさらだ。

 ところがこの小僧にはそれがなかった。

 キョロキョロとしながらも無防備にスタスタ歩いてきただけだ。

 罠の危険さえ気にしていなかった。ハンターの基礎すら知らないど素人。

 あり得ないが、仮にこれが全部演技だとすれば化け物クラスのハンターという事になる。



 バイトマの案内で鬼丸は何十人もの男奴隷がいる場所へ連れて行かれた。

 皆が鎖で繋がれうつろな目で黙々と石材を押し広場を広げている。


「あれは何をやってんだ?」

「ああ、奴等は人夫として売るからな。高い値が付くように体作りだ」


 体作りというだけあって体格の良い者が多い。

 中にはガリガリでこの場に似合わない者も数人いるが。

 そう言っている最中、バイトマの鞭が飛んだ。


「来いっ」


 歳は鬼丸と同じくらい。

 鞭を打たれた若者は、なんの感情を表すことなく言われるままに近寄ってきて跪いた。


「どうだ。よく躾られてんだろ」

「まあね」

「戦奴隷なんかもいるからな。男は命令に従う事だけを叩き込んでいる」

「へ~」


 鬼丸が感じた妙な気配がこれだったと納得した。

 生きてはいるが、それだけなのだ。命令に従うだけの奴隷の気配など鬼丸には初めてだった。

 なにしろナウラ村に奴隷はいない。

 奴隷は悪い事をした罰に人に使われる仕事をしている人、くらいの知識しかなかったから、内心かなり驚いていたが。


 次に案内されたのは、女ばかりの部屋だった。

 バイトマが入るだけで部屋の空気に緊張が走る。


「これが一番奴隷だ。娼館へ売る奴隷だから手を出すんじゃねぇぞ」


 そして、隣の部屋へと移る。


「こっちが二番奴隷だ。そこの小娘、前へ出ろ」


 バイトマに指さされ、真っ青な顔で立ち上がったのは小汚い十四、五くらいの少女だった。


「さっさと前に出ないかっ!」


 逆らう事など許されないと、体の芯まで刻み込まれている。

 恐怖に震える少女は、ズリッズリッと重い鎖を引きずり、涙を浮かべながら前へ出てきた。


「グズグズするなっ! なんて名だ?」

「も、申し訳ありません。タ、タリム、です」

「お前は今日からこの小僧の世話をしろ」

「ひっ……。はい、わ、わかりました。旦那様」


 タリムという名の少女は真っ青な顔で鬼丸に頭を下げていた。

 世話をする。つまり夜の世話もしろという意味だ。


 ここに攫われてきた女は容姿で三つに分けられる。

 一番上が、一番奴隷と呼ばれ娼館へ売られる性奴隷。

 振り分けられた部屋でそれを知って嘆くが、しばらくすると三組の中で一番落ち着く。ここにいる限りは乱暴されないと知るからだ。

 乱暴はされないが、本人の意志など関係なく性技を叩き込まれ売られていく。

 手下がこの奴隷に手を出そうものなら、腕の一本は斬り落とされる。


 二番奴隷は女工奴隷とも呼ばれ、容姿はそこそこで手先が器用な娘が多い。

 女工奴隷として売られると知って胸をなで下ろす者は多いが、一番悲惨な目に遭う奴隷たちだ。

 女工奴隷に貞操は関係ない。

 だから、手下への褒美として慰み者になる事が多かった。


 三番奴隷は、上二つから漏れた者と躾の途中で壊れてしまった者。

 攫ってくる段階である程度は弾かれるが、躾途中で追加されるからそこそこの数がいる。

 奴隷は一、二ヶ月ほど躾て出荷となるが、使えない奴隷は男女関わらず三番奴隷に落とされ戦奴隷の練習相手になる。殺しの経験を積む練習台で、死んでいくだけの存在だ。


 バイトマは甘い蜜を吸わせるにしても初っ端から一番奴隷ではつけあがる元だと、二番奴隷を鬼丸にあてがった。

 女工奴隷だけに服などすぐに作れる。


 そのままタリムを連れて、今度は倉庫へと移動する。


「小娘、今日中に小僧の服を作れ」


 商隊を襲ったのか盗んできたのだろう。

 倉庫には布だけでなく、いろいろな物がうずたかく積まれていた。


 タリムは、一緒にいるボロを纏った若者の慰み者になるかと考えていたが、もしかしたらこの為に選ばれたと思い、少しホッとした。


「失礼します。旦那様」


 そう言ってタリムは鬼丸のボロボロの服を見ながら採寸を始める。

 ボロボロだから良く分からないが、自分達が着ている服とは違う。

 どこの民族衣装なのだろう。作り自体は単純だが、見た事もない作りだった。

 グズグズしていたらまた鞭で打たれると、タリムは似合いそうな布を選び、裁縫道具を抱えた。


 そして、隣の小部屋に連れて行かれた。


「それじゃ俺は仕事に戻る。鬼丸は服が出来るまでここにいろ。後で部屋に案内してやる。それまで楽しんでも良いが、汚すなよ」


 そしてバイトマは「そういや、両足に鎖じゃ楽しめねぇな」と呟き、タリムの両足首に付けてある足輪の一つを外して小部屋から出ていった。


「ふあ~ぁ、なんか、ラッキーって感じだね」


 バイトマの気配がなくなった途端、鬼丸が腕を伸ばして思いっきり伸びをした。

 その動きにタリムはビクッとなる。小部屋に二人っきりなのだ。しかも、バイトマ自らから世話をしろと言われ片足の鎖まで外された。ラッキーと思っているのはこの旦那様だけだ。

 やっぱり自分の運命はすでに決まっていたと嘆きながら、反射的に胸元とスカートの裾を押さえ身を強ばらせた。


「俺は鬼丸だ、よろしくな。ハンター証を手に入れる為にやって来たんだけど、間違えたみたいだ」


 タリムの恐怖心を吹き飛ばすような明るい声だった。

 それでもタリムは、怯えからビクッと身を強ばらせる。


「タ、タリムです。旦那様」

「新しい服を作ってくれるなんて気前が良いよな。あのおっさん」

「は、はい。旦那様」

「その旦那様っての止めない? 鬼丸で良いよ、歳も一、二しか違わねぇんだろうし」

「そ、そんな事をしたら鞭で打たれてしまいます」

「そうなのか、面倒だな」

「も、申し訳ありません……」


 奴隷には自由がない。

 奴隷は悪い事をした罰だから仕方がないのだろうが、不幸な事だと鬼丸は思う。

 タリムという少女がどんな悪い事をしたのかは知らないけれど、バリデウの村長や開拓村のガジムが結構悲惨な町もあると言っていたから、なにか盗みでも働いたのだろう、と軽く考えていた。


「それよか服を作らないと、後で鞭で打たれんだろ。さっそく始めようぜ。何か手伝う事はあるか?」

「めっ、滅相もないです。旦那様の手を煩わせたら、それだけで鞭打ちです」


 人懐っこい鬼丸の笑顔と言葉でタリムの恐怖心は少しだけ薄まっていた。

 後で慰み者になるのだろうけれど、もしかしたら怒らせない限り乱暴には扱われないかもと淡い期待を抱く。

 初めてなのだ。同じ抱かれるなら優しくされたい。

 まずは着物を仕上げて、少しでも心証を良くしようと考えた。



 鬼丸はタリムに促され、椅子に座って待つ事になった。

 タリムは部屋にあった水瓶の水で手を洗うと、綺麗な手で布を取り出し裁縫を始めた。

 時々長さを確認する為に立ち上がる事はあったが、鬼丸は暇を持て余していた。

 部屋を見渡しても鉄格子のはまった小さな窓が一つだけ。

 自由にさせてくれてはいるが、まだ信用はされていないという事だろう。

 しかも、扉の向こうには途中から二人の様子を窺う手下の気配がしている。

 迂闊な事を言えばタリムは鞭で打たれるのだろう。




「旦那様の服がボロボロで良く分からないのですが、ここはこんな感じですか?」


 自分達の着る服とは作りが全く違うからタリムにも分からない事は多かった。

 ほぼ出来上がった着物を見せながら、鬼丸に言われた通りにいくつかの部分を手直ししていく。


 一心不乱に布を縫うタリムは、時折鬼丸に声をかけ仕上がり寸法のチェックをする。


「できた。後は刺繍を刺して完成ね」


 しばらくしてそう呟き、満足そうに縫い終わった着物を見つめるタリム。

 鬼丸には、それだけで針仕事が好きなのが分かった。


「結構かかるもんなんだな」


 鬼丸にそう言われ、タリムは夢中になりすぎていた事に気がついた。

 鬼丸はすっかり暇を持て余し、背もたれに顎を乗せて眠そうな目で自分を見ていたのだ。そういえば寸法のチェックをしていた時も寝ぼけ眼だった。

 時間がかかりすぎて怒ったかも知れない、と思わず不安が過ぎる。


「お、遅くなって申し訳ありませんっ」


 頭に浮かんだのは、すぐに誠心誠意謝るという事。心のこもらない謝罪など旦那様の機嫌を損ねるだけだ。

 自分が悪くても旦那様が悪くても、悪いのは自分になるのだから。

 タリムは頭を床に擦りつけて慈悲を請う。


「それは構わねぇけど、刺繍もするのか?」


 ところが、鬼丸から出た言葉は優しい口調に溢れていた。


「わ、私の村では刺繍を刺すのが習わしです。旦那様の武勇と健康を祈って……」


 タリムはそこまで言って、気がついた。

 いくら針仕事が好きなタリムでも、ここでは絶対そんな気にはならない。

 刺繍は女が男の為に刺すものだ。しかも多大な時間をかけ、想いの全てを込めて一針一針刺していくのだ。見知らぬ男の服に刺繍などあり得なかった。

 ところが、鬼丸の側にいるだけで何故か安心していたのだ。

 毎日が恐怖に押し潰されるような生活の中で、一瞬でも訪れた安息の時間。

 貞操の危機すら忘れ、夢中になって着物を縫っていたのだと。

 だから、無意識に刺繍を刺す事まで考えてしまっていた。


「じゃあ、暇を見てもう一着作ってくれ。取りあえず、それは今着るからさ」

「は、はいっ」


 急いでもう一着作らなきゃと動きだしたタリムの横で鬼丸がボロボロの着物を脱ぎ捨てていた。


「きゃっ」


 タリムの目に赤い物が飛び込んできた。

 思わず声をあげたが、赤いパンツなのだろうか?


「これはふんどしだ」

「ふんどし、ですか……。パンツみたいな物ですよね?」

「そうだな。ふんどしの方が収まりが良いからな」

「収……」


 タリムは顔を真っ赤にして言葉に詰まった。

 未経験でも多少の知識はある。

 つまり、男の人のアレという事だ。

 冷静になれば実物が目の前にある訳でないからそれほど恥ずかしくはない。そして鬼丸の体の汚さに気がついた。

 すぐに布きれを水瓶に浸し、甲斐甲斐しく鬼丸の体を拭き始める。


 土埃の他にも乾いた血らしき物もあった。こんなに優しそうな人なのに、どこかで人を殺してきたのだろうか? 


「あ、あの、どこかお怪我でも?」

「返り血だよ。ガリアウルフのだ。気にすんな」

「ガ、ガリアウルフ、ですか!?」


 タリムは人の血ではなかったと聞いて安心した。

 それにしてもガリアウルフの血とは。南にある開拓村付近に出ている結構強い魔物だと聞いた事がある。

 そう考えながらタリムは手を動かす事を忘れない。それが奴隷だとすっかり体に染みついている。

 顔から首筋、腕や背中、胸、腹と拭き終え、しゃがみ込むと顔を真っ赤にしながら腰や太ももを拭き始めていた。


 一方、鬼丸は健気に働くタリムを見て好意を感じていた。しかしながら抱こうという考えはいない。

 性欲がない訳ではない。鬼丸は鬼族の血を色濃く残している。その為鬼族の女(正確には鬼丸と同じ半人半鬼だが)、もしくは贄として捧げられた女しか性の対象にならない。

 タリムを抱くとなれば、第三者がタリムを贄とするか、タリム自身が自らを贄にして何かを望み、尚かつ、それを鬼の血が認めない限りあり得ない。

 それでも、気に入った娘であれば優しくもしたくなる。


「安心しろ。きょ……」


 鬼丸は外の気配に注意を払う事を忘れていない。自分たちの会話は聞かれているのだ。

 興味がないと言えば、タリムは役立たずとしてまた二番奴隷の部屋へ戻されるだろう。鞭打ちの酷い目にあって。


「……今日は疲れてんだっ!」


 力一杯そう言われては説得力の欠片もないが、タリムは鬼丸が一瞬言い淀んで頭を撫でてくれた事に安堵し、思わずその手に頭を擦りつけてつかの間の安心感を貪った。

 抱かれる事はもう諦めていた。

 どうせ抱かれるならこの旦那様。いや、鬼丸様に、と思い始めていたのだから。

 しかし、ようやく膨らみかけてきた蕾と同じ様な体なのだ。胸はまだ小振りで体つきもようやく女らしい丸みが出てきたばかり。一緒にいる二番奴隷のお姉さんたちとは違う。鬼丸を満足させられるとは思っていない。




「それにしても、タリムはなかなか針仕事が上手だな。もう一着は急がなくて良いからさ」

「はい」


 鬼丸は仕上がった着物の着心地を確かめ上機嫌だった。

 元々細かい事に気を回す性格ではないが、褒めているのが外に伝わればタリムの評価が上がるだろう。そうなれば、罪が軽くなるかも知れないと思っていた。

 そして、バイトマの言動とタリムを見る限りもう一芝居必要だと考えた。


「さてと、拭いてくれたお陰で気分もスッキリした。そーいやタリムも匂うよなー。綺麗にしろ」


 その言葉を聞いてタリムは、真っ赤になって真っ青になった。

 臭いと言われたのだ。女の子が臭いと。

 その直後、綺麗にしろ、だ。もちろん今すぐにという事だろう。この場で服を脱げと。

 あの安心感は幻だったのだと混乱したタリムは、鬼丸が椅子に座り背を向けていたのに気づいた。


 後ろ姿にどういう意味があるのだろう?

 見ないという意思表示なのだろうか?


 手下の相手をさせられたお姉さんたちは風呂が許される。

 臭い女を抱きたくないからだけど、お姉さんたちは全く違う使い方をしていた。

 悔しさと悲しさ、そして憎しみでいっぱいになりながら、あんな奴等の子だけは孕みたくないと体の隅々まで洗い流してくる。

 奴隷は一、二ヶ月で売られてしまうから、孕んでしまったらどうなるかは知らないが、きっと悲惨な目にあうのだろう。


 それはさておき、つまりは抱かれた後だと言わせたいのだと思う。

 逆に、これから抱くから綺麗にしろという意味なら、初めては鬼丸様と決めたのだ。少しでも身ぎれいにして満足してもらえるように尽くすしかない。

 それでも、鬼丸様が望むなら従うしかないけれど、できれば孕ませては欲しくない。


「は、はい。……御慈悲を頂きます」


 そう言って粗末な服を脱ぎ、水瓶に布きれを浸して久しぶりに体を拭く。

 攫われてきてからもうすぐ一ヶ月が経つが、これまで風呂に入った事など一度もない。

 一番奴隷のお姉さんだけは別らしいが、基本的に他の奴隷は週に一度、四、五人ずつ重い鎖に繋がれ近くの川で服を着たまま体を洗うだけだ。

 深場へ行けば全身を洗えるけれど流されて溺れる。そうなると鎖に繋がれた全員を道連れに川の底へ沈む事になるから、誰もが浅瀬で全身に水をかけ満足するしかなかった。


 チラッと鬼丸様を窺ってみると寝ているのかスースーという寝息まで聞こえる。

 やっぱり私に魅力がないのだろう。

 それでも、こんな時間を頂けるなんて一生に一度の事かも知れない。

 ボロボロと落ちる垢が恥ずかしいが、気がつくと何度も何度も、そして丁寧に丁寧に全身を拭きあげていた。

 それは攫われてきて初めて味わう身も心も蕩けてしまいそうな夢のような時間だった。

 単なる勘違いかも知れないけれど、人として扱われる事の安堵感。

 奴隷にされた私が望んでも望みきれないような時間が、今、この場で過ぎていた。






 しばらくしてバイトマが小部屋の前に戻ってきた。


「どうだ、小僧に妙な動きはあったか?」

「いえ。お頭の見立て通り仲良くしてますぜ。お楽しみは夜って感じっすね」


 情が移れば、鬼丸が裏切った場合の人質として役に立つ。

 だからこそ歳の近い娘をあてがったのだ。壊さない限りとことん楽しんでもらえば、それで良い。

 そこそこ器量は良いが一番奴隷ほどではない。なにより体がまだ幼いのだ。手下の相手をさせるにしてもまだ若すぎた。

 攫ってきて一ヶ月。次の出荷で売り払う予定だった。手先は器用らしいから女工奴隷としては良い値で売れただろう。

 それでもガリアウルフと殺り合える腕を持つ小僧を引き込むには必要な出費と考えていた。


「まっ、二人ともまだガキだからな。が、その分やっちまえば猿同然だ」

「食事に(媚薬を)一服盛りやしょうか?」

「止めとけ」


 小娘を楽しむのは構わないが、媚薬を盛られたと知ったら俺たちを恨むかも知れない。

 ガキのプライドなんて、そんな物だ。

 そしてガキだけに、少しでもそういった感情を抱いたまま仲間に引き込めば、裏切る可能性が出てくる。

 まずは素で小娘の蜜で引き寄せて軽い仕事をさせる。使えるとなればさらなる蜜で本格的に引き込めば良いだけ。

 その前に腕前の確認だな。


「ところで、次の出荷は二日後に決まった。奴隷どもを運ぶ手配をしておけ。使えるようなら小僧には用心棒見習いをさせる」

「へい」

「くれぐれも攫ってきた商品に逃げられるようなヘマはするんじゃねぇぞ」

「なに、こっちが上だと身をもって教えれば素直なもんっす」

「その度に人数が減るっちゅーのは、俺としては堪らねぇんだがな」

「見せしめは必要ですから。必要経費って事で」


 バイトマ奴隷商の奴隷は割高だが即戦力を売りにしている。

 戦奴隷や性奴隷は高く売れるが、躾には時間がかかる。

 奴隷心を叩き込むのはそれほど難しくないが。顧客を満足させられなければならない。

 最低でも基本だけは叩き込む時間が必要となる。

 反対に回転の良いのは人夫奴隷と女工奴隷だ。

 攫ってきて心をへし折れば完成。

 ここでは力を付けたり、女工としての基礎を叩き込んで商品価値を高めているが、奴隷としての値段はそれほど高くない。






「タリム。そろそろ服を着るんだ」

「はい、旦那様」


 鬼丸が小声でタリムに声をかけた。

 体を拭き終わり、すっかり安心しきって水瓶の残り水で服を洗濯していたタリムは、突然の声に慌てながらもすぐに濡れた服を絞り始めた。

 そして、濡れて肌に貼り付く服に苦労しながらなんとか着終えたところで扉の外に人の気配を感じ、思わず背中を向けて座っている鬼丸にしがみついた。



「入るぞっ!」


 それと同時にバイトマがいきなり扉を開けてドカドカと小部屋の中へと入ってきた。


「服は出来たようだな」


 ずいぶんと奇妙な形をした服だ。

 そんなので良いのだろうかと頭を捻るが、バイトマの機嫌は良かった。

 その目に身綺麗にして鬼丸にすがりつく小娘の姿があったからだ。


「部屋の用意ができた。付いてこい」

「なあ、一つ良いか? もう一着作ってもらいたいんだけど」

「なんだ。気にいらねぇのか?」


 バイトマの顔にみるみる怒りが表れた。

 タリムが気に入らない服を作ったと考えたのだ。

 反射的に腕を振り上げ、タリムに鞭を振るう。


 バシィィィィッ


 完全に罰を与える為の鞭だった。

 ところがバイトマの腕はその一打ちで止まっていた。

 タリムに振るった鞭を鬼丸が片腕であっさりと止めていたのだ。

 鞭打たれると観念したタリムですら、目の前で握りしめられ、ブラブラと揺れている鞭先を驚きの表情で見つめていた。


「言い方が悪かった。気に入ったからタリムにもう一着作って欲しいんだよ」


 バイトマは、心の中でほくそ笑んでいた。

 入ってきた時の小娘の態度と今の鬼丸の行動。

 鞭に反応するスピードには驚いたが、小娘を庇ったのだ。

 現に小娘は鬼丸を潤んだ目で見つめている。

 体はまだ女になりきってはいないが、心はすっかり女になっている。

 後は放っておいても、夜になれば勝手に乳くりあうだろう。

 そうなれば、いざという時の保険になる。


「仕方ねぇな。特別に許してやる」


 小さい事だが商売をする以上小さな積み重ねが大きな利益を生む。




 その夜バイトマは鬼丸の歓迎会を開いて持てなしていた。

 手の空いた手下三十人ほどで盛り上がっていた。

 誰もが鬼丸を歓迎していたが、戦奴隷を任されているジャルクだけは不満げだった。

 手下の中で一番の腕を持っている事が自慢なのだ。

 だからこそ単価の高い戦奴隷を任せられている。

 二番奴隷をある程度自由に抱けるのも、腕があるからだ。

 ところが、鬼丸という小僧が現れて、その地位が脅かされようとしている。

 面白い訳がなかった。


「で、小僧。お前本当にそんな細っこい木剣でガリアウルフと殺り合ったのか?」

「まあね」

「ずいぶんと自信あんじゃねぇか。俺と軽く手合わせしねぇか?」

「いーけど」


 その声で一気に歓声が沸き起こる。

 どっちが勝つと賭を始める者もいる。


「そんじゃー、不肖このケイルムが審判を務めさせて頂きやす」


 グビッと一気に酒を飲み干し、小柄な男が進み出た。

 ケルヒムの出した右手から左右に分かれる鬼丸とジャルク。


「んでは~、これから戦奴隷長ジャルクとぉ新入り鬼丸のぉ一本勝負を……」


 ケルヒムの言葉か終わらないうちにジャルクが一気に鬼丸に迫る。


「卑怯、なんて甘い事言わねぇよな?」


 強いと言っても、鬼丸の剣の腕はまだまだ未熟。

 さらに素直すぎる。

 不意打ちの先手を取られ、防戦一方。

 端から見ていると圧倒的にジャルクが優勢だ。


 ジャルクは信じられなかった。

 腕が未熟なのはすぐに見抜いたが、木剣がどうしても跳ね飛ばせない。

 最初こそ跳ね飛ばして一瞬で決着を付けようとしたが、跳ね飛ばしたと思った剣先が突っ込む自分の目の前に飛び込んできたのだ。

 ちょこまかと逃げ回るすばしっこい奴と聞いていたが、スピードよりも力が鬼丸の得意分野なのだろうか?

 そして何度も打ち合っているうちにジャルクは単に腕が未熟のではないと気づいた。

 いまいちつかみ所のない剣の動き。

 だが、見慣れぬ型ではあるが寸分も狂わないところを見ると基本だけはしっかり身に付いている。


「くぉのぉっ! 牙破っ!」


 もちろん軽い手合わせにスキルを使うなど野暮というもの。

 だが、それも戦い方の一つ。要は勝てば良いのだ。


「ばっ、馬鹿野郎ーっ!」「逃げろーっ!」


 ジャルクが牙破を放つと知って、手下達は慌てて鬼丸の後から逃げ出していた。

 一気に加速するジャルクの剣。

 獅子の牙をも破壊するというジャルクの持つ最高位スキル。

 戦いで一度使えば他のスキルが使えなくなるという使い勝手の悪いスキルだが、凄まじく強力。


 ドゴーンと凄まじい音と共に土埃が舞い、鬼丸の後がガラガラと音を立てて崩れていく。


「勝者ジャ……」


 審判をしていたケルヒムが、右腕を途中まであげ、あんぐりと口を開けたまま固まっていた。

 もちろん、スキルを放ったジャルクもだ。


 濛々と土埃の舞う中に、鬼丸が平気な顔で細い木剣を構えていたのだ。

 さらに木剣がうっすら青白い光を纏っている。

 

 よく見るとスキルが抉った地面は鬼丸の手前で斜めに曲がっている。

 鬼丸があのスキルを弾いていたのだ。


「そこまでだっ!」


 バイトマの声で手合わせは終わった。







「くそっ、くそっ、くそぉぉぉぉぉぉ! 何だあの青白い光は? 奴は何をした?」


 ジャルクは、八つ当たりをするように自室で喚いていた。バイトマに持ちかけられたとは言え、あれだけ不様な負けを来したのだ。


 今頃鬼丸の小僧は小娘と楽しんでいる最中だろう。

 俺は負けた所為で今夜は楽しむ気分にすらなれないというのに。


 すぐに思いつくのはあの青白い光が防御スキルではないかという事。

 それならば無傷で立っていられる。

 だが、牙破は使い勝手の悪いスキルではあるが、それなりに強力。

 ジャルク自身ハッタリ用に大枚はたいて買い求めたのだ。

 それを防ぐスキルをあんな若造が買える訳がない。

 何か別のやり方で防いだに違いない。


 小娘を脅して、鬼丸の弱みを探るか……


 鬼丸専用にあてがわれた小娘だが、所詮二番奴隷。

 痛めつけてもバイトマは文句を言わないだろう。





 その頃鬼丸は、自分のベッドに大の字になって眠っていた。

 その横には、ちょこんと正座をしてどうしたら良いのかと思案に暮れるタリムがいる。


「やっぱり、魅力ないのかなぁ?」


 この部屋に連れてこられてから、タリムはもう一着の着物を縫い終え自分の気持ちの全てを込めて刺繍を刺していた。

 刺繍は時間がかかるから、ほんの少ししか刺せていないけれど。


 そんな中、鬼丸は歓迎会から帰ってくるとあっという間に着物を脱いでベッドに潜り込んでしまった。

 すっかり覚悟を決めていたタリムは、あの赤いふんどしという物を外しても狼狽えないようにしようと意気込んでいたので肩すかしを食らった状態だった。

 それでも寝る前に一言優しい声をかけてくれたから、それだけでも嬉しかったけれど。


 でも、これって……

 もしかして、女の子の方から誘う物なのかしら?

 はしたないし、恥ずかしいんですけど……


 顔から火が出るくらいに恥ずかしかったけれど、もしかしたらと寝ている鬼丸の横に座ってみた。

 そして、ここから先、どうしようかと困っていた。


 月明かりの差し込む部屋の中で、時間だけが過ぎていく。

 何もしなくても、そして何もされなくても、タリムはぐっすりと眠っている鬼丸の寝顔を見ているだけで幸せだった。

 そっと毛布に潜り込み大の字に寝ている鬼丸に寄り添い、横顔をうっとりとした目で見つめ呟く。


「鬼丸様……」


 名前で呼んではいけないと教えられているが、その名前が口から出るだけで心がポカポカする。

 と、鬼丸が寝返りを打って、タリムは鬼丸の腕に抱き寄せられていた。


「あっ……」


 何をされたという訳でもない。

 寝返った時に腕に巻き込まれただけだ。

 けれども、鬼丸様は自分を感じ取ってくれたのか、無意識に抱き寄せてくれた。


 タリムの鼻腔をくすぐる鬼丸の匂い。

 さっきは見ているだけで幸せだったが、こっちの方が断然幸せだった。

 なにより、こうされただけでもの凄く安心できた。

 抱き寄せられたタリムは、そっと鬼丸に抱きつき、幸せな気分のまま睡魔に引き込まれていった。




 まるでお母さんと一緒にいるような……

 違うわ。

 お父さんに抱っこされているような……

 これとも違う。

 何だろう。心がポカポカして、とっても安心できる……


「おはようっ!」


 タリムがぼんやりと目を覚ますと目の前に人懐っこい鬼丸の顔があった。どアップで。


 ああ、そうだわ。旦那様と一緒だったんだ。だから……


 そこでタリムはガバッと跳ね起きた。


「おはようございますっ、旦那様っ!」


 まだ夢を見ているような気分だった。

 それと同時に私に覆い被さる奴隷という存在。


 やっぱり私は、奴隷なんだと痛感した。

 例え体を許したとしても彼女にはなれないと気がついた。

 好きな人の名前で呼ぶ事すら叶わない。買われて名前で呼べと命令されても、そこに私の気持ちは入れられないと思い知らされた。


 ここでは決して名前で呼ばせない。

 二番奴隷の基礎として最初に叩き込まれる。

 教えられた時は、反抗心もあって誰に買われても絶対呼ぶものかとさえ考えていた。

 あれは、売られた先の旦那様に気に入られ名前で呼べと命令されても、そこに感情を入れない訓練だったのだ。

 奴隷は奴隷であって、正妻にもお妾さんにもなれない存在。

 馴れ馴れしく名前で呼んで、騒動にさせない為に名前で呼ばせなかったと今頃気づいた。

 奴隷に恋など必要ないのだ。


 絶望がタリムの心に食らいついた。


 泣きたかった。

 泣きたかったけれども、奴隷としての私がそれを許さなかった。


「すぐに朝食の用意を致します。旦那様」


 今まで叩き込まれてきた事が、怒濤の勢いで私の中に形を作っていく。感情が凍り付いていく。ただの生きた人形になっていく。

 心の中にポッカリと穴を空けながら。


「タリムは、今日は何をするんだ?」

「できましたら刺繍の続きをさせて頂ければと思います。宜しいでしょうか?」

「起きてから、なんか変だよ。調子悪いの?」

「お心遣いありがとうございます。問題ありません」


 鬼丸は一緒に朝食が食べられるかと楽しみにしていたが、タリムは頑として断ってきた。

 何がマズイ事でもしたのだろうか?

 目を覚ました時は和らいだ表情だったけれど、すぐに変わってしまった。

 時間が解決するかも知れないと、鬼丸はバイトマの手伝いをする事にした。


 昨夜は手合わせなんて余興もあったけれど、話してみると楽しい奴等ばかりだった。

 常にいろいろな面か見る癖を付けろ、というオニムの言葉が思い出される。

 確かに、第一印象は見事に悪者って感じだった。

 奴隷を扱っているってのも気にくわない。

 けれど、話してみると悪い人たちではなかった。

 奴隷は、タリムしか知らないが少なくとも良い娘だ。

 思いやりがあってよく働く。後何年かすれば良い嫁さんになるだろう。


 オニムよ、いといろな面から見るって言っても、基準がねぇとどうして良いか分かんねぇよ。


 鬼丸は初めての悪人に戸惑っていた。

 魔物であれば考える必要がない。

 害をなすのが魔物なら考えずに倒すだけだ。

 しかし、人の場合はどうしたら良いのだろう。





 部屋の中を掃除し終えたタリムは、黙々と刺繍を刺していた。

 何の感情も湧かない。

 もう鬼丸といてもなにも感じない。

 ただ刺繍針を刺すたびに心の穴が塞がれ、冷たくなった心にわずかな温りが差す。

 それを求めてタリムは刺繍を刺していた。



 バイトマたちの手伝いをして夜に帰ってきた鬼丸は、タリムは機嫌が悪いのではないと気づいた。

 いつものように着物を脱いで毛布に潜り込むと、タリムも同じように裸になって潜り込んできたのだ。

 そこには昨日まであった恥じらいがなかった。

 毛布の中で鬼丸に抱きつき無感情の目で自分を見つめている。


 なんでこうなっちゃったんだろう?


 何かが壊れてしまったのかタリムには意志が感じられない。

 何とか助けてやりたいと頭を悩ます鬼丸だが、原因すら分からないのだ。答えが見つかる訳もなかった。

 奴隷という身分で恋心を抱き、それに絶望して自ら壊れてしまったのだから。


 ただ、こうやって肌を重ねているだけで、無表情な顔が微かに和らいでいた。

 そのまま抱き寄せて頭を撫でてやるだけでタリムはスーッと眠りについていく。


 そうだ。確か壊れた奴隷って三番奴隷に落とされるんだ。バイトマには適当に誤魔化しておかなきゃな。


 バイトマに言われた大事な事を思い出した。

 明日から護衛として出かけなければならないのだ。

 こんなタリムを残していくのは心配だが、ただ飯を喰らってばかりもいられない。




 翌朝、鬼丸はタリムの「いってらしゃいませ、旦那様」という声で出かけていった。

 そして、タリムは昨日と同じように一心不乱に刺繍を刺し始める。


「邪魔するぜ」


 そう言って入ってきたのは戦奴隷を任されているジャルクだった。

 鬼丸のいない今なら、多少手荒な事をしてもばれないと考えての事だ。


「いらっしゃいませ、旦那様」


 抑揚のないタリムの声に、馬鹿にされたと勘違いするジャルク。


「二番奴隷が、生意気なんだよっ!」


 刺していた刺繍糸と着物が宙に舞った。

 頭に血が上ったジャルクがタリムの腹に蹴りを入れたのだ。


「ゲホッ……ゴホッ……」


 倒れ込んだタリムの髪を掴み無理矢理顔を上げるジャルク。


「ちょっと聞きたいんだが、鬼丸の小僧は何者だ?」

「申し訳ありません、旦那様。仰る意味が分かりません」

「奴は何もんだと聞いているっ!」

「申し……」


 ジャルクは掴んだタリムの髪の毛を左右に揺すりだした。


「ちっ、使えねぇ奴隷だぜ」


 握りしめた頭を八つ当たり気味にゴンッと床に打ち付けたジャルクは話にならないと立ち上がった。

 額から血を流すタリムはというと、まるで取り憑かれたように刺繍針と着物を拾い上げ刺繍を始めていた。


「ちっ、壊れてやがる。あの小僧、顔に似合わず鬼だな」


 これならば鬼丸の弱みなど聞き出せるはずもないとジャルクは諦めるしかなかった。

 そしてバイトマの元へと急いだ。


「……いや、お頭。鬼丸の小僧がそう言ったかも知れねぇが、小娘は完全に壊れてるぜ」

「あの小僧……。これじゃ、新しい奴隷をあてがってもまた壊されるじゃねぇか」


 壊れたという事は人質の価値が著しく下がってしまったという事。

 そして大事な商品を壊された、とバイトマは怒りに燃えた。


「だが、小僧が帰ってくるまで待て。あいつの目の前で小娘の首を落として、自分が悪かったと反省させろ」


 売れなくなった奴隷のそして人質としての最後の使い道。

 商品を大切に扱えない馬鹿は、どういう事になるか思い知らさなければならない。

 それが理解できない限り、二人目はお預けだ。






 鬼丸は奴隷の売買を見る事を許されなかった。

 まだ完全に信用されていないのか、町の手前で手下数人と本隊を待つように言われたのだ。


 昼間は寝ていた手下たちが、夜にあるとソワソワしていた。

 しばらくして真っ暗な闇の中を逃げるように走ってくる奴隷馬車があった。

 その町で攫った者を運んでいるのだ。闇に紛れてこっそりと運び出さなければならなかった。

 鬼丸たちと合流した奴隷馬車は、すぐに移動を始める。

 そこで初めて鬼丸は、奴隷たちが悪い事をして捕まったのではなく、攫われてきたのだと知った。


 運んできた奴隷たちに食事など与えられない。

 腹が膨れれば気力が湧き、躾に支障がでる。

 そして食えば出す。トイレなどないのだ。

 奴隷は男女関係なく垂れ流すしかなかった。

 水も一日に一度、奴隷馬車の上からバケツでかけるだけ。

 奴隷の誰もが、渇きを癒す為に我先にと口を開け水を受け止め、そして少しでも多く水を取ろうと濡れた体を舐めている。

 将来を嘆いて自殺を図る者もいる。

 だが、死んだ者は道端に捨てられるだけ。

 馬車が進み始めると、すぐに鳥たちが群がっていた。

 墓すら作ってもらえない。あんな無惨な死に方は嫌だと、誰もが自殺を諦める。


 非道ぇな……


 そんな光景を見せつけられて鬼丸はタリムもこうして連れてこられたと知った。

 往路はそんな事はしなかった。

 きちんと食事を与えていたし、トイレにも行かせていたのだ。

 これから商品として売るのだ。値が下がるような事をするはずがなかった。

 鬼丸は奴隷という物を何も知らなかったのだと思い知らされた。


 やっぱ、どっから見ても悪者じゃねぇか……


 基準など自分で決めれば良かったのだ。

 自分が好きか嫌いか。

 それが間違っていたとしたら、見直せば良いだけの話。


 よし、決めた。


 鬼丸は、この奴隷たちを帰す事に決めた。

 後はタイミングだ。

 今ここで暴れ回わればここの奴隷たちは自由になるが、タリムたちはそのままだ。

 下手に動くと殺されるかも知れない。


 それに自分は聖人ではない。

 助けられるのは、手の届く範囲だけ。

 この世にどれだけの奴隷商がいるかは知らないが、全部の奴隷を救う事など不可能なのだ。

 せめて壊れてしまったタリムだけでも救い出してやりたい。




 そう考えた鬼丸だが、アジトに戻って目を疑った。

 縛られたタリムが広場の真ん中に座らされていた。

 そして、その横にはニヤニヤと薄ら笑いを浮かべてタリムの首に剣を何度も振り下ろす振りをして鬼丸を挑発するジャルクがいた。


「バイトマ、どういう事だよ?」

「小僧、お前は大事な商品を壊したんだ。しかもその事を俺に隠し、嘘をついた。これはその罰だ」


 バイトマのが手を挙げて合図を送ると、ジャルクがタリムの首を刎ねようと剣を振り上げた。


 ドゴォォォォォォォォォン


 いきなり大地が揺れ、大気が怒りに満ち満ちた。

 ジャルクだけでなく誰もがヨロヨロと這いつくばる中、タリムだけが顔を上げてボーっと鬼丸を見つめていた。


「許さねぇ……。タリムを殺させはしねぇぞっ!」


 怒りに我を忘れ、鬼丸は鬼気を抑える事すらしない。

 そこには青白い光を激しく噴き出す鬼化した鬼丸が立っていた。

 バイトマやジャルク、そして手下達が圧倒的な威圧感に押し潰そうになりながら異形の姿に変わった鬼丸を見つめていた。


「ば、ば、ば、ば、化けっ、化け物……」


 ガチガチと歯が鳴り、言葉にならない。

 激しく燃え盛るような金色の瞳に睨まれるだけで動く事すらできない。動けば殺してくれと言っている様なものだと、誰もが悟った。


 鬼丸が細い木剣を抜くだけで青白い光が迸る。

 あの木剣が抜けるなどと考える暇もなかった。

 剣を振るだけで青白い光が走り、廃墟ごと手下が斬り刻まれていく。


 バイトマは本当に化け物に手を出してしまったと自分の不運を呪った。

 いや、化け物なんて生易しい物ではない。

 神を怒らせてしまったと感じられるほどの怒りだ。


 後悔する間もなく斬り刻まれたバイトマたち。

 それでも鬼丸の怒りは収まらなかった。

 そのままタリムの元へと歩いていく。


「ごめん、タリム。俺がもう少し賢かったら……。今、奴隷から解放してやるから」


 青白い光を放つ大太刀でブチンッと縛られていた縄を断ち切る鬼丸。

 と、タリムがゆっくりと立ち上がり鬼丸を見つめた。


「鬼丸…様。お帰りなさいませ」


 その瞳にはまだ無感情さに満ちているが、微かに光が灯っていた。

 だからタリムは自分の名前を呼んだのだろう。

 タリムの声に鬼丸は怒りを忘れ、気がついた。まだ鬼化を解いていない、と。

 何故タリムは自分が鬼丸と分かったのだ?


「本当に良くお似合いです」


 嬉しそうな顔で鬼丸を見つめるタリム。

 そうか、タリムは自分が作った着物を着ているから、自分が鬼丸だと分かったのか。

 タリムにとって姿形など関係ないのかも知れない。

 この娘には幸せなって欲しい。

 鬼丸は、心からそう思った。



 奴隷を解放した鬼丸だが、問題もあった。

 鬼丸が連れてきた奴隷たちは町へと戻る事がすんなり決まったが、今まで奴隷として扱われていた者は、そうはいかなかったのだ。

 男たちは戦う事はできても、重い物を運ぶ事はできても自分では何も考えられない。命令に従うだけの生きた人形になっていた。

 そして、女たちの多くはこんな汚れた体では、もう故郷へは帰れないと嘆いている。奴隷だったという過去があるだけでまともな結婚すら叶わない、と。

 心配している家族には悪いが、しばらくはこの廃墟で暮らすしかない。

 まずは、少しずつ時間をかけて自分たちを癒していかなければならないのだ。他の町へ行くにしても、それからだ。

 取りあえずバイトマたちが蓄えた金はそこそこの額があった。これだけあればしばらくは困らないだろう。


 自分のやった事は、良かったのだろうか? と鬼丸は考えてしまう。

 奴隷として躾られた者たちは、解放してもそれが心の奥底にまでしっかり刻みつけられているのだ。

 元気になってきたタリムですら未だ不安定だ。

 鬼丸の替えの着物を抱えて刺繍する事で精神の安定を図っている。

 それでも少しずつ良くなっているは確かだった。




 それから数日経ち、暇を見つけて刺繍を刺す事が多いタリムだが、皆と一緒に元気に働きだしていた。

 そして、夜になると決まって鬼丸のベッドに入ってくる。

 もちろん素っ裸ではなく寝間着に着替えて。


「鬼丸様は、いつまで経っても抱いてくれないのですね」


 聞かれるまでもなく鬼丸には恥じらいながらも抱かれる事を望んでいるのが伝わっていた。


「タリムは俺に何を望む?」

「何も。鬼丸様と一緒にいられるのなら、何もいりません」


 それは鬼の血が認める事のない望みだった。


「俺はここを去らなきゃならないんだ。タリムを連れてはいけないんだよ」

「それでも、抱いて欲しいです」

「タリムは良い娘だ。きっと俺以上の素敵な男が現れて幸せになる。その時まで大切にしておけ」

「鬼丸様に幸せにして欲しいです……」

「刺繍は未来の旦那を想って刺してくれ」


 タリムは振られたんだと理解していた。

 言っているのは、ただの我が侭に過ぎないと。

 鬼丸の胸に顔を埋め、必死に涙を堪えていた。

 ここで泣いたら、自分は嫌な娘になってしまうから、と。



 そして翌朝。

 鬼丸はここを去ると皆に伝えた。

 これ以上いたらタリムが辛い思いをするだけだ。


「これ、ハンター会館に着いたら開けて下さい」


 鬼丸はタリムから小さな巾着を受け取ると、小さく手を振るタリムと多くの元奴隷たちに見送られ廃墟を後にした。


 そうだった。ハンター証を手に入れなきゃ。


 そして、大事な事を思い出したと、鬼丸はつい先日に護衛役として行ってきた町へと歩き出した。


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