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アカシアを解く  作者: 有里
第二部
11/19

side.E 後編

 軍事局長官の執務室も、さほど変わりはなかった。スティナやアルフォンスの話にあったように、恐ろしいほどに散らかっていたが、エリアスの想像していたものより若干片付いていた。

 主のいない部屋の灯りを点し、ふわりと噎せ返るような草花の香りを静かに吸い込む。凍りつき、蕾を硬く閉ざしたまま枯れてしまいそうだったものが青々と茂り、色鮮やかな花をつけていた。エリアスはどうしようもなく、懐かしい気持ちになった。

 床に散らばった報告書をひと塊りにまとめながら、どうにか窓際まで辿り着くと、窓を大きく開け放つ。舞い込む風はささやかで、書類が飛ばされることもない。絨毯の上に座り込むと、エリアスは早速その周辺の書面を取り分け、日付ごとにまとめることにした。


 ガンナ・フォシェーンという悪魔が軍事局の長官に就任したのは、今から六百年ほどは前だ。エリアスがまだ軍事局の第一部隊員だった頃だ。一隊員の悪魔が、直接長官に会うことなどない上に、ガンナは今と同じく執務室から滅多に出なかったので、実際にその顔を確認したのは、もっと後になってからだ。

 だがそのずっと前から、名は知っていた。果てのない平原も太陽の昇る青い空をも飲み込むような地獄の業火の中で、白い軍服の裾を翻し、剣を一振りするだけでその大地を崩壊させた悪魔がそう呼ばれていたのを、エリアスは見たのだ。まるで夢の中のようなあやふやな記憶の中で、その瞬間だけがなぜだか未だ鮮明に脳裏に残っている。それは強烈で圧倒的で、見惚れるほどに鮮烈な衝撃のようだった。

「もしかすると本当に、単なる夢だったのかもしれないな……」

 そうだとしたら、本当に不思議な夢だ。

 ふ、と呟き、エリアスは自身がぼうっと手を止めていることに気付いた。懐中時計を確認すれば、片付けを始めて小一時間は経っている。だが、手元の書類は少しも片付いていなかった。

「ダメだな、精々あと二時間で定例会も終わるのに…」

 目の前のひと山だけでも、片付けておきたい――そんな風に思いながら何気なく手に取った報告書は、ガンナのサインが済んだものだった。まるで幼い子供の悪戯書きのようにも見える乱暴なサインだが、ガンナ・フォシェーンとフルネームで書いてある。誰が書いたのか不明なサインは、大抵が軍事局長官のガンナのものであろうと言われるほどだ。せめてこのようにサインの済んだものだけでも提出しておきたいと思いながら、彼のサインの不格好さにエリアスは思わず笑みが零れた。

 軍事局の訓練兵は軍事演習ももちろんだが、字の読み書きやマナー、魔術、医術的な知識まで徹底的に教え込まれる。このような殴り書きをすれば、上官にこっ酷く叱られていた。

「ユニークな字を書く。今までどんな生活をしていたんだか」

 こちらの話を聞いているかと思えば聞いていないし、聞いていないと思えばいつの間にか聞いているような、気紛れな悪魔だと思う。だが際限なく湧き上がる魔力を纏い、剣を振り上げるその姿は気高く、どうしようもなく目を奪われる。ただ、今の軍事局ではそういった姿を見ることが無いに等しいのが残念だと思う。

 軍事局の過去の記録を読み解くと、もともとガンナは、現魔王のヴィンセントが皇太子の時分に指揮を執っていた特別部隊に所属していたようだった。梃でも執務室の心地良い寝椅子から動こうとしない怠惰を絵に描いたような日頃のガンナからは、決して想像できない部隊である。その部隊は軍事局が取り仕切る範疇外の独立した部隊で、代々王族に仕える悪魔の精鋭部隊なのだ。だからその部隊の悪魔が、軍事局長官に就任することが決まった時、局内ではそこそこ話題になっていた。

 ガンナは自身のことについては、全くの無口だった。だから局内の公式記録や、冥界や神界――あらゆる世界の歴史を管理する文化局の書庫にある資料を調べるしかなかった。公表されないまま書庫に積まれた記録を自由に閲覧できるようになったのも、エリアスが軍事局次官になってからのことだ。

 気を取り直してまとめた書類を、エリアスは呼び出した紅蝙蝠に持たせ、提出部署へ送り出した。

 中央奥にあるデスクの上は未だに散らかっているが、いつのものだか分からない書類ばかりで座る場所もなかったソファーの上は、何とか座面に腰を下ろせるようになった。ガンナがよく寝そべっている窓際の寝椅子付近に放置された報告書も大まかに分類し、テーブルの上に並べた。とりあえずこんなもんか、と一息ついて、エリアスはゆっくりと立ち上がった。

 窓から吹き込む穏やかな風は長閑な春の気候を思わせ、所狭しと生い茂る植物は瑞々しく、生き生きと活力に満ちている。寝椅子付近には、赤い実をつけた植物が枝を垂らしている。だがそこに、欠伸を隠すことなく晒して、ゆったりと四肢を伸ばして寛ぐガンナがいないだけで、何とも味気なく素っ気無い空間に感じられるものかと、エリアスは思った。


「エリアス次官、先程副長からこれが」

 軍事局のセキュリティゲートを出たところで、第一部隊員のシルビアから呼び止められ、エリアスは足を止めた。その手にあるのは、アルフォンスがよく使用する青みがかった羊皮紙だ。筒状に丸められたそれは、特定の悪魔以外は開くことができない蝋で留められている。シルビアに礼を言い中を確認すれば、王宮の警備に当たる部隊編成と襲撃を迎え撃つある計画だ。書き込まれた部隊員の名は、エリアスも考えていた軍事局第一部隊の中でも選りすぐりのメンバーだった。それを一瞥し、了解、と呟く。エリアスは小さく丸めた羊皮紙を指先で弾いて、火を点けた。それはすぐさま燃え尽き、灰さえ残さずに消えた。


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