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美味しい話は

作者: 竹仲法順

     *

 ずっと自宅マンションの書斎でパソコンに向かい、キーを叩いている。長年継続してやってきた。作家業は確かに大変だ。五十代半ばの俺も、昔ワープロの時代からずっと小説家として生きてきた。ちょうど三十年前の一九八三年に公募新人賞を獲り、その直後から仕事が入ってくるようになる。

 別に恨み節というわけじゃなかった。新人賞受賞後もずっと原稿を書いていたのだし、二十代で先生扱いだったから、何かむず痒い感覚すらあった。だが、これと言ってヒットに恵まれず、ずっと労苦が続いたのである。

 ただ、出版社でも大手の聞友社(ぶんゆうしゃ)の担当編集者の大山とはずっと親しくしていた。未だに新作を聞友社から出している。その際、原稿を読むのが大山の仕事だった。地方在住だから、東京など首都圏に行くことは滅多にない。

河田(かわた)先生(せんせい)も御苦労なさってますね」

 電話などでそう言われることがある。何せ五十代でも文学賞を受賞したのは、新人賞とその後、もう一つほどだったに過ぎない。確かに新聞や週刊誌、文芸雑誌などに連載を持っているのだが、出した単行本などは目立った部数が出なかった。つまりどちらかというと、売れない作家の方なのである。

     *

 つい最近、大山と会う機会があった。実は俺の過去作が映画化されるという話を持ってきたのだ。本当かと思いながらも、街のカフェで話をした。著作権は聞友社が持っているので、著者である俺に会いに来たらしいのだ。こんな田舎まで遥々と。

「先生、今回の話は大手映画会社との共同ですのでいい話ですよ。公開されれば、ロイヤリティーもジャンジャン入ってきますし」

「本当なの?あの作品の映画化って」

「ええ。私も最初は疑ってました。ですが映画会社から話が来たんです。先生のあの作品が面白いので、是非映画にしてみたいと」

 大山が言っているのは、約二十年前に新聞連載して、その後、単行本化された四百字詰め原稿用紙換算で七百枚ぐらいの長編サスペンスだった。連載中は好評をもらっていたのだが、本になった後、三版までされて後は絶版となったのである。まさに幻の一作だった。

「大山さん、そんな美味しい話に乗っていいのかい?」

「ええ。今回の映画化の話は、映画会社からうちを通して来たことですから」

「うーん、ちょっと理解し辛いな」

 確かに長年ヒットに恵まれず、ずっと下積み状態同然だった俺も、過去作の映画化の話になると、俄然違ってくる。もちろん映画を見に来る客もいるだろうし、レンタルビデオ店などでDVDを借りる人間もいるだろうから……。

 大山が出されたコーヒーを飲みながら、店特製のドーナツを一口摘んで言った。

「先生の長年の御苦労が実ったのですよ。もっと嬉しい顔なさってください。悪い話じゃありませんから」

「まあ、そうだね。満更悪い気しないし」

 一応そう言って、店のマスターに追加でもう一杯コーヒーを頼む。そして持っていたタブレット端末のメモ帳に気になることをいろいろと打ち込んだ。こういった席では昔はメモ帳にペンだったのだが、今は違う。ずっとキーを叩くのだった。

     *

「大山さん」

「はい」

「映画ってどんな感じなの?」

「もうクランクアップしたようですが、とにかく脚本兼監督だった原島さんはしっかりと先生のお書きになった原作を読み込み、徹底した役作りまでして、撮影を敢行なさったとのことです。聞かされたのですが、ディテールは小説とは若干違うと」

「そう?ふーん……」

 俺も唸る。さすがに映画となれば、キャスティングなどを含めて、原作とは多少違ってくるのが自然なのだし……。

「でも美味しい話であることに変わりはないですよね?」

「まあ、言われてみれば確かにそうだけどね。俺も自宅の書斎でずっと一日中キー叩き続けてるから、暇になることはまずないし」

「お疲れになりません?」

「いくらかね。……でも売れない作家の俺でも原稿依頼は来るし」

「それは弊社だけでなく、他社とも契約なさってるからでしょう?」

「まあ、そうだね。俺もずっと執筆してるし」

 コーヒーが幾分生温くなっていたのだが、これぐらい飲めると思い、あえて口にした。そして、

「大山さん、この件はあなたに一任するよ」

 と言う。

「分かりました。映画が上映されたら、録画したDVDをお送りいたしますよ」

「ああ。そうしてくれ」

 鷹揚に言い、大山がドーナツを食べ終えてしまったのを見計らって席を立つ。大山も席を立ち、一緒に店外へと出た。コーヒー代とドーナツ代を清算して、である。

     *

「今から東京に戻ります。聞友社も何かと忙しい会社なんで」

「疲れない?わざわざこんな田舎まで挨拶に来て」

「それが私たち出版社の人間の仕事ですから」

「じゃあ、また新作が出来たらメールで送るよ。俺もずっと書き続けてるから」

「そうですね。原稿が出来上がれば、即お送りください。ちゃんと目を通しますので」

「ありがとう。これからもよろしく」

 一言言った後、店を出て歩きながら、冷え込むのを感じる。もうこの街も秋だ。冬に入る一歩手前である。大山が通りでタクシーを一台拾い、乗り込む前に、

「じゃあ、またお会いいたしましょう」

 と一言言って運転手に促し、車を走らせた。

 後部ドアが閉まり、発進した後、車が空港方面へと走っていくのを見届けながら、改めて思う。大山も金銭感覚がまるでない人間だなと。タクシーは料金がバカ高いのだが、バスを使うよりも早い。一分一秒でも早く空港に着きたいと思っているのだろう。分かる気がした。時間に追われる生活というのを。

 自宅マンションまで歩いて帰り、扉を開錠した後、室内へ入っていく。そしてパソコンを立ち上げ、またキーを叩き始めた。専業作家はこういった生活が続く。年中ずっとだ。老眼鏡を掛け、ディスプレイに見入る。大山と会ってから小一時間経っていたのだが、もう今は機内にいるなと思っていて。

 そしてまた原稿を書き進める。俺も書斎の虫だ。必要なこと以外、ずっとこもっているのである。これが本職の推理作家の実態だ。事件などのことは、何でも頭の中に浮かぶ。そしてずっとキーを叩き続けた。その日は自炊して夕食を作り、午後十一時前ぐらいまで作業し続ける。それからベッドに寝転がり、すぐに寝入った。朝も午前五時過ぎには目が覚めるだろうと思い。

 大山から映画化された作品を焼いてあるDVDが届き、見たのはその年の十月下旬だった。見ながら思ったのは、なかなかいい仕上がり具合じゃないかということである。率直な感想だった。これが励みになり、これからもいくらでも書けると。確かに俺の人生も残りはわずかになっているのだし、若手や中堅の連中から押されっぱなし気味だったのだが……。

                              (了)



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