04.I want Yui.
何がなんだかわからなかった。なぜ急にこんな事になったのか、頭がついていかない。
壁に激しく打ち付けた頭をさすりながら、その場にしゃがみこむ。
「いてー……」痛みに現実逃避してみても、唇に触れた感覚は本物で……恥ずかしくなる。
ってなんでだよ、散々繰り返してきたキスという行為に照れなんて感じる事はなかったのに。
俺から唯にした時も、嬉しさはあっても恥ずかしいなんて気持ち湧き上がってこなかったのに、なぜ唯からされたというだけでこんなに心が乱れるんだろう。
さっきまでは結構荒んだ気持ちでいたんだ。
友香の家へ付いて行ったはいいが、やっぱり意味なんかなくて。最初からそんな事は分かってたけど、友香と……兄貴を心配する唯がどうしてもついて行くと言うから俺も同行した。
俺だって行く意味はないのだが、友香の実家にはアイツ……友香の二歳下の弟、正宗がいる。アイツは子供の頃から唯にすっごく懐いていて。
いつの間にかその優しいお姉さんに対する憧れが好きと言う気持ちに変わっていて、隙あらば口説こうってのが最近はバレバレだったんだ。
だが唯はそんな事全然気付いてなくて、どうしても正宗には弟と言う感覚が抜け切らないみたいだ。
しかも正宗の高校受験の際、友香では厳しすぎるからって言う理由で唯が家庭教師をしていたから、教え子でもあるし、恋愛の対象になんて見れないんだろう。
元々唯は他人の恋愛模様にはすぐ気付くくせに、自分に対する好意には格段に鈍い。まぁ、そのお陰で今まで唯にちょっかい出す男達がいてもスルーされてて助かったんだけどな。
でも、唯が正宗の気持ちに気付かないからって傍観したままでいるのを、もうやめるんだ。
もう俺が手に入れるんだったら、率先して潰して行かないと。そう思って虫除けをして行けば案の定すぐ気付きやがった。
きっと友香にも兄貴にもバレタと思うけど、もう関係ないな。唯からキスしてくるって事は……もう、先に進めていいんだろうか?
突然泣かれて慌てちまったけど、唯からキスしてくるなんて……気分が高まったのか?
どう言った心理でそんな事になったのか全然分からねーけど、今更撤回なんて出来ねえぜ? 今度は間違えようがなく俺をその気にさせたんだから……責任取ってもらわねーとな。
俺は立ち上がると自然と緩む口元に触れる。今日はこれからバイトだから仕方ない、明日……楽しみだな。
◆ ◆ ◆
次の日、意気揚々と唯を迎えに行った俺は、京子さんの困惑した顔に出鼻を挫かれる。
「慶ちゃんごめんね。唯ちゃん熱が出ちゃったみたいなの。今日はお休みさせるわ」京子さんはそう言うと首を傾げた。
「熱、高いんですか?」なんだろう、風邪? まだインフルエンザは流行ってないから違うと思うが……。どうしたんだろうか?
「今は38度5分ぐらいね。ちょっと顔見ていく?」結構高いな……。心配そうな俺を気遣ってくれたのか、京子さんが提案してくれ、俺は当然頷いた。
部屋に通され……ぐっすりと寝ている唯の顔を覗き込む。
「ごゆっくり」なんて声かけてしっかり部屋のドアを閉めていく京子さんに、俺は信頼されていると取っていいんだよな?
聡さんには「ついにくっついたかー」と諦めながらも、ネチネチといじられたが、京子さんとは直接話をしてない。
正直、聡さんにも未遂ですって報告しようかと思ったけど……なんか言えなかった。
まぁ、聡さんも京子さんもしっかり事後だと勘違いしてるから、否定するのがなんか……沽券に関わる気がしたんだ。
言っちまえば俺のくだらないプライドだけど。一緒にベットで寝たのに何もしてない、なんて……やっぱりちょっと情けない気がして。
だけど本当に付き合うことになった訳じゃないし……二人にはどう接すればいいのか悩む。これでちゃんと俺のものになってるなら、しっかりはっきり宣言するんだけどなー……。
昨日のキスの事があったからって、体調悪い唯と話せる訳ないしな。
「んんー」唯が寝返りをうつ。
顔にかかった髪の毛を払ってやり、額にそっと手を伸ばす。やっぱり結構熱い。
「きもちー」俺の手が冷たくて気持ちいいのか、寝言でそんな事を言いながら俺の手を掴む。そしてそのまま俺の手にすがりつく。
ギュッと抱え込まれてしまい……どうするか。
無理にはずすのも可哀想だが、俺はこれから大学があるし……。このままずっと唯についててやりたいと思うけど……熱にうなされて寝てる唯は目の毒だな。
もう一本の空いてる方の手でまた髪をそっと払い耳にかける。
「んっ……」色っぽい声出すなよ。いたずらしたくなるだろ?
口に近い頬にチュッと口付ける。
「うん? 慶?」寝言か? 目はつぶったままだから寝言なんだろうけど、随分とはっきりとした寝言だな?
そのまま気にせずもう一度ほぼ口にキスすると、唯が動き……ねだる様に口を突き出す。
マジかよ? 寝てるよな? そう思いながら、口をそっと掠める。すると唯は口を薄く開き……もっと要求してきた。ヤバイ。ちらりと覗く赤い舌が……エロ過ぎるだろ。
マジで? これは続けろって事か?
寝てる唯に卑怯だな、とは思いつつ、行為をねだってるのは唯だから……と言い訳して口を喰らう。
軽く啄ばむと吐息を吐いてすぐに口を開く。その先を催促するような仕草に……自分の心臓が早鐘を打つ。
相手は病人。熱あるんだから……でも、でも……そっと舌を挿入する。唯の舌を絡め、歯茎をなぞり、嘗め尽くす。
「……ん、んんっ……」唯の悩ましげな吐息もすべて食い尽くし、最後に濡れた唇を吸い取った。
もうこれ以上はヤバイな。抑えが効かなくなる……。赤く火照った唯はクテッとして色っぽく、その首筋にも喰らいつきそうになるのをどうにか堪える。
舌を……這わせ……反応を引き出したい……。いや、待て待て待て。落ち着け。
俺は唯の腕からそっと手を取り戻し、深呼吸する。最近俺こんなんばっかだな……。やっぱり欲求不満か?
唯の体調が戻ったらすぐにでも行動に起こしてやる。
それまでは……もうしばらく我慢するか。きっと、すぐにでも喰えるはず。
俺はぐっすりと眠る唯を一撫でして、部屋を後にした。
一人でありながら大学へと向かう足は軽く……俺は出鼻を挫かれたのをすっかり忘れ爛々と一日を過ごした。
その後夕方にまた唯の様子を見て、また確信する。これはすぐにでもいけそうだ。そう思えば余裕が出来て、元気になった唯を見て俺は今日は満足する事にした。
だが、その日の夜。俺はまたまた聡さんに拉致され……痛い目を見る事になるとはまったく思ってもいなかった。
◆ ◆ ◆
「おめーよー、冗談で襲えとは言ったが……本当に承諾なしかよ」殴られた頬を押さえ、項垂れる。
本気で怒っている聡さんは……かなり怖い。なぜこうなったのか解明する前に、釈明しないとマジで俺の命がヤバイな。
俺のプライドのせいでうやむやにしていた事がこんな風に現れるとは……さすがに凹む。
「……してません」
「あぁ?!」
「……だから、俺と唯はセックスしてません」
「はぁぁぁぁ?!」
しばらく無言で睨まれていたが、同じく無言で頬を押さえ座り込んで凹んでいる俺を不憫に思ったのか、聡さんはしゃがんで俺と目線を合わせてくれる。
「慶二。正直に話せ。お前らどうなってんだよ?」呆れた顔で、それでも幾分優しい声で聞かれて……俺は素直に頷いた。
家の目の前の公園からいつものショットバーへ移動しながら、あの児玉ってやつに襲われたって事は省いて、バイト帰りご飯をご馳走するって話になった。みたいな説明をする。
「つまりなんだよ? 唯は酔っ払って寝ちまって、なんもしてねーの?」
「……はい」その通りです。
「一緒のベットで寝たんだろ? しかも風呂まで入れてお膳立てしたくせに最後までしてねーのかよ?」
「……はい」最後までって言うか殆ど何もしてません。ちょっとだけ生チチ触りましたが、揉んでもいません。
「その前に気持ち話してねーの?」
「……はい……」言えてません……。唯から兄弟に対する好きって言葉を頂きましたが、それを聞いてしまったが為に……余計に言えませんでした……。
「唯は? 唯はなんて言ってたんだよ?」
「……特になにも……」俺がそう言うと、聡さんは「はぁー」っと大きな溜息をついてブランデーを一気飲みした。
ストレートですけど……。
「お前らよー、ガキの恋愛かよ。中坊だってもっとましな付き合い方すんだろ」
「……はい……」俺もそう思います……。
「まったく……。さっき帰ったら京子がお前らが付き合ってないらしいって捲くし立てられてよ。慶二に説明させろっつうからさ」
「…………」説明させる前に殴りましたよね? 有無を言わせず殴りましたよね?
「ははっ、ワリーワリー」全然悪いと思っていませんよね!? ってか絶対に憂さ晴らしに殴りましたよね!? 分かっててワザと殴りましたよねー!?
「そう怒んなよ。そもそもちゃんと説明しないお前が悪いんだろ?」
「……そう、ですけど……」納得できません。なんだか理不尽を感じます。
「まぁ、マジで悪かったよ。ちゃんと冷やせよ。海人、変えのお絞り持って来てくれね?」聡さんはそう言うと、俺の頬に当てていて温くなったお絞りを奪うと、カウンター目の前にいたバーのオーナー、海人さんへと渡す。
いつも来ているこのバーは聡さんの同級生のお店らしい。と言うと親父の同級生でもあるな。
詳しい事は聞いてないが、たまに懐かしそうに高校の事を話したりするのでなんとなく分かった。
ただ、面と向かって紹介をしてくれた事はない。そして同級生のはずなのに親父の話は出ず、親父本人もここに来た事はなさそうだ……。
そこから推測できるに……親父とは何か確執があるのだと思う。だからなのか……聡さんは俺が富樫の子供だと教える気はなさそうだ。
「大丈夫か? 大分腫れてしまったな」海人さんはそう言って俺にお絞りを渡す。冷えたそれを頬に当てると、とても気持ちが良かった。
「ありがとうございます」お礼を言うと海人さんはフッと笑って別の客の方へ行ってしまった。
格好いい人だ。まだ独身らしいが、どこかミステリアスな大人の男、と言った雰囲気を醸し出している。
きっとここに頻りと通う女性達は彼が目当てなのじゃないかと思う。
「ま、俺達もてっきり出来上がったと思い込んじまったからなー。否定し辛かったってのも分かるけどな」聡さんにそう言われ、海人さんを追っていた視線を聡さんに合わせる。
するとそこには同情の色が見えて……うぅ、なんだか惨めになる……。
そうですね……確かに自分の見栄で撒いた種ですね……。頬を冷やしながら頭を抱えると聡さんに背中を叩かれ慰めれた。
「強引に行けって唆したが、まぁ待て。京子の話だと付き合ってないって否定した後だんまりだったらしい。……あいつはかなりの頑固だからな、そんな状態なら強引に進めても逆効果だろ。自分自身で納得しない限りは俺達も賛成しずれーしな」そう説明されて余計に頭を抱えた。
俺の最近の行動は唯の負担になっていたのだろうか? 流されてもいい、と唯が考えいるような気がしていた。でもそれは……やはり間違いだったのだろうか?
また……あいつは俺をまた拒否したんだな……。京子さんに付き合ってないって否定したのはつまりそう言う事か?
その後釈明も説明も、意見も相談もしなかった、って事はつまり……その先に進むつもりはなかった、そう言う事か?
…………唯の性格に、唯の優しさに付け込んでいた自覚はある。なんだかんだ言いながらも唯は俺の事が好きだ。それは異性に対してではなく家族に対するものだから、余計にきっと俺の暴挙を許してくれる。
だから俺は、その関係に不満を持ちながらもその関係を利用して唯を丸め込めて手に入れようと思ってた。
でも、でも最後の一線を越える前に唯は自分の足で踏ん張った訳だ。最後まで流される前に、関係を否定して、その先へ進む事をも否定したんだ……。
じゃぁなんでだよ。じゃぁなんで自分からキスなんてしたんだよ。俺をあんなに喜ばせておいて、結局また突き落とす。
いつも俺に期待させて、すぐに奈落へ突き落とすんだ。俺はいつも唯の行動に一喜一憂して……苦しくなる。
どうして、俺じゃ駄目なんだろう……。ずっと側にいて、ずっと大切にしたいと思っているのに、どうして駄目なんだろう。
それが恋愛の醍醐味と言えば聞こえがいいが、そんなの気休めにもならない。
俺は唯が欲しいんだ。幼馴染として、家族として一番近くの男でいればいいなんて本当は真っ赤な嘘。本当は気が狂うほどに唯を求めてる……。
それなのに……どうして俺じゃ駄目なのだろう……。
あんな、児玉とか言うやつとは付き合ってたくせに、俺の事は拒絶するんだな……。思考の渦に呑まれながら、俺は自分の考えが良くない方へ向かっている事に気付いていた。
だが、それでも……それでもその負の感情を止めることは出来なかった……。




