03.I love Kei.
人をめちゃくちゃにして殺してやりたいと思ったのは、後にも先にもこの時だけだ。
それなりにムカついたり、それなりに恨んだり、なんて事はあっても、明確な殺意を覚えたのはこの一件だけだ。
それでも唯が望まないなら、俺は唯のしたいように助けてやるだけだ。
今後同じ事が決して起きないように十分脅しはしたが……自分でこの衝動を抑えられた事に拍手をしたいぐらいだ。
唯の、意にそぐわない事は出来ればしたくない。
唯が風呂に入ってる間に簡単にパスタを用意する。それと同時に京子さんへ電話した。
「唯が今日は家に泊まるみたいなので、パジャマ取りに行ってもいいですか?」
「えっ! …………わかったわ! 用意しておくわね!」一瞬息を飲み込んだが、その後は嬉しそうに話す京子さんにほっとする。
まずは第一関門突破だ。
まぁ、京子さんの場合は心配してなかった。多くを語らなくても、京子さんならいいように解釈してくれると思ったからだ。
そして案の定、勘違いしてくれた。
好奇心いっぱい、目一杯応援してくれている京子さんからパジャマを受け取り、曖昧にごまかしておいた。
と言うか、京子さん。パジャマ、この並びで渡していいんですか? いや、俺は大歓迎ですけどね?
レースふんだんの純白の下着を見て、顔がにやける。
失礼、男としての性がつい出てしまいました。
風呂から出てきた唯をもてなし、ワインを勧める。
酔いつぶれてソファーで眠る唯に悪さしながら、最初から泊める気だったと白状したら唯はどんな態度に出るだろうか?
気持ちよさそうにトロンとした顔で眠る唯に我慢できず口付けた。
この状態では自分で歯止めが利かなくなりそうなので、軽く抑える。まずい、今日のお膳立ては魅力的過ぎる。
レースの下着が頭をチラついて離れてくれない。
それに……あの男の行為が思い出されて許せなくなる。
残虐な衝動はどうにか抑えたとは言え、いつまた這い上がってくるか分からない。
唯が風呂入っている間により落ち着いたが、入る前の唯を見ていたら……俺自身で唯の全てを塗り替えたくて仕方がなかった。
あのまま唯が風呂へ行ってくれなかったら、自分でも何をしていたか分からない。
「慶?」幸せそうにトロンとした顔で唯が俺の名前を呼んで首にしがみついてきた。
「ちょ、唯?」今はまずい。素面の状態で、今日の出来事がなかったなら、喜んでそのまま流れに乗っかる所だが、今はまずい。
優しく出来る自信がない。初めての唯にそれはまずいだろ。
「慶……大好きだよ?」
「…………はぁ?」阿呆な声が出てしまった。
何を言い出したんだ? この酔っ払い娘は。
「だーかーらー! 慶が大好きなの!」そう言って潤んだ瞳で見つめる唯に……かぶりつきそうになって慌てて理性を総動員させる。
待て待て待て! 何反応してんだ俺は。ただの酔っ払いの戯言に、十分臨戦態勢になった一物のポジションをちょっと移動させる。
「けいはー? 私の事、好き?」だから何を言ってんだこの酔っ払いは?
好きに決まってるが……この状態でそれを言うのか?
まずい、どうしようもない状態になって来たぞ。俺は理性を保つ為のいっぱいいっぱいの頭の中で、どうにか解決策を考える。
いや、やっぱり無理だな。解決策など浮かぶわけもない。
なぜなら、本当はこの先を俺自身が一番望んでいるから。
いっその事本当にこのまま頂いてしまうか……そう思って腕の中にいる唯に視線を戻せば……。
「寝てるし……」限界だったのか、可愛い寝息をスースーたてて落ちてました。
はぁ、もう本当に勘弁してくれ。
俺は緩んだ腕からそっと起き出し、唯に毛布をかける。
「もうー、なんなんだよー」自分の髪をグチャグチャとかき乱しながら、独り言が出る。
唯が俺の事を好きなのは知ってる。ずっと一緒に過ごして来た幼馴染だ。だが、その好きは俺が求めるものとは違う。
だって、本当に男として好きならこんなに無防備にならないだろ? もうちょっと色々違った態度になるもんなんじゃないのか?
さっきまで別の男に襲われそうになってたんだぜ? だったらもっと男ってものに警戒するだろ。
でも唯の俺に対する態度は変わらない。つまりそれは俺の事を男としてみてないからだ……。
あんな風に唇を重ねてみても……あいつはきっと何の危機感も感じてないんだ。
……友達同士のキスかよ? そんな事あるわけないのに、俺がどう言う気持ちで唯に触れてるかなんて、あいつは考えもしないのかもな……。
俺は横で寝る唯の頭を一撫ですると、残っていたワインを飲み干す。
さっきまではすげーうまく感じてたワインの味がしない……。唯と同じように酔っ払って楽しくなっていた気持ちがしぼんでしまった気がした……。
◆ ◆ ◆
「け、慶? なんか……お、怒ってる?」この状態でそんな事を聞いてくる唯にもっといたずらをしてやりたくなる。
余裕そうにしやがってむかつく。俺はこの生乳に乗せてしまった手をどうすりゃいいのか慌ててるってのに、余裕そうだな?
いっその事このまま、揉みしだいてやるか……。そんな気持ちで俺は唯を見つめたが、唯はまたなんか別な事を考えているみたいで、視線が合わない。
なんで、この状態なのに、お前は俺を見ない?
「ゆーいー。またどっか飛んでる。俺見ろよ」どうしても視線を合わせたくて呼んでみると、変な顔をする。
俺はつい、唯の心を読みたくなって凝視した。昨日の台詞は、酔っ払いの戯言だよな?
昔はよく言っていた慶大好き。それを思い出して口にしたんだよな? それとも……俺の事が好き? 男として? 本当は……俺の事が、好き??
目に疑問を籠めて見つめたが……俺の聞きたい事がそんな上手く伝わる訳はなく、疑問で返される。
「……け、い?」
「うん?」
「……どうした?」……お前がそれを聞くか? 俺の心をこんなに乱しておいて、お前がそれを聞くのかよ。
昨日の事……覚えてないんだな……。
「そこはどうしたっけ? とかなんでこうなってるんだっけ? とかそう言う反応が必要じゃねぇ?」内面を見透かされたような気がして、落ち着かなくなって俺は話をそらす。
したら唯は一瞬きょとんとすると、すぐにハッと気付いて罰の悪そうな顔をする。
はぁ、なんか馬鹿らしい。お前にとってはただ酔っ払って口から出ただけの言葉に、俺は過剰に反応してしまって。
過度な期待は裏切られた時にきつい。また唯が優しいからって調子に乗ったらすぐに痛い目を見るんだ。
本人が覚えてないなら俺も忘れるべきだ。でも乱された心が悔しくて……俺ばっかりが唯の行動に乱されて悔しくて、なら俺も唯を乱してやりたくてまたセクハラしてやる。
セクハラすると動揺する唯にホッとするなんていい加減俺も性格が悪いな。
でも結局、その日は一日中唯の一挙一動・一言一句が気になってしまって、まるで監視するかのようにベッタリ張り付いてしまったのは……仕方がないことだよな?
そしてこの日の夜、また聡さんにショットバーまで拉致され、延々と飲みに付き合わされてしまったのは……未遂だと白状していない以上、やっぱり仕方がないこと……だよな?
◆ ◆ ◆
「今日友香と唯ちゃんデートしてるの知ってた?」実家に来るなりそう切り出す兄貴に無言で頷く。
昨日の帰りに唯が言ってた。久々にランチに行くんだと。
家に泊まった次の日から俺は毎日朝迎えに行き、大学内もなるべく一緒に過ごし、帰りも一緒に帰る生活に慣らしていった。
なんで? なんで? と言う唯から話を逸らし、その生活が当然であるかのように持っていく。
水曜日にはまだ不思議そうにしていたが、木曜日には何も言わなくなり、金曜日には当たり前の様になっていた。
その金曜の帰り道、土曜日の予定を話したのだ。
「明日ついて来て貰うように話しするみたいだよ?」
「はぁ?!」肩をすくめる兄貴を睨み付ける。
「明日って親父さんに会いに行くんだろ? なんで唯まで一緒にいくんだよ?!」友香の行動を諦めているような兄貴にも怒りが向く。
唯は、兄貴が好きなんだぜ? この間だって納得してたのに、後になって泣くぐらいなのに、またそんな思いをさせるのかよ?
「ふざけんなよ、何考えてんだよ兄貴!」
「まぁさー、慶二の考えは杞憂だけど、友香の考えも危惧だよねぇ。と言うか唯ちゃんに甘えすぎなのかな?」
「……何が杞憂なんだよ。別に俺は……」考えすぎているつもりはない。だが、確かに俺は唯の事となると周りが見えなくなってしまう事があるのは事実だ。
それでも、唯が後で泣くような事になってしまう可能性が少しでもあるなら、それを排除してしまいたいと思うんだ。
「……慶二も来る?」……なんで俺が行くんだよ。そこは唯を行かさない様に友香を説得するべきだろ。
「友香の頑固は俺じゃ無理」
「これから結婚しようってヤツがそんなんでいいのかよ?」呆れて言ってやったが、兄貴は嬉しそうな顔してやがる。
「いいんだよ~。恋人のあり方は人それぞれ。俺達は俺達の形があって、それでいいんだよ」……そんなものなのかも知れないな。他人が二人の関係にどうこう言った所で関係ないか……。
「慶二は? 慶二はどんな形になりたいのさ?」
「…………わかんねー」マジでわかんねー。最近は自分がどうしたいのかもわからなくなって来ちまった。
唯と、想いを通じ合わせたいと言う願望はとっくの昔に諦めてしまった。なら恋人じゃなくても一番近くの男でいたいと思っていた。
だが、その定義が最近壊れてきてしまった。
近すぎる距離にいる唯に……手を出さずにはいられない。可愛い顔をする唯に、欲が生まれる……。
側にいられればよかったはずなのに、それじゃ済まない。
俺は、どうするべきなんだろうか? このまま強く拒否出来ない唯を上手く誑かして、先に進めてしまっていいのだろうか?
そうやって唯の一番近い男でい続けていいのだろうか?
答えが出ないのに、このままこの距離感で唯の側にいれば、絶対に俺は最後まで手を出してしまうだろう。
本当に……それでいいのだろうか……。
「プルルルルルル」響いた携帯の着信音に我に返る。
「慶二じゃない?」兄貴に言われ、テーブルに置いてあった携帯を取る。液晶画面の通知名につい舌打ちが漏れた。
「……何?」電話に出ない俺に、兄貴が不振な目を向けてくる。
「……長谷川玲子」鳴り響く着信音が消え、留守電が対応している。それを忌々しく眺めながら、相手の名前を兄貴に教えた。
「また? ……まだ付きまとわれてるの?」
「……また、だの……まだ、なんかじゃ済まなくなってきた」
「え? エスカレートしてきた? 会社では普通みたいなのに?」驚愕してる兄貴に無言で頷き、携帯の着信履歴を見せる。
「うっわー。すごいねー。土日はひっきりなしじゃん」
「いい加減どうにかしないとまずくなってきたな……」俺は髪の毛をグシャグシャと掻き揚げると、テーブルに突っ伏す。
「そーだねー。そろそろ刺されちゃうかもねー」軽い口調で他人事の様に言う兄貴を睨み付ける。
縁起でもない事言うなよ。洒落になんないだろ……。
バイト先からのストーキングもまだ続いていて、本気で背中を守らないといけないかと気になりだしていたのに……。
「慶二? どうする? 手伝う?」頭を抱えている俺にさすがに心配になったのか、兄貴が聞いてくるが俺は首を横に振った。
自分で蒔いた種だ。自分で刈らねば……。
「ちょっと出てくる」兄貴にそう断ってから家を出た。
家の向かいにある公園のベンチに座り、携帯を取り出して着信履歴から返信する。
すぐに繋がり二、三会話をしてすぐに切る。
隣町のレオンタワーズへ行くなら電車の方が楽なので、俺はそのまま駅へ向かって歩き出した。
◆ ◆ ◆
「いらっしゃい、慶二君。待ってたわ」そう言って出迎えた長谷川玲子を一瞥して、リビングのソファーに座る。
過去何度も訪れたここに来るのは三ヶ月振りだ。
「ブラックでいいわよね?」キッチンへと消える玲子を眺めて、溜息をつく。
長谷川玲子は三ヶ月前まで付き合っていた女だ。唯に会いに行くと言う暴挙を起こして、見限った。
それまでは、それなりに上手に付き合っていたと思う。
兄貴と同級生だから三歳年上で、同じ大学の卒業生でもある彼女は元々は実家の病院を将来的に手伝う為に勉強をしていた。
甘やかされて育ったような典型的なお嬢様の玲子の最初のターゲットは兄貴だったんじゃないかと思う。
いい男と付き合うと言う事をステータスとして、大学時代に何度か兄貴に迫ったようだが、兄貴は触手が動かず断っていた。
だが、初めて俺と会ってからそのターゲットが俺になって、俺はそれにまんまと乗っかった訳だ。
正直言えば俺は人を見る目があると思う。女のとの付き合いにおいて可か不可か見極められていた方だと思う。
最初玲子も後腐れなく付き合えるタイプだと思っていた。一人の男に固執するなんて事をするような女には見えなかった。
それが、大はずれだったのは玲子が巧妙だったのか俺が馬鹿だったのか……その両方かも知れない。
最初兄貴に言い寄っていた玲子がすぐに俺に乗り換えたその速さに正直呆れを通り越してすっげえ笑えた。
そしてそれを堂々と悪びれなく言う玲子を面白いと思ってしまったのが間違いだった……。
「また来てくれて嬉しい。お兄ちゃんも連れて来いってうるさくて」俺にコーヒーを渡しながら笑顔でそんな事を言う玲子にふと、違和感を感じる。
なんだ? なにかおかしい。いや、おかしいのは当然か。付き合っていた時とは違って、今は只のストーカーだ。
「もういい加減にしてくれ。迷惑してるんだ」そう吐き捨てる様に言うと、玲子の顔が曇る。
「ねぇ、私怒ってないから。許してあげるからちゃんと戻ってきて?」……何を言ってるんだ?
「許して貰う必要はない。俺はもうお前とは付き合わない」
「……どうして? どうして?! なんでなの?! 私のどこがいけないの?!」激情してきた玲子をなだめながら、どうにかもう二度とストーカーさせない事を誓わせる。
もう付きまとわないと言う誓約書を書かせ、俺はすぐに玲子のマンションを後にした……。
正直、一緒にいるのが苦痛以外何者でもなかった。三ヶ月前まではそれなりに楽しく付き合っていたのに、今は一緒にいると背筋が薄ら寒い。
あり得ないと思っていた俺に対する執着が……度を越えている。俺と話しているのに、なぜか成立しない会話が、最近ひどくなってきた。
そして感じる違和感。何に対して感じる物なのか……はっきりと確証を得ないが、それでも近づきたくないと思わせるのには十分の不快感。
もうあのマンションには行かない方がいい……そう感じさせる何かが俺の中を駆け巡っていた。
◆ ◆ ◆
家に帰った俺を心配そうに出迎えた兄貴に、さっき玲子に書かせた誓約書を見せる。
「よく書いたね?」
「……正直俺も不思議だ。絶対に書いたりしないと思ったのに、少しごねただけですぐ書いた……」
「……守る気ないのかもよ?」確かに……その可能性の方がでかいな。特にあの、普通ではない状態の玲子と話しても意味がなかったかも知れない。
玲子の兄貴にも話をしておいた方がよかったか……今更ながら後悔する。
玲子の兄貴とは外で一度偶然会った後、家でも一度偶然会って、その時少しだけ話をした事がある。
病院で外科医をしている彼はとても医者らしい感じの相手で……笑顔で話をしながらすごく値踏みされていた気がする。
だが会話は理性的で、妹の行動を知ればきっと止めてくれるだろう。また玲子が行動を起こしてエスカレートしてきたらその時は話すか……。
「そう言えばさっき友香から電話があってさ。やっぱり明日唯ちゃん着いて来てくれるんだってさ」そう言って肩を竦める兄貴を睨み付けて舌打ちする。
「そんな顔しないでよー。俺に当たられても困るし。もちろん今の友香に怒ったら俺も怒るよ?」本っ当に兄貴は友香に甘すぎる!
「仕方ないでしょー。ちょっと酷な事をしてしまったなーと俺も反省してるの」
「それで反省!?」
「これでも反省」そう言いながら笑ってる兄貴のどこが反省してんだよ?
「絶対にガキ作ったのも計画的だろ!」
「そんな事友香にも唯ちゃんにも言ったらダメだからね」さすがに真剣な顔で注意してくる兄貴にお返しとばかりに肩を竦めて見せる。
もちろんそんな事を二人に暴露するつもりはないけどな。兄貴の仕返しは執拗で嫌だ。こっちが一番嫌がる事をピンポイントにしつこくやってくるから精神的ダメージがきつい。
それに、友香はともかく、唯は相変わらず兄貴の事を優しくて大好きなお兄ちゃんと思っているのに、そんな事を暴露してみろよ……。大変だろ。
兄貴の本性を知っちまったら傷つくに決まってる。そんな思いは絶対にさせたくない……。
「もちろん慶二も来るでしょ?」また笑顔で核心に触れてくる兄貴を見て頭を抱えた。本当、この切り替えの速さを俺にも少し分けて欲しいよ。なんか、どうもやっぱり兄貴は敵わねぇーよな……。
でも、考える間もなく俺は溜息をつきながらも、
「行く」と答えていた。




