41.ちょっと情けねーけどな?
目の前に聳え立つ高層マンション。ガラス張りの入り口は神々しく輝いていて、まるで私を飲み込もうとしてるかのように見えた……ってそのノリはもういいから。いい加減心病んできたわ。
とにかく慶を探そう。
この大規模マンションは三棟からなっていて、そのどこにあの女が住んでたかわからないから、スタート地点として不安が残るけど、このエントランスから探し始めよう。
でもその前に、友香との会話の中で……推理してみようか?
多分マンションの一室に慶を閉じ込めていて。それで点滴? らしいものを投与してた……と。私が電話した時はきっと本当に寝てたんだよね? 玲子さんの電話からは余裕そうな気配しかしなかったから。
それでその後、慶が逃走? で、今に至る……と。
つまりだね、慶は今逃げようとしてるけど、変な薬の影響を受けてる可能性があって、満足に逃げれてない可能性の方が大きいよね?
携帯も置いて行っちゃってるし。きっと余裕なんてなくて、何も持ってないはず。って事は……まだこの敷地内にいるかも知れない?
下手に動き回るより敷地内で隠れてて、十分に逃げられそうになったら行動に起こす? うん、きっと慶ならそうすると思う。
私は周辺を見回した。
大分夜深いとは言え、高層マンションは煌々とどの階も明かりに溢れてる。
私にとっては暗闇に怯えることがなくていいけど……今の慶にとってこの明かりは逆にイヤかも知れない。
とすると暗くて静かな所?
私はエントランスから三棟の中心部分へ移動する。中庭っぽいそこは芝生が敷き詰められていて、ベンチや遊具、水遊びスペースなど完備された公園になってる。
「慶?」小さな声でそれでも静かな公園内に響くぐらいの音量で名前を呼びながら見て回った。
返事は返ってこない。さすがにここにはいないか……分かりや過ぎるもんね。
そのままその公園を突っ切って、川沿いの道へ進む。大規模マンションの全体をぐるりと囲むように散歩道が出来ていて、その並木道を川に沿って歩きながらふと足を止めた。
…………なんか……誰かにつけられているような……。
ひくっと自分の頬が引きつったのを感じる。気のせい? でも、絶対に誰かいる。
まままま待てよ私。落ち着け私。ここで不審な行動をとったらまずいよね? 後ろを振り返ったりだとか、いきなり走り出したりだとかしたら、つけられてるのに気付きましたって白状するようなもんだし。
そしたら相手がどんな行動に出るかわかんないよね? と言う事は相手を意識しつつ、警戒しつつ、今まで通りに探しながら人通りの多い所へそれとなく移動する。それが正解?
と言う訳で、とりあえず今まで通りに慶の名前を控えめに呼びかけながら歩き出した。
「け、けいー?」後ろから確実についてくる相手を意識しながら……慶の名前を呼ぶ。
もちろんさっきまでと変わらず無言のお散歩になるはずだったのに……、
「……ゆ、い?」かすれた男の人の声が横の木のあたりから聞こえてびっくりした。かすれてても分からないはずがない、慶の声。
え? まさか本当に発見?! しかもこのタイミングで?!
さっきまでは見つかって欲しいって必死にお願いしてたけど、今は返事した慶を逆に恨みたくなる。
なぜお前はここに隠れてたんだー! あぁ、八つ当たり。
聞こえちゃったし、返事されちゃった以上知らん振りは出来ず声がした方へ走った。
木に背を預け辛そうに座っている慶がいた。本当にいたよ、本当に慶だよ。
「う、わ。マジで、唯?……おまえ、なんで、こんなとこいんの?」ぼんやりとした顔で少し苦しそうに言う慶を見て、一気に意識が慶一色。
「慶? 慶? 大丈夫??」座り込む慶に視線を合わせ自分も膝をつく。誰かに付けられてたのなんかすっかり忘れちゃって慶の名前を連呼した。
「けい、慶。冷たい。すごい冷たい」
「めちゃ、くちゃねみー。……それ、に、さみー」眠い? 寒い? 12月の夜、コートも着てない長袖Tシャツ一枚の慶の体は冷え切ってる。
慌てて逃げて上着る余裕なんてきっとなかったんだ。そう思うと涙がジワリと浮かぶ。私は急いで自分のコートを脱いで慶に掛ける。
いつもなら絶対に受け取らないと思うのに、何も反論しないで素直に掛けられてる慶を見て、本当に辛そう。
「多分、睡眠導入剤……点滴され、てた。あいつんち……実家、びょーいん」ああそうか、それで眠い?
「まじ、意識とぶ……。ぜん、ぜん覚えてねー……今がいつかもわから、ねー」そう言って慶は頭を振った。二日間ずっと点滴されてた? ……副作用とか……詳しくないからわかんないけど、どうしたらいいんだろう?
「ゆい、……電話?」はっ! こんな状態で私一人どうにか出来るわけなかった! 慶に言われて始めて気付くなんて最悪!
私は慌てて慶にかけたコートのポケットから携帯を取り出す。
着信履歴がかなりたくさん光ってる。どれも友香から……。ごめん、友香。心配かけて。
その着信履歴にリダイヤルする。きっと優ちゃんとこの辺にいるはずだから、すぐ来てくれるよね?
呼び出し音が響きすぐに繋がった。
『もしもし! 唯!?』息巻いて叫ぶ友香に慌てて謝る。
「ごめん! でも慶見つかった! …………うん。えっと、レオンタワーズの川沿いの方の道。うん、慶と二人。うん。……車は……入れないと思う」回りを見渡して答えてから、ふと思い出した。
ヤバ! そう言えば誰かに付けられてたような?!
…………でもいない? 友香に話しかけられながら周りの気配を探る。心配そうな友香の声と、苦しそうな慶の声。それに風の音。それぐらいしか感じない。
やっぱり本当は気のせいだった……? そう思って首を傾げた瞬間、慶の焦った声が聞こえた。
「ゆい!」そう叫んで、動くのもつらいはずなのに電話を持っていた私の手を思いっきり引っ張られた。
膝立ちでいたからバランスを崩し、慶の上に倒れ込む。
「慶!?」慌てて慶の上からどこうとしたけど、慶が私に覆いかぶさるみたいに上半身を倒してきて、抱え込まれる。
「っ!」ガゴンってすごい鈍い音が上から聞こえてきた。それと同時に慶の息を堪える様な声が聞こえて……。
「けい!」力強く抱え込まれる慶の腕を、それでもどうにかしてずらすと……真っ青な顔した慶が額から血を流していた。
「けいっ!!」叫んだ私を見ずに、慶は顔を歪め、真っ青な顔で、それでも正面を睨み付けた。
慶の視線を追うと……そこには大きな木の枝を両手で持ち固まる玲子さんがいた……。
「れい、こさん……まさかそれでっ!」慶の体を横から抱きしめ私が詰問すると、玲子さんは呆然と木を手から落とす。
「なん……なんで……かばっ……」真っ青な顔で首を振り、震えている。ポロポロと涙をこぼし、ずっと「なんでなんで」と壊れたロボットのように同じ言葉を繰り返している。
私はそんな彼女を見て……涙が浮かんできた。悔しい。こんな人に慶を傷つけられて……悔しい。
唇を噛み締め、涙を堪える。だって今は泣いてる場合じゃない。
『唯?! 唯?!』放り出された携帯から友香の焦った声がずっと聞こえてきてて、私は携帯を拾った。
「私は大丈夫。でも慶が……慶が! 友香、優ちゃん! 早く来て!」辛そうにうずくまっていた慶はそのまま横に倒れ込む。
「慶? 慶!?」さっきまでの厳しい表情から一転、私を見上げる慶の顔は少しホッとしてるみたい。
「……よかっ、た。どうにか、体動いて……」そう言って私に触れようと伸ばした手を両手で包み込む。
「ありがとう、慶。かばってくれて……」玲子さんはきっと私を狙った。でもそれに気付いた慶がとっさにかばってくれたんだ。
意識朦朧として、体動かすのも大変だったのに……。
「……ちょ、と……情けねーけど、な?」そう言って笑った慶を……私は力を込めて抱きしめた。




