第一話 「メタボマン誕生」
出部太は営業で外出した帰りに、河原の土手に腰を下しため息をついていた。
この出部太、三十六歳独身で電気メーカーに勤めており、この美多民市にある支社で営業を担当している。
しかしその成績は営業部でも最低レベルであり、また低い身長とメタボ体型のため、女子社員から密かにイデブーと呼ばれている。
そんな彼のため息の原因は、今回担当している大事な取引でミスをしてしまい、受注できなかったことである。
そのことを考えると、彼の上司である営業課長の不機嫌そうな顔が浮かんでくる。
たぶん今日もオフィスに帰れば、待ち構えてる彼に怒鳴散らされるのであろう。
いつも課長に小言を言われている出部も、さすがに今回はオフィスに戻るのが憂鬱であった。
しかしいつまでもこうしているわけにもいかず、出部は帰社するため立ち上がった。
そのとき空の一角が光り、出部の体も一瞬光に包まれた。
出部は体の中をのぞき見られたような違和感を感じ空を見上げると、光る物体が視界に入ったとたん消えてしまった。
出部は自分の体を確認したが特に問題はない。
気のせいだったのだろうかと思いながら、オフィスへと向かっていった。
オフィスへ戻った出部はさっそく課長に呼ばれ、彼の机に向かった。
机の前に立っている出部へ向けられる課長の罵声は、いつにも増して大きい。
それを聞きながら、同じ課の女子社員たちが話をしている。
「イデブー、今日もやられてる」
「ほんとに何でああも要領悪いんだろね」
「無能なのよ、無能」
槇場碧は、出部を一言で切り捨てた。
「碧って普段は人あたりいいのに、イデブーのことになると厳しいよね」
「嫌いなの。ああいう外見でイジイジしたのって」
「碧は面食いだもんねえ」
ある日のこと、碧は課長に頼まれて残業をしていた。
碧は短大卒、入社六年目の二十五歳で、黒髪ショートの似合う美人である。
やや小柄ではあるがスタイルもかなりよい。
仕事も確実にこなす碧が、今日は事務処理に苦労している。
そんなとき出部が外回りから帰ってきた。
(イデブーってこんな時間まで仕事してるんだ。……ああ、昔もこんなことあったな……)
(おっと、あんなのに構ってないで仕事仕事)
碧はやっと仕事が終わり、あいさつをして一目散に更衣室へ向かった。
制服から私服に着替えエレベーターホールに行くと、そこには出部がいる。
(げっ、イデブーと一緒になった)
「ああ、槇場さんお疲れさま」
「お疲れさまです」
碧はあいさつをしたが、エレベーターの中では終始無言であった。
「それじゃ失礼します」
エレベーターが一階に着くと、碧は逃げるように去って行った。
その後ろ姿を出部はしばらく見送りながら考えた。
(やっぱり槇場さんからも嫌われてるんだろうな)
(あんないい娘からも嫌われちゃお終いだな)
出部は己の不幸を呪った。
ビルの外に出たところで、出部は誰かから呼ばれたような気がしてあたりを見回すが、誰もいない。
出部は一人ごちる。
「空耳まで聞こえだしたか。一杯やって帰るか」
出部が歩き出そうとすると、青色に光る宝石のような石が、空からゆっくりと落ちてくる。
出部は驚きながらも、その小さな光る石を両手で受け止めた。
「出部太よ、これは空耳ではない」
突然石から声が聞こえてきたので、出部は思わず石を落としてしまった。
「出部太よ。その格子結晶は大事に扱ってくれたまえ」
出部は恐る恐る石を拾う。
「あ、あんた何者だ? どっからしゃべってるんだよ。それに何で俺の名前を知ってるんだ?」
「出部太よ、空を見てみるのだ」
出部が空を見上げると、空飛ぶ円盤が光っている。
「なんじゃありゃ」
「私は銀河系S141421356星雲からやってきたカメロパルダリス星人だ」
「覚えらんねーよ」
「私は今君が手にしている格子結晶を通して話しをしている」
「格子結晶?」
「一言でいえば変身アイテムだ。この格子結晶が光ると、メタボ状態にある特定の人間の体に存在するリポネス脂肪細胞が反応して、超人的な能力を持つメタボマンに変身するのだ。我々はそのリポネス脂肪細胞を持つ人間を市内で三日間探し回り見つけ出した。それが出部太、君なのだ」
「たった三日で見つかったのかよ。もしかして河原で光ったのがあの円盤なのか」
「出部太よ。その手にある格子結晶を君に授けよう。そしてメタボマンに変身して、この美多民市を襲う魔の手から救うのだ」
「いや、授けられても困るんだけど」
「秘密を知った以上は断れないのだ」
「そっちが勝手に秘密を教えたんじゃないか。大体なんでこの街が襲われるんだよ」
「出部太よ。大人には大人の事情というものがあるのだ」
「俺も大人なんだけど」
「じゃあよろしく」
「よろしくって、そりゃないだろ。ちょっと待てよ。魔の手って一体何だよー」
しかし空飛ぶ円盤は消えてしまった。
出部の手には、ネックレスのようなチェーンのついた、青く透き通る格子結晶がある。
「一体俺にどうしろっていうんだよ」
出部はしかたなく家に帰って行った。
その途中でビル火災が起きていた。
だがどう見てもただの火災で、これが”魔の手”とは思えない。
ビルの中にはまだ大勢の人が取り残されており、助けを呼んでいる。
出部は変身して助けようと思ったが、情報不足で自分が何ができるのか、またどうすれば変身できるのかまったくわからない。
とりあえずいろいろな変身ポーズを試してみたところ、周りの人にくすくす笑われてしまった。
出部はだんだんばからしくなってきた。
そのときどこかの店員が荷物を路地に捨てていったので、出部が声をかける。
「こら、不法投棄は犯罪だぞ。ってなんだこりゃ。栗に酢に樽?」
その瞬間ポケットに入れていた格子結晶が青く光りだし、ついでに出部の体も光りだす。
光が消えたとき、出部はメタボマンに変身していた。
紅白の全身タイツに同じく紅白縞のマント、紫のフルフェイスヘルメットに胸には金銀の水引がついている。
「俺は祝儀袋か? でも何となくかっこいいかな。このヘルメットで顔も見えないし」
残念ながら体型は変わらなかった。
しかし変身したものの、依然として自分の能力がわからない状態である。
そのうちヘルメットに実装されているHMDの全方位スクリーンの隅に、ヘルプボタンがあることに気がついた。
メタボマンが試しにボタンを外からタッチしてみると、ヘルプ画面が現れた。
スクリーンには飛行可能と書いてある。
そこでメタボマンがジャンプすると、体が空に舞い上がる。
さらにスクリーンを見ると、メタボスーツとメタボヘルム、そしてメタボマントの説明等が載っていた。
メタボスーツは耐火、耐寒、耐衝撃性能があり、メタボヘルムにはさらに気密装備が、そしてメタボマントには反重力制御機能がついている。
そして変身時には、人間の四倍の力が出せるらしい
メタボマンが現場に飛んでいくと、消防隊員が迷惑そうな顔をしている。
「あんた特撮の人かい? 邪魔になるからどいててくれよ」
しかしメタボマンは構わず炎の中へ入って行く。
そして先ほどのヘルプ画面を出し他の機能を調べるが、レベルが足りないので何も使えないというメッセージが表示される。
どうやらRPG仕様らしい。
しかしスクリーンに"Alart"の文字が点滅しているので文字をタッチすると、詳細が出てきた。
『初回特典:初回変身時に限り、レベル1でもハイパー水流が使用できる。ハイパー水流とは指先から放水する技で、火を消すことができる』
「なんかすげーご都合主義なんだけど、まあいいか」
メタボマンはハイパー水流で次々と各階の火を消し、瓦礫に埋まっている人を助けていく。
かくしてビル火災はほどなく鎮火した。
メタボマンのところに、小さな女の子が駆けてくる。
「助けてくれてありがとー。おじちゃんなんて名前?」
「メタボマンだ。じゃあね」
メタボマンは空へ飛んでいった。
「メタボマ-ン、さよーならー!」
次の日、出部が出勤すると昨夜の超人の話でもちきりであった。
「すごいよね。昨日テレビで特番やってたし、新聞も一面だもんね」
「空飛ぶのよ、空。宇宙人かもしんない」
「おはよー」
「あ、おはよー。ねえ碧、あんた昨日残業してたじゃない。帰るときにビル火災見なかった?」
「ううん。昨日はあの道通らなかったから見てない」
「なんだ。通りかかってれば、人が飛んでるところ見れたかもしれないのに」
変身ヒーロー好きの照山紅葉が口を挟んだ。
紅葉は碧と同い年の同期で仲がよい。
髪は栗色のセミロングで、碧よりやや背が高い。
「夜のニュースでちょっと見たけど、あまり興味ないな」
「あの体型じゃ、碧のストライクゾーンからは外れてるね」
「でもあの人、あの火事を半焼で食い止めて、しかも一人も死者を出さなかったのよ。それはすごいと思う」
「紅葉、お気に入りじゃん」
「だって今までマンガやテレビの中にしかいなかったヒーローが、現実の世界に現れたんだよ。もし会えるなら、会ってみたいな」
出部は碧たちの話を聞きながら、自分がメタボマンだと叫びたかった。
だがそれはヒーローの哲学に反する。
出部はメタボマンの話が出るたびに、うずうずしながら仕事をしていた。
しかし超人的な力を手に入れても、彼の仕事にはほとんど影響がない。
出部は今日も課長に散々小言を言われていた。
「うちの課にも似たような体型なのがいるけど、月とスッポンね」
「イデブーと一緒にしちゃ悪いわよ」
やっと課長の小言から解放された出部は、電車に乗り家に帰っていった。
家で食事をしながら昨日のことを考えたが、自分が一体どうやって変身したのか見当がつかない。
直前に栗を見た覚えがあるので、出部はとりあえず思いつく単語を言ってみた。
「栗ごはん!」
「栗きんとん!」
「栗ようかん!」
「マロングラッセ!」
しかし何の反応もない。
「なんか根本的に間違っているような気がする」
出部は格子結晶を見ながらつぶやく。
「これ何でできてんだろ。結晶って英語でなんて言うんだっけ。あ、クリスタルか」
その瞬間格子結晶が光りだし、ついでに出部の体も光りだす。
「うわっ」
出部はメタボマンに変身した。
どうやら『クリスタル』がキーワードらしい。
だがそうすると、普段は『クリスタル』と言えないことになる。
ふと気がつき、出部は時計を見て残りの変身時間を計り始める。
しばらくしてメタボマンの変身が解けた。
「九分ぐらいか。昨日飛んでるときに元に戻ってたらアウトだったんだな。こりゃ胸に何とかタイマーついてないと危ないじゃん」
次に出部は連続変身を試してみた。
「クリスタル!」
出部は再びメタボマンに変身した。
するとスクリーンの隅に青色のタイマーが表示されていることに気づく。
『八分三十二秒』という文字がカウントダウンされていく。
これが残りの活動時間なのであろう。
表示が六分になると文字の色が黄色になり、さらに三分を切ると赤になる。
そしてタイマーがゼロになるとともに、元の姿に戻った。
その後、出部は真夜中までメタボスーツを試していた。
翌朝、眠い目をこすりながら出部は出勤したが、夕べ遅くまで起きていたので午前中はやる気が出ない。
パソコンの画面を見ながらボーッとしていると、窓から見える空が突然光り、その光とともに怪獣リピディルが現れた。
エリマキトカゲのような姿をしており、身長は三十メートルほどである。
リピディルは楽しそうにビルを壊し始める。
(あの宇宙人が言ってた魔の手とは怪獣のことだったのか!)
出部は会社のビルを出て誰もいない路地に入り、メタボマンに変身した。
しかし相手は巨大怪獣である。
メタボマンはスクリーンのヘルプ画面を探して、巨大化の項目を見つけた。
そして巨大化し、リピディルの前に立ち塞がるが、メタボマンは自重でうまく動けない。
そこにリピディルの体当たりをまともに受け、ふっとんでしまった。
すぐさま起き上がり、リピディルにパンチを繰り出すのだが、まったく当たらない。
もともと運動とは無縁であった上に、格闘技などの経験は皆無である。
反対にリピディルにめった打ちにされた。
メタボマンはヘルプ画面で武器を探すと、いつの間にか武器の欄に名前がある。
「ロケットパンチ。って俺の腕切れてんのか! ええいもうやけだ。ロケットパーンチ!」
メタボマンの両腕から拳状の光がいくつも飛んでいき、相手にダメージを与える。
しかしロケットパンチでは、ダメージは与えられてもとどめをさせない。
メタボマンはもう一つの武器を試してみた。
「メタボナイフ!」
メタボマンの指先から光が無数のナイフ状になってリピディルにつき刺さる。
リピディルは爆発し灰となった。
どこからともなく声が響いてくる。
しかし姿はどこにも見えない。
「私はこの美多民市の征服を狙うスカル星人だ」
「欲のない宇宙人だな」
「貴様のような奴がいるとは思わなかったが、リピディルを倒したからといっていい気になるな。今回は急なプロジェクトの立ち上げで予算がなかったのだ。だが一応名前を聞いておこう」
「メタボマンだ」
「さらばだメタボマン。予算さえあればこちらのものだったことを忘れるな」
スカル星人の声は消えた。
「あのやろう、愚痴って帰りやがった。しかしあのスカル星人とかいう奴とその怪獣が俺の敵か」
だがわからないことだらけである。
スカル星人はなぜこの街を狙うのか。
そしてカメロパルダリス星人は、なぜ地球人の味方をするのか。
気が付けばあたりは、やじ馬とそれを整理する警察官でいっぱいになっていた。
メタボマンは空を飛んで帰っていく。
空を飛びながら、怪獣に壊されたビルの修理代は誰が払うのだろうかと、疑問に思うのであった。