0(前日談)
加藤由紀夫は、よれよれのシャツを着て、ズボンのポケットに手を突っ込む。
肉食獣と言ってもハイエナのような、死肉や弱っている獲物を狙う鋭く卑しい眼つきで周囲を睨む。年は20代後半だが、眉間にシワを寄せる癖がありキャバクラでは、30代に見られる事が多い。その度に暴力を振るうものだから、ここいらの界隈ではちょっとした有名人だ。
アーケード街の人はまばらで、近所に出来た大手ショッピングモールに明らかに押されていた。
俺は肩で風を切りぶらりと歩く。
携帯電話が鳴り、2コールでとる。
「てめぇ加藤」兄貴分の笹川だ「てめえ電話取るの遅え!舐めてるんだな。カタギになるか?あぁ」
「すみません。すみません」
「てめえ、朝買ってきた餡パンの銘柄間違えてる。パシリも満足に出来ねえのか!このくそが!」
「すみません。すぐ買って行きますから」
電話が切れ。加藤はその場にケツをつけ、座り込む。
「はぁ」
……。
「クソ笹川、死ね死ね」
と心の中で呟いた。
道の真ん中に座り込む俺に誰かがつまづく、
「いてえな誰だコラ!」
立ち上がる。
少女。
制服からしてこの近くの高校生だな。
俺と同じ位の身長、170位ある。気に入らねえ。
「てめえどこ見て歩いてんだ、おぉ!」
睨みつける。
少女は視線を合わせながらも、ふっと笑う。
「おじさんが、道の真ん中座り混んでいるから悪いんでしょ?」
凛とした態度に俺は少し怯む。
「キィ。言うに事かいておじさんか。てめぇこの野郎!」
俺は下、上に顔を振る。
水泳だな。制服のスカートから伸びるすらりとした足。体脂肪が低い影響か小さな胸だ。髪はショート、切れ長の目は気の強そうな色をしている。
「ふう。でもぶつかったのは私が悪いよね。ごめんなさい」
くっ……。
「わかればいいんだよ……」
俺は頭を掻く。素直に謝るなよ……。足元に目が行く、靴がズタボロだ。履き古した、ではなく刃物できざまれた。
「おめぇその靴……」
意識せず、言葉が出た。
女は足元を見る、ショートの髪が揺れる。ふわりと少女特有の匂いが俺の鼻に入る。
「んー、はは……」
顔の曇りが伺えた。
「お前、いじめられてるのか?」
……。
「……かもね」
「そうか……」
名刺を差し出す。
「俺は加藤と言う。もし、困っていてどうしようもなかったら電話してもいいぜ」
「……おじさん。悪い人でしょ?」察しの通りチンピラだ。
「ああ、そうだ。でもな、いじめをするような奴は総じて悪党だ。マイナスにはマイナスをぶつけるしかないのさ」
笹川の顔が浮かぶ、イライラする。正論にカッコつけて誰かを殴りたい。それでこの女も俺に惚れコマせるだろ。すっきりするし、気持ちいい。まさにプラス!
「ありがとう、心配してくれたんだね……でもそのニヤニヤ顔、気持ち悪いよ」
「うるせ!」
「私、『あかり』って言うの。……困ったら本当に助けてね?」
切れ長の目がうるんだ。
【彼女は小さく震えている事に俺は気づいていた。
もうちょっと突っ込んで聞いていたら、あんな事にならなかったのかもな。でもな『あかり』起こった事は変えられないんだよ】
【澤野あかりサイド】
自分の家なのに忍び足だ。
誰にも会いたくない。こんな顔を母親がみたら悲しむだろうし、そもそも、説明できない。
浴室に向かう。
ちらりと洗面台の鏡が見えた。「酷い顔」
浴室に入りシャワーを出す。
すべて流してなかった事にできれば、さあっと、
霧雨のような適温のお湯を浴びながら思う。そんな訳はないのだけれど、汗と共に何か少しだけ削がれたように軽くなった。
髪をタオルドライしながら、脱いだショーツが目に入る。……喪われた証拠。
携帯電話がなる。メール、誰?
【明日もよろしく(笑顔の絵文字)
そして、添付ファイル……】
「いやぁあ」慌てて口を塞ぐ、
親に知られたくない。知られたくない……。「がぎぃぃ」股の痛み、
呼吸が出来ない。
加藤さん、あまりよく知らないけれど、あの自信に溢れた雰囲気の、
おっかない顔の男。
彼なら助けてくれるかもしれない。誰でもいい。たすけて。
念の為登録しておいた、『加藤の番号』をコールする。出ない。
出ない。出ない。出ないよぉ。
【(笑顔の絵文字)
そして、添付ファイル……】
【チクったらネットに流すよー(笑顔の絵文字)
そして、添付ファイル……】
【いいアングル(笑)
そして、添付ファイル……】
私は自殺をはかった。
浴槽で、私が消えたくなっている時。
脱衣所の携帯電話が加藤をコールした。それは、彼の脳に届き『入れ物』から抜けかけていた、彼の個性を呼び寄せた。
それは、肌身離さず持っていた電子機器の気まぐれな『奇跡』であった。
蛇足。
あのろくでなしに人を救うつもりがあるわけがない。結果うまくいってもそれは偶然、善意での行動ではない。けれどそれでいいのかもしれない。結果『あかり』は救われ、活力を取り戻す。終わらせようとした明日を続ける事ができる。生きる希望を取り戻す事が出来たのだ。
『加藤由紀夫』意地汚いしケチだ。後輩には抜かれ、いつまでたっても万年下っぱ。風呂なしワンルームのアパートに住み。夢は未だに『ビックになる』と言うぼんやりとしたものだ。いつもくだらない用事で走り。そうして失敗する。要領が悪い。しかし、彼はいつでも走る。全力は尽くす。形容するなら『愚直な男』である。