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西暦20XX年。
人類はついに、空を真の意味で手に入れた。
次世代VRMMORPG『スカイ・ヴォルテックス・オンライン(略称:SVO)』。
その正式サービス開始の報に、世界中のゲーマーが震えた。
舞台は、地表という概念を喪失した超高層の世界。
どこまでも続く抜けるような蒼天には、大小数千もの「浮遊島」が宝石のように散らばっている。
島々の間を縫うように走るのは、巨大な上昇気流の渦。
それは島と島を繋ぐ「空の高速道路」であり、この世界の血液でもあった。
このゲームを神ゲーたらしめているのは、変態的なまでにこだわり抜かれた風の物理演算だ。
プレイヤーは自らの飛空艇やウィングを操り、空を自在に駆ける。
翼を叩く風圧、気流に乗った瞬間に体が浮き上がるG、雲を突き抜ける際のひんやりとした湿度。
何より、それは「移動」という退屈な時間を、最高のスリルへと変貌させた。
「今まで遊んできたゲームは、ただの『箱庭』だったんだと思い知らされた」
「風を読めば、どこへでも行ける。この自由度はもはや暴力だ」
2週間前からのβ版の評価は、空前絶後の満点。
掲示板には連日、目まぐるしく変化する空の攻略法や絶景のスクリーンショットが溢れ、期待は最高潮に達していた。
このゲームを、誰もが欲している。
そう、この俺――堂 董平も、その狂熱に浮かされた一人だった。
ネットで一枚のスクリーンショットを見た瞬間、魂を抜かれた。
学校の改修で一ヶ月追加された夏休み&高校生という時間が有り余っている中、6/1の発売日当日、俺は朝5時からショップの前に並んだ。
だが、9時に開いた扉の先で待っていたのは、無情な一言だった。
「――本日分、完売しました」
即完売。
このゲームの熱量を、俺は甘く見ていた。
*
絶望の淵に立たされてから二日。
執念で在庫を追いかけ、ようやくその銀色のパッケージを掌に収めた。
たった二日。されど二日。
だが、ゲーム内では6日だ。
掲示板やレビューサイトには、すでに攻略情報と不遇職への罵詈雑言。
そんななか、俺はハードの電源を入れた。
VRゴーグルを装着すると、網膜に光が走り、視界が切り替わる。
始まる前から早速、神ゲーの予感がした。
「こんにちは、名前を教えてね!」
ゆでタマゴのような見た目をしたマスコットらしき存在が、陽気に話しかけてきた。
名前か。
特にゲーム経験の浅かった俺は、深く考えずに本名を使うことにした。
『クンペイ』
「よろしく、クンペイさん!次は見た目を選んでね」
提示された男のモデルを適当に調整し、俺は次のステップへと進む。
「次は、職業を選んでね」
職業選択のウィンドウが、目の前に淡く浮かび上がる。
○○○
【職業選択】
・剣士(安定の火力職)
・魔術師(派手な花形)
・盾役(パーティーの要)
・僧侶(必須の回復役)
・狩人(遠距離のプロ)
・武器師(技術の匠)
○○○
そして、リストの最後にあるのが魔道具師だった。
事前レビューでの評価は、目を覆わんばかりの惨状だ。
『攻撃魔法が使えない魔術師の劣化版』
『素材コストが重すぎて成長が遅すぎる』
『選ぶ奴はドMの地雷』
そもそも、二週間のβ版でこの職の「底」は見えていた。
開放されたのは始まりの地付近のみ。現れるのはスライムとゴブリン、そしてエリアボス。
他職がサクサクとレベルを上げる中、魔道具師は一匹を倒すのに数倍の時間を要した。
パーティを組んでのレベリングも試みられたが、このゲームの仕様は非情だった。
経験値は均等に分散される。
火力の出せない魔道具師を抱えることは、パーティ全員の足を引っ張る寄生でしかなかった。
結局、β期間中に職業の本領が発揮される「レベル10(スキル解放)」に辿り着いた者は、世界に一人も現れなかったという。
それなのに、運営はこの惨状を放置した。
彼らが心血を注いでいたのは、あくまで「空の物理演算」が正しく作動するかどうか。
職業間のバランスなどは「正式サービスまでに適当に調整すればいい。手をつけるほど、取り返しがつかなくなる」という、技術者の傲慢な楽観視で後回しにされた。
その結果、武器師の次に、ゴミ職の烙印を押されたハズレ職となった。
だが、誰もが右を向く中で左を向きたくなるのが、俺の悪い癖だ。
効率? 王道? そんなものは二日遅れた時点で今さらだ。
俺は魔道具師を選択したその瞬間、警告が現れた。
≪職業は2度と変更できません≫
俺は『了解』を選択すると、画面が変わった。
まばゆい光に包まれたと思った次の瞬間、俺の体は高度数千メートルの虚空に放り出されていた。
「うお、おい!?」
思わず叫んだ声は、猛烈な風圧にかき消される。
眼下に広がるのは、どこまでも続く雲の海と、その合間に浮かぶ島々の断片。
ダイビングから始まるという演出は聞いていたが、これほどまでとは。
まずはチュートリアルだ。
空中に浮かぶ光の輪をくぐり抜けるよう指示が出る。
輪っかを見た瞬間、逆張り心が疼いた俺は、あえて輪を無視して明後日の方向へ飛ぼうとした。高校生男子なら誰もがそうするだろう。
……たぶん、俺だけじゃないはずだ。
だが、見えない壁に押し戻されるようにして元の位置へ強制送還された。
「……分かったよ、やればいいんだろ」
仕方なく、翼を模した初期装備のハンググライダーを操作し、指示通りすべての輪を通過した。
最後の輪をくぐり抜けると同時に、視界が急速に開けていく。
そして俺は、始まりの地『スカイポート』へと降り立った。
足が地面に着いた瞬間、真っ先に感じたのは、絶え間なく鳴り響く、風の唸り。
だがそれは不快な騒音ではなく、まるで世界が呼吸しているような、どこか心地よいリズムを持っていた。
「……すげえな」
頬を撫でる風が、驚くほどリアルだ。
高所に特有の、少しだけ乾いていて、それでいてどこか冷たい空気の感触。
風が吹くたびに、着ている初期装備の布地がパタパタと小気味よく震える。
大きく息を吸い込むと、肺の奥まで澄み切った空気が満たされていくのが分かった。
ただ立っているだけで、自分が空の一部になったような錯覚に陥る。
「風を読めば、どこへでも行ける……か」
掲示板に書かれていた言葉を思い出す。
俺の手元には、魔道具師の初期装備である、古ぼけたランタンと奇妙な形のレンチがあるだけだ。
剣も持たず、派手な魔法も使えない。
だが、この圧倒的な空を前にして、不思議と不安はなかった。
俺は一歩、始まりの地『スカイポート』の広場へと踏み出した。




