04.禁制監視官
「……ノース、さま?」
「そ。禁制監視官って言えば、さすがのお前もわかるよね?」
ピク、とドブの耳先が跳ねたのは、アルビノの言う通り聞き覚えがあるからだ。
厳しい審査と試験をくぐり抜けた、信頼と実力の値する者だけがなれるという、特別な仕事。
違法薬物や、禁制品の取り締まり。そして、特別保護法が適用されている兎の、あらゆる事項に関わっている者。
そして、侯爵と同等の地位を与えられている……と、ドブの知っていることはそう多くはない。
だが、この仲介所から出ることも、誰かと話す機会もないドブですら知っている人たちなのだ。本当にすごい人たちなのだろう。
実際に会ったことはない。だが、仲介所自体には何度か来たことがある。
それは過去に受け入れられた兎のことだったり、仲介所自体の運営だったりと多岐に渉るが、結局はドブには関係のないこと。
「なにか調べに来たの」
「あははっ! ほんと、お前ってなーんにも知らないんだね!」
今回もそうだろうと問いかければ、案の定知らなかったと笑う声の、変わることのない愛らしさ。
そこにどれだけ侮蔑の色が混ざっていようと、兎というだけで無条件に愛される存在だと見せつけるよう。
「この間から、ノース卿が特別な兎を迎えるって話しが出ていたんだよ。これまでの功績を讃えて、特別に授与の形を取るからお披露目が終わるのを待つ必要もない。そして、つい先ほどこの仲介所に他の監視官と一緒に来た。……ここまでいえば、いくらお前でも意味が分かるよねぇ?」
クスクスと笑う声は、鈴を転がすように。大きく歪んだ口だって、きっと可愛らしく見えているのだろう。
その長い耳に、ドブの乱れる呼吸も、握り締める指の音も、聞こえているはずがない。
「兎嫌いって聞いていたけど、所詮は噂だったみたいだね。監視官なんて特別な方が選ぶ特別な兎なんて、そんなのアルビノである僕以外には考えられないもん! 普通の兎……ましてや、お前みたいな混血なんて見向きもされないだろうね! あっはははは!」
鼓膜を揺さぶる声が心臓に刺さってジクジクと痛いのに、棘が抜けることはない。
言われなくてもドブは分かっている。自ら望んで混血を迎える者なんて存在しない。どれだけ悪趣味でも、それだけは絶対に変わらないのだ。
ましてや、真っ黒で汚れた毛色の。名前の通り、ドブのように醜い自分を、誰がどうして見ようと思うのか。
兎でも、猫でもない。可愛くもなければ、愛らしくもない。汚くて、醜くて。兎としての価値は、一つだってない。
可愛くないのならば、愛されることはない。愛されなければ、生きている意味だって、ない。
それでも、愛されないのならば。無意味だと理解しながら、生きるしかないのだ。
今までも、これからも。
……そして、死ぬまでずっと、ずっと。
「だから、お前の醜い姿も今日で見なくていいってわけ!」
これから愛されることを確信し、その幸福な日々を思い浮かべ。お前とは違うのだと、ドブに突きつけるその声が鼓膜に反響し続ける。
「まぁ、ここでずーっと這いつくばって生きていくお前には関係ないことだったかな? 僕だったらそんな醜い姿で生きるなんて、それこそみっともなくてできないけどね!」
「――アルビノ!」
高らかな笑い声に交ざる呼び声。ドスドスと地面を走るのは、こんなところまでアルビノを探しにきたオーナーのもの。
相当探し回ったのか息は荒く、その合間で肺の悲鳴まで聞こえている。
「どうしてこんな場所にいるんだ!」
「ごめんなさいオーナー、でも……」
「もうすぐノース卿が来られる! 早く中に戻りなさい!」
今回ばかりは本当に焦っているのか、許す声こそ聞こえなくても、いつものように怒られることはないのだろう。
やがて足音が遠ざかり、戻ってきた静寂にそっと、息を吐く。
……アルビノの言う通り。どんな凄い人が来たとしても、ドブには関係ない。
貴族であろうと、監視官であろうと、誰もドブを受け入れるはずがない。
お披露目期間が終われば成人した兎たちは受け入れられ、そうしてまた新しい兎が入ってくる。ずっとずっと、その繰り返し。そこにドブが混ざることは永遠にないのだ。
闇市に売られないだけマシだろう。引き渡されたが最後、今よりももっと酷い扱いを受けることはドブにだって分かっている。
兎の血に若返りの効果があると信じている者もいるのだ。
家畜のように解体されて食われる、なんて他の兎へ語る脅しは、ドブにとっては真実になりかねない。
混血にはそれぐらいの価値しかないと、何度売られそうになり、その度に頭を擦りつけて許しを請うたか。
こんな姿でも。愛されることがないと分かっていても。それでも、死ぬのだけはどうしたって受け入れられなかった。
せめて耳と尾だけでも兎だったなら、この醜い身体でも引き取ってもらえたのだろうか。
そう考えたのは、これで何度目になるだろう。そして、その度に同じ答えに辿り着く。
なにも変わらない。どれだけ妄想したって、ドブの現実はここにある。
兎でもなければ、猫でもない。濁りきった水のように汚い毛と、大きくなりすぎた身体。
求められた愛らしさとは遠くかけ離れた自分は、アルビノの言う通り、這いつくばって生きていくしかないのだ。
誰にも愛されることなく。誰にも求められることもなく。そうして、最後は……一人で、死ぬしかない。
トクリ、トクリ。ようやく落ち着いてきた心音に耳を傾ける。
胸の奥まで冷たくて、締め付けられるように感じるのはお腹がすいているせいだろう。
唯一の食事にありつけるかどうかも、オーナーの機嫌にかかっている。
誰が、どの兎を求めに来たかなんてドブには関係ない。考える意味はない。
だから、今は少しでも休むことだけを考えなければいけない。
言い聞かせ、抱えた膝に顔を埋める。伏せた目蓋から滲むのは、涙ではなく、何度零したかもわからない諦めであった。
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