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晴れ乞いの儀 

これは、とある人から聞いた物語。


その語り部と内容に関する、記録の一篇。


あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。

 スキンシップ。

 その名の通り、肌と肌のふれあいのことだが、言葉を聞いて思い浮かべるレベルは、人によってさまざまだろう。

 手を握る、肩を抱く、ハグしあう……文化や価値観、人間関係によって、同じ動作であっても持つ意味はいろいろに変わってくるものだ。


 いつあるか分からないスキンシップのために、常日頃、準備を整えておく。

 身だしなみの範疇か、自意識過剰のうぬぼれか。そいつは結果をもってしか、判断をつけることはできない。

 その結果が両者の間だけで完結するならいいのだけどね。ことを実行するときは、周りも多かれ少なかれ、影響を受けてしまうものだ。

 ちょっと前に実家へ帰ったおり、聞いた話があってね。耳に入れてみないかい?



 晴れ乞いの儀式、君は知っているだろうか?

 てるてる坊主をはじめ、晴れることの望み方はいろいろあるようでね。僕の住む地元だと、その晴れ乞いが行われることが、まれにあったらしい。

 しょっちゅうは行われず、条件がそろったときのみ行われることだった。雨が続いているから、空が晴れて欲しい……というような単純な願いでは許されなかったという。


 これは自然の疲れを考慮してのことだったとか。

 人間にとっては長く感じられる時間だったとしても、悠久の時をあり続ける自然にとってはまばたきにも満たない短い時間、ということはままある。

 いたずらに動いてもらうのは、人の身を絶えず万力で締め上げるかのごとき行為。休ませる時間を十分にとることによって、自然本来をいたわることこそが肝要である、という考えが根付いていたそうなのさ。

 その考えの例外として、行われるのが晴れ乞いの儀式。村の代表者たちが協議の上で決める大事だったらしいのさ。



 こいつは、晴れ間がのぞかず、さりとて雨も降らない曇り空が7日以上連続することがあると、検討が始まる。

 雨でないなら、なぜ? と私も疑問に思ったが、いわく雨にはうるおいがあるからなのだとか。

 それが冷たい雨粒であろうとも、地肌に触れることに違いはない。むしろ、あふれんばかりのふれあいゆえ、心配には至らないとか。まさにスキンシップの概念に近いといえるだろう。

 そして晴れ間はぬくもり。それを抱いてまどろんで癒される、幸せな時間だ。

 そのありがたさも何日も続くうち、当たり前に思えてくるあたりが「慣れ」の怖いところではあるが、いざ失われたときの痛手は大きいものだ。


 その点、曇りはどちらにも相当しない。

 完全なぬくもりを与えることはなく、かといって激しく濡らしてくるわけでもない。徹底的にこちらを焦らしている感じさ。

 特に雲の黒ずみがひどく、遠雷を響かせながら何もないというのは、待つ身を強いられる自然に耐えがたいこと。

 その堪忍袋の緒が、いつ切れてしまわないか。村人たちは地域の各所に観測所代わりの小屋をあらかじめ設けておき、その様子をうかがうのだとか。



 一番顕著な例として伝わっているのが、数百年前にあったという半月を超える曇り空が連続した日のことだ。

 その時、山麓の一角を担当していた村人が、奇妙なものを見つける。

 小屋からふもとまで通じる、けもの道の一本。その真ん中を走る、細い溝があったんだよ。

 非常に長く、小屋の裏手から麓までの、およそ半里の道のりを途絶えることなく走っている。

 村人は事前に聞いていた通り、その溝の近くに立たないよう、かろうじて存在を認められる距離から、遠巻きに様子をうかがっていながら見守っていた。

 もし、聞いていた通りならばあれは、自然の渇望。文字通りの「渇き」のあらわれなのだから。

 

 

 それを決定的に示す瞬間は、ほどなく現れる。

 村人より、溝をはさんで向かい側。下生えの草たちが出し抜けに揺れ動いた。

 リスだ。

 この時期にふさわしい、灰色を基調にした体躯でもって、草たちの上をかけていく。

 自分のたくわえる木の実の新しい隠し場所の目星でもつけたのか。その動きに迷いはなく、けもの道をはさんだ村人側へ駆け寄ってくるような動きを見せていたが。

 

 話を聞いていなくては、見逃していた早業だった。

 その溝へ、リスが足をかけたのはほんのわずかな時間だった。

 それを逃さず、みぞは道いっぱいに口を開き、即席の地割れとなってリスを呑み込んでしまったんだ。

 開き、閉じるまで、一拍を数えたかどうか。少しでも遠くから見たなら、リスの消失を奇術かまやかしのようにとらえてもおかしくない状況だったんだ。


 渇きだ、と村人は察して、すぐに皆へ伝えにいく。

 晴れ乞いの儀式は、即座に執り行われる運びとなった。溝の長さを観測者から聞いた村人たちは、村の蔵へと向かう。

 神事に使われるしめ縄だが、古来より幾度かあった儀式ゆえに、このような事態にも対応できるように、分割して何本も縄が用意してある。結び付けていけば、その半里の長さでさえ余裕をもって囲える、大掛かりなものだ。

 現地につくや、手慣れた動きでもって縄で溝を大きく囲っていく村人たち。その端から端まで内側におさめていくかたわらで、儀式に使う燭台の組み上げも行われる。


 村々で用意できるもの、ということもあって華美なものではない。

 三段のひな壇。それぞれに人が数人立てるほどの長さを持ち、上段からひとつ、ふたつ、みっつとそれぞれの段に、捧げものを乗せていき、地面と接する最下段でもって火を焚く。

 捧げるものは完全に同一ではないが、傾向がある。

 一番高い段に自然のものを乗せ、二段目には人の手による加工品。三段目には人の身体の一部を用意するのだという。


 その時は最上段に、よもぎの葉がひと盛り乗せられた。

 二段目には、余ったしめ縄の一本と、居合わせた者の中で一番年長のものの履く草履。

 三段目には、村人たちの髪、爪、垢がそれぞれ用意されたとのことだ。

 そうして縄がすっかり溝を囲んだのを確かめたあと、形をととのえた薪たちに火がともされる。

 この煙を真っすぐ、天に届かせることが晴れ乞いの最重要な点なのだとか。

 みんなは周りに人垣を作ることで、たき火を風などから守っていく。人工的なものによる防ぎは奨められず、人の皮と肉でもってその役目を果たしていくのも、またならわしであったらしい。


 その時は、一刻以上のときを過ごしたという。

 煙が真っすぐ立ち昇ってより、しばらくののち。長かった雲間が開く気配があったんだ。

 それはみんなの頭上。縄で囲った細い溝の上へ、狙いすませたかのように陽光が差してくるのを、居合わせた全員が目撃する。

 それを受けて。溝は再び、口を開いた。

 皆の見ている前で遠慮なく地面を揺すり、囲った縄の範囲のうちで、確かにリスごときならもろとも呑み込まれてしまう大口を、差し込んでくる陽へ向けている。

 陽もまた、開いた溝の口へまっすぐ、いじわるすることなく入り込んでいった。その溝がはるか地中にまで身を伸ばす、岩壁の隆起。

 その一寸一寸を余すことなく照らしながら、なお深くへ自分の光を届けていくんだ。


 かの様子を見守っていくうちに、空を覆う雲は、風に吹かれるかのような勢いで四方へ散っていき、溝がまたひとりでに閉じていく二刻あまりの間で、快い晴れ模様と相成っていたのだとか。

 地も空もつながって、ひとつの大きな機嫌を表していく。

 それは命が生まれるはるか昔よりの付き合いである彼らの戯れであり、慈しみであり、肌のふれあいだったのかもしれない。


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